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【岡田史子:インタビュー第一部】

まんだらけZENBU No.4
出版社:まんだらけ出版部
発売日:1999年09月01日

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164958...


「まんだらけ ZENBU No.4」278-286ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

インタビュー第一部
岡田史子、『COM』の時代を振りかえる
聞き手・赤田祐一











インタビュー第一部
岡田史子、『COM』の時代を振りかえる
聞き手・赤田祐一

たとえばつげ義春という天才マンガ家の出現が『ガ口』という雑誌を抜きには語れないように、岡田史子の出現は、『COM』という、どちらかと言えば非商業的性格を持った雑誌を抜きに考えることは難しい。岡田史子を語ることは、とりもなおさず、『COM』という雑誌とその時代を語ることに他ならない。
そこでまんだらけ復刻シリーズ第三弾『Hors-d’oeuvre de Fumiko Okada 限定版・岡田史子未発表作品集 1969-1988』刊行にともない、岡田史子に、自らの青春時代ともシンクロする『COM』の時代の思い出について語っていただいた二年ほど前の貴重なお話を紹介することにした。
インタヴューは二部構成になっていて、第一部は、 主に、『COM』の時代について語っており(*一九九七年収録)、第二部は著者自身による『未発表作品集』の全解説です(*一九九九年収録。 (赤田)

赤田:僕、今、三五歳なんです。二〇年前くらい前高校一年だったんですね。一六歳で。その時、朝日ソノラマから岡田さんの初の単行本である「ガラス玉」が出版されて。あれでもう、ガーンとやられて……。こんなマンガがあったのかって仰天したんです。ものすごく知的で、おしゃれで、謎に満ちあふれていて、エロチックで、なおかつ、死の臭いが漂っていて……。そのころ夢中たったゴダールの映画やビートルズの音楽と、同じ質の閃きを感じたんですね。それ以来、二〇年間、ガーンとやられっぱなしという感じなんです。ずっと岡田さんのことが、心のどこかで気になっていて。それで、「クイック・ジャパン」という若い人向けの雑誌で、「消えたマンガ家」という企画を編集しているので、読者から反響が、いろいろ来るんです。その手紙の中にも、岡田史子のことを取りあげてくれという投書が、少なからずあるんですね。

岡田:へえ、そうですか。

赤田:ただ、北海道にいらっしゃることもあったので、ちょっとブレーキがかかっていたんですけど、今回この機会に、ぜひ、お話を聞かせていただけないかなあと。

岡田:はい。

赤田:今日は、昨日の大泉実成さんと、ちょっと違った視点から話を聞かせていただきたいんですけれど。マンガ史と言うとやや大げさなんですけど、手塚治虫がいて、永島慎二がいて、「COM」があってという、60年代から70年代にかけての時代があったと思うんですが、そういう渦中におられた話を聞かせていただけたらなあと思って。昨日は、一応筆を折られたというマンガ家さん(註・1)という形でお話を聞かせてもらったんですけれど、そうではない視点で、僕としては、これからも描いていただきたいから、大泉さんの逆に「消えたマンガ家」じゃなくて「消えないマンガ家」みたいな話を聞けないかなあと思って。

(註・1) このインタヴューは、大泉実成「消えたマンガ家」第三巻(太田出版刊/新潮文庫近刊予定)の単行本描き下ろし用取材の翌日に行われた。
(まとめ註:1997年12月01日発売「クイック・ジャパン vol.17」にはこのインタビューが実施されたのは1996年10月11日と記されているが→【岡田史子特別インタビュー:クイック・ジャパン】本記事では最終行に1997年10月11日と記されており、1年の差異が見られる)

岡田:まあ、昔のこと、あまりよく覚えてないから、お答えできないこともあるかも知れないけれど、覚えている限りはお話をしますが。

赤田:では、始めます。まず、月刊マンガ誌「COM」のまんが予備校 (註・2)に「太陽と骸骨のような少年」(註・3)で入選しますよね。あれが一八ですか? 一七ですか?

(註・2) 手塚治虫が主宰していた「COM」は、新人募集のために「まんが予備校」こと「グランド・コンパニオン」(通称・ぐらこん)にページを割いており、ほかにも宮谷一度、青柳裕介、やまだ紫、竹宮恵子、山岸凉子などの新人を輩出した。

(註・3) 原画の裏に、次のような業が記されていることに注目したい。「原画返却を希望致しますので、その旨ここに説明致します。また(判読不明)がマンガになるにはどうしたらよいかなど、ご批評も承ること能えば、この上ない幸いと存じあげます。──高田富美子 岡田史子」

岡田:一七歳。

赤田:じゃあ、高校二年生。

岡田:そうです

赤田:最初「ガロ」に投稿したと聞きましたが。

岡田:うん。「ガロ」に投稿して、それで返されて。それでまあ悲しかったんですけれども、このまま仕舞っておくのも嫌だったから、せめて友達にだけ見せておきたいと思って、村岡栄一君(註・4)に送ったんですよ。 当時村岡君は、永島慎二(註・5)先生のアシスタントをしてたんで、永島先生に見せに持って行ったんですね。そしたら、永島先生の担当だった「COM」の人が、「これはすごい」ということで、ぜひ載せようという話になったんだそうです。あとで聞いたんですけど。

(註・4) 福島県出身のマンガ家「奇人クラブ」会長であり、岡田史子と文通で交流。岡田の才をより早く発見した。「僕は岡田史子の第一番目のファンだったかもしれない。こうしたマンガは、いままで見たことがなかった」(村岡氏・談)。現在は麻雀マンガ家として活躍。

(註・5) 当時、「漫画家残酷物語」「フーテン」などで、マンガマニアの教祖的な存在だった。岡田は永島慎二の貸本マンガを初めて読んだとき「あ。マンガでこんなことしていいのか」と衝撃を受け、それまで描いていた少女マンガをすべて燃やしてしまった」と言う。
赤田:最初「ガロ」に送ったというのは、「ガロ」を読んでらしたわけですよね。

岡田:ええ。立ち読みをしてたし。それに、「COM」は、まだ出てなかったですからね。「COM」があれば 「COM」の方に応募したかも知れないんですけど。

赤田:「ガロ」は、つげ義春とか、好きで読んでいたんですか。

岡田」いや、あまり好きじゃなかったですね。「ガロ」で好きな人っていうのは、なんとかマキっていう人いたでしょう?

赤田:佐々木マキ?

岡田:ああ、佐々木マキ。あの人は割と好きでしたけど。

赤田:つげ義春のマンガは、どうでしたか? 当時、「初茸狩り」を見てびっくりしたという発言がつげ義春との「COM」の対談(註・6)に出てましたけど。

(註・6)「COM」68年7月号に掲載された「対決・つげ義春=岡田史子──マイベースで書こう」のこと、岡田もつげも、互いにひと言も発せず、全部編集部が作ったものだという。当初この企画は、西谷祥子とつげ義春の対談という予告がなされていた。

岡田:あれはもう、全部、編集部の捏造ですからね。私はですね、「ねじ式」なんか読んで、一体これはなんだろうかなと思って。一応読んではいたけど、好きじゃなかったですよね。絵が好きじゃないし、あまりにも暗いんじゃないだろうかと思ったりして。

赤田:「COM」に投稿するまでは、水野英子とか、里中満智子とか、少女マンガを読んでらしたんですか。

岡田:ええ里中満智子さんは好きじゃなかったですけど、わたなべまさこ先生が好きでしたね。バロック・ロマン風の作品が。水野先生も好きでしたけど。

赤田:なにか、 里中満智子さんのデヴューがすごく若くて……。

岡田:一六歳だったんですね、彼女ね。

赤田:そのことを何かで読んで知ったわけですよね。

岡田:うん。「少女フレンド」を読んでましたから、それで知って、一六歳の少女に出来るなら、私、当時一三歳だったんですけど、一三歳でも出来るかなと思って。かなり刺激を受けたというか。

赤田:それがきっかけで、「ハムレット」の話 (註・7)を、自分で翻案して。

(註・7) 岡田史子名義で描かれた第一作目か、二作目の貴重な作品。今回、青島広志の尽力により、「未発表作品集」に初めて収録された。

岡田:うん。「ハムレット」を、日本の時代劇に翻楽して描いたんですよね。それで水野先生のところに送ったんですよ。どうしてそんなことしたんだか覚えてませんけどね。

赤田:水野さんが好きだったから、送ったんでしょうね。

岡田:でしょうね。「少女フレンド」の新人賞を取りたかったんですけど、なぜ「少女フレンド」に送らずに、水野先生のところに送ったのか、そのところは、さっぱり覚えてないんですけどね。

赤田:中学生の頃投稿活動をしてたわけですね。

岡田:この「ハムレット」は、もう高校生になっていたと思いますよ。

赤田:「ガロ」に送って、没になって、何か選評はされたんですか?

岡田:いや、何の評価も無くて。ただ「自分のところの雑誌には合わない」って言われました。

赤田:それから「COM」が創刊されて、「COM」も読んでらしたわけですね。

岡田:うん。もう、手塚先生の「火の鳥」も、大々的に宣伝されて……。

赤田:そこに「グランド・コンパニオン」(註・8)と いうコーナーがあって。そこに第一回目ですか。

(註・8) 岡田は「ぐらこん」に五回掲載されており、「COM」には都合二十六本の作品を発表した。

岡田:いや、二号に載ったんじゃなかったかな。

赤田:村岡栄一さんが、「COM」の執筆者でもあった永島慎二さんに岡田さんの作品を教えて、そういう裏ルートのようなものがあったから、もう、創刊二号目に載ってしまったわけですね。普通、創刊二号とかいったら、時期的には、載りません。大きな扱いだったみたいですね、全ページ載せて。

岡田:うん、「ぐら・こん」は、二ページしか載せない決まりだったんですよね。それで、あくまでも、その決まりを守るべきだという編集長と全ページ載せるべきだという担当編集との間で、けっこう言い争いがあったらしいんですよ。担当は野口勲さんという人です。それで、担当編集は、自分の言い分を通す替りに、編集部を辞めちゃった。

赤田:手塚さんも選評(註・9)を書いてらっしゃいましたね。

(註・9) 新しもの好きの手塚は、「COM」で次のように評価している。「岡田さんの新しい感覚には感心した。新人賞というからには、既成作家の持たないなにかが必要であって、その意味で、岡田さんのフロンティア・スピリットは、高く評価してよいだろう(後略)」(手塚治虫「岡田さんを推す」より)

岡田:そうでしたか。あら、全然覚えてない。

赤田:既成作家に無いサムシング・エルスみたいなのを感じて、強く推す、と絶賛してました。

岡田 あっ、そうですか。へえ。

 *

赤田:手塚さんのマンガは、好きだったんですか。

岡田:ええ。もう子供の頃から、「鉄腕アトム」読んで育ったようなもんですから。

赤田:それは、お兄さんが買ってたとか?

岡田:えーと、兄が買ってたのは 冒険王で、柔道のマンガとか載ってましたけど。「鉄腕アトム」は、向かいの家に、男の子が三人いたんですよ。それで「少年」という雑誌を買ってて、それに「アトム」が載ってたんですね。それで私のとってた「少女」っていう本と交換して、お互いにむというか、そういう感じで。

赤田:手塚マンガは、「アトム」の他にも読んでらしたんですか。

岡田:うんと晩年の作品は全然読んでないんですけど。かなり読みましたよ。

赤田:岡田さんのマンガで「私の絵本」の中に、本棚が大きなコマで出てきて、その中に手塚マンガがずいぶん出てくるんですね。「レイガン・ジャック」とか、「アリと巨人」とか。タイトルを書いてらっしゃるんですね、本の背表紙に。

岡田:ええ。一番好きなのは「バンパイヤ」ですけどね。

赤田:ロック・ホームのキャラクターが好きなんですよね。

岡田:ロック好きですよ。

赤田:ちょっと思ったんです。岡田さんがロックを描いたら、すごく似合うんじゃないかなと。ああいうピカレスク・ヒーローを描くと。手塚さんからの影響みたいなものは、自分では意識してますか?

岡田:特に意識はしてませんけど、やっぱり昔から読んでるんだし、影響はあるでしょうね、どうしたってね。

赤田:話は戻るんですけれど、永島慎二のマンガは、高二の頃は、ご存知だったんですか。

岡田:ああ、村岡栄一先生に教えてもらったんです。 文通してたんです、長いこと。「ボーイズライフ」(註・10)っていう雑誌が当時あって、それに載ってたんですよ。「奇人クラブ」(註・11)に入りませんかって。私、一人で描いているより、仲間がいたほうがいいと思ったから、 すぐ手紙出しまして。

(註・10) 小学館から発行されていた月刊若者誌、村岡栄一の投稿は「ボーイズ掲示板」に掲載された。

(註・11) 村岡栄一を中心に結成されたマンガ同好会。創設当時は「かけだし集団」と呼ばれ、大友克洋、松久由宇、飯田耕一郎、じょうづかまさこ、青島広志、山口芳則などを輩出した。岡田は五代目の会長だった。

赤田:「奇人クラブ」は肉筆同人誌だったんですか。

岡田:そうです。村岡君が代表で、えーとあと、木村満男っていう人と。

赤田:木村さんの名前は、「アイ」(註・12)に載ってましたね。みつはしまこととか。

(註・12)「奇人クラブ」の新鋭による短編マンガ誌。岡田史子責任編集で、66年から69年にかけて二冊、新書版で刊行された。岡田の装丁、扉目次 、カットなども手がけている。

岡田:ああ、みつはしまこと君とか、あと、和田あきのぶっていう人とか。

赤田:あすなひろしさんみたいな絵を描く人ですね。

岡田:そうなんです。あすなさんのアシスタントをしてたこともある人。

赤田:「奇人クラブ」の肉筆同人誌(註・13)って、何冊が現存するわけですか。

(註・13)「墨汁一滴」(のちに「けむり」と改名)のこと、この発言が、今回の「未発表作品集」の刊行につながった。

岡田:村岡君が保管してるんじゃないかと思いますけど。

赤田:その作品は、どこにも出してないんですか?

岡田:ええ。

赤田:それは貴重ですね。

岡田:どうでしょうかね。きっと稚拙なものばかりだと思いますけれど。

赤田:肉筆同人誌って、一冊しかないわけですよね。会員の方は、どうやって見るんですか。

岡田:郵便で送って。

赤田:回覧するんですか。

岡田:そうです。

赤田:なんか、すごく牧歌的な話ですね。それで、講評って言うんですか? 話しあったりとか。

岡田:メンバーのたいがいが東京に出て来るようになると、月に一回集まってやってましたけどね。それぞれ地方に住んでた頃っていうのは、村岡君が一人で選評を書いて、回覧に載せたという、そんな感じ。

赤田:「奇人クラブ」は歴史がある団体ですね。今でも、存在するんじゃないですか? コミック・マーケット(註・14)で、二〇年くらい前だったか、見た記憶ありますよ。

(註・14) 第二回に催されたコミック・マーケットに於て、岡田史子「奇人クラブ」時代の作品が関係者の手で展示され、コピー誌が、販売されたらしいが、岡田本人はまったく知らなかったそうだ。

岡田:あ、そうですか。ふーん。

赤田:「奇人クラブ」から、「アイ」が出ますよね、二冊。あれは商業出版物でしたね。部数とか少ないと思うんですけれど。「アイ」出版の経緯っていうのは、どんな感じだったんですか。

岡田:まあ皆こういう回覧誌では満足出来なかったということと、いっこうにデヴュー出来ないのに焦って、編集者が買ってくれないけれど、読者は買ってくれるんじゃないだろうかみたいな感じで、とにかく本屋さんに並べる本を出そうということになったんだと思います。

赤田:東考社(註・15)から出ましたね。あれは、永島慎二さんの紹界?

(註・15) 埼玉県に現在でも存在する小さな出版社。水木しげる貸本時代の出版でも知られる。

岡田:うん。永島先生の紹介で。桜井昌一さんのね。(註・16)

(註・16) 貸本マンガ出版を長く手がけてきた編集者、辰巳ヨシヒロの実兄であり、 本誌「劇が漂流」の原作者も務める。

赤田:でも、東考社はよく出版しましたよね。新人だけの本を。

岡田:桜井さんが、新人発掘に熱心な方っていうか、とても親切にしてくださって。

赤田:この時代にしては、ユニークな本だなあと思って、二冊とも持ってるんです。古本屋で買って。当時、やっぱり売れなかったんじゃないですか。

岡田:売れなかったんですよ。

赤田:誰も、まあ、あまり名前のある方とかいないし。

岡田:ええ。だから一号は、一応原料を安いながらも貰ったんですけれどね。二号は現物支給(笑)。たくさん貰いましたね。皆、人にあげちゃって、残ってませんけど。

赤田:岡田さんが「奇人クラブ」の責任編集者ということで、奥付に名前が出てますよね。御自身も、「アイ」一号に「ホリデイ」、二号に「ワーレンカ」を発表して。 実質的に、編集長として、本をまとめてらしたんですか?

岡田:いや、編集と言っても、ただ皆の原稿を集めて、東考社に持っていって桜井さんとお話をするという、ただそれだけのことで。あとは全部桜井さんがやってくださったんです。

赤田:いきなり商業誌を出しちゃうっていうのは、すごくパワーがあるっていうか。

岡田:うん。みんな、すごい熱意持ってましたからね。

赤田:当時「アイ」は、話題になったんですか。

岡田:どうなんでしょう。私自身は、なんの反響も聞いてません。

赤田:各々がなんらかの形で「アマチュアイズムに決着をつけたい」みたいな文章が挨拶状で書いてあるそうですが。そういう信念があったんでしょうね、当時から。村岡さんとみつはしさんは、永島慎二さんのアシスタントを経験した方ですね。そういう方も「奇人クラブ」には参加してたんですね。

岡田:そうです。彼らが中心人物という感じでしたね。

 *

赤田:やはり、どうしても、永島慎二さんの流れが、出てますね。永島さんのマンガとは、どんなふうに出会ったのでしょうか。貸本マンガですか?

岡田:あまり古い作品は知らないんですけど、「漫画家残酷物語」(註・17)っていうのは、貸本ですよね? 最初は。それを一冊か二冊読んで、かなりの衝撃を受けた。

(註・17) 貸本劇画誌「刑事」(東京トップ社・刊)「ゴリラマガジン」(さいとうプロダクション・刊)に連作として発表された。

赤田:永島さんが、東京トップ社の貸本マンガ誌に描いてた頃の、「びんぼうなマルタン」とか。

岡田:ああ、「びんぼうなマルタン」読みました。

赤田:「蕩児の帰宅」とか。

岡田:ああ、それも読んだような気がしますね。

赤田:主人公の髪の毛の描き方の感じが、永島慎二さんの「雨の季節」とかと、ちょっと共通点があるかな、という気がしましたね。

岡田:そうですね。やっぱり、相当なインパクトでしたから、 受けたと思います。

赤田:永島さんのマンガを初めて読んで、「こういうふうにマンガを描いてもいいんだ」と思ったと言ってましたが、永島慎二は、それまでのマンガと、やっぱり違ってたわけでしょうか。

岡田:うん。全く新しい世界があったっていうかんじ。「ガロ」なんか見ても、別段新しいと思わなかったですけど、永島先生の作品を見た時に、本当になんて言うのかなあ……一時のお楽しみじゃなくて、何回読んでも飽きない、みたいな。芸術を目指すことも出来るみたいな。マンガってそういう可能性も持ってるんだなと思って。

赤田:永島さんの貸本時代の作品って、今見ても、素晴らしいですね。今見てもすごいから、当時見て、かなり新鮮だったんじゃないかなという気がするんですけど。マンガにおいて初めて「内面」みたいなことが描かれたりとか、あと、決定的に洒落てますよね。画像処理とか。タイトルの付け方とか、フランス趣味とか。すごいおしゃれで、なおかつ内面がちゃんと描かれているという気がするんですね。安部慎一も、宮谷一彦も、岡田さんも、 やはり永島慎二という方がいて、すごく影響を受けて、デヴューしたという方っていう、そういう永島学校の系譜みたいなものがあったんですね。永島さんのおうちでは、アドバイスをしてくれたりしたんですか?

岡田:いや、アドバイスっていうのは特に無かったです・

赤田:当時、マンガ好きの人の間では、永島慎二さんというのは、別格という感じがあったんですね。

岡田:そうですね。やっぱり才能のある方だし、面倒見もいいし、みんな、尊敬してましたよ。

赤田:永島さんの仕事場に、高校二年生の年に、家出してきてしまったそうですね。

岡田:(笑)。そうなんです。別に永島先生のところに行こうと思って家出したわけじゃなくって。とりあえず東京に出て、なんか働きながらマンガ描こうかなっていうようなかんじだったんですよ。

赤田:本当に家出なんですね。ちょっと夏休みだけ東京に行って帰ってくるとかじゃなくて。

岡田:そんなんじゃなくて、もう、本当に、どうしても家にいるのが嫌でたまらなくて、東京に行って、なんとかなろうと思ったんですけれどもね。で、とりあえず東京の知りあいっていったら、材岡君しかいないから、彼に頼って行ったんですけれど、彼は「高校は卒業したほうがいいよ」っていうかんじで。で、とりあえず泊まる場所として、永島先生のところに連れて行ってくれたわけですよ。家出したときには、永島先生とは、ほとんどお話をしなかったような気がしますね。

赤田:ソファで寝てらしたとか。

岡田:ソファじゃなくて、リビングの横にある和室に布団を敷いていただいて、寝てたんですよ。永島家に行った時、先生はお留守でね、奥様の許可を得て、奥様がお布団を敷いて、ここで寝なさいって言ってくださったんですよ

赤田:誰も知らない人に対して、ですよね。親切ですね。

岡田:ええで、夜中になって、永島先生が帰ってらして、布団めくって「あなた、誰ですか?」って(笑)。それで返事しようと思って、起き上がろうとしたら、「ああ、いい、いい。寝てなさい、寝てなさい」っていうことだったんで、また寝て(笑)。それで、朝起きた時には、もう先生いらっしゃらなかったんじゃないかな。よく覚えてませんけど。

赤田:当時そういう若い人は多かったみたいですね。

岡田:あ、そうですか。

赤田:安部慎一さん(註・18)もそうです。九州から飛行機で、いきなり永島さんのところへ来て、押しかけ弟子みたいな感じで居座ったらいしいんですね(笑)。他にもいたんじゃないかな。家のかたは、じゃあ、びっくりしたでしょうね。

(註・18) マンガ家、前出「消えたマンガ家」第三巻参照のこと。永島慎二の作品「青春裁判」を読んで衝撃を受け、マンガ家を志す。

岡田:はい。すごく驚いたみたいですね。

赤田:家出っていうのは、どのくらいの期間だったんですか。

岡田:えーと、東京に三日間くらいいたのかな。それで、兄が当時横浜にいたんですけれど、実家のほうから連絡を受けて、永島宅へ迎えに来まして、旅費出してやるから帰れというわけで。

赤田:連れ戻されたと。

岡田:うん、まあ村岡君から、働くったって、そんなにうまく行くもんじゃないみたいな説得もされたし。やっぱり高校卒業してから、もっと一生懸命マンガを描いたらいいだろう、みたいなことでね。

赤田:飛行機で行ったんですか?

岡田:いや、汽車で。

赤田:すごく時間かかったんじゃないですか。

岡田:二四時間(笑)。

赤田:今みたいに、接続も良くないんじゃないですか。

岡田:いや、青森から上野まで、一本で行けました。

赤田:青森から青函連絡船でしたっけ。

岡田:ええ。連絡船に乗って。

赤田:手持ちのお金もあまり無くて出ちゃった、っていう感じですか。

岡田:そうですよね。それこそワン・ウェイ・チケットで。泊まるところ、旅館とかそんなところに泊まるだけのお金も無くて。

赤田:なんとかなるだろう、みたいな感じ?

岡田:とにかく村岡君に、どこか仕事紹介してもらおうと思って。それこそ永島先生のアシスタントでもいいかなと思ったりして、あんまりよく覚えてないんですけど、かなり甘っちょろい考えで出ていったというか。

赤田:家にいるのが鬱陶しい感じが、あったんですか。

岡田:うん。すごく嫌でした。

赤田:それは、マンガ描きたいけど、認められないという感じ?

岡田:いや。

赤田:家が息苦しい、みたいなところがあったんですか。

岡田:家族はマンガに関しては、全然反対はしなかったんですよ。

赤田:お父さんも?

岡田:ええ。「COM」に発表されると、すごく喜んでましたしね。

赤田:割と珍しいんじゃないですか。当時としては。

岡田:うん、そうかも知れません。なんか特別に、自分の生活が制限されるとか。なんかっていうことはなかったんですけれど。私、父が嫌いでしてね。今でも好感持ってないんですけれど(笑)。

赤田:一緒の空気吸ってるのが嫌だ、みたいな感じ……?

岡田:うん。そうですね。

赤田:それは、なにか小言でも言われるからですか。一緒にいると。

岡田うーんそうかなあ。……特になにも言われなかったような気がするんですけどね。

赤田:じゃあ、一回戻って来て、高校を卒業はされたんですよね。

岡田:ええ。卒業しました。

赤田:高校の頃は、どんなかんじでした? 現代詩の研究会に入ってたんですか。

岡田:現代詩研究会と文芸部の部長を兼ねてまして。忙しかったですよ。

赤田:けっこう楽しかったんじゃないですか、学校は。

岡田:学校はね、非常に気ままにやってましたね。好きな授業は聞くし、嫌いな授業はさぼるし。

赤田:道立静内高校には、漫画研究会はなかったんですね。

岡田:なかったです。

赤田:けっこう今から振り返ると、楽しい思い出なんですか、家出体験は?

岡田:家出の思い出ですか? うーん、楽しい思い出とは言えないですよね。家出ですからね。うちへ帰って見たら、祖母は泣きはらした目をしてたりね。父はなんにも言いませんでしたけどね。しばらく経ってから、「卒業したら東京へ行ってもいいぞ」って言ってました。

 *

赤田:静内にいらした時は、東京への憧れというのは、あったんですか。

岡田:ありましたね。

赤田:どんなイメージだったんですか。東京は。

岡田:もうとにかく、大都会で、なんでもあると。

赤田:静内という町は、酪農があったりとか。

岡田:ええ。昔は林業の町といってよかったんじゃないでしょうか。今は廃れましたけど、子供の頃は、製材工場が、たくさんありましたよ。池内ベニヤという大工場があって、そこで働いている人が、すごく多かったですね。 私、若い頃は、自然に取り巻かれて暮らしているということの素晴らしさみたいなの、分からなくてね。とにかく、都会で暮らしたかったですよね。おしゃれな生活がしたかったっていうか。

赤田:東京っていうと、テレビから入ってくるイメージだったんですか。

岡田:そうですね。テレビや雑誌で。

赤田:岡田さんのマンガにグルーブ・サウンズ(GS)の話が、出てますよね。本棚のところに名が書いてあったりしたんですけど。GS全盛の時代ですよね。GSはテレビで見てたんですか。

岡田:うん。見てましたよ。好きでしたね。タイガース、テンプターズ。そのくらいかな、好きになったのは。

赤田:けっこう夢中になって?

岡田:ええ。キャーキャー言ってました(笑)。

赤田:オックスも好きだったんですか。

岡田:ああ、オックスも好きでしたね。

赤田:ヴォーカルの赤松愛は、今、大阪で鉄工所の社長をやってるそうですよ。

岡田:ああ、そうですか。

赤田:岡田さんのマンガは「ピグマリオン」とか、「ワーレンカ」(註・19)とか、おかっぱの少年がよく出てきますが、あれはオックスみたいなイメージもあるんですか。

(註・19)「ワーレンカ」は、萩尾望都が「まんがABC」(「別冊少女コミック」) というエッセイ・マンガの中で、取り上げて、引用している。

岡田:おかっぱの少年が出て来るというようなあたりは、そうかも知れないですね。

赤田:ローリング・ストーンズにも、おかっぱ頭の人、いるんですけど。ブライアン・ジョーンズという。

岡田:ストーンズに興味を持つようになったのは、かなり大人になってからですね。

赤田:ビートルズも「トッコ・さみしい心」に出て来ますね。「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」とか、「涙の乗車券」とか、引用してらしたんですけれど、ビートルズもやはりその頃ですよね。

岡田:うん。ビートルズは中学生の時に幼な友達に教えられて、あら、すごいわあと思って夢中になりましたね。

赤田:最初に聞いたアルバムって、何か覚えてます?

岡田:「リボルヴァー」かなんかだったと思いますけれど。

赤田:「リボルヴァー」のジャケットって、どう思いました?

岡田:あ、いいじゃないですか。ビートルズって、ジャケットうまいですよね。

赤田:「春のふしぎ」という作品を見ていると、すごくアニメーションぽい表現がしてありますね。

岡田:あ、そうですか?

赤田:ビートルズのイエロー・サブマリン」というアニメがあるじゃないですか。

岡田:ああ、あれは大好きです。

赤田:あの表現に近いかんじがしましたね。一番好きなアルバムってなんですか。

岡田:一番好きなアルバムは、「サージェント・ベバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

赤田:今も聞くんですか、ビートルズは。

岡田:うん。たまに聞きますよ。

赤田:ビートルズ、すごく僕も好きで。ビートルズは、聞くたびに、高校生の頃に戻ったみたいな気分になるんです。メンバーは誰が好きでした?

岡田:やっぱりジョンですよ。

赤田:けっこうサイケデリックなイメージで描いたマンガもありますよね。「天国の花」とか、ああいうのはやっぱり、サイケデリックとか、「サージェント・ペパーズ…」とか、ああいう覚が頭にあったりしたんですか。

岡田:なんか、サイケ文化っていうんですか、そういうの好きでしたね。新宿にサイケ・グッズのお店みたいなのがあって、よく行って、ポスター買いたいなとか思ったりしたんですけど。なんか、何もかも高かったですね。それで何も買わなかったけれど。サイケデリックな文字の描き方とか、そういうのは、そのお店で覚えて、マンガに取り入れたりして。

赤田:よくディスコとか行ったりしたそうですね。

岡田:ディスコはよく行きました。

赤田:赤坂のムゲン(註・20)とかは?

(註・20) 当時、流行最先端のディスコティック。川端康成、三島由紀夫の踊る姿も見られたという。

岡田:ムゲンも行きましたよ。

赤田:「家出前夜」(註・21)という作品とか、「シーズ・リーヴィング・ホーム」と関係があるのかなと思って。

(註・21)「マンガ少年」79年4月号に掲載された。NTT出版の作品集には未収録の作品「あれは「COM」に載る予定だったんです。それであと一ページで仕上がるっていうところで、フケちゃったの。描くのも生きるのも嫌になってね。」(本人・談)。脱稿後の八年後、マンガ界に復活することになって「マンガ少年」に発表されることになり、最後の一ページにペン入れがされたという。

岡田:いや、あれは、ビートルズは関係ないですね。

赤田:ビートルズの東京公演は、テレビで見たりしたんですか。

岡田:ああ、見ましたよ。もう、キャーキャー、ワーワーばっかり聞こえて、曲がほとんど聞こえなかった(笑)。

赤田:東京まで見に行こうとまでは、思わなかったんですか。

岡田:そこまでは思わなかったですね。

赤田:ビートルズはどんなところが好きなんですか。

岡田:なんていうかなあ……ジョンっていう人は、何かに渇いている人だったんじゃないかと思うんですよね。その渇きみたいなものが自分と共通している、みたいな気がしたのかな。

赤田:なにかを探してる、みたいなかんじですか。

岡田:うん、そうですね。だからジョンは、オノ・ヨーコさんに出会った時に、自分の探しているものを見つけたと思ったんでしょうけど。だから、オノ・ヨーコと出会う前の曲っていうのは、すごく、なんか歌詞も曲にも共感できる。

赤田:出会ったあとは、違って聞こえますか。

岡田:うん出会ったあとのも嫌いじゃないですけれど、ちょっと違いますよね。

赤田:ヨーコと出会う前のほうが、初々しさがあるんじゃないですかね。青い感じが、すごくしますね。

岡田:うん。そうです。

 *

赤田:岡田さんの描くマンガの、絵の面で言うと、たとえばレイモン・ペイネ(註・22)というイラストレーターがいますが。やっぱり好きでした?

(註・22) フランスのマンガ家、二人の可愛い恋人たちが登場する、ロマンチックで、ちょっとエロチックな作風。岡田史子が人物の目玉を黒くつぶして描くことが多いのは、ペイネの影響かもしれない。日本では、みすず書房から作品集が出ている。

岡田:うん、ペイネも好きで真似してましたよ。

赤田:時々、マンガのバックに出て来る黒眼の登場人物が、本当にペイネの登場人物だったりして、ほかに絵描きで、好きな人は?

岡田:美術のほうの絵描きですか?

赤田:ポップ・アートでは?

岡田:ポップ・アートは、そんなに好きじゃないですね。

赤田:むしろヨーロッパの画家の方のほうが。

岡田:うん、伝統的な美術の中学校の図書室に、「世界美術全集」みたいな本があって、それをよく見てたんですよ。ルネッサンス期の絵が好きでね、イタリア・ルネッサンスの。ボティチェリとか、すごい好きで。

赤田:絵は、 なんですよね。

岡田:そうです。

赤田:模写とかしたことはあるんですか。

岡田:模写というのはしませんけれども。「ほんのすこしの水」の扉絵は、ボティチェリの作品のパクリです(笑)。

赤田:なんか、岡田さんのマンガのディフォルメって、すごく独特な感じがするんですよ。西洋的なにおいがしますね。

岡田:そうですね。私やっばり、西洋文化に親しんで育っちゃって、身体は日本人だけど、ソフトウェアはヨーロッパ製というようなところがあるから。だから、日本人の出てくるマンガも描いてますけど、描きづらかったですね。

赤田:「死んでしまった手首」とか?

岡田:うん。日本人の平べったい顔を描くのは、なかなか難しかった。

赤田:北杜夫という作家がお好きだったんですか?

岡田:あれは好きでしたね。もう今は好きじゃないけれどね。中学生の時に、「どくとるマンボウ航海記」っていうのを読んで、すごく笑える作品ですよね──あれに出会って、他の作品も読んでみたら、シリアスな小説なんかもあって。それにも共感を受けて。「楡家の人々」 とか、「幽霊」だったかな、処女作ですけど。非常に初期の頃は良かったんですけれども、だんだん躁鬱病だとか言い出すようになってから、つまらなくなって来てね。それで、北杜夫から、トーマス・マンも読むようになって、北杜夫さんは、トーマス・マンに惚れ込んで小説家になった人ですから。それから、北杜夫の交際のある作家で、遠藤周作とか佐藤愛子とか、そんなのを読んでいったりして、だんだん広がっていって。

赤田:サリンジャーって、読んだことあります?

岡田:サリンジャー、ありますよ。

赤田:「ライ麦畑でつかまえて」とか。

岡田:それは読んでません。「フラニーとゾーイ」? それから「九つの物語」だったかな。そこらへんちょこっと読んだ程度ですけど。

赤田:今は清水義範さんとか、読んでるそうですが?

岡田:いや、そんなこともないですけれど、まあ、見つければ読むという程度で。「世界文学全集」なんていうのは、お勧めですね。笑えますよ。

 *

赤田:コボタン(註・23)というマンガ喫茶が、六〇年代の終わりくらいに新宿にあって。今の三越があるあたりらしいんですけど。コボタンのギャラリーで、岡田史子展(註・24)という催しを、なさったそうですね。

(註・23) 現在の「マンガ喫茶」とは異なり「ギャラリー喫茶」と呼ばれていた。和田慎二、弓月光、山田ミネコなども良く来ていたらしく、そのあとの事情は「幻のマンガ喫茶・コボタン物語」(ミニコミ誌「漫画の手帳」 81年3・4号)に詳しい。萩尾望都と岡田史子が初めて出あった場所も、コボタンだった。
(まとめ註:コボタンについてはこちら→【伝説の喫茶店・コボタン物語:Spectator 22】)

(註・24) 最終日、描き下ろしたパネル二十二点、全部売れてしまったという。現在でもその一部は「奇人クラブ」同人の藤田耕司、若本高、青島広志の各氏が所蔵している。

岡田:はい。

赤田:一回だけですか、個展は?

岡田:うん。一回限り。

赤田:描き下ろしで、作ったんですか。

岡田:うん。そうです。

赤田:絵は売っちゃったんですか。

岡田:売っちゃいました。

赤田:それは、すごく残念ですね。今回単行本を執筆するにあたり、いろいろ協力してくださった元「奇人クラブ」同人の青島広志さんは「全部買い戻したかった」と、おっしゃってましたよ。

岡田:もう、どんな絵描いたんだか、ほとんど覚えてませんけどね。友達が二枚くらい買ってくれて、それは今でも持ってるそうですけど。何考えてそんなことやったんだか、分かりません。忘れました(笑)。

赤田:やっばり、岡田さんというと「COM」でずっと描いていらして、ほとんど 「COM」の作家と言っても間違いはないと思うんですけど。「COM」の年表を見てると、二カ月に一本とか、三カ月に一本というペースで描いてらっしゃるじゃないですか。順を追ってみ ると、永島慎二さんのところへ行って、家出事件があって、高校を卒業しましたよね。卒業したら、もう一応親の許しも得たから、東京に出てきたというかんじですか。

岡田:うん。即出て来ました。

赤田:その時は、どこに住んでたんですか。

岡田:一応、学校で住み込みの仕事を見つけておいて、そこへ行くつもりで出てきたんです。それでとりあえず「COM」の編集部へ行きましたら、別の仕事を紹介してくれたんですよ。「COM」の編集部に出入りしてる飯田橋の紙問屋さんで、事務員探しているから、そこで働いたらどうだということで。外側から見たら、ごく普通の民家みたいなんですけど。二階が幾つかの部屋に分かれてまして、事務所が八畳か一〇畳くらいの部屋だったのかな。その隣にある三畳間を、私の部屋として借りまして。

赤田:住み込みのようですね。

岡田:まあ、住み込みみたいなもんですね。それで仕事はすごく暇だったし、社長が理解ある人で、仕事も無く、お客さんも来てない時は、何してもいいよっていうことだったんで、マンガ描いてました。夜も事務所使っていいよっていうことでした。三畳間に机置けないですから。そういう環境が与えられなかったら、マンガ描けなかったんじゃないかと思うんですね。

赤田:それは、「COM」編集部の功績ですね(笑)。では、自分のための時間は取れたんですね。

岡田:一杯ありました。

赤田:生活費は、事務員でお金を得て。

岡田:事務員の給料とマンガの原稿料と合わせたら、当時、同年代よりは、いい生活出来てたんじゃないかと思いますね。

赤田:「COM」って、原稿料出ていたんですよね。

岡田:もらってましたよ。「ぐら・こん」時代は一枚一〇〇〇円だったけど、新人賞取ったら、一二〇〇円になって(笑)。その後、ずっと一二〇〇円でしたけど。

赤田:それが「ガロ」と違う点ですね。

岡田:「ガロ」って原稿料くれないんですか?

赤田:くれなかったみたいですね。いや、当時は出たのかな。「ガロ」に落選してよかったかも知れませんね(笑)。では、飯田橋に住んで、マンガを、二カ月に一作とか、そういうペースで描いて。

岡田:そうですね。

赤田:「COM」編集部のアドバイスはあるんですか?

岡田:うん。 編集長からいろいろね。もっとストーリー性がなきゃダメだとか、絵に動きがないとダメだよとか、いろんなこと言われて。

赤田:当時は、毎月「COM」で岡田さんに描いてもらうというかんじでやってたんですか。

岡田:まあ、毎月ではなかったと思いますけど。

赤田:二ヵ月にいっぺんくらいですか。

岡田:依頼があったんですけど、私は依頼を受けて描くっていうのは苦手でね。やっぱり、自分の中から描きたいっていうものが吹き出してきたものじゃないと、いいものが描けないんですよね。だから、何回か依頼を受けて描いたあと、自分のほうから企画を持ち込んで、これこれこういったもので、何ページぐらいのものを描きたいんだけどっていう感じで話して。「じゃあ、やってみ たら?」というようなことでね。

赤田:この頃は、紙問屋さんにいて、原稿料が入って来て、マンガ制作と生活を両立されていたわけですね。それを継続するって、なかなか難しいと思うんですけど。

岡田:当時、そんな生活上の困難みたいな、マンガを描く上での困難は、全然感じてませんでしたけどね。楽しかったですよ。ハッピーな青春時代というか。

赤田:「COM」で、月刊ベースで、これだけ密度の高い作品を描いてらっしゃるのって、信じられないですね。これだけハイ・テンションの物を、毎月スタイルを変えたりして、なおかつ実験も盛り込んで発表するというのは二四時間マンガに没頭されてたんですか?

岡田:いや、仕事の時は、ちゃんとやってましたよ。

赤田:アシスタントを使うタイプのマンガでは、ないから、制作は全部お一人ですよね。

岡田:ええ。

赤田:没になった作品とか、没にした作品というのも、おありですか?

岡田:えーと 「COM」でデビューしてからは、一本だけですね。自分ではこれは良くないと思って。私二〇歳の時に、いっぺん静内に戻ったんですよね。静内で「ほんのすこしの水」を描きあげて。その次に描いた短編(註・25)が、そこにありますけど、ああ、こんなもの描いちゃったから、私、もう才能なくなったわと思って、作品を没にして。で、モスクワ大学にでも留学しようかなと(笑)、勉強したりして。

(註・25)「未発表作品集」に収録された「テリー」のこと。

赤田:モスクワ大学、ですか。

岡田:お小遣いくれるっていうじゃないですか。倹約して、在学中にヨーロッパ全部見て歩いたっていう人の話、雑誌で読んでね、私もそうしようと思っただけですよ。もう、外国行きたくて、行きたくてね。

 *

赤田:「COM」は、いろんな同世代の方が描いてましたよね。今でも、印象に残ってるマンガとかあります?

岡田:矢代まさこさんの、なんか人間がシャボン玉の中に入ってて、どうしたこうしたっていう作品が。タイトルは覚えてませんけど、なんか非常に悲しくてね、いまだに覚えてます。

赤田:矢代さんのファンの方で岡田さんのマンガを評論して、ミニコミを作ってた人(註・26)がいたんですよ。 あるとき、そのミニコミを送ってもらったんですね。それ作った人は、プロではないけどマンガ描いてて、商業誌には成功しなかったんですけれど、自殺しちゃったんですね。

(註・26) 成(←?)山祐二が京都で編集していたミニコミ「EXPRESSION」のこと。同誌の特集「いつのまにか岡田史子の作品が心に棲みつくようになった」は、愛情のこもった文章として記憶される。

岡田:自殺? あらら。

赤田:自殺したあとで、東京デカド社から、遺稿集みたいな形で作品がまとめられて。名前を見たら、ミニコミの発行人と同じ人だったんですね。「COM」には、愛着あります?

岡田:別に愛着は……一冊も持ってないし(笑)。

赤田:立ち入った話になるかも知れないですけど、「COM」の編集者の野口さんという男性と交際されて、それで、いろいろ、自殺未遂(註・27)とか……。

(註・27) 自殺未遂事件については「消えたマンガ家」第三巻に詳しい。
(まとめ註:「COM」編集者・野口勲さんについて→【飯田耕一郎:編集者たち】)

岡田:ええ、交際っていうか、野口さんは「太陽と骸骨のような少年」を全ページ載せるために一旦「COM」を辞めますよね。何年か経ってから、また復帰したんですよ。そしてその頃、ちょうど私もまた「COM」で描くようになって、それで担当編集ということで、しょっ ちゅううちに出入りして、担当編集としては、すごく、 野口さんはいい方だったんですけれど。

赤田:野口さんって、NTT出版で出された単行本 (註・28)にも、お名前出て来ましたね、作品リストのところで。

(註・28) 岡田史子作品集として、第一巻「赤い蔓草」、第二巻「ほんのすこしの水」が刊行された。上品な装丁は、羽良多平吉が担当。現在、惜しむなくは(惜しむなくは←原文ママ)、品切れ中らしい。

岡田:NTT出版の話が来た時に、こういうことなら野口さんに手伝ってもらったほうがいいよってアドバイスしてくれる人がいて、久しぶりに連絡とりました。どこ行ったか分からなくなっちゃってる原稿もあったもんですから、そういうのを野口さんが探してくれたんです。

赤田:なかなか作家のかたは、そういうのやりにくいですからね。原稿の回収とか。

岡田:うん。私、自分が描いたもの、なんという雑誌にいつ頃発表したとか、覚えてないから。NTT出版のかたのほうが、よくご存知でね。こういう作品があるんだけど、原稿ありますかとか言われて、あら、ありません。どこにあるんだろう? ってかんじで。

赤田:そういうかた、けっこういますね。花輪和一さんとか、さっきの安部慎一さんもそうで、原稿捨ててしまうそうなんです。描いてしまうと、自分の中で一応完結するというのでしょうか。

岡田:ええ、そうなんですよ。

赤田:野口さんと、自殺未遂というか……心中未遂されたというのは、だいぶ後ですよね。七二年か、三年?

岡田:ええ、二、三年くらいですよね。

赤田:どこか山に行ったんですか。

岡田:そうです。定山渓の。札幌から車で一時間くらいのところの温泉なんですよ。そこの雪山に入って行って。

赤田:その頃は、岡田さんもかなり、ナーヴァスというか……。

岡田:うーん。ナーヴァスになってたんでしょうね。

赤田:「家出前夜」という作品の、最後のページが描けなかった頃ですよね。

岡田:ええ。

赤田:マンガの作り方っていろんなパターンがあって、なかなか一つと決めることないと思うんですけど。さきほど、自分の中から湧きあがってきたものを描くとおっしゃってましたね。他に、たとえば昨日話に出た「フライハイトと白い骨」みたいに、夢がモチーフになったりとか、そういう場合も多いんですか。

岡田:いえ、そんなに多くないですよ。

赤田:どういう場合が多いですか。閃きを得るきっかけというのは。

岡田:私 高校生の頃から、実存主義に凝りまして、なんか人生の不条理っていうんですか、そういうような間題に対して、問いかけるっていうか。そういうのが、きっかけになることがありましたね。なんか、生きていくのって、どうしてこんなに大変なんでしょう? ってい うような。

赤田:今は神様に問いかけをしてるから、マンガが描けないというか、描く必要がないと、昨日おっしゃいましたよね。

岡田:うん必要がない。

赤田:マンガ家入門とか、読んだことあります?

岡田:マンガ家入門というか、石森章太郎さんの、「マンガの描き方」みたいな本があったんですね。それを、確か中学生の時に読んで、それで描き出したんだと思います。それ以前は、ペンとかを使うとか、そういうことを全然知らなかったんです。

 *

赤田:話は変わりますが、映画は良くご覧になるんですか?

岡田:ええ。映画は大好きで。

赤田:ビデオも観ます?

岡田:ええ。

赤田:ジャンルとかは、特に決まってないんですか。

岡田:特に決まってませんね。なんでも観ますよ。

赤田:洋画、邦画を問わず?

岡田:邦画はあまり観ないほうですけどね。やっぱり洋画のほうが好きですけど。

赤田:映画が好きなのって、昔からですか?

岡田:昔からです。なんて言うの、私の家は、教育的な映画が上映されると、子連れていって観せてくれるっていう家庭だったんで。

赤田:教育的な映画って、どんなものですか?

岡田:なんて言うの……子供向けの小説みたいなのってありますよね、大変良い子が出てくる。それを映画化したみたいな。それとか原爆症に冒された少女が死ぬまでの物語とか、そんなの観せられて。

赤田:この間、試写会で、フランス映画を観たんですね。それは「魂を救え!」というタイトルで、フランスのデプレシャンというまだ若い三五くらいの監督なんですね。 不条理劇なんです。それを観たら、ちょっと岡田さんのマンガのこと思いだしましたね。医学生が主人公で、 自分のカバンの中に、気がついたら生首が入ってるみたいな話なんですよ。その生首をめぐって、だんだん不条理界に絡めとられていって、その背後には国際対決も関係して、みたいな話なんですね。ルー・リードみたいな顔をした小男が主人公の映画で。最近はどんな映画を観ました?

岡田:一番最近は「もののけ姫」で、ここ数年の間観た中で、非常に印象的って言ったら「スピード」かなあ。 あれ面白かったですね。

赤田:「スピード2」は視ました?

岡田:いや、2は観てません。キアヌ・リーブス出てないから。

赤田:キアヌ・リーブス好きですか。

岡田:キアヌ・リーブス好きになっちゃって(笑)

赤田:ハリウッド系とか、ミニ・シアター系とか、区別しないで観るんですね。

岡田:札幌 ミニ・シアターあるのかなあ?

赤田:たぶんあるんじゃないですか。

岡田:あるのかも知れないけど、行かないですね。だからハリウッドばかりですよ。札幌に住んでたら。

赤田:「ジュラシック・パーク」とか?

岡田 :「ジュラシック・パーク」観ました。あれはビデオで観たのかな。

赤田:マンガを見ているよりは、映画を観ているほうが面白いですか。

岡田:ええ、日本のマンガって、まあ最近のあんまり読んでないんですけれど、テレビドラマ化されるもの、ありますよね。「課長 島耕作」とか。

赤田:ええ「東京ラブストーリー」とか。

岡田:うん。「東京ラブストーリー」は見なかったんですけど、「課長 島耕作」とかテレビドラマになったの見て、もう、なんてスケールの小さい、つまんないことを描くんだろうかと思って。これがどうして人気があるんだろうかと思ったりして。

赤田:元のマンガを見たことありますか?

岡田:うん。元・亭主が買ってたから、チラッと見ましたけど、絵もあんまり上手じゃないしね。こういうつまんないものを労して描く人の気が知れないとか思ったりして(笑)。

赤田:監督は、どんな方が好きですか? ルイ・マルと か好きですか?

岡田:ルイ・マル、好きでしたね。最近観てないけど。

赤田:作品で言うと、どのあたりものが?

岡田:「世にも奇妙な物語」か。

赤田:あれはフェリーニじゃないですか。

岡田:あれは三人の分のオムニバスですね。あの中でルイ・マルが、ジェーン・フォンダ主演で作った作品好きでしたけどね。あと、リチャード・アッテンボローの「違い夜明け」とか、「ガンジー」とか、非常に重いテーマでね。考えさせられる作品。

赤田:日本の監督は?

岡田:ビートたけし? 北野武っていうのか、監督だと。面白いですよ。面白いし、映像が大変きれいですね。ストイックでね。

赤田:どんな作品覚えてます?

岡田:やっぱり処女作の「その男、凶暴につき」が一番面白かった。それから、タイトルは覚えてないんですけど、柳ユーレイが冒頭に出てくる……終わりのほうでトラックでどこかの建物に突っ込んで、大爆発っていうような作品も観たことあるんですけど、観たほうがいいですよ。

赤田:「HANABI」が今、すごく話題になってます。

岡田:ねえ、ベネチア映画祭でグランプリ取ったとかって、ぜひ早く観たいと思ってますけど。

 *

赤田:今後もしかしたら文章を書くかも知れないということをおっしゃってましたが。

岡田:文章ねえ……。書きたいですけど。あまり才能無いんじゃないかな。文章となると(笑)

赤田:小説になるわけですか?

岡田:うん、あのNTTの本が出ることになった時に、なんか急にものすごい創作意欲が湧いてきたんですよ。そうしてまた、四方田犬彦さん(註・29)という人が、 もしマンガ描くノリで文章書くならお世話しますよ、みたいなことを言ってくれたんで、矢継ぎ早に、いろんなもの書いたんですよね。けど、今読んだら、つまんないものばかり(笑)。

(註・29) 評論家。四方田犬彦。NTT出版の作品集「岡田史子論」を企画、刊行のきかっけを作る。巻末に詳細な解説を書いており、全マニア必読。四方田氏が岡田史子に出版の話を持ちかけにいった時、その直前、岡田史子は過去の自分の作品を、残らず河原で燃やしてしまうつもりでいたという逸話がある。

赤田:私小説というか、今、自分が営んでいる生活をマンガにするっていうのは考えないんですか。

岡田:考えてませんね。そんな。書いて面白いような生活してないから。

赤田:なぜ、マンガじゃなくて小説かということは?

岡田:それは、楽だからでしょうね(笑)。絵を描くのって、すごく面倒くさいですもの。

赤田:マンガは肉体労働ですよね。

岡田:肉体労働ですからね。肩凝りなんて知らなかったんですけどね。子供産んでからは、肩凝りに悩まされて。針打ったりしながら描いてましたから。相当ひどかったですね。もう頭痛、歯痛。

赤田:じゃ、これからも、マンガを描く予定は無いかんじですか。

岡田:どうかなあ。

赤田:ぜひ描いていただいて、読みたいです。

岡田:あそうですか? 今の仕事を続けてたら、何も描かないと思いますけどね。

赤田:もう、描けないといった感じですか? 時間的に。

岡田:そうですね。そんなに忙しく働いているわけじゃないんですけれど、保険の外交員の仕事をしてまして、重たい荷物を持って歩く外回りの仕事なもんですから。疲れるんですよ。保険の資料を、一揃い持って歩くんです。重たいんですよね。

赤田:マンガとか小説に関わらず、なんか描いていただきたいって思います。最後に、NTT出版の作品リストを見てると、「劇画セレクト」という青年劇画に、描いてらっしゃるようですけど、これはどんなものを描いたんですか。

岡田:ああ、それ、原稿、うちにあるはずでしたけど、どんなものだったか、よく覚えてないですね。

赤田:エロチックな話なんですか。

岡田:いや、エロチックではないはずです。子供の頃、雲の中に入りこんだことがあるんですよ。雲っていうか霧なんでしょうけど。静内のうちから海が見えたんです。それで、窓から海を見ていたら、声が海のほうへ降りていくんで、わあ、行かなくちゃっていって、走っていったんですよ。それで、雲っていうか霧の中に入っていったと。そういう記憶をネタにして描いたんで、エロチックなものではあり得ない。

赤田:ファンタジーですね。

岡田:うん。

(一九九七年一〇月十一日 於・札幌グランドホテル)

(まとめ註:1997年12月01日発売「クイック・ジャパン vol.17」にはこのインタビューが実施されたのは1996年10月11日と記されているが→【岡田史子特別インタビュー:クイック・ジャパン】本記事では最終行に1997年10月11日と記されており、1年の差異が見られる)



「まんだらけZENBU No.4」278-291ページ
岡田史子:インタビュー第一部】テキスト抽出あり
岡田史子:インタビュー第二部】テキスト抽出あり
岡田史子について:青島広志】テキスト抽出あり
岡田史子作品リスト:青島広志
岡田史子について:山口芳則】テキスト抽出あり

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