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【「地球へ…」第一部総集編 光瀬龍:定本・竹宮恵子論序論とでも】
 


月刊マンガ少年別冊「地球へ…」第一部総集編
出版社:朝日ソノラマ
発売日:1977年09月01日




月刊マンガ少年別冊「地球へ…」第一部総集編226-227ページ
定本・竹宮恵子論序論とでも
光瀬龍
(図版に続いてテキスト抽出あり)

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162472...



定本・竹宮恵子論序論とでも
光瀬龍

1(以下、ローマ数字表記は算用数字に置き換え)

昭和二十五年二月十三日。徳島市に生まれた。二人姉妹の一番上である。
小学生のころからマンガを描くのが大好きで、もっぱらノートのはしや下敷きが、作品発表の場になったものだった。中三の時に、ある雑誌のカットを描いて、はじめて稿料なるものを手にした。高校へ入ったころから、マンガに対する興味と情熱は、しだいに本格的なものになっていった。おりから、手塚治虫氏をはじめとするSFマンガ家たちが、少年マンガ界に旋風を巻き起こしている時代であった。一方では、テレビのアニメーション・マンガが、一勢に花を開いていた。

竹宮恵子においてもまた、たとえ専用ギャラリーはノートのはしや下敷きであっても、画想は一コマ物からストーリー物へと発展していった。彼女は、プロのマンガ家を志望するようになっていた。自分の才能にも、ひそかにたのむところがあったのであろう。十七歳の少女の夢は素直であり、羽のごとくふくらんでいた。

一九六七年。高校二年生の時、彼女は虫プロのコミック誌「コム」の月例新人賞に、二十三ページにおよぶ作品「ここのつの友情」をもって応募し、住作入選を得た。中学の時も、高校の時も、美術の授業がどうしても好きになれなかったという彼女の、マンガ家としての実力は、すでにここまで成長していたのだった。

続いて翌一九六八年。高校三年生になった彼女は、作品「リンゴの罪」を、少女コミック誌「マーガレット」に送り、ここでも作入選を獲得した。このコンスタントな成績は、すでにプロとしての力の片鱗をうかがわせる。

だが、彼女の両親は、彼女がマンガ家になることには大反対だった。無理もない。紀伊水道に面した徳島の町で、静かな生活をいとなむ彼女の両親にとっては、彼女がマンガ家になるなどということは、すなわち、彼女がとんでもない莫連女(註:莫連女とは「すれっからし、あばずれ」のこと)になるということだったのであろう。そんなことは、この容量よしの、頭のよい愛娘に許されようはずがない。

コミック誌のコンテストへの、たび重なる入選という、いわばプロの道への通行手形を入手しながらも、彼女は、大学の入試勉強にはげまなければならなくなり、そしてほとんど泣く泣くの態で、徳島大学教育学部の学生となった。

だが、そうなってからの方が、むしろ彼女にとっては時間は自由となった。大学へ進学するにあたって、彼女は、父親から、たったひとつの条件をとりつけることに成功していた。それは、マンガ家としてりっぱにやってゆけるようになったら、大学をやめてもよい、ということだった。

彼女の決意に負けた、というよりも、だだをこねる子供をなだめる親の、よく使う手口であり、言い方である。だが、この条件が彼女に未来を把握させ、それに至る方法を確認させる結果となった。

彼女は、ろくに講義にも出ないで、マンガを描くようになった。雑誌の注文は急速に増え、もはや講義のノートを取るどころではなかった。“マンガ家として、やってゆけるようになったら”という条件は、たちまちにして満たされるようになった。

大学二年生の彼女は、ついに大学を中退する決意をした。すでに実質的にプロのマンガ家である彼女の決断を、さまたげるものはもはや何ものもなかた。

こうして、彼女は二十年を過ごした徳島市を離れて上京した。少女コミック誌の、新しいスターの登場であった。


2(註:以下発言者を「光瀬」「竹宮」表記にしてあります)

この解説のために、あらためて彼女に一問一答をこころみた。
風薫る初夏の新宿だった。私の待つある喫茶店へ、黄色いワンピースに小柄を身を包んだ彼女は、颯爽としてあらわれた。

光瀬「なぜ多くの場合、少年が主人公であるのか?」

竹宮「子供の時から、男ならしてもよいが、女だからしてはだめ、ということがあまりにも多いのに疑惑を感じ、不満を抱いていた。たとえそのことが、けっして素敵なことではないにしても、私には魅力あ ることであり、私もやりたかった…………」

彼女のマンガの主人公の少年たちは、実は彼女自身であり、かつての日に、彼女が見残した夢や、指をくわえて見送らなければならなかった数々の冒険への挑戦なのであろう。

光瀬「なぜSFマンガを描くのか?」

竹宮「SFドラマは、常識を無視した舞台設定が自由だ。そこから現実に対する反撥が生じるし、強い自己主張が生まれる…………」

この彼女の言葉は、彼女自身の次の言葉、すなわち『ガラスの迷路』(小学館発行)のあとがきの中の、“親しい友人たちと楽しく語らっているうちに、ふと自分の異質さに気づくことはありませんか? 気心の知れた仲間同士であるはずなのに、なぜか自分だけ、一歩ずつズレていくというような感覚。彼らが美しいと賞賛するものを、私は美しいと思えず、素晴らしいと酔う世界に私は少しも入ってゆけない…………”というつぶやきの中にも、十分にくみとることができる。そこに強烈な個性とそれ故の孤独の悲傷がゆれ動いている。

そして、そこに目覚めを強要される超能力者たちの、悲劇と戦いを描いた『地球へ…』が生み出される理由と素地がある。

光瀬「超能力テーマを好む理由は?

竹宮「それによる物理的な力よりも、精神的な成長をテーマに考えている。超能力テーマは選民意識が根底にあるといわれるが、そうではない。私が少年たちに見るものは、つねに新鮮なヒロイズムであり、それ故に敗れさってゆく少年の悲しみや怒りは、世俗的に敗れ去ってゆく超能力者たちのそれと等しく思えてならないのだ。現実の少年たちは、私には、超能力が発現する前の原初超能力者に見える…………」

竹宮恵子はナイーブな少年である。現実の少年よりも、もっと少年らしい心を抱いているといえようか。それは新しいロマンを前に、夜明けのようにさわやかだ。




さて、こうして『地球へ…』は生まれた。大河長編SFドラマの第一巻であり、スタートである。この圧倒的なスタートを、このあとどう受けとめてゆくか、おおいに興味がある。これからが、少年コミック誌にはじめて登場した竹宮恵子の正念場であり、勝負所といえるだろう。

実はこのあと、物語りはとほうもない発想のもとに、波瀾万丈の展開をとげてゆくらしい。どうやら凡百のSFコミックを顔色なからしめるような傑作が生まれつつあるようだ。これはただに竹宮恵子のファンのみならず、ひろくSFファン、コミックファンに、大きな話題を提供するものであろう。編集氏に、第二部の刊行をいそがせるゆえんである。

SF作家



竹宮惠子:地球へ…
 【「あそび玉」と「地球へ…」の類似点】
 【「地球へ…」連載・単行本データ】
 【「地球へ…」第一部総集編 Q&A】1977年09月(27歳)何々の作品に似ている等ももう少しお待ち下さい
 【「地球へ…」第一部総集編 光瀬龍:定本・竹宮恵子論序論とでも】1977年09月(27歳)
 【「地球へ…」第二部総集編 対談:光瀬龍・竹宮恵子】1978年10月(28歳)
 【「地球へ…」第三部総集編 鼎談(部分)】1980年01月(29歳)
 【増山法恵:「地球へ…」とのかかわり】
 【「地球へ…」新装版発売記念インタビュー】2007年04月前後(57歳)
 【「地球へ…」恩地日出夫監督インタビュー】
 【恩地日出夫氏、逝去】2022年01月20日

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