5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【「地球へ…」第二部総集編 対談:光瀬龍・竹宮恵子】



月刊マンガ少年別冊「地球へ…」第二部総集編
出版社:朝日ソノラマ
発売日:1978年10月

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162472...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162606...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162626...



対談「男として女として」光瀬龍・竹宮恵子
(図版に続いてテキスト抽出あり)











対談「男として女として」光瀬龍・竹宮恵子

●まだ少女のいいところを見つけられない

光瀬 今、少女誌の連載が終わった所なんですか?

竹宮 いえ、章の切れ目の所で休んでいるんです。

光瀬 それは主人公が女の子?

竹宮 いえ、男の子です。

光瀬 以前から一度質問してみたかったんだけど、主人公が女の子のマンガは描かないの?

竹宮 描けないんです。うまい話が作れないんです。

光瀬 どうしてなの。これは非常に重要な質問なんですよ。

竹宮 私が描こうとすることは、ふつうの女の子が関心を持つようなことじゃないからかな。みんな、どういう所を聞きたくてそういう質問するんでしょ。

光瀬 あなたにとって少年とは何なのか、逆にいえば、あなたにとって少女とは何なのかってことなんですよ。

竹宮 まず少年、男ってものは、発見するもの、変革するもの、開拓するもの、取得するもの、そして少女、女ってものは銃後のもの、守るもの、保つもの……ウーン他にないかな……まあ、そういうふうな素質のものだと思うんです。えらく保守的な考えみたいだけど、本来の性質として言えばです。女のほうの性質については、まだ研究中で、よくわからないといったほうがいいかな、たとえば男のほうが、積み重ねの中から、何かを「発見していく」としたら、女のほうは、カンみたいなもので、すべてを「感知していく」動物らしい。らしいというだけで、ハッキリ理解はできてないんだけど、それが女の「広がり」というものなんだってことは20才越えてから気がついたみたいです。

光瀬 普通に考えれば、少年より少女の方が理解しやすいはずですよね。

竹宮 どうも普通じゃないらしいんですよね、それが。女の子ばかりの仲間の中にいると、いつも感覚がずれちゃって、みんなから非難されてばかりいました。

光瀬 あなた少女きらいなの。好きかきらいかに分けると、きらいなの?

竹宮 今まで、自分以外の少女とか女を見てきた中で、好きなものに出会うことって、ほんとにまれだったです。好きになる子といえば、不良っぽくて、乱暴で、ツッパリばかり目立つ女の子とか……。

光瀬 好きじゃないってどういうわけです?

竹宮 前に言った本来の女の性質だけしか持ってないような女の子は、本当の意味で私に語りかけてきたことがなかったんです。20才までそうだったんです。だからそういう子とはいつも一定の距離をおいてた。それで女の子が理解しづらくなっちゃったのかな。でも、本当の所、女ってものは、理想という目的を定めても、たいていどこかで、感情なんかに流されて、横道にそれたがるものみたいです。だから、きらいなの。私は、女のくせに“男の世界のこと”とか、“理想をかかげてまっしぐら”とかいうことに憧れてる。前は、女なんかいなくてもいいとすら思ってたみたい。今は、いい友人(女性)を知ったせいで、女性の感性ってものにすごく敬意をはらっているから、そんなことはないけれど。

光瀬 だけど、あなたの作品で少女が主人公たりえないというのは、なぜ?

竹宮 うーん、まだ少女のいいところを見つけられないからじゃないかな。昔に比べて、今はずいぶんいいところまで来てるんじゃないかなとは思いますが。これから先に、描けるんじゃないかなと思うんですが、今はまだ未分化なんです。少女を理解しきれないというか、把握しきれないというか。

光瀬 それは把握したくないからなの?

竹宮 いいえ、把握したいです。でも20才まで無関心で来て、今さら気づいても、ずいぶんハンデがあるから……むずかしいかな。


●男の子ってやがて不幸になって行くのよ

光瀬 あなたの描く少年っていうのは、あなたにとって理想の少年なわけ?

竹宮 理想の少年……っていうよりも、少年でありさえすれば、私にとっては、すべて理想なんです。私の場合、少年を描いていても純粋できれいなものばっかりじゃなくて、悪徳だらけのもいるし、いろんなタイプを描いているんで、集約するとどこへ行くんでしょう?ただ、自分自身のために何かを切り開こうとしている点では、全く同じで、そういう所だけを考えれば理想でしょうね。男に生まれたいって感じがあるのかなあ。(笑)

光瀬 あなたの変身願望かね?

竹宮 そうかもしれませんね。こんなところにないたくない、もっとまともになりたいっていう。(笑)

光瀬 あなたのその変身願望ってのは、少年になり変わるってものじゃないでしょう。女としてのあなたが何かしたいっていうものであって、それが少年の形をとらなければできないっていうものなんじゃないですか?以前おあいした時、「男の子がうらやましかった。男の子のすることを自分がするとおこられる。だけど自分はしたくてしょうがないんだ。」って言ってましたよ。

竹宮 つまり変身願望じゃなくて、変革願望なんですよね。「男の子になれたらなあ」じゃなくって、「男のように私もやりたい」ってこと。読者からの手紙は、ほとんど、「男の子になれたらなあ」というものみたい。それを「私もやるんだ」に変えるにはどうしたらいいのかしら。『竹宮さんって男の子になりたかったんでしょう。私もそうなの、だからあなたの作品が好き』というふうだと、私なんだかジタバタしはじめるんです。何か、ちがうんだなーって感じて……。

光瀬 あなたのことろに手紙をよこす読者もあなたも、男の子のようにって言うけど、男の子ってのはそうじゃないのよ。だからぼくはあなたが描くのは男の子じゃないと思ってますね。

竹宮 そうですか?でも、そうでしょうね。私は、男の兄弟もいないし、結局のところ、男の子ってものを知る機会ってなかったから……。

光瀬 あなたが描いている男の子っていうのは、男ってのがだんだん薄れてしまってね、あなたの世界の男の子になって行くのね。

竹宮 この前、遠藤周作さんも同じようなことを言っていて、「男ってのはもっときたなくて、くさいんだ。少年なんてくさいんだ」って。(笑)だから私のは、ノンセックスだっていわれたんです。ノンセックスっていわれると、お人形みたいで私はいやなんだけど、確かに実際の男の子とは違うみたい。でも描けっていわれれば私、描けますよ。汚くってきさかろうと、少年であれば描くのは楽しい。でも、普通の男の子らしい部分は、男性マンガ家が描いてるし、今さら私がやっても、マネごと風になると思って、ぬかして描いているのじゃないかな。それで、「男の子じゃない少年」になってる。

光瀬 女の人っていうのは結婚して、亭主をかせがせて暮らして行くわね。これはこれでいいんだと思うのよ。このことに本質的な意味があるんですから。これに対して、男っているのは頼るやつもいないし、どんな問題でも自分一人で解決しなければならないんですね。ごく若い男の子っていうのは、やがて孤独の悲哀の中で苦しまなければならないということを知らないんだ。少し年をとった男の子ってのはそれを知り始めてるのよ。男はこのどっちかなんだな。ただ男の子は決して、それを口にしないよね。男の子って、やがて不幸になって行くのよ。(笑)一人一人の男の子がやがて遭遇する不幸だとか悲哀だとかは、それぞれちがうし、その段階でいくら大人が手を貸してやったってどうにかなるわけじゃないから、結局自分で処理して行くか、それに負けちゃうかのどっちかしかないわけ。息子を見る時の父親の悲しみっていうのは、こういう所ですよ。男の理解の中にはいつもこれがある。

竹宮 私はそれをすごく実感として知っているって気がするんです。女として生きるのだったら、やっぱり亭主にかせがせて、三食昼寝つきがいいなあ。でも、ヘタにその、「男の理解」ってのがわかるものだから、多分、そんなふうには生きていけないと思います。わかってて、それをやったら中途半端だから、男にも女にも組せないんです。どちらにも徹することができない、中間派の悲哀、(笑)なんて。


●読んでくれる人がいなければ描かない

光瀬 話は変わるけど、あなたなぜマンガを描いているの?

竹宮 その質問と関連して来るんだけれど、この前おもしろい質問があって、世界の人々が全部死んじゃって、あくる日突然自分だけが生き残ったとしてもマンガを描くかって聞かれたんです。私、しばらく考えて、読んでくれる人がいなければ描かないって答えたことがあったんです。なんで苦労してこんなめんどうなもの描くかっていうと、やはり人に読ませてみたいからなんです。

光瀬 読む人がいなければやめる?

竹宮 いえ、描くことはもちろんだけれど、読んでくれる人がいるから楽しいんです。

光瀬 そうすると自己主張でもあるわけね。

竹宮 ええ、そうですけれど、自己主張することが楽しいのかな。いや、その自己主張を受けとってもらえることが楽しいんだと思います。

光瀬 だれも読むやつがいなくても描くというのと、今あなたが言ったのとでは大変な違いがあるよね。自分の考え自分の生き方を、じゃなぜマンガっている形を借りて言いたいわけ。

竹宮 10年間やってきたせいで、マンガが一番自分を表現できますから。でも八百屋さんをやろうと、教師になろうと、自己表現できる自信はあります。

光瀬 ただ描きたいから描くというのであれば、お客がいようがいまいが描いているよね。だって自己陶酔なんだから。あなたの中には、自己陶酔っていうのはないんですね?

竹宮 そうですね、何パーセントかは、あると思う……。作家としてベストな状態というのは、自己陶酔と、さめた部分と両方持っていることだと思っています。

光瀬 生活のためだけでないことは確か?

竹宮 確かです。原稿料安くても、まだ、やっているから。(笑)


●少年というのはまだ不幸を経験していない人間

竹宮 今まで少年ばかり描いて来たけれどそろそろ、少年も研究しつくした感があるんです。少女誌のほうの「風と木の詩」も、そのせいで、大人の登場人物や女性がたくさん出て来るようになって来たみたい。広いことを描こうとすると、どうしても、一人や二人の少年だけでは間にあわないし、女性なればこそ、現れてくる真理なんてのもあるわけなんですね。

光瀬 そう、そう、僕も以前からあなたに言おうと思っていたのは、そのことなんですよ。少年じゃ描ききれない部分が出て来るんじゃないかと思うのは、生物学的に言っても、少年というのはまだ不幸を経験していない人間なんですよ。過ぎ去った不幸を知らないんですよ。だから少年の目や行動を通して語られるものっていうのは、不幸がないんですよ。例えあなたが不幸によって、人生を世界を見たとしても、少年の行動を通して語られると非常に無機的なものんしかなりませんよね。これが、あなたにとって袋小路になるんじゃないかな。

竹宮 私が少女マンガを描き始めた頃は、ごくオーソドックスな人間関係を描いていました。親子関係もあれば、友情もある、そして、主人公は少女であることが多かったんです。それが、少年の特性というものに気づいて、それが私の中の何かにピタッと来るのだと実感してからは、少年ばかりになりました。でも、その少年というのは決して不幸を知らないわけじゃなかったと思うんです。不幸を知りつつある少年、というのかな。無垢とか、純粋とか、透明とか、そんな意味での少年を描いていた時期もしばらくありましたけど、結局、それがこわれることが魅力なんだと、思うに至りました。少年というものは、不幸を内包しているんですね。だから、幼くても、ある種、不幸を知っているといってもいいような気がするんです。少年を通して不幸を語ると無機的になる、というのは、ひとつの手法だと思うんですね。あまりに人間くさく描くと、人間関係というものは、嫌悪感をもよおすし、本当の意味をつかむ前に、感情的に読みすぎちゃうでしょう。私は、あまりにも人間くさく描きすぎて、少女読者から嫌われるようなことろもあったんで、今、少年を通じて自分を語る、というのは成功してると思ってます。

光瀬 少年にとって一番最初に起こる不幸な出来事っていうのは、失恋のはずですよ。両親に死に別れたり、家が火事になったりというのとは全く異質な出来事なんですよ。つまり、初めて自分が他人に対して挫折したということでしょ。両親が死んだということは、自分の延長上にあることで、他人じゃないんですよ。少年の挫折を描くとすれば、失恋しかありえないと思うわけよ。

竹宮 私、ある日ふと思いついてメモした言葉で、「愛するってことは、敗北の連続」っていうのが、あるんです。それに私は、すごく興味があるんですけれど、それを描くには至っていないんです。誰かを好きになるって事が、挫折の連続であると実際そう思っているんです……。多分それは、「風と木の詩」の中でいつか描かれることになると思うけれど少年にとっては、女性に対する恋心も、自分の夢や理想に対する想いも全く同等だと思うんです。最初の不幸が必ずしも失恋だというわけではないんじゃないかな。いや、夢や理想に挫折することも失恋なのかもしれないけれど。

光瀬 初恋について言えば、初恋が成就するなんてバカな話はないわけで、初恋が成就したらこれほど不幸な話はないわけでね。(笑)最初に強烈な恋をするとするでしょ。そうすると、少年を通して見る少女っていうのは、おそろしく理想的なものですよ。そういう形の自分の理想像がそうではなかったというか、理想像に限りなく接近しようとして、限りなく疎外されるとかね。こういうことの中に少年たちの不幸とか悲哀というのが煮えたぎって入っているんですね。同時にそれは、少年だけじゃなく少女っていうものを理解し、おのれの中に含めないと表現することはできないよね。あなたの「地球へ…」なんかを見ても、少女ってものが意識的に拒否されているよね。

竹宮 意識的に拒否しているわけではなくて、これまでの「地球へ…」には、そういったことが、まるで必要なかったんです。

光瀬 やはりその辺に、小説であろうとマンガであろうと卑俗に言えば「おもしろさ」、高尚に言えば「精神の所在」があるんじゃないかな。人格から、その後の生き方からガラッと変えるような傷つき方は失恋しかないですよ。

竹宮 その場合、少女の側から見ると、そんな風な少年の意識変化が、ずいぶん新鮮に映るんですよ。


●少女を描くなら少年の読者を対象にして描きたい

光瀬 人にもよるけれおど、女性っていうのはあまり失恋だとか初恋に破れたということで痛手を負ってない気がするけどね。

竹宮 男の人の恋は「与えるもの」でしょう。女の場合は、人にもよるでしょうけど、「受けとって自分をふくらませていく」ものなんですね。だから、一度失恋しても、また別の恋をすればもとにもどれるんじゃないかな。

光瀬 女性は、新しい恋人にあまり抵抗を感じないで変わって行けるようですね。それは神のしからしむみたいな所があって。(笑)男の目から見ると、女の持っている安易さとかずるさみたいなものがやたら目につくんですよ。だけど、それはずるさでもなくって、ひとつの生き方なんでしょうね。

竹宮 生き方というか、本当に必要な能力だと思いますね。

光瀬 それは根源的な能力で、やっぱりそうじゃないとだめだからでしょうね。だからそのことにずるいとは安易といったってしかたがない。動物としての本来の行動なんだから。だけど、男の子たちには女ってずるいというような事、わかんないからね。その辺に青春前期の人たちと大人との大変な違いがあるのね。僕はこれこそが、ロマンの源じゃないかって気がしますね。

竹宮 10年前は、少女マンガの編集者は、口を開けば「愛ですよ、あなた。少女には、愛こそ全てです」なんていって、とにかく恋愛マンガを描かせようとしたものです。それがあまりにも安易な結論なんで、いやでたまらなかったし、ずいぶん反発しました。でも、その後いろいろ経験するうちに、ようやく、とどのつまり、人間関係でいちばん重要かつ難解なものは愛だって気がして来たんです。でも、私はそれを今まであったような恋愛物語の形では描きたくなかった。前にも言ったように、ストーリーに感情的に流されてしまうから。それに、時代の流れで、男女の差があまりなくなって来たことや、ロック・アーティストなどのよく言う、バイ・セクシュアルな考え方に同感したことから、自分流の描き方をしてみようと思ったんです。男の性質や、女の性質を、男も女も、十分承知して、その差をなくしてしまえばいい。男だから女のような感情を持ってはいけないなんてことは、そのうちなくなってしまうと思うんです。いままであったような、恋愛の問題や答えは、すでに役に立たないような形の愛を描いてみたいと………。

光瀬 若い内は純粋だからね。世の中のしくみだとか、人間の物の考え方の裏にあるものだとか、人生の陰の部分、これはね、誰かに教えられるものではなく、だんだん経験して行くうちにわかるものでしょ。それを少年に求めても無理だし、言ってもダメなんだね。だから僕なんかが少年にやっていれない部分っていうのはその部分なんだな。百万年をついやしても、彼らには理解できない部分なんだね。

竹宮 私は、少女に少年にはそういう部分があるんだっていうことを教えてみたいと思うし、少年には少女のそういう所を教えてみたいんです。だから少年マンガ誌に少女マンガ的なことを描いてみたいと思いますね。少女を描くなら少年の読者を対象にして描きたい。どんなケースでもいいから、そういうことを疑似体験させたい。だから描くんじゃないかなあ。


●少年愛を描く作家だと言われるのが一番いや

光瀬 作品としての少女マンガが、いつまでたってもいわゆる少女マンガの世界からぬけられないのは、少女の側から見た愛とか恋とかしか描いていないせいですね。少女の側から見たというのは当然なんですけれど、その当然さに非常に歯がゆい気がしますね。常に少女の目を通していつも恋愛が語られるというパターン。つまり、作者が主人公の目となって、しゃべっていますね。非常に安易に、初恋なら初恋を取り上げているように思いますね。

竹宮 青春の頃の恋っていうのは、やってる当人は真剣かも知れないけれど、長い目で見ると欠陥神経のような気がして、それほどのものではないように思うんです。だから私は、いわゆる恋愛物語っていうのはあまり描きたくないんです。

光瀬 うーん、というより、あなたラブストーリーを描くことにこわがっているんじゃないかなって気がするな。

竹宮 いや別に、ちゃんとラブストーリーも描いてますよ。目だたないだけで……(笑)それに、本当のところ、それにこだわってないんです。男女の組みあわせだけじゃなく、男と男、少年とピアノなどというものも、私にとってはラブストーリーになり得るものなんです。これからは、男女の恋も、もっととりあげてみたいとは思ってます。ただあまりにも世の中はそれであふれていて、安易になるのがこわいんです。

光瀬 そうかな。食べずきらいなんてところがあるのかも知れないけど、一番勝負しやすいところで勝負しているっていう気がするな。その部分には触れないように警戒しているという。それがことによると、あなたの作品の弱さになっているかも知れませんね。読者の目から見ると、こいつはいつもここを逃げているなってことが、やがてわかって来るんですよ。読者はだんだん好みが広くなって来ますよ。その作者について多くの作品を読み、研究が進んで来ると、この作者がいつも触れない部分が、ものたりなく思われて来るわけですよ。今のあなたのSFマンガを読んでいる読者が、そこに気がついているかどうかはわかりませんが、僕のところに来るSFマニアの若い男が、「この人は、この人自身最も描かなけりゃいけない部分を、いつでも描かずにいる」といってましたね。僕はそれうなずけますね。どうですか。

竹宮 最も描かなきゃいけない部分っていうのは?

光瀬 あなたは女描かないのよ。(笑)

竹宮 少女読者が好む女というのが、どうしても描けない。リアルに本物を描いてしまうみたいで……。

光瀬 描けないはずないのよ。それよりも、あなたにとってタブーになっているんだな。」

竹宮 そうかなーって気がするけど。

光瀬 いや、これは一人の読者としていわせてもらうと、けんらんたるラブストーリー描いてみたらいいんじゃない。あなたにとって本当の脱皮というのは、それだと思うよ。

竹宮 何となくそういう気もしているんですけれど。いつかね、といいながら。(笑)

光瀬 SFであろうがなかろうが、読者としてぜいたく言えば、SFでなく……。

竹宮 新しい分野を開拓し、自分が開かれて行くことには興味があるんです。自分がどうなって行くのか、どう変わって行くのかということに。そのために描いているのかも知れない。マンガ描いていなかったら、現実でそれを切り開いて行くでしょう。

光瀬 そうだね……。

竹宮 だから、少年愛を描く作家だと言われるのが一番いやだと思います。

光瀬 そうだろうね。ところで、最後にもう一つ苦言をいわせてもらうと、読む人がいなければ描かないというような人は、ストーリーテラーでなければダメですよ。見せるための作品だからね。人に見せるための作品だったら、技術的にも高度でなければね。よき、ストーリーテラーになって下さい。

           (終)



竹宮惠子:地球へ…
 【「あそび玉」と「地球へ…」の類似点】
 【「地球へ…」連載・単行本データ】
 【「地球へ…」第一部総集編 Q&A】1977年09月(27歳)何々の作品に似ている等ももう少しお待ち下さい
 【「地球へ…」第一部総集編 光瀬龍:定本・竹宮恵子論序論とでも】1977年09月(27歳)
 【「地球へ…」第二部総集編 対談:光瀬龍・竹宮恵子】1978年10月(28歳)
 【「地球へ…」第三部総集編 鼎談(部分)】1980年01月(29歳)
 【増山法恵:「地球へ…」とのかかわり】
 【「地球へ…」新装版発売記念インタビュー】2007年04月前後(57歳)
 【「地球へ…」恩地日出夫監督インタビュー】
 【恩地日出夫氏、逝去】2022年01月20日

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます