5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【「風と木の詩」クロッキーブック検証】
新潮社の特設サイトで紹介されている商品紹介動画を元に、完全復刻されたクロッキーブック(’71.1.21)を検証
なお、当項目で「クロッキーブック」と称しているものは新潮社の商品において「クロッキーノート」

検証・資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...
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参照【「風と木の詩」創作クロッキーノート
2006年に開催された「竹宮惠子の世界展」の目録に収録されているもの


新潮社【限定500部】『竹宮惠子画業50周年「風と木の詩」メモリアルセット』特設サイト
https://www.shinchosha.co.jp/keikotakemiya50th/
■限定500部 直筆サイン&シリアルナンバー入り
■本体価格:1セット30,000円(税込32,400円)
■申込み開始:2017年10月30日
■お届け:(2017年)11月から発送



メモリアルセット内容紹介動画(02分14秒)
00分00秒


00分30秒 画面右下の文字:クロッキーノート(’71.1.21)完全復刻


00分32秒 最初のページに「ビッグ新連載第2弾 2週連続カラー100ページ 風と木の詩 竹宮恵子」の手書き文字が読み取れる


↓手書き文字がわかるよう上記画像を拡大(色調調節あり)

疑問:新潮社が特設サイトで1971年1月21日の日付のあるクロッキーノートを「完全復刻」と謳っているが、その5年後である1976年発売の週刊少女コミック1976年02月29日号(10号)に掲載されたタイトル周りの惹句「ビッグ新連載第2弾 2週連続カラー100ページ」が既に手書きで記されている
「とんぼの本・カレイドスコープ(2016年)12ページ」において【「71.1.21」の最初のクロッキーノートには、すでに冒頭50ページをコマ割りまで描ききっていた】と記載されているため、ここで完全復刻されていると新潮社が謳っているクロッキーノートは「1971年1月21日に描ききっていたもの」であるはず
その前提でこの商品を確認すると1976年の雑誌に掲載されている「ビッグ新連載第2弾 2週連続カラー100ページ」の文字が1971年の時点で判明していた、ということになるが、はたしてそれはあり得るのだろうか
つまり、1976年発売の週刊少女コミックに印刷されている惹句が5年前の1971年に「描ききった」とされるクロッキーノートに既に手書きで書き込まれていた
この理解でよろしいか?

00分34秒 画面右下の文字:表紙裏に付けられている“ポケット”も再現


00分34秒 画面右下の文字:構想を得てすぐに一気に描き上げた冒頭50ページあまりがここに


01分06秒 画面右下の文字:絵もコマもセリフも一切変えずに発表しました


01分38秒 画面右下の文字:大学ノート(’70.12.7〜)完全復刻


以上、新潮社は「再現」「完全復刻」「一切変えずに発表」を強調している
ただし「一切変えずに発表」したのは「絵もコマもセリフも」であり週刊少女コミック1976年02月29日号(10号)に掲載されたタイトル周りの惹句には言及していない

特設サイトで竹宮本人が語る「竹宮惠子先生からのメッセージ」において、本人はクロッキーノートの「完全復刻」には言及していないが否定もしていない
「竹宮惠子先生からのメッセージ」動画は特設サイトで確認できます


そもそもこの商品の監修(資料の提供や校正など)に本人がかかわっていないとは考えにくく、竹宮本人も新潮社の「クロッキーノートの完全復刻」という売出し方法に異論を唱えず商品化し販売したことに同意していると思われる
つまり、クロッキーノートの日付「(’71.1.21)」は事実として、そこに5年後の掲載誌の惹句が書き込まれていたことを本人が知らなかったとは考えにくい
復刻のためオリジナル(1971年のクロッキーノート)の複写をする時点で、竹宮が内容を確認せず新潮社(もしくは複写をした人)に実物を渡したとは思われず、むしろ間違いがないか実物を精査・吟味するものと思われる
新潮社は今回商品化したクロッキーノートについて、1976年に発売された雑誌に掲載されている惹句が書き込まれているにもかかわらず「1971年に描ききったものである」と判断し、それを「完全復刻」した
それに対して竹宮本人も異論を唱えず世に出した、という解釈が成り立つ



【「風と木の詩」誕生の流れ】

(「続マンションネコの興味シンシン」25ページ)十数年前のある日、バルビゾン派の絵画展へ行き、ミレー(だったと思う)の、“ダフニスとクロエ”の絵に不思議な衝撃を受けた。心の中にバラバラに持っていたあらゆる要素が一気に集中した、という感じで吹き出すように『風と木の詩』 が出現した。
*1970年08月15日-09月30日:竹宮が観たと思われるバルビゾン派の展覧会「ミレー・バルビゾンの画家たち」渋谷・西武百貨店
 ↓
1970年10-11月あたり?:増山さんと夜通し長電話(桜台)
(大泉本32ページ)竹宮、増山さんと「風と木の詩」の構想を夜通しの長電話で一晩語る
 ↓
1970年12月07日から:思いつきを大学ノートにランダムメモ(大泉に越してすぐの頃)
 ↓
1971年01月21日:竹宮クロッキーブックに50ページ分を「描ききった」
 ↓
1971年02月:映画「悲しみの天使」を萩尾・竹宮・増山の3人で見る(封切りが1970年07月のため、二番館か三番館での上映と思われる)
 ↓
1971年03月:「トーマの心臓」を原稿用紙に描き始め、皆に見せる(最終的に300枚)
 ↓
1971年06月:竹宮「風と木の詩」の冒頭50ページのクロッキーブックを萩尾をはじめ皆に見せる
 ↓
1976年:週刊少女コミック1976年02月29日号(10号)にて連載開始

以下「とんぼの本・カレイドスコープ(2016年09月)」12ページより引用
構想を得たのは1970年。竹宮は「70.12.7〜」と記した大学ノートに作品のストーリー展開を文章でびっしりと綴り、「71.1.21」の最初のクロッキーノートには、すでに冒頭50ページをコマ割りまで描ききっていた。




掲載実績画像提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...
週刊少女コミック1976年10号
竹宮恵子 「風と木の詩」 新連載号表紙および目次
(第1弾は少女コミ1976年9号新連載 わたなべまさこ先生の「シャンデリア」98ページ)


「風と木の詩」 新連載冒頭カラーページ4枚(掲載実績)







【「足かけ7年」について】
検証
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...

新潮社『竹宮惠子画業50周年「風と木の詩」メモリアルセット』特設サイトの紹介文

あまりに革命的であまりに美しい作品ゆえに、構想から発表までの道のりは、長く険しいものでした。足かけ7年をかけて、ようやく連載開始にこぎつけたのです。
竹宮先生の手許には、1970年に構想を得てすぐに物語を書きはじめたノートや、冒頭50ページ余にコマ割りやセリフまで描きこんだクロッキーノートが大切に残されています。

1970年12月07日:構想を得て大学ノートに綴った
1976年02月29日号:初回掲載

1970:ここから(構想を得る)
1971: ↓
1972: ↓
1973: ↓
1974: ↓
1975: ↓
1976:ここまで(連載開始)
年数をカウントすると「足かけ7年」は間違いない
が、1970年12月07日から1976年02月29日号(掲載誌販売日はそれより前)をカウントすると「実質5年と4ヶ月弱」



【「風と木の詩」についての記述】

続マンションネコの興味シンシン
出版社:角川書店
シリーズ名:VARIETY BOOK 6
初版発行日:1984年10月05日
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164151...

※「続マンションネコの興味シンシン」17-36ページはJune誌上の連載を収録したもの

「続マンションネコの興味シンシン」20-22ページ



3時間目◎私的押入れ自家製本製法
えー、今回は、実践編をちょっといってみましょう。お絵かきでは飽き足らなくて、どーしても、「状況」と、ゆえに起こる「出来事(ハプニング)」と、「結末」が欲しくなった人に。
早い話が極私的押入れ自家製本のつくり方。
1:まず、自分が描き易いと思うクロッキー・ブックを画材店で見つくろう。
2:簡単です。自分のモウソウを、始めたい所から鉛筆でいきなりコマ割りして描く。最初はどーせ、ベッドシーンからでしょう、ジュネ読者なら。間違ったらケシゴムで消せば良いのです。(あ、消しすぎて紙がボロボロになるという方は、もう少し初級編をやってからネ)
3:1ページめができたら、次は4ページめに描く。そして、2ページめの右柱と3ページめの左柱をのりづけする。これでめでたく、漫画本のような裏表の2ページが出来上り。ペンなんか入れんでよろしい。ドーセ、世間的に使いモノにならないんだから時間の方がもったいない。
4:ベッドシーンで満足したら、次は、それに至る前の状況とか、後の余韻とかを描いてみる。ずーっと飛んで、2人の老後の一コマを描いてみてもいいし、出会いを描くのもいい。エピソードを、つまり、バラバラに好きな部分から描くのね。
5:だいぶたまったら、それを編集する。(かっこいいでしょー)これも簡単。裏表になった一枚ずつをバリッと、クロッキー・ブックから破りとって、適当に並べて、 もう一度、クロッキー・ブックのコイルに差し込み、その部分を貼 る。いくらでも好きな所に好きなだけページを差し込めるし、それに文句をいう編集者もいないわけ。
6:自分でひそかに読む。いろいろ批評をのべる。
どう? 楽しいですョ。この手で私は、「風と木の詩」の冒頭部分を描きためて、編集サンに見せたりしたのよね。(おかげで断られたけど…)「ファラオの墓」「変奏曲」もやってました。読者の皆様が見ていない裏話的な部分もずいぶんあるのデス。ここに紹介したのは、実は「変奏曲」の一部。
エドナンが、まだイギリスの学校にいる頃、同性愛事件に巻き込まれて、上級生を刺した話が、本文にもある筈。その事件の冒頭の2ページです。しかし、あとはあまりにスサマジイ暴力沙汰が展開しますので健康な読者の皆様には絶対にお見せできませぬ。アシカラズ。
友人の要請により、これを描いては二人で楽しんでいた頃――ヤッパシずいぶん、ヒマだったんですな。ううっ、もっと遊びたい! でも、絶対、他人に見せてはなりませんぞ。人間性を疑われるだけです。中島梓氏が、いかに食い下がろうと、断固見せぬのです! これこそ、極私的押入れ自家製本製法の極意。心して下され。ハッハッハッ。


「続マンションネコの興味シンシン」25ページ

5時間目◎原作シリーズ『風と木の詩』
十数年前のある日、バルビゾン派の絵画展へ行き、ミレー(だったと思う)の、“ダフニスとクロエ”の絵に不思議な衝撃を受けた。心の中にバラバラに持っていたあらゆる要素が一気に集中した、という感じで吹き出すように『風と木の詩』 が出現した。
背後からつき動かされるように鉛筆を動かして描きつらねたこれら数点のカットも、私自身どこのどの場面を描いているのかわからなかった。物語は一夜にして完成した。今考えても作家として、なんと熱く幸福な一瞬だったろうと思う。


「続マンションネコの興味シンシン」26-28ページ



6時間目◎原作シリーズ『風と木の詩』
どこに載るあてもなく一人でコツコツ描いていた「風と木の詩」が、いよいよ“少女コミック”に載る、と決まった時、ハタと困ったのはサイズの違いだった。私が一人遊びで描いていたクロッキーノートは横幅が広く、雑誌用原稿はタテに長い。それに描き始めた20歳頃の私のキャラクターは、顔がポチャポチャと丸く背も低い。
最初の絵の雰囲気を壊さぬよう、ガラスのテーブルに下から光をあてて、クロッキーノートをトレースしたわけだが、原稿の寸法と人物のサイズを微妙に直しながらペンを入れた。ゆえに“7年後の絵”と、“20歳の時の絵”の差が、かように出たわけである。
ネームの変更もいくつか行なわざるをえなかった。個人用お楽しみ本として描いてゆくなら、内容をどこまで発展さすも作者の勝手だが、不特定多数の読者の目にさらされるとなると、あ、ヤバイというセリフも飛び出してくるわけで、ここでも「舌」を「キス」に「下着のこと」「見てくれのこと」と刺激的減少をはかっている。
物語そのものも、ノートでは“燃えよドラゴン”ばりの暴力シーンが続くのだが、雑誌となると定められたページ数の中で、できるだけエピソードを並べ、読者にとって読み応えのある内容にせねば(というサービス精神がすぐに頭に浮かんでしまうので、私はゲージツ漫画は描けないのだ)、というわけで好きなエピソードに何ページもかけることをやめた。
かくして“押入れ本・風と木の詩”は陽の目を見る……見すぎて今だに連載も終わらないわけだが、もしもあのまま誰に見せることなく自分の楽しみだけで描き続けていたら、まったく別物になったろうなァ。
もうひとつ、隠れたる(でもないか、後援会の連中には話したことがある)エピソードとして、時代設定がある。もともとは、この物語は1930年代以降のヨーロッパに設定していた。もう自動車とヒコーキの時代よね。ところが、このあたりは第一次、第二次大戦その他、ヨーロッパ全体が政治的にゴチャゴチャした時代なので政治的背景ヌキで描くことは不可能に近くなってしまう――そこで時代をグッと馬車の時代にずらし、あの“ベル・エポック”と呼ばれたヨーロッパの不思議な(短かったけど)安定期に再設定したわけです。パリで万博などがあったりして、大好きなウィーンはまだハプスブルグ家が大時代的な王政をしいていた、古きよき時代にタイムマシンで見物に行きたいくらい。
などと横道にズレてしまったが、細かいことを言えば、当時の学校は鉛筆を使ってたのか、とかトイレはどうなっとるんじゃ、とか、第一、徴兵制はどーなってたんでしょうね。ロスマリネ君なぞモロにひっかかるのでは? 謎は謎として、そ知らぬふりして通りすぎ、あとからフランス史にくわしい専門家の方に指摘されると笑ってごまかす私なのです。自分自身でできる限りの資料集め はやっているんですけどねェ。だって例えば電話が“発明”された年代はすぐわかるけど、どのくらいの勢いで市民生活に波及していったか想像できます? なんと1900年には上流家庭ではちゃんと使ってるんですよ。
こんな具合にへんな所に悩みながら描いているので漫画家は浅く広い雑学ばかりふえてしまう。資料の山にウンザリして、いつかこれらをコンピューターに全部ブチ込んでやる、そしてボタン一つで画面にパッと資料が出てくるようにするぞ、とうちのプロデューサーに「コンピューター学院」に通わせようと必死でくどいております。
「風と木の詩」を描くためにコンピューターが必要になってきた、という落語めいた裏話でありました。はい、おしまい。

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