5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮惠子のマンガ教室】252-254ページ

発行日:2001年06月20日
出版社:筑摩書房



大泉サロンと“花の24年組”

お互いの影響関係とムーブメント




ーーそういう作家たちが次々と『少女コミック』に集まってきた。“花の24年組”と言った時に、まず必ず大島弓子さんが入る、というのもそのイメージがあるからですよね。“花の24年組”と『別冊少女コミック』の黄金時代のイメージは重なっている。
 先ほどもお話が出ましたけれど、竹宮さんも萩尾さんも最初の頃、『なかよし』で描いてらしたじゃないですか。で、それが『別冊少女コミック』というか『少女コミック』にほうに移られてがらりと作風が変わった。大島さんだって最初は『マーガレット』だったのに『少女コミック』に移ってやはりがらりと作風が変わった。そういうことがあるから。
竹宮 あの頃の『少女コミック』は山本さんという編集さんがいたこともあるけれど、マンガ雑誌としては後発で、まだ形ができていなかった。だからなんでも描かせてくれそうだったんです。やっぱり新参者は、大手のできあがっちゃっている本では辛いから、「おいでよ」というと、楽だからみんな来ちゃう(笑)。
 呼んだ私たちが責任をとれるわけじゃないんですけど、なんとなく私たちがやっていることがよさそうに見えたというか、自由そうに見えたというのがあるんじゃないですか。会社の大方針がまだなかったことがよかった。

ーーでも、新しいマンガって、たしかにそういうところから生まれますね。
竹宮 一つ一つは、柱になれるようなものじゃなくても、集まれば力になる(笑)

ーー外人枠だけ集まった(笑)日本の大リーグ(笑)。
竹宮 そう、不思議な空間だったというか。

ーーそのなかでお互いに影響を受け合ったんですね。
竹宮 ええ、とくに大泉サロンで一緒に暮らした頃は、まだアシスタントさんもいなくて、私たちはお互いにアシスタントをしあったりしてましたから。

ーーじゃあ、背景も含めて全部自分で描いてたんですか?
竹宮 船から何から、全部自分で描いてました。

ーーそうやって手伝いあう時に、「あなた、ここはどうやって描くの?」っていう感じもあるわけですね?
竹宮 たとえば、増山さんはズバズバ言う人で、私たちの中ではゴッドファーザー的な存在だったんですけど、批評もけっこうピンポイントで言っちゃう人だったんですね。で、萩尾さんに対しても「横顔の描き方がナニなんじゃない? ケーコタンの横顔の方がいい」とか、無神経な意見(笑)を言ったりなんかしてましたし。あくまでも好みのモンダイですけど。

ーーそう言われると萩尾さんは竹宮さんの横顔を見て研究するわけですね。
竹宮 それはあったかもしれませんね。彼女は女の子を描くのが上手。私は男の子を描くのが上手、っていうふうに言われて、なんとなく最初は分担わけをしていたんですけど、そのうちにお互い影響受けあってしまって。
 あの頃、萩尾さんは、少年を描く研究をすごくしていたんですよ。私自身も萩尾さんにはずいぶん影響を受けた。私はそれを最初から予測の上で一緒に暮らし始めたし、そういうことにあんまり垣根がないタイプだったから、あんまりそれをいやだとも思わなかったんですけどね。

ーーそうやってお互いの影響のもとで、マンガ史に残る作品が次々と生み出されていったわけですね。

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