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【ささやななえ:あそび玉秘話】
少年少女SFマンガ競作大全集5(1980年04月)



少年少女SFマンガ競作大全集5
発売日:1980年04月01日
出版社:東京三世社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162472...




あそび玉秘話:ささやななえ
(画像に続いてテキスト抽出あり)





あそび玉秘話:ささやななえ

『あそび玉』には続編がある。と描いた本人から聞かされたのは、北海道の片田舎、芦別市発頼城(ルビ「らいじょう」)行、一抗会館(ルビ「いちこうかいかん」)前下車予定のバスの中であった。
あの『あそび玉』LASTシーンをみると、何やら続きがありそうな感じがするから「ああ、やっぱりあるのね」というと「第三部まである」とまた描いた本人が言った。
それから彼女はバスにのっている間中、その第三部までの長い話を、聞かせてくれた。

その時の私の心境がどういったものかであったかーー今でもハッキリ覚えている。
低い声で淡々としゃべっている隣りのこの若い女性の作品を、私はずっと長い間好きだった。
ある種の畏敬の念すら持っていた。

北海道の片田舎で、ようやっとデビューし平々凡々とした少女漫画を描いていた私にとって、会うことなど考えることができなかった作家であった。
それがどうだろう!
「今隣りでしゃべっているのは誰」
「萩尾望都よ」
「彼女が今、話しているのは何?」
「萩尾望都が近いうちに描くであろう作品の内容よ!」
 わーっ、わーっ!

と、私はバスの中じゅう走りまわりたかった。誰かれかまわずつかまえて、教えてやりたかった。
「あんた、この人知ってる? 萩尾望都よ! 漫画家の萩尾望都よ! ホンモノよ!」ーーそうしたいのを抑えてジッと座っていた。

ああ、私は大好きなこの漫画家のまだ描いていない作品のストーリーを聞いているんだわ。信じられないような光栄の時間を抱きしめて、私はただ黙って座っていた。
そんな想いなど知る筈もなく、彼の萩尾望都はトツトツとしゃべり続けていた……。


今思い返すのに非常に悔やまれてならないことは、何故もっと彼女の話を聞いておかなかったか、ということである。なんせボーッとしてしまってたので、内容をほとんど覚えていないのである。

また、たぶん近いうちに彼女はその続編を描くであろう、その時に新たなる気持ちで作品を楽しもう、という考えでいたからかもしれない。

彼女は『あそび玉』の続編を描かなかった。と、すると、その内容を知っているのは、彼女と、私と、当時東京の彼女の周りにいた数人の友人達(彼らがもしソレを聞いていればの話だが)ということになる。

そ、そんなもったいないことがあっていいのだろうか!? 全国大多数の彼女のファンはどうなるのであろうか!? 今回、この文を頼まれた時、最初に思ったことは、そのことだった。あのままですますわけにはいかない。ファンには知る権利(!?)があるのだ。

その使命をかかえ、私は萩尾宅にジーコロ、ジーコロと電話いれた。「まァ、そう言われても困るわ」と、モー様は言った。「だって、私もどういう内容だったか、忘れたもの」ーー


かえすがえす、悔やまれるのは、あの話を聞いた時、ボーッとしていたことであった。テープレコーダーに録音でもしておけばよかったと、今思うと非常にくやしい。それは貴重なモノになったであろう。話を忘れた当の本人に売りつけることも可能であったかもしれない。エエイくやしい。

だから、今私がこうして諸君にお伝えできるのは、つたない私の記憶の中で断片的に残っている部分だけなのである。

あの『あそび玉』の主人公、ティモシーがどうなったかというとーー
彼が、無事地球にたどりついてみると、そこはもう荒れはてた星になっていた。そこでホソボソというエスパーたちと会い、これではいけない、人類はみな兄弟、最終的には向こうの星の人類も地球という星の人類も結合すべきなのだ、と考え、それから何世紀がかりもの話となり、第三部あたりでは古い主人公(ティモシーら)はいなくなり、新しい主人公らの話となっていく……。と、まァそういうわけである。

私が萩尾氏ことモーさまと、どうやって知り合ったかというと、当時石川県は金沢に“坂田靖子”というマニアがいた。(もちろんこの“坂田靖子”という彼女は、いま漫画家になって活躍しているアノ坂田靖子さんです)その坂田ちゃんが東京は大泉に遊びに行って、萩尾望都氏に会ったと思いなせえ(そこは後に有名?になったアノ大泉サロンで、竹宮恵子氏もいた)でもって、坂田ちゃんが「北海道に、知ってる漫画家がいる」と言って、そこに私の住所電話番号のメモを置いていったと思いなせえ。

その坂田ちゃんと私の関係が何かというと、当時ひょんなことから文通をしていたんだがーー彼女からそうしたという手紙を受け取った時、私は夢ではないかと疑った。また、萩尾望都って本当に生きてて、私と同じように呼吸して食事もしている普通の人間だったのか! とも驚いた。

なにはともあれ、これでなんらかも形でつながりができた、と喜んでから、数十日だったある夜のこと、東京から北海道に遊びに来た私のファンという人から、いきなり電話がかかってきた。

私の住んでいた芦別の近くまで来ているので、もしよかったら明日にでも会ってくれないかーーということで、そういう電話は前にもきたことがあり快く承諾して相手の名前を聞くと、向こうは一瞬ためらってから、小さな声で
「モトと申します」と言った。

モト! 私ァ(ルビ「わたしゃ」)この一言でピンと来たね。「エー!? 萩尾さん!?」すると彼女はギョッとして「わー! どうしてわかったのォ!」
ーーこれが萩尾望都氏との最初の出会いの始まりで(ヌケ「あ」)った。

北海道の友人のところにホントに遊びに来ていた彼女に、この電話の一件で、一日だけ寄る予定だった私の家に十日間居てもらい、そこでどういうふうなことを話したかというと、それは最初の文の方に、もどっていただきたい。



関連項目
「あそび玉」について
「あそび玉」収録エピソード
小野耕世 :萩尾望都『あそび玉』をめぐって】1978年07月
花郁悠紀子:「あそび玉」を発表されるにあたり…】1980年04月
「あそび玉」と「地球へ…」の類似点

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