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【ぱふ1980年12月号「萩尾望都を盗め」光瀬龍】

ぱふ1980年12月号「特集萩尾望都」
発売日:1980年12月01日
出版社:清彗社


資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163189...


「萩尾望都を盗め」光瀬龍
(画像3枚に続いてテキスト抽出あり)






「萩尾望都を盗め」光瀬龍

時おり、私のところに、まんが家をこころざす人たちから、まんがの原稿が送られてくることがある。良いと思ったら、どこかの雑誌社へ招介してほしいというのから、自分で目当ての雑誌を指定してきて、その上、結果をすぐ知らせてほしいなどというのまでさまざまだ。
私のところへ原稿を送りつけてきたとて、どうなるものでもないのに、大きな誤解をしているようだ。あるいは、わらをもつかむという心境なのだろうか。もっとも、そのことごとくがSFまんがであり、ラブコメディやスポーツまんがなどは全くないから、そのへんのところは十分計算しているのだろう。
時には、なかなか達者な作品もあり、思わずうならせられることもあるが、それだからといって私はそれらを雑誌社に招介することはけっしてしない。すべて丁重に送り返してしまうことにしている。
そのSFまんがだが、ほとんどが少女まんがであり、作者は若い女性である。
そしてそれらの作品群に共通しているのは、濃淡の差はあれ、ひとしく、萩尾望都さんからの影響であり、竹宮恵子さんや山田ミネコさんからの刺激である。それらの大先輩たちからの影響を受けて上達し、やがてはそれらの人々を乗り越えてゆければ、これはもう何も言うことはないのだが、それがとうてい不可能な作品などを見ていると、やはり一流になるということは、なみたいていのことではないのだなと思う。どんな影響を与えたか、何を賦活されたかというのを刻明に見てゆくのもそれはそれで面白いのだが、この一文はそれを目的としてはいない。
ただ、今言えることは、モデルにしている三者の、心を扱み取ろうとはせずに、単に絵のひとつひとつに似せようとしているに過ぎないという徒労の感かしさである。
個性というのは、絵にあらわれるくせのことではない。表現が唯一の選択の結果であらしめた必然性のことであって、これは真似しようとて真似られるものではない。影響をこうむることの危険はそこにある。だがファンにとっては、それも酪酊であろう。そうも言っていられない萩尾望都ファンのSFまんが家志望者の為に、ひとつだけ参考意見をのべておこう。
それは萩尾さんの作品をようく見て、全体のテンポに注意するとよい。自分が述べようとする物語の起伏と内容に適確に見合った緩急自在のテンポは、この人の作品にたいへん劇的(ドラマチック)な効果を与えている。絵それ自体の持つふくよかさがテンポののびとひとつになると、類を見ない豊潤さが生ずるし、スピーディな展開になると、物語性に陰翳が生ずる。これはおそらく作者にとって無意識なものであろう。芸というものはそういうものなのであって、ベテランの技術を盗む時は観念的な論議よりも芸のコツを盗むことだ。
ついでにもうひとつ。この人の描く宇宙船や未来的メカニズムに仔細に目を向けてみるとよい。近頃の、スターウォーズまがいの、まがまがしくも愚かしい偽似メカニズムSF画とは本質的に異った簡素な形態美があるのに気づくであろう。科学や技術を知らない者ほど、形のものもにしさばかり描きたがるという近頃のSFまんがの不毛の非SFぶりに対する頂門の一針となるだろう。

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