5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【まんがナビ対談:荒俣宏・竹宮惠子】その1
eBookJapan「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」

荒俣宏の電子まんがナビゲーター:魚拓
https://web.archive.org/web/20140626083359/http://...

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163500...



第2回:竹宮惠子編
その1「竹宮惠子作品に触れる」の巻
2010年09月03日

註:対談部分を中心に採録
全文は「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」(各見出し下のURL)にてご確認ください


■まんがの激闘時代を伝えたい
https://web.archive.org/web/20141006115353/http://...

電子書籍でまんがを読む世代のために始まった、著名まんが家インタビュー・シリーズの第2回は、伝説的な「花の24年組」の一員である竹宮惠子先生にお話をうかがうことにした。

(荒俣宏の解説・略)

電子まんがナビゲーター編集註:「花の24年組」1970年代に少女まんがの革新を担った女性まんが家たちの一群。
竹宮惠子、萩尾望都、大島弓子、青池保子、木原敏江、山岸凉子ほか。
彼女たちが昭和24年(1949年)頃の生まれだったため、このように呼ばれている。

■まんがは文學とおなじように難解な部分も多い
https://web.archive.org/web/20141006115353/http://...

(荒俣宏の解説・略)

アラマタは、このインタビューを前にして、竹宮さんの講義録『マンガの脚本概論』を読んだ。あるページに、「マンガがうまくなりたいのなら、日本語を勉強しなさい」と書いてあった。もちろん、まんがを読むためにも、日本語をよく知ることは有効だ。

そして、勉強だけでは完全には体得できない「マンガのヴィジュアル表現法」を学ぶ方法についても、

「マンガの歴史や変容の理由を実際に見てきた私たちが、それらをできるだけ伝えたいと思っているのです」

と書いてあった。まったく同感だ。ここに、まんがを上手く描くことと、まんがをより深く読むこととに共通する、知恵の鍵がある。これからまんがの古典を読もうとする若い世代に、そのようなヒストリーをまず知って欲しい。これから徹底的に「歴史と変容の理由」を語っていただくことにしよう。

■電子書籍でまんがを読むリスク
https://web.archive.org/web/20141006115353/http://...

荒俣●先ず最初に、eBookJapanで竹宮先生の作品を、ほぼすべて電子化しようという、壮大な計画がすすんでおりますことを、ご報告します。最初に読めるようになるのは、『風と木の詩』ですけど、同時代であれを読んだときは、実にショッキングだったですね。わたしはこの機会を利用して、古典を読んだことのない若い世代に、「みんな、読めよ」と盛大にアピールしたいんです。

竹宮●ほんとにねぇ、今、(作品のほとんどが)市場に出まわってないものですから。文庫本だけ、しかも代表作だけみたいな形になってしまっているので、(竹宮作品を)研究される人も、まんが(史)を研究されている人も、本を探すのが大変みたいです。

荒俣●そこなんですよ、最初に伺いたいのは。まんがは今も読み捨て状態で前進しており、最近ふえてきた海外の研究者にも対応できるアーカイブズも、ろくに存在しないわけですよね。竹宮さんが教鞭をとっておられる、あの京都精華大学にしても、学部長を始め、変り者の先生が揃っていたから、マンガ学科が奇跡的に創設されたようなもので。

竹宮●はい。あはは(笑)。そうですよね。

荒俣●竹宮さんは直接、若い生徒たちを指導されているので、ご自身の作品を教材にお使いになることも多いですか?

竹宮●あぁ、そうですね。実は最初、自分の作品を教材に使ってもいいということだったので、教科書指定とかにしたりしたんですけど、なんかねぇ、照れて使えないんですよ。学生がですね、「お母さんは知っているようだ。でも自分たちは知らない」みたいな、そういう状態だったものですから。

荒俣●じゃあ、若い学生さんたちにとっては、お母さんの時代のまんがという距離感があるのですね。

竹宮●そうですね。(学生たちの身近に本がなくて)手軽に買えないので、古典まで手を伸ばさないみたい。こっちも、「古典なのかぁ〜」みたいに思ったりして (笑)。でも、最近ようやく、マンガ学部の大学院というのができまして。

荒俣●それはすごい。

竹宮●できたんですけど、そこ(大学院)で何を教えるかとなったときに、たまたま、まんが研究者のジャクリーヌ・ベルント先生が京都精華大学に来られて、研究科の科長になられたんですよ。それで、私に、「せっかく、竹宮さんがここにいるんだから、『風と木の詩』について、詳しく講義するみたいなことがあってもいいんじゃないか」と言われたんです。

荒俣●そこで、気恥ずかしさを棄てて、ご自分の作品を題材に?

竹宮●ええ、半年間かけて、『風と木の詩』全編を。なんていうのでしょうか、プレゼンを学生たちにやらせたりしながら、通読というか、技術的なことも含めて講義をするっていう形式で。今、4回目かな?

荒俣●画期的ですね、まんがで学者にもなれる。

竹宮●そうですね。まぁ、珍しい授業です。それに(大学)院生は、当然そういうものをちゃんと読んでこられる人たちなので、全員内容がわかる状態になります。で、そういう形式であれば講義する意味もあるかなと。

荒俣●そうですか。大学院までできると、いよいよ、研究の題材となる古今のまんがを所蔵する図書館や資料館の少なさが問題になってきませんか。東京でも内記稔夫(ないき としお)さんのコレクションを集めた「現代マンガ図書館」っていう個人経営のマンガ図書館が(新宿区の)早稲田にありますが。

竹宮●あぁ、はいはい。そうですね。

荒俣●やはり個人の努力には限度があって、たしか明治大学に蔵書を5年以内に譲るっていう話だそうです。大学院などは、そういう受け皿になる可能性を開きますね。

竹宮●えぇ、明治大学にもできましたね、まんがを研究できるところが。だから1つの館だけでなく、やっぱり連携する必要があるんじゃないかな、と思いますけどね。

荒俣●そうすると、今回の電子書籍に竹宮作品をみんな入れようっていう企画は、歓迎ですね。

竹宮●やっぱり、本屋さんでは手に入らないものが多くなってきてしまったので。ただ、問題もあるんですよ。今回は、私も電子化に対して、いろいろな注文をしてしまって、迷惑を掛けているんですけども(笑)。

荒俣●こちらへ伺う前に、とりあえずカバーだけでも、もう1回眺めなおそうと思って、うちにある竹宮さんの本をずっと見てきたんですけど、ちっちゃな文庫本サイズから単行本サイズまで、いろんなサイズのものを見てみると、紙の本でもイメージが全然違いますね、本たちの。同じものかな、っていう感じがするくらいですから。

竹宮●デジタルになった場合も、まったく違うものだと思って、ちゃんとしなきゃいけないんだなぁと思っていますけど。そこが、まだ十分に検討されていませんね。

荒俣●じゃぁ、eBookJapanが進めている企画も、将来的に資料として活用できるためには、やらねばならないキメごとがあるわけですね。

竹宮●そうですね。いや、あの、ほんとに、『電子書籍元年』だなっていう風に思えるような動きになっていますから、ちょっと楽しみにはしているんですけれども。

■現代の若者はまんが家に憧れるか
https://web.archive.org/web/20141006143200/http://...

荒俣●竹宮さんがせっかく京都精華大学で、若い方々と接していらっしゃるので、印象を伺いたいことがあります。まんが家になろうって人は多いんですか、今は?

竹宮●いやぁ、多いですよ。ほとんどの学生がまんが家になりたくて、まんがを描こうとしていますから。ただ昔のように、自分でまんがを描く方法とか、作法とかっていうのを知ることができない状態に置かれていますけれども。

荒俣●知ることができないとは、おもしろい現象ですね。

竹宮●はい。たとえば本を読んで、自分がまんが家になれるかどうかを判断するっていうのが、なかなか難しい状態なんです。情報が多すぎるんですかね?

荒俣●まんが家になろう、という強い意志だけじゃだめなんでしょうか。

竹宮●まんが家になりたいって気持ちでは持っているけれど、自分がなれるかどうかの判断もまだつかない状態で、習いに行けばというか、大学に入れば(教えてくれると思っている)、という感じで入学してくるんです。

荒俣●なるほど。つまり、まんが家になることは自営業になることなのに、大学の学歴でまんが家になれるだろう、と就職活動をしにくるわけですか。

竹宮●いえ、大学ならある程度のレベルまで教えてくれるんだろうと思っているので、こちらが責任重大になります(笑)。

荒俣●でも、個人的なハングリーさは、どうなんですか? なんとしてもまんが家になってやろうという気魄(きはく)は。

竹宮●ハングリーなところっていうのは、まだ出てきていないですね。18歳とかくらいだと、まだなんですね。大学にいる間に、ハングリーってことがわかってくる人と、そうでない人がでてきます。逆に、そこまで大変ならまんがは趣味で行こうかな、っていう人もでてきます。

荒俣●学生は何人くらいいますか、1学年に?

竹宮●1学年で70人近いですよ(笑)。

荒俣●70人もいるんですか。

竹宮●はい。でも、全員がまんが家になっていたら大変なことになっちゃいますよね(笑)。ほんとうに卒業までに、道がつく人、業界にデビューなりができる人ってのは、1学年でも10人くらいでしょう。

荒俣●あぁ、そうですか。でも、10人くらいは格好がつくとすると、すごい高確率ですね。

竹宮●はい。それでも、(編集者の)担当さんがついてからがほんとうに大変なんです。「担当さんを付けてもらえるくらいにはなるようにがんばりなさい」と、私たちも言いますが、本気になってくれるかどうか。いつも、「それくらいになれるように、勉強しなさい」とは、言っているんですけれど。

荒俣●僕なんか、昭和22年生まれで、東京の子だったんですけど、まんが家は憧れの職業でした。我が家は貧乏で、お小遣いももらえないから、みんなで回し読みしてまんがの描き方を勉強したもんですけれどね。

竹宮●はい。あぁ、そうですね。昔はそうでしたよね。

荒俣●で、ものすごいハングリーな子がいて、「かならず俺はまんが家になるぞ!」っていうのが、すでに小学校5、6年の段階でいたのをよく覚えています。

竹宮●小学生で、というのは早いですね。さすが、都会っ子。

荒俣●じつは僕もその1人で、どうせ中学校くらいしか行かせてもらえないだろうから、町工場に就職したあと、仕事が終わったら夜にミカン箱の上でまんがを描いて、いつかデビューしたいと夢みていました。あの頃のハングリーさっていうのは、学校の先生に殴られても関係なかったですね。あの頃ちょうど、「学校にまんがを持ってくるな」っていう、あの、『悪書追放運動』があったんですよ。

竹宮●そうですね。学校に持っていくと、取り上げられる。

荒俣●そうなると、まんが家をめざすには、梃子(てこ)でも動かない意思の強さが、ねぇ。

竹宮●うん、ありましたよね。私も気持ちの上では(笑)。今はまんがでも、かなり自由に読めますね。京都精華大学の教室の中にもまんがの本棚があって、まんが本が並べられていますが、他の学科からそれを見に来た学生は、「あっ、おもしろいな。大学なのにまんがが置いてある」って言うだけなんです。

荒俣●それはどういう感じで出た発言なんですか。

竹宮●まんがは遊びの範ちゅうから出ないものだからでしょうね。うちの学生にとっては、大学に置いてあるまんがは、逆に、勉強するもの、参考書みたいなものなので、そんなに手を伸ばして見てるって感じはしません。ところが、現在進行形の新刊まんがならば、あっという間に学生が回し読みしてどっかへ行っちゃいますよね。だから、新しいまんがは並べられないわけです(笑)。

荒俣●たしかに。大学に置いてあるまんがは、書店で熱心に立ち読みする現在進行形のまんがとは違う感覚なんですね。

竹宮●そういうわけで、オープン書架には殆ど古典に入るようなものを並べています。

荒俣●大きな問題点は、先ほども竹宮さんが仰ったように、クラシックっていうのが、なかなか読みづらくて、その割に新作がポンポン出るものだから、もうそれを追っかけるだけになってしまうということですか。

竹宮●そうですね、それはあります。だから、大学に来ないと、古い作品を読むってことができないですね。それで、大学の講義や研究の中でなんとかそれを、補填(ほてん)していく。手塚(治虫)先生を知り、石ノ森(章太郎)先生を知りっていう形で、どうやってまんがが発展してきたのか、みたいなことを、ようやく勉強するわけなんですよ。

荒俣●なるほど。われわれの頃はまんがも月刊誌でしたから、古典を含めて、目配りが利いたといえますね。貸本屋に行くと、長いのは5年以上も棚に置かれているまんががありましたから。手塚作品なんか、10年分くらい貸本屋で読めたんじゃないかな。それで、歴史の勉強もできた。

竹宮●私たちもそういう意味では『COM』みたいな雑誌のおかげで、まんがの描きかたやデビューの仕方を学べましたね。それを思うと、大学でまんがの歴史を教えることも、重要ですばらしいことなんじゃないかなぁ。

荒俣●すばらしいことですよ、ほんとに。去年の末だったかな、フランスのまんが研究家が来て講演をやったときに、引っ張り出されて、前座で講演をさせられたんですけども、その人と話をしていたら、日本にはもうびっくりするっていうんですよね。

竹宮●そうでしょうか?

荒俣●(日本には)学部レベルでまんがを研究する大学がある。これに対して、文化の国フランスでも、(まんがは)どっかの美術に関連させて研究するのが精一杯で、まして学校ではまんが研究に対して予算も何も組んでくれないので、全部自腹でやっていると。

竹宮●最近は中国から、(大学)院を目指してくる留学生が増えていましてね。

荒俣●あっ、そうですか。中国から

竹宮●そうなんです。中国は文化として、もちろんアニメーションもやってきたし、あの水墨画から来る、「連環画」(れんかんが:一連の物語を1ページ大の挿絵と見出し文で表現する小型の絵本。中国に於けるまんがの先行形式と考えられている)とか、そういうのはあるんだと。けれども、いわゆる「ストーリーまんが」というのはなくて、その技術については誰も知らないので、大学で教えたいんだけれど、それを教えられる人がいないと。

荒俣●あぁ、そうですか。

竹宮●だから、先生が生まれてくれることを期待しているようなところがあるようですね。それで、中国で師範学校を卒業してから、今年(院に)入ってきた人っていうのがいるんですが、師範学校出ですから、もう大学の先生になれるくらいの、力を持っている人なんですけれども、この前の冬くらいに、私のところに来て「院を受けたい」と言ったわけですよ。

荒俣●ほほぉ。

竹宮●その時は、交易会社をやっている世話人の叔父さんが一緒に来て、面倒をみてくれていたんですけど、その叔父さんが全部しゃべって、本人は一言も日本語がしゃべれないぐらいな状態だったんです。

荒俣●あぁ、そうですか(笑)。

竹宮●ところが半年間で、日本語検定の2級を取ったんです。

荒俣●へえぇ〜。

竹宮●それくらいのモチベーションがあるんです。

荒俣●すごいモチベーションがありますね。私も、日芸(日本大学藝術学部研究所)で教授をしていて、驚いたんです。授業でまんがをやっていたわけじゃないですが、似たような、表現のおもしろさについてやっていたんですけど、いつまでも熱心に勉強についてきてくれるのは、やはり留学生でした。

竹宮●そうなんですよねぇ…。

荒俣●やたらにモチベーションが高くて、「これはいけるな」と期待していると、夏休みが過ぎるころ、中国からの女性留学生が、妊娠して、「産休取りますんで、あんまり先に進まないでください」って、言ってきた。これにはびっくりしましたよ。

竹宮●あははは(笑)

荒俣●まんがより先に、恋愛のほうに行っちゃうのが、現代的ではあるんですけど、モチベーションの高さはやっぱり中国がすごいです。

竹宮●韓国でも結構高くて、やっぱりあの、(大学)院を出て、あるいはドクターまで行って、国に帰れば、就職の先が……。

荒俣●韓流まんが、やっぱり来そうですか。

竹宮●韓流まんがは、日本の真似事じゃない、その国の形をようやく作り始めようとしているところですよ。

荒俣●国際的なライバルが出てきたのか、まんがにも。相撲のようにならないように、やっぱり……。

竹宮●いやいや、もう、ほんとに、本気で戦わなくてはいけないんじゃないかしら?(笑)

荒俣●そうですね。ちょっと目を離せない状態になって来ていますね。

■まんが家を目指した時代
https://web.archive.org/web/20141006114613/http://...

荒俣●ところで、もう1つ、私はよく覚えているんですが、昭和30年代から日本では、まんが同好会のようなものが各地で生まれました。まんが家をめざす少年、少女がグループを作って、いわゆる同人誌活動をするわけです。出版社廻りとか、えらいまんが家のお宅訪問とか。そういう中で、まんが家志望のモチベーションは維持されたと思うんです。私自身は、妹と一緒に、横浜を中心としたまんが同人誌に加わっていました。

竹宮●はい、やりました。私なんか、東京じゃなくて、四国の徳島出身だったんですけど、そうするとまんがを描いている人というのを見つけるのが大変で。当時、私はこんな風にどんどんしゃべれるタイプじゃなくて。

荒俣●そうなんですか。

竹宮●引っ込み思案の方だったので(笑)、はい。

荒俣●あっ、そうなんですか。

竹宮●なんで今、学校の先生しているんだろうって思うくらい、しゃべれない人間だったんです。そういうわけで仲間を見つけることができなくて、仕方がないから、当時、大人の中で一番信用していた石ノ森先生(石ノ森章太郎:1938-1998)に手紙を書くんです。一読者のくせに、とても大胆だなって、今では思うんですけれども。手紙の内容は何かというと、「仲間がいなくて寂しいので、石ノ森先生には全国からいろんな、同人誌の人たちが、手紙を出していると思うので、誰か紹介してください」というようなことを書いて、出したんですよ(笑)。

荒俣●それは、大胆だな。

竹宮●はい(笑)。そんなことをして、まぁ、読んでくれるのか、どうかはわからないけど、とにかく出してみるみたいな感じで出したら、『宝島』って同人誌を作っていた人が手紙をくれまして、石ノ森先生に凄く近いファン筆頭みたいな人たちの同人誌の仲間に入れていただきました。それで、徳島から投稿していたのです。

荒俣●徳島から。そうですか。

竹宮●徳島から投稿していましたけど、仲間ができただけで、すごく嬉しかったですね。違う人の描くものを、見ることができるのはすごい収穫だったので。

荒俣●じつは、それが大きな、なんていうのかな? そう、われわれ少年少女のまんが家志望熱が、まんが発展のための原動力だったような気がします。

竹宮●当時は本当に今みたいに、すぐにつながれる状態じゃなかったから、やっぱり、こう溜めに溜めて、爆発するみたいなところがあったんだと思いますね。かえってその方が、力になったかもしれませんね。

荒俣●竹宮さんがそういう投稿を開始してから、実際にデビューするまでの間っていうのは、どのようなプロセスがあったんですか?
竹宮 私はですね、とにかくそれまで鉛筆でしか、描いていなかったんです。鉛筆でとにかくたくさん描くことと、『宝島』っていう同人誌に描くときだけはペンを入れるっていう形で、描き続けていたんです。もう学校から帰ってくると、ずっと。学校にいる間は、その話の続きを考えているんですよ(笑)。

荒俣●中国人留学生よりすごかったじゃないですか(笑)。

竹宮●妄想状態っていうか(笑)。で、帰ってきたら続きを描いて。ず〜っと、とにかく続けて描くっていう。毎日、毎日。まんがのことしか考えてなかったっていう感じですね。

荒俣●あぁ、そうですか。

竹宮●まんが関係の情報が入ってくると、すぐにそこへ出かけるという感じですね。知り合いのお姉さんがたくさん手塚(治虫)先生の本を持っているとかって聞くと、「じゃあ、ちょっと遊びに行く」と言って。遊びに行けるほど親しくないのに、まんがのことだったら、行けるんですよ。(笑)

荒俣●押しかけですね(笑)。

竹宮●押しかけて行って、まだ読んだことのない、『新選組』(手塚治虫)って本を読んだりとか。まんがを読ませてもらうだけなので、その人とは話をすることもなく一日中そこで本を読んで。

荒俣●こりゃ、すごいわ!

竹宮●そういうことであれば、知らない人の家にも行けるんですよ。近所のちょっと年上の男の子のところに行って、少年誌を読ませてもらったり、とか。

荒俣●ははぁ。(アラマタの独り言――竹宮さんの場合は、恋愛に発展しなかったですよね、念のため)

竹宮●いえね、それが、小学生のくせにお姉さんの家に押しかけて、雑誌の『美しい十代』とか読んでしまうこともあって、まずいんですよね、結構(笑)。

荒俣●ははは(笑)。あの、じゃ、すごく幅広く、大人の本も含めて、しかも積極的に読まれたんですね。貸本屋はありました?

竹宮●もちろんありました。学校のすぐそばにあったんですけど、病気の時にしか、(親が)本を借りてくれないんですよ。

荒俣●へぇー。

竹宮●だから、なんとなく立ち読みっぽくですね、そこに入り浸っていることが多くて…。

荒俣●そうですか。

竹宮●実は大学生になってから、ふらっとそこに立ち寄ったんですね。そうしたら、お店の人が、「(私のこと)覚えてる」って。「あなた、いつもここに来てたでしょ?」って(笑)。

荒俣●よっぽど真剣な顔で立ち読みしてたんでしょうね。

竹宮●じつはその町にいたのは、小学校2年生か3年生のときまでで、その後遠くに引っ越したんですね。それから、ず〜っと行ってないんです。大学の時に、また近くに引っ越したので、そこへふらっと行ってみたんですね。

荒俣●それでも、「覚えてる」っていうわけですか。

竹宮●こちらのほうがびっくりしましたけどね(笑)。

荒俣●そうやって、貸本屋が忘れられなくなるほど毎日本を読んだ結果、当然のことに、この人はすごい、と、頭ガツンとやられたような強力なインパクトのあるまんが家に、何人くらい出会いましたか? 心の師というような。

竹宮●そうですね。あの、何人かはいますね。やっぱり、石ノ森先生がそうでした。あと矢代まさこ(やしろ・まさこ1947〜 『ようこシリーズ』など)さん、楳図かずおさん。

荒俣●あっ、矢代まさこね。あぁ、みずみずしい少女まんがの描き手でしたね。

竹宮●あと、どうでしょう?あの『忍者武芸帳 影丸伝』(白土三平著 全17巻)とか、そういうのを読みました。それと、『2年ね太郎』だったかな。

荒俣●みごとに幅がひろいですね。ブラックホールみたいな吸収力だ(笑)。僕も、まんが家にあこがれたきっかけは、貸本屋まんがで、平田弘史(ひらた・ひろし:1937〜 『異色列伝』『血だるま剣法』など)っていう、武士道まんがを専門に描いている人との出会いでした。黒澤明よりエライと信じてましたから(笑)……。

竹宮●あはは(笑)。私も映画より文学よりまんがで…。

荒俣●石ノ森さん、昔は石森さんって言ったけど(1984年まで)、石ノ森さんのは、たしかにとても心くすぐられる、ファンタジー系の少女まんががすごかった。ものすごくおもしろかった。

竹宮●そうですね。なんでしょうか? どっかリリックなところがあってですね……。

荒俣●はい、はい、そうですね、えぇ。

竹宮●話もすごくなんとなく、ハッピーエンドじゃない話が多くてですね、なんか気を惹(ひ)かれるものがありました。

荒俣●なんか背景に音楽とか、映画を感じました。不思議ですが、アメリカでなく、ヨーロッパの匂いも。

竹宮●ええ、そうですね。なんででしょう?

荒俣●奥深さを感じた。えぇ。

竹宮●なんか演出家っぽい感じっていいますかね。

荒俣●その石ノ森さんのところへ、手紙を出すようになって、東京に来ないかっていう話があるまでのあいだに、何本くらい描いてたんですか?

竹宮●えぇとね、東京に来ないかっていう話は、石ノ森先生のところからではなくですね、その時に、もう『COM』とか新雑誌が始まりまして、私も投稿をし始めるようになっていたんです。それで、あの「コボタン」(編集註:新宿にできた日本最初のまんが喫茶。『COM』に広告が載っていた)とかできたじゃないですか?

荒俣●はい、できました。

竹宮●で、まんが喫茶ですね、最初の頃の。そういうところへ行ってみたいということもあって、高校の修学旅行の時に、ついに石ノ森先生のお家に押しかけました。

荒俣●修学旅行を最高に利用した高校生のナンバーワンじゃないですか。自由行動できたんですか?

竹宮●もちろん、自由行動時間に行ったんです。

荒俣●じゃ、東京の名所へは行かずに、石森さん宅へ。

竹宮●(名所へは)いっさい行かずに。東京は石ノ森先生の家だけだ、みたいな感じで。

荒俣●はぁ、確信犯ですな。

竹宮●ははは(笑)。そうですね。で、まぁ、同人誌の仲間もいるわけですから。みんなで集まって、ミーティングみたいなのをしたりして、すごく楽しい時間を過ごしました。

荒俣●まいったな。押しかけの極致ですよ。

竹宮●はい。それ以後は、なんとなく、仲間内な気持ちっていうのができて、デビューした後もですね、石ノ森先生の家に泊めていただいたりして。

荒俣●え、泊まっちゃうんですか(笑)。

竹宮●結構、デビューした後も。あの、誤解なきよう申しますが、すでに「COM」の方ではデビューしていたんですけど、一般誌の方はまだでしたので、持ち込みをしたいっていうことで、石ノ森先生の家を足場に、毎日、夜まで編集部へ通っていたりしていたんですね。今から思えば本当に図々しいですよね…(笑)

荒俣●石ノ森先生も、さぞや面食らったろうなぁ。他人と話ができなかった竹宮さんは、まんがの力で人生が変わったわけですね。

竹宮●まんがのことに関してだけは、積極的だったなぁ、と自分でも思っていますね。まんがに関してだけは……。他の仕事だったら、誰か先輩が教えてくれていたかもしれないけど、まんがは教えてくれるひとがいないっていうのがわかっていたから、頑張ったという面はあると思いますね。

荒俣●あの、まんがの描き方に関する情報っていうのは、やっぱり本から得ておられたんですか?

竹宮●そうです。もう『まんが家入門』。あの石ノ森先生の本ですね。あれだけでやってきたというか。だから、やっぱり東京に出てきて、いろんなまんが家さんの原稿見せてもらったりして、あぁ、違うところで描いている人は、違うことやっているとかですね。そういうことがよくわかりました。

荒俣●そうするとあの傾斜台とか、あの雲型定規みたいなものを…。

竹宮●そんなものを使い出すのは、もっともっと後ですね。ほんとに製図道具を買うこと自体が憧れだったので(笑)。そのかわり買うときは、大枚をはたく。

荒俣●道具ですね。道具が揃うと、なんだかまんが家になれそうな気がしたものです。

竹宮●もう平気で大枚はたくというか。一番初めの原稿料で、トーンを買いました。

荒俣●あっ、トーンがあったんだ。ものすごく高かったでしょう? 最初の頃は。

竹宮●高いですね。めちゃめちゃ高くて。その最初の原稿料が飛んで……。

荒俣●(僕も)切った後のカスを全部寄せて、また使ったりしていましたからね。

竹宮●あはは(笑)。はい。すごく大事にしていました。スクリーントーンってものを探しに画材店に行くじゃないですか。ところが、徳島なんて田舎で使う人がいないわけですよ。あれはもともとデザイナーが使っていたものなので。で、使う人がいないので、「えっ、スクリーントーンって何ですか?」って言われて。

荒俣●そう、それと羽箒(はねぼうき)を買うのも、夢でしたね。

竹宮●こういうやつね。あぁ、羽箒ね。

荒俣●だから、あの、まんが家の机にはそれがなきゃいけないみたいな、ははは(笑)。形から入るっていうか。羽箒、実は使いにくくて、実際にはほとんど使わないんですけど。なんか石ノ森先生のところの筆立に羽箒が入っていた写真があって、どうしても欲しいと思ったんです(笑)。

竹宮●そりゃ高いですよ。あんまり数がないしですね、値段もすごく高いので、「どうしよう」って思いながら、手を出すのをためらっていました。羽箒がなくても、別に手で払えばいいわけですから、実用性がないんですよ。それで、買うべきかどうか悩んでいたんですけど。ある日、その画材店が火事に遭いまして、焼け残ったのが、安く売っていて(笑)。

荒俣●それはすごい(笑)。

竹宮●で、買ったのをまだ今も持っているんですよ。

荒俣●え、何十年も前の羽箒をまだ持っているんだ(笑)。

竹宮●焼け出されたので、ちょっと焼け焦げていたりしてますよ。

荒俣●おっ、貴重ですね、それ。要らなくなったら、ください。竹宮コレクションを作りますから。

竹宮●ボロくて骨が出ているようなものなんですけど、未だにそれを大事にしているのです。あげられません!(笑)。

荒俣●ですよね、やっぱり。いずれにしましても、ここまでお話をうかがって、竹宮さんは、まんが家になるべくして生まれた人なのだなぁ、と思いました。この先、話はどんどん佳境にはいってくるでしょうから、一休みにしませんか。萩尾望都(はぎお・もと)さんや、佐藤史生(さとう・しお)さんたちのことも、たっぷりと伺いたいですし…。

竹宮●はい、そうですね。では、お茶でも。

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