5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【まんがナビ対談:荒俣宏・竹宮惠子】その3
eBookJapan「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」

荒俣宏の電子まんがナビゲーター:魚拓
https://web.archive.org/web/20140626083359/http://...

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163500...



第2回:竹宮惠子編
その3 男と女の垣根を超える巻
2010年09月17日

註:対談部分を中心に採録
全文は「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」(各見出し下のURL)にてご確認ください


■少年まんがと少女まんがの棲み分け
https://web.archive.org/web/20140712065912/http://...

(荒俣宏の解説・略)

今回は、少年まんがであるばかりか、描くのが非常にむずかしい本格SFを題材にするという、非常に困難な仕事にチャレンジした当時の、竹宮さんの格闘を中心にインタビューすることにする。語られるのは、あの『地球(テラ)へ…』だ。

■男性読者の出現
https://web.archive.org/web/20141006225407/http://...

荒俣●さぁ、いよいよ少年まんがに挑戦されたころのお話をうかがうときがきました。たいへん失礼なことをうかがいますが、竹宮さんの作品が大きな話題になった当時、愛読者は女性が多かったですか、それとも男性ですか?

竹宮●ファンの方々のことですか。私が世の中に知られるようになった当初は、いや、もう、断然、女性が多かったです。

荒俣●断然、女性ですか?

竹宮●男性はほとんどいなかったですね。その頃、少女まんが家のサイン会っていうものを夏休みにデパートでやる試みが始まっていまして、『ファラオの墓』の1巻が出た時に、サイン会をしたんですね。

荒俣●えぇ。

竹宮●それで、私のファンが2000人くらい集まっちゃったことがありまして……。ほとんどが女性でした。

荒俣●そりゃぁ、すごい。

竹宮●このファンの多さが、出版社に対してものすごい説得力になったみたいで、自分の描きたいまんがを描けるようになったんですね。

荒俣●あっ、そうですか。その圧倒的な数のファンをもってしても、初めは男性ファンは少なかった、と。でも、竹宮さんのファンて、私の記憶では、男性もかなりいたようでしたよ。

竹宮●それは、やっぱり『地球へ…』以後ですね。あの作品が事情を変えました。『風と木の詩』と『地球へ…』が終わった頃くらいから、ようやく、男性ファンが「あぁ、いるんだ」ってわかりましたね。『風と木の詩』をやっている途中にも、ファンレターの中には、ちらほらと男性からのものが混じるようにはなったんですけれど。

荒俣●それは、逆に考えると、読者のほうでも少年まんがは男性、少女まんがは女性というナチュラルな棲み分けがあったということですね。ただ、私なんかは、デビューするのは少女まんがの方が簡単だって言われていたので、小学生のころから少女まんがもずっと読んでいたのですが。

竹宮●私も少年まんがを読んでいましたけれど、でも、ふつうの読者は棲み分けていましたよ。

荒俣●さぁ、そういう業界事情の中で、女性の少女まんが家が少年まんがに挑戦するわけですが、「マンガ少年」(※1)で『地球へ…』を始められたのは、たしか『風と木の詩』を「週刊少女コミック」(※2)で連載されている最中でしたよね? 壁をぶち破るような問題作を、二本も同時に並行して連載するなんて……。あれは、何とかやれちゃったんですか?

竹宮●えぇっとですね、『風と木の詩』と『地球へ…』を同時に連載するのは、私もすごく冒険だとは思ったんですけれど、「マンガ少年」という新しい雑誌を作るっていうので、編集者が家まで来てくれまして……。『風と木の詩』を連載をしている最中なのに、それでも説得しようとするっていうことは、一体どういうことなんだろう?という風に、私も思いました。

荒俣●はい、はい。

竹宮●普通だったら、「そんな無茶なことを」ってなるんですけど、まぁ、話を聞いてみたら、その編集の方が、手塚番(※3)だったって言うんです。

荒俣●そうですか。あぁ、手塚番の編集者が。

竹宮●ふふふ(笑)。それで、そういうのって大丈夫なんだなぁ、と思いましたけれど。

荒俣●なるほどね。編集者の説得勝ちですか。それなら2つや、3つどうってことはないって、竹宮さんに思い込ませた。

竹宮●そういう風に強く(説得されました)ね。私が連載に入ることで雑誌が良くなる、といわれると、ねぇ。

荒俣●ポイントを衝(つ)いてきたわけですか

竹宮●すごく気持ちが動いたんですよね。それと同時に、もともと少年誌に描きたかったんです。(私は)少年誌をずっと見て、週刊連載の描き方を身につけてきたんです。だから、もともと、少女誌でやろうとは、実は思っていなくて。

荒俣●あぁ、そうか。男の子の家にも行っていたわけだから。少年誌志向だった。

竹宮●児童まんがみたいなものを描ければいいなぁって、思っていたんですよ。だから、キャラクターも決して、少女向きキャラクターじゃないんで、少女まんがでは仕方なく……。

荒俣●ふふふ(笑)。仕方なく描いていたなんて仰っちゃいけませんよ(笑)。

竹宮●この絵だと、少女まんがで行くしかないか、みたいな気分があったのですけれどね。そんな感じでいたものですから、ある日、少年まんが誌から依頼が来たっていうことが嬉しくて……。あの頃はやっぱり少年誌の方が、少し上の感じだったですよね。

荒俣●それはもう、なかなか敷居が高いところはありましたね。

竹宮●だから、すごく嬉しかったのです。えぇ、すごく嬉しくて、まったく初めて作る雑誌とはいってもね。しかもその本の名前が、「マンガ少年」。

荒俣●感激する名前ですよね。

竹宮●昔、手塚先生たちが頑張っていた頃に、「漫画少年」(※4)っていう本があって……。伝説の「漫画少年」ですよね。だから、それを思うと、なんかあの、名前だけでも、あやかりたい感があったんですね。それで引き受ける気になったんですよ。

※1 1976年に創刊された朝日ソノラマで月刊まんが雑誌。1981年に休刊。主な連載作品に『火の鳥』(手塚治虫)、『009海底ピラミッド編』(石ノ森章太郎)、『地球へ…』(竹宮惠子)などがある。

※2 1968年に創刊された小学館の少女まんが雑誌。『トーマの心臓』(萩尾望都)、『風と木の詩』(竹宮惠子)、『陽あたり良好!』(あだち充)、『ふしぎ遊戯』(渡瀬悠宇)など、数多くの名作が発表された。少コミの略称で知られる。

※3 各出版社の手塚治虫担当者のこと。多数の連載を持つ手塚治虫のスケジュールは非常にタイトで、常に締切りギリギリにならないと原稿が出来上がらなかった。出来上がった原稿をすぐに印刷所に回すため、各出版社は、担当者を常に張り付かせていた。

※4 1947年に創刊された学童社の月刊まんが雑誌。1955年休刊。手塚治虫、馬場のぼる、うしおそうじの連載が掲載されていた。投稿欄にはまんがを志す多くの若者の投稿が集まり、漫画界への登竜門となっていた。藤子不二雄Aの自伝的作品『まんが道』にもその影響力の大きさが描かれている。

■夢から生まれた『地球へ…』
https://web.archive.org/web/20141006231727/http://...

荒俣●それで、ご意見番の増山法恵(ますやま・のりえ:まんが原作者 1950〜)さんはどういうご意見でしたか。

竹宮●もちろん、ブレーンである増山も、少年誌でやることに賛成でした。

荒俣●やりなさいって後押ししてくれたのですね?

竹宮●はい、すごく。まぁ、夢だったから、やればいいんじゃないかっていうことで、アドバイスをもらったんです。それで、やろうかってことで。その際、増山からのちょっとしたアイデアがあったんです。「とにかく『スターウォーズ』とか、地球から出ていく話、地球から発展していく話が多いので、(地球に)帰ってくる話にしたら」っていうことを言われて、「はぁ、なるほど」みたいなことになりました。

荒俣●うまいこといいますよね、増山さんは(笑)。

竹宮●じつはですね、私はその当時、すごく変な夢を見ていて、あの、『地球へ…』にでてくる「目覚めの日」の、なんていうのか、顛末を全部、夢で見たんです。変な夢を見たなと思って、メモしたりしていたんですね、

荒俣●導入部のところの、あのエピソードですね。

竹宮●はい。その夢をそのまま(まんがに)入れちゃって、最初の部分、プロローグになるように描きました。でも、それが受けるかどうか、まったくわからない状態で。なにせ、こんなまんが見たこともないので(笑)、それに読者が乗ってくれるかどうかがわからなかったですね。とにかく冒険してみようかっていうことで、連載3回分だけを描いたんです。

荒俣●夢に見た話を描くなんて、ちょっと運命的だ。

竹宮●その後が続かなくてもいいや、みたいな感じで、とにかく3回分を描かせてもらったんです。週刊誌で『風と木の詩』の連載をやっていますから、だから描けない方がむしろいいっていうか、少年誌で1回やれたんなら、もうそれで満足だって思ったこともあります。

荒俣●それが、正直なお気持ちだったわけですね。

竹宮●はい。ところが、それがものすごい反響を呼んで、「やめてもらったら困る」みたいなことになっちゃったんですよね(笑)。

荒俣●えらいこっちゃ!

竹宮●ははは(笑)。だから、あの世界観をぜんぶ構成したのは、第2部が始まったときなんです。

荒俣●じゃぁ、導入部のところなんか、あの、「なきネズミの日」のお話とかも、夢で見たことですか。世界観が築かれていない段階での?

竹宮●なきネズミと出会うシーンとかですね。はい。

荒俣●お聞きしていると、苦労なしにできあがったみたいですが…。

竹宮●とんでもない。とても苦しんでいたんですよ。なんか、やっぱり夢って、自分のプレッシャーみたいのが、形になってくるっていうことがあるじゃないですか。

荒俣●そういうことも聞きますね。

竹宮●で、なんかこう、破って外へ出たい感じっていうのが、当時の自分の中にあったんだと思うんです。

荒俣●そういえば、そこに出てくる少年2人も同じような衝動を感じていますよね。「外」へ出たいっていう?

竹宮●はい。そういうのが夢に出てきて、私に描かせたとしか思えませんね。

荒俣●ミュータントと人間の関わりにも、苦悩がありました。私もSF周辺で仲間を作っていましたから、まさか女性の少女まんが家に、こんな本格的なSFが描けるっていうこと自体、信じ難かったです。

竹宮●そうでしょうね。やっぱり、SFの人たちもびっくりしたっていう話はよく聞きました。過去に1回もSFらしいストーリーを描いてなくて、いきなりそれが描けるんだ、みたいなことを言われました。

荒俣●竹宮さんは、なにかこう、チャンスが巡ってきたときに、溜まっていたエネルギーを爆発させるタイミングを合わせる天才ですね。「チャンスには、前髪しかない」っていう西洋のことわざ通りだ。チャンスは、来たときに掴まないと、永久に捕まえられません。

竹宮●そうですね。とにかくチャレンジャーだっていうことは、あの山本順也さんっていう「少女コミック」の編集長によく言われました。きみは一言で言うなら「チャレンジャーだ!」、って。

■ついにまんがで妊娠が描かれる
https://web.archive.org/web/20141006232023/http://...

荒俣●あの、『地球へ…』の中で、非常におもしろかったのは、人工授精がスタンダードになった未来で、自然な男女の行為によって子どもが生まれることの衝撃が描かれる部分です。手塚さんなんかも、それに近いテーマをよく描いていたけど。人工授精によって、子供たちの誕生がコントロールされる時代でも、どっか人間の要素が残っていて、自然な性行為により子どもが生まれるチャンスは存在しますよね。

竹宮●はい、ここではじめて、血を分けた親子の問題になりましたから。

荒俣●そう、肉親問題。それまでの恋愛からセックスへ、という流れの先へ飛び出ます。それで、初めて妊娠を経験する女性の物語が成立する。考えてみると、竹宮さんたちの力で解放された性の表現の、次にくるべきステップですよね。それがSFとして妊娠が描かれると、ただの肉親関係ではなく、種族保存か家族の問題か、というところまで、シリアスになってくる。これは、やられた、と思いました。少女まんがや、少年まんがでSEXの話みたいなものは登場した。でも、妊娠したヒロインなんて、少女まんがでは考えられませんでしたよ(笑)。なんか、わたし、子どもを産んでみたいな、というのは、所帯臭くなるから、みんな避けていた時代だったと思うんですけども(笑)

竹宮●そうですね。それをSFでやれたことが……。

荒俣●そこですよ。あの設定にすると、もの凄く新鮮なテーマになった。

竹宮●そうですか。あれに関してはね、「未来の親子関係がそんな風になっていくと思うの?」っていうことを、亡くなった白泉社の編集長に訊(き)かれたことが、あるんですよ。あんな親子関係、つまり、本当の親子関係が壊れて、そうじゃない親子関係が作られるみたいな、そういう時代になると思うの?って。

荒俣●竹宮さん、そのとき、どう答えたんですか。

竹宮●私は「あり得る」っていう話をしました。

荒俣●いや、ショッキングですね。

竹宮●それは、女として、“女性が子どもを作って家庭を守るものである”っていう規定を嫌うところが、どこかにあるのですよ。自分の中に。

荒俣●そうでしょうね。

竹宮●そうじゃなくて、男と同じように、女であっても、外で同じようなことをしたいって気持ちも一方に強くあって、それが両立しないのであれば、いつか、どっかで、それは壊さなければいけない事態がくるんじゃないか、ということですね。そういうことを考えていたから、あの物語になったんだと思うんですけどね。

荒俣●ちょうど、あれが描かれていた頃ですかね? ウーマン・リブ(※5)みたいな運動が…。

竹宮●はい。出てきましたよね。

荒俣●一方では、中ピ連(※6)のようなお姉さん方が…。

竹宮●はい。そういうのもありましたからね。両方の主張が実現していたら、もう絶対に、ははは(笑)、どうしようもないことになっちゃう。

荒俣●あれはものすごく現実的なテーマだったなぁって、今でも思いますよ。

竹宮●だから、その対立を超えて、子どもを作っていく。あの、種の繁栄というのを作るとしたら、これしかないって形で、作っているんですよ。

荒俣●そうか、そこまで考えてらしたのか。

竹宮●もし地球がダメになって、それを放棄するとしたら、人間を管理しながら宇宙ステーションで、どうやって暮らしていくのか? そんなことを考えました。あの2部を描くとき、考えざるを得なくなったんです。要するに、産み育てるっていうことを管理しない限り、小さな宇宙ステーションの中で1万人、2万人規模で暮らしていくのはむずかしい。もう、そうやって管理しないとダメみたいなところがあって、その意味で、私はキース寄りの考えを持っています。それを破ろうとするミュウの人たちじゃなくて、えぇ、地球を管理しているキース・アニアンの立場もすごくわかるっていうか。

荒俣●そう、あれ読んでいると、キースがとてもおもしろくなってくるんですね。

竹宮●はい、そうなんです。最初はジョミーあたりに入れ込むんですけど…、大人になってもう一度読むと、キース・アニアン寄りになるっていうことを言う人も、いっぱいいます。

※5 1960年代後半にアメリカから世界へ広がった女性解放運動。

※6 中絶禁止法に反対しピル解放を要求する女性解放連合の略。1970年代前半に活発に活動していた。

■実像は、スポーツ好きで、冒険家?
https://web.archive.org/web/20141006192706/http://...

荒俣●竹宮さん、『地球へ…』の読み方が変わるようなお話を聞かせていただき、感謝にたえません。それにしても、『風と木の詩』と『地球へ…』という二つの大名作を同時執筆しながらの生活は、どんなものだったか、想像がつきません。普通の人なら神経がもたないでしょう。精神崩壊しかねない躁鬱(そううつ)状態じゃなかったかなぁ、と思ったりしますが…。

竹宮●とにかく仕事を埋めていかないと、私は不安なんですよ、やっぱり。職業ですからね。背水の陣で東京へ出てきちゃっていますから……。暮らしていかなきゃいけないので、仕事を何月まで入れておくか、みたいな。

荒俣●あっ、なるほど。スケジュールが大切なわけですね。

竹宮●まだ新人にとっては、半年先まで仕事を埋めておけるよう心がける必要があるんです。毎日4枚っていうペースで、スケジュール表を埋めていくんですけども。

荒俣●先の見通しを常につけておくのですか。

竹宮●はい。ただし、スケジュールだけの話ですよ。もうストーリーが決まっていて、どう描くかがきっちりしているまんがで埋まっているわけじゃないのです。

荒俣●え、そうなんですか(笑)。

竹宮●だから、その予定ページ数に合わせて、話を作ることが暮らしのサイクルになりますが、その辺りを新人の頃は、まったく考慮しませんでした。

荒俣●生活のリズムを作らなかったわけですか?

竹宮●私が新人として出てきた頃は、まだ作家の数が足りなくて、割とページを埋めさせてくれたんです。何の保証もないのに、気軽に、描かせてくれる約束をしてくれました。だから、すごくありがたいことだったなぁって思います。きっちり約束をとって、厳密なスケジュールで動かなくてもよかったので…。

荒俣●今はちがいますか。

竹宮●はい、今はもう、みんなネームで見てもらって、競合する人たちと競争して、会議にかけられます。自分の作品が載るか載らないか、わからないじゃないですか。ですから、ほんとうに不安です。

荒俣●そうですか。今はなかなか厳しいですね。だとすると、気晴らしとか、遊びとか、自由な時間というのは、どうなっているんですか? たとえば、竹宮さんが新人の頃の日常生活って、どんなバランスだったんですか?

竹宮●いや、とにかく原稿を渡してしまったら、次の2日くらいは、完全に自由っていうか、寝ててもいいし、どっかへ出かけてもいい。2日ぐらいはなんとか自由にしていられましたよ。

荒俣●2日も取れましたか?

竹宮●はい。ダメでも、無理矢理取りましたね。

荒俣●あぁ、そうですか。

竹宮●やっぱり自分の好きなことをしないと、やっていられないので……。ようやく3日めくらいから、次のことを始めるみたいな。

荒俣●次のことを考えるのが、3日目から?

竹宮●週刊誌だとそんな感じですね。自由でいられる日は、ほんとに何もせずに1日中寝ていることもあれば、ときによっては妙なもので、原稿を仕上げたその日に、そのまま出かけちゃったりするんですね。なんかハイテンションになっていて、眠れない。眠るのがもったいないみたいな。そのまま、デパートへ行っちゃったり……。

荒俣●それは、ものすごく利口な、賢い暮らし方ですね。onとoffがしっかり分かれていて。

竹宮●寝ちゃったら、グダグダになっちゃいますものね。ですから、寝る前になんか、どっかへ行って遊ぼうみたいな。

荒俣●あっ、映画なんかは? 映画はどんなジャンルを観ていらしたんですか?

竹宮●映画はその時話題になったものは、観ておかないとみたいな。週刊ペースで仕事中心に暮らしていると、流行に遅れますからね。

荒俣●キャッチーなやつを。

竹宮●情報を集めておいて、話題になりそうなやつとかに行くんですよね。

荒俣●あの、(他の)まんがは読むんですか?

竹宮●週刊連載をやっていた頃、自分を固めようとしていた頃は、読むとそっち(人の作品)に引っ張られるから、読みませんでしたね。その点、少年誌ならば安心だから読む、みたいな。そういうのはありましたね。

荒俣●そりゃ、作家と同じですな。

竹宮●はい。だから、自分の作風が固まってきたら、安心して読めるようになったんですけど……。

荒俣●大泉サロンのお仲間なんかが、「私、こんなの描いたんだけど、見て」って言われて、読んでちょっと感想を言う、みたいのはなかったんですか?

竹宮●感想っていうより、やっぱり、その頃の仲間たちの作品は意識しましたよね。やっぱり萩尾(望都)さんが、話題になることが多くて…。

荒俣●あの、スポーツとか、そういうのは、おやりになりますか?

竹宮●私は、じつはスポーツ好きなので、いろいろとやりたいんです。たとえば、昔、ジャネット・リン(※7)という選手がいましたね。

荒俣●フィギュアスケートですね。

竹宮●札幌の冬季オリンピックで、彼女がすごく有名になったときに、フィギュアスケートにちょっとハマったんです。

荒俣●えっ、そうなんですか。

竹宮●フィギュアスケートっていうほどのことはできないんですけど、池袋のスケートリンクに、さんざん行きました。でも、誰も一緒に行ってくれないので、1人で行くんです。

荒俣●それは驚きました。

竹宮●無理矢理、行っちゃうんですよ。それとか、スポーツまんがに描かれていたので、ボーリングもよく行きました。それも、誰も一緒に行ってくれないんです。まんがを描く人って、(きっと)みんなスポーツ嫌いなんですよ。

荒俣●そうなんですか(笑)。

竹宮●朝、早朝ボーリングへ行って、1人で黙々と投げているみたいな。1人で技を研究していたりとか…。

荒俣●竹宮さんらしい! その研究姿勢ですね。

竹宮●そんなことをやっていまして。あるとき、フィギュアスケートのクロス(※8)でスピードを上げるのにちょっと夢中になっていて、誰かに声掛けられて、思いっきり壁面にダーッてぶつかっちゃったこともありました。結構、無茶なんですよね。

荒俣●知られざる竹宮惠子さんですね。

竹宮●それから、テニスが話題になると、テニスしてみようかって、クラブに入るんですけれど、その頃は忙しすぎて、1回行ったきり、あとは行けなくなってしまいました。

荒俣●ははは(笑)。

竹宮●クラブには入会するんですけど、忙しくて全然行けないってことで、諦めて。で、ずっと諦めていたんですけど、最終的に乗馬に行っちゃったんです。

荒俣●えっ、乗馬ですか。

竹宮●乗馬は、1993年に初めてモンゴルへ行って乗りました。

荒俣●いきなりモンゴルへ行っちゃいましたか。

竹宮●(平原を)まっすぐにダーッと走るっていうのを、やってみたくて。トラックの中でぐるぐる廻るんじゃなくて。

荒俣●大自然の中を、真っすぐに駆ける、と。

竹宮●外へ出て、行きたい方向へ行くっていうことがやってみたかったんです。

荒俣●じゃぁ、ドルジェ(元横綱・朝青龍)の故郷で、乗馬を始められた。

竹宮●あはは(笑)。はい。馬に乗るってことをした挙句、『天馬の血族』って作品を描きましたから、元は取りましたけどね(笑)。

荒俣●それは、趣味っていうより、冒険に近いなぁ、やっぱり。

竹宮●ははは(笑)。はい。向こう(モンゴル)へ行って乗馬すると、1週間完全に乗馬することだけになっちゃいます。しかも、当時は携帯なんて一切ないから、全然連絡が取れなくなるんです。それで、私は死んだと思ってね、って感じになるので、非常にうれしかったですね。

荒俣●ははは(笑)。消えることができるのですね。

竹宮●というのはですね、そんなところ(モンゴル)へ乗馬に来るような人ってのは、アウトドア派が多くて、まるっきり、まんがなんか読まない人たちばっかりでしょう。竹宮惠子って言っても、誰も知りません。噂にもなりませんから、情報も出ず、私は行方不明状態になれたんです。ほんとうに楽しかったですね。それが、私の「ちょっとリゾート」だった時期なんですよ。

荒俣●あははは(笑)。普通じゃないな、やっぱり。ちょっとね。

竹宮●はい。まだ、あのちゃんとした施設が出来てない頃でしたから、ウランバートルの街もまだまだ、ソ連色が強くて。「全然ホテルじゃないよ、こんなの」、みたいなホテルばっかりで。まぁ、1週間のうち、ほとんどを草原のゲルの中で寝泊まりするので、お風呂にも入らないし。

荒俣●さすが、我々の世代の人ですね。昭和20年代生まれは無鉄砲だから。

竹宮●もう、なんか、なんでもいいから、掘り起こしてみよう、みたいな貪欲さでした。

荒俣●今の子は、女性は違うらしいけど、男の子は海外に出たくないっていいますね。

竹宮●そうですね。いっぱい、冒険ができるのにねぇ。ほんとうに、たかが、ホテル1つ決めるのにも、(私は)絵が描けるから、シャワーじゃなくて、バスがほしい、などと、(絵で)いろいろ説明して、ホテルを渡り歩きました。

荒俣●その意味では、前回うかがった、最初のヨーロッパ旅行は凄かったですね。さすがに私も、そういう旅行はしたことありません。

竹宮●ははは(笑)。いまでもやっぱり、仲間たちとは、最初のヨーロッパ旅行が話題に上りますね。

荒俣●ネタは尽きないでしょう。女子まんが家集団の欧州旅行は快挙ですもの(笑)。

竹宮●そうですね。今でも、学生にモンゴルやヨーロッパの話をしていると、「キラキラしますね」って言われちゃいます。

荒俣●わははは(笑)。そうですか。あの、そのうちにご自身の自伝も、描いてくださいよ。

竹宮●おもしろいのか、わかりませんけど…。

荒俣●いや、今のお話をうかがっているだけで、十分におもしろいです。ほんとに、いまどきの若者を勇気づけるような冒険談の数々をお願いします。

※7 アメリカ出身の女子フィギュアスケート選手。札幌オリンピック女子シングル銅メダリスト。「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ、人気を博した。

※8 フィギュアスケートのテクニックのひとつ。

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます