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【まんがナビ対談:荒俣宏・萩尾望都】その2
eBookJapan「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」

荒俣宏の電子まんがナビゲーター:魚拓
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第14回:萩尾望都編
その2 初期の萩尾ワールドを体験するの巻
2013年03月22日

註:対談部分を中心に採録
全文は「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」(各見出し下のURL)にてご確認ください


■裸の少年がいる学校
https://web.archive.org/web/20140711183920/http://...

萩尾望都といえば、一世を風靡(ふうび)した初期の作品は、吸血鬼一族を主人公にした『ポーの一族』と、いわゆるボーイズラブの世界を取り上げた物語『トーマの心臓』である。この二作で萩尾さんが描きあげたテーマのひとつは、なんといっても、ドイツの中等教育校(ギムナジウム)を舞台に繰り広げられる少年同士の愛だ。このギムナジウムという用語も、戦後では萩尾作品をはじめとする「二十四年組」の少女漫画が再発見し、広めたものといえる。嘘だと思う人は、ウィキペディアでもなんでもチェックしてもらいたい。

(荒俣宏の解説・略)

■ハリー・ポッターもギムナジウム文化の一面

(荒俣宏の解説・略)

■日本にもあったボーイズラブの世界

(荒俣宏の解説・略)

そんな理由があって、今回のテーマは『ポーの一族』と『トーマの心臓』の底に流れる少年愛文化に関し、萩尾さんのお考えを伺うことにした。とりわけ、性の問題については、叱られるのを覚悟で食い下がってみた。でも、やっぱり萩尾先生は一枚上手だったようだ。私は自爆しただけかもしれない……。


■捨てる神あれば、拾う神あり
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荒俣■今回は、竹宮惠子さんも傑作を描いたギムナジウム=ボーイズラブ・テーマのお話を聞かせてください。萩尾さんの初期の傑作を語ることになります。で、取っ掛かりは、前回を受けて、竹宮惠子さんと一緒に生活された時期から。あれはどのぐらい続いたんですか。

萩尾■当初は1年ぐらいの予定だったんだけど、何となくずるずると2年に。竹宮さんや竹宮さんの周辺には、男同士の愛が絶対というかたが、結構おられました。でも、私の中では、あそこらへんは、あくまで、友情ものなのですよ。『寄宿舎〜悲しみの天使〜』という映画のせいで、はまったのですが、熱い友情ものと考えてました。青春の心理的なものとして。後に、また、色々考えていくのですが。  え〜〜と、すみません。ちょっと、小学館の、山本順也さんのお話をさせてください。竹宮さんは、最初、西武線の桜台に住んでおられて、小学館で連載をしていらした。『森の子トール』?だったかな?私は、大牟田で書いてて、デビューしたものの、没続きですね。  「上京の予定は無いのですか?」と竹宮先生に聞かれまして「親が“一人で暮らすのはだめだ”と反対しているのと、没ばかりなので、先が不安で」と、いいましたら、小学館の山本さんを紹介してくれると言って頂いたんです。で、お言葉に甘えて、桜台に没原稿をどさりと送りまして、そしたら竹宮先生が、それを、山本順也さんに、渡してくださったんです。原稿と一緒に、山本さんへの手紙を添えて。そのとき、自分でも必死だったものですから今でも覚えているんですけど、手紙の冒頭に編集さんへ宛てて、「早い話が私は仕事がしたいんです」って、ストレートに書いたんです。

荒俣■そうですか。思い切ったことを書きましたね。

萩尾■はい。そうしたら、実直な手紙がよかったということで、その原稿は全部買ってやるよって言われました。ホッとしました。

荒俣■あのころの編集さんはすごいな。太っ腹ですね。

萩尾■ええ、山本順也(やまもと・じゅんや 1938〜 ※2)さんですから。

荒俣■そうだったんですか。伝説の編集者ですものね。たしか里中満智子さんが「山本さんがいなかったら日本の少女漫画は十年おくれていた」って仰っていました。

萩尾■そうですね。波乱万丈な、今でいうと掟破りみたいなことをいろいろとしてくださった編集さんです。それで、小学館のほうは「少女コミック」という少女雑誌(創刊は1968年、週刊誌化が1970年)を創刊したばかりでした。当時少女漫画誌は「少女フレンド」(講談社、1962年創刊)と「マーガレット」(集英社、1963年創刊)という週刊誌、それに「りぼん」(集英社、1955年創刊)、「なかよし」(講談社、1954年創刊)の月刊誌と、それぐらいでした。しかも講談社と集英社に占められていた少女漫画世界に小学館が割り込んでいったんですね……あ、秋田書店もありましたか(「ひとみ」1958年創刊)。まあ、そういう状態だったので小学館のほうも作家が足りなかったのでしょう。とりあえず間口を広げてある程度の不備は見逃すという方針でしたから……。

荒俣■ある意味ではいい時代だったですね、編集者が原石を独断で発掘できたわけですから。編集者一人の一存で何かが動く。

萩尾■だから、あのとき山本さんにめぐり合えたのは本当にありがたかったです。

荒俣■萩尾さんはじめ、倉多江美さんとか大島弓子さんとか、山本順也さんが自由に描かせて少女漫画を一変させたわけですからね。

※2 編集者。小学館に入社し、「少女コミック」の創刊メンバーとなる。その後「別冊少女コミック」副編集長となり、当時まだ無名だった数々の少女漫画家を起用し、少女漫画に新たな風を呼び込んだ。2004年に、文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞している。


■好きなことだけ描く覚悟
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荒俣■もう一つ伺いたいのは、萩尾さんの漫画の性格づけです。そこには2つの方向があって、編集者が望むものと、編集者は望まないんだけれども本人が望むもの、というのがあったと思うんですけれども、萩尾さんはどういうふうに作品の積み重ねをなさったんですか。

萩尾■私は、講談社で没になり続けていた2年間の間にじっくり考えて、好きなものだけを描こうと決めたんですね。それで全然駄目だったら、例えば同人誌とか自費出版で出す方法があるからと思って、上京前に決めました。

荒俣■なるほど。もはや覚悟というべき心境ですね。作品的には、『トーマの心臓』のころだと思うんですけれども、あの連作長編に至るまでは仕事の主体は短編でしたでしょ。短編を描くことはお好きでしたか。

萩尾■好きですね。講談社で没になった短編がいっぱいあったので、それも小学館のほうで発表することができましたし、それからページをいただいて2カ月に1回とか描くこともできたし、そのうちに長編のアイデアが出てきました。『ポーの一族』ですね。それで小学館の山本さんに、じつは長編のアイデアがあって、全部で300ページぐらいで、吸血鬼の話なんですけど、と言いました。そうしたら、最初に300ページと聞いただけで、「あんたにはまだ早いから」と断られました。それで駄目かなと思いながらも、ただキャラクターが好きになっちゃったので、同じキャラクターで短編からいこうと思いなおし、『すきとおった銀の髪』、『ポーの村』、それから『グレンスミスの日記』といった短編、あそこら辺を小出しにしていったんです。そうしたら、編集があきれて(笑)、そんなに描きたいんだったら、もう一回話を聞くから持っておいでと言われて、それでもう一回プロットを持っていきました。こんどは山本さんも、「じゃ31枚で3回連載のシリーズでやってみよう」と約束をいただいて、それで長編を始めたんですね。  でもですね、読者アンケートはもちろん最下位を爆走しました(笑)。ですけど、『メリーベルと銀のばら』ぐらいから徐々に上がっていって、『メリーベルと銀のばら』の最終回では編集さんが言うには2位になったので、『小鳥の巣』のときに連載を1回延ばしてもらったのかな、あとはカラーが来たりしました。

荒俣■来ましたね、『小鳥の巣』(笑)。「別冊少女コミック」の1973年連載ですね。ギムナジウムつまり中等教育校の生活が出てきますね。少年たちが秘密にぶつかり、秘密に悩む舞台として完璧でした。ほら、あの学校では、少年が張り出し窓から跳びだして川に落ち、そのあと同じ日に誰かが死ぬといった奇妙な学校伝説ね。学校の怪談というのがあるとおり、ギムナジウムは少年の秘密の宝蔵ですから。それと、『ポーの一族』の構想ノートを見ると、よく指摘されるように『トーマの心臓』と重なり合う部分がありますよね。あれは、今読んでも、男には無理な世界だという感じがします。男は結局自分も含めて何かを壊すのが「物語」だと思い込んでいるんですが、少女漫画の本質は「壊す」でなく「壊れる」だと分かりました。これはそうとうに繊細なことであり、文化的ですよ。『ポーの一族』でも、だれかバンパネラが死ぬのを「消滅」と証言されるでしょ。殺される、とか破壊されるじゃなく。そういうところが、今お話を伺っていると、やっぱり描きたいことを描こうとした部分じゃないですか。編集さんがアドヴァイスするとしたら、まずそこですよ、壊れるじゃなく、壊せ、と。

萩尾■それは妥協というか、そういうことですか。でも、私はずっと両親に反対されてきたから、それでも好きだからこの世界にいきたいと思うとき、やっぱり好きなものを描かないと親に反対されてまでやった甲斐がないですよね。反対を押し切ってこの仕事を選んだ以上はね。

荒俣■でも、早いですね、その決意が。普通だと、もうちょっと長期的に考えて、一歩ずつオーダーを受けてから……という風な?

萩尾■そのころは極端な状況に陥っていたんでしょうね。もうちょっと緩かったら、妥協というか、いろいろ迷ったのかもしれないけど。たしかに「なかよし」の編集さんが、相手は小学校3年生なんだからきちんと希望を持てる正しい話を描かなきゃ駄目だって。

荒俣■普通はそう要求されますよね。

萩尾■そうですよね。でも、私には、子どものころ悪い(と言われる)ものを読んでも、おもしろかったからいいんじゃないかという考え方があるんですね。だけど、そうじゃありませんってちゃんと諭されるわけです。そうすると、自分が子どものころに読んで感動していた『鉄腕アトム』の話とか『グリム童話』とかそういった諸々の話に対する私の感性は何だったんだろう、私は間違った感性を持っていたんだろうかと、自分で納得できないわけです。それで、何度も子どものころの記憶を思い出して、あのときの感情に何か嘘があったのだろうかと思うと、やっぱり純粋に楽しい、おもしろい、怖い、恐ろしい……。例えば、ちばてつやさんの『リナ』というのを読んだとき、万引きするところを読んだ後は眠れませんでしたから、怖くて。それで、自分が信じる世界がこうと思っている以上、これを描くしかないと。それが、やり方が下手だったり、今の読者に違うと言われたりして受け入れられないときには、それはしようがないと。読者のために描くんじゃなくて、自分の信じる方向に向かって描きたい、昔私にいろんなものを読ませてくれた漫画という世界に対して描きたいと思って、そこら辺で踏ん切りをつけちゃったんです。


■「薔薇族」vs.「悲しみの天使」
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荒俣■なるほどね。それで、描きたいものの肝心の話なんですが、たとえば『ポーの一族』なんかは、吸血鬼物であることを別にすると、一族を絶滅から救う話ですよね。その場合、あれは男女で赤ちゃんをつくるという話じゃなく、少年同士でとか、男同士で子孫を増やしていく話とも取れますよね。それを可能にするのが、バンパネラは永遠に生きられるという反生物的な特質です。これって、ボーイズラブの本質かもしれません。陰間(※3)とかお稚児さん(※4)のような問題も含め少年愛というのは、特に明治の初めぐらいに帝大の大学生の間で大ブームになって、とにかく女と付き合うナンパが嫌われる原因になった。森鴎外がちゃんと書いているんだけど、当時のボーイズライフって強姦なんですね。でも、その反面、死を共有しあう純愛の部分もある。西南戦争のときなんかにそういう関係でボーイズラブを結んだ後輩と先輩が戦いに出ると、最終的に絆を確認しあうためにお互いに殺し合うわけですよ。だから、白虎隊にも通じています。

萩尾■心中しちゃうんですよね。

荒俣■ええ。萩尾さんのあとの作品をずっと読んでいくと、たとえば『残酷な神が支配する』なんか典型的だと思うんですが、変な大人に強引に犯される同性愛の展開になったりする作品に出合いますね。あるいは最後の女王が暗殺されて男だけになっちゃう世界なんかが描かれますけれども、どうも『ポーの一族』以来貫通するボーイズライフの問題が、人類レベルの未来像として萩尾さんの頭の中ではあったんではないかと思えるんですが……。

萩尾■私はね、全然知らなかったんです。ただ、なぜかはわかんないけれど、ちょうど上京したころにたまたま同性愛関係の本がたくさん出ていたんですよ。内藤ルネ(1932〜2007 ※5)さんという作家さんの表紙で、「薔薇族(※6)」とか……。

荒俣■え?「薔薇族」って、そのころですか。

萩尾■そう。あのきれいな女の子のイラストを描いた人が何をかいているんだという話題があったんですけれど、なぜかそれが少女漫画家の間で話題になっていましてね。萩尾さんも読んでみたらというので読ませてもらったんですよ。そうしたら、内容は本当にホモの話で、私は引いたんですよ。ところが、周りではずっとフィーバーが続いていて……。

荒俣■もしお差し支えなければ、フィーバーが続いていたときに一番熱を入れて読んでいた方はどなたなんですか。

萩尾■当時はね、竹宮惠子さんのスタッフで、増山さんという方でした。この方が非常にこだわりを持って。本人に言わせたら、彼女は子どもが好きだと言っていたから、ショタコン(※7)というか、今で思えばそっちの方かもしれないけど、私は区別がつかないもんですから、男同士の話を増山さんと竹宮さんと、あと佐藤史生(さとう・しお 1952〜2010)さん、あともうちょっと後になると、伊東愛子(いとうあいこ)さんが加わるんです。

荒俣■そうでしたか。いま映画にもなっている将軍が女になる話「大奥(※8)」なんかは、ごく平然と読まれていますが、おおっぴらに女性が読めていたんですか、「薔薇族」なども?

萩尾■多分、隠して読もうと、おおっぴらだろうと、時代的にちゃんと出てきたんじゃないかなと思いますね。というのは、うちのアシスタントで、現マネージャー城なんですけど、彼女も同人誌時代からそういうのを描いていたと言うから。なぜかはわかんないんだけど、雰囲気的に1970年代は結構周りの人が好きだった。
それで、私がなぜそこにはまっちゃったかというと、『悲しみの天使』(フランス、1964)という映画だったんですけど、それを観にいったら、美少年で、非常にかわいらしい男の子同士が寄宿舎の中で恋愛をして、片方が死んじゃって、一方が後悔するというお話でした。それがとても美しかったんです。それまで「これを読んだら」と言っていた人なんかの薦めてくれた読み物とは大きくちがって、私の頭の中では全く別のきれいな世界だったんです。

荒俣■ヨーロッパでいうと、まさに男子寄宿舎のギムナジウムにつながるわけですね。

萩尾■私は、すごくヘッセ(1877〜1962 ※9)が好きだったんです。ヘッセの世界に近い、痛々しくて、透明で、思い入れが強くて、そういう肉欲というよりは精神性の高い、そっちのほうの世界に魅力を感じたんですね。それで、自分で物語をつくるときに、試しに男の子同士で考えてみたら、不思議なことにすごくおもしろかったんです。不思議なことにというのは、『11月のギムナジウム』を考えたときに、最初は女の子同士で、ケストナーの『ふたりのロッテ』みたいに引き離された女の子同士が学校で出会ってという設定で考えてみたんですけど、同時に男の子同士でネーム起こしをしてみたんです。そうしたらね、おてんばな女の子というのは何かするたんびに言いわけをしなきゃいけない。だから、非難されなきゃいけない、大声出したり、ちょっと木登りしたりするだけで。ところが、男の子は平気なんですね、何をしても、すごく自由で。私は、自分が女だからって不自由をしたことは一回もなかったのに、自分で自分にこんなに規制をかけていたのかと思ってしまって、それで男の子が出てくる話を描くのがすごくおもしろくなった。

荒俣■そうでしたか。これは興味深いお話しを伺いました。女の子は言い訳が要るけれど、男の子なら言い訳なぞ要らないっていうお話は、ちょっとおもしろいです。

萩尾■話が随分飛びますけど、一昨年ぐらいにある大学の生徒さんたちと会ったときに、女の生徒さんも来て、男の生徒さんも来て、どんな本を読んでいるって聞いたら、男性がそろってボーイズラブを読んでいるって。でも、あなたたちは男の人でしょうとと訊いたら、そうだけど、恋愛とは何かを知るためにはボーイズラブを読むのが一番いいと言うんですね。  それは物すごくよくわかる。というのはね、時々めちゃくちゃ恋愛ものにはまりたいときがあるんですよ。そういうときに何を読むかというね、本当にベタなハーレクイン・ロマンスか、ボーイズラブを読むんですよ。ハーレクイン・ロマンスは割とパターン的なんですけど、それはそれでおもしろい。それから、ボーイズラブは何がおもしろいかというと、やっぱり両方とも対等で、本音を出して恋愛しているもんですから、女だったらこうは言わないのに、男だったらここで格好つけなきゃとかそういうところが余りないんですね。そこがすごく読みやすい。

荒俣■女の子のレズビアンラブの場合、最終形態で、お互いに突き合って死ぬようなことになり得るんですか。

萩尾■済みません、レズビアンのほうは突き詰めていないですね。まだ女学校時代までしか突き詰めていないです(笑)。

荒俣■でも、AKB48なんかを見ていると、嵐とかTOKIOのつながり方と違いますね。いつもなんだか確認し合っているみたいなところがある。嵐なんかを見ているとそうなんですが、ふだんはさらっとしていて、抱き合ったりはしないじゃないですか。

萩尾■そうですね。でも、ガールズラブの一番いいのは、池田理代子先生が『ゆれる早春』なんかで描いていますけど、キスまではするけど、その後すてきな男性が現れてそっちへ行っちゃうという……(笑)。

荒俣■その手がありましたか、なるほど。男って割とそういう感じにもなれませんね。

萩尾■よく年上のお姉さんが、今度お見合いするのという女の子に、私が教えて差し上げるわ、キスはこうするのよと言って指導する、ここまではなかなか美しいんですよ。男の子では余りないでしょ。

荒俣■ないですね(笑)。

萩尾■今度僕はお見合いをするんだ、じゃあ、おじさんが教えてあげよう、と言ってキスをする、それはスキャンダルでしょ。

荒俣■ハハハハ。そうか、女の子の場合は、ガールズラブがある種の指南役になっちゃうんだな、師匠と弟子の関係になれるんですね。体験のあるほうが師匠になる。それはおもしろいですね。

萩尾■そうそう。どうしてかというと、女の子は、触れられても、精神的な部分のほうが上にまだいっちゃうから、学習でいいんです。男の子の場合は、肉体のほうが上にいっちゃうから、いきなり……。

荒俣■理知とかそういうのがいかに弱いかということを、認めざるを得なくなる。

萩尾■おじさんに指導されてキスされたら、そのおじさんのほうを好きになっちゃうかもしれない(笑)。

※3 江戸時代に茶屋などで男性相手に売春を行なっていた男娼を指す言葉。

※4 寺社に預かられていた少年僧=稚児が、男色の対象とされていたことから、男色の対象となる少年を指す言葉として使われる。

※5 19歳の時に中原淳一に呼ばれ上京。イラストレーターとして「それいゆ」「ひまわり」の挿絵を描くようになる。その後、様々なキャラクター文具、雑貨のデザインが話題となる。雑誌「薔薇族」の表紙を長年にわたって描いていた。

※6 1971年に伊藤文學によって創刊された男性向けゲイ雑誌。

※7 少年に対する性愛や愛情を抱く性向を指す言葉。語源は諸説あるが、TVアニメ『鉄人28号』の主人公、金田正太郎が由来だといわれている。

※8 よしながふみ原作の漫画。流行病のため男性人口が少なくなった権力機構が女性へと移行した江戸城の大奥を舞台に、人間模様が描かれる。

※9 ヘルマン・ヘッセ。ドイツの詩人・作家。神学校から脱落してしまった少年を書いた『車輪の下』や、『デミアン』『荒野のおおかみ』『知と愛』『ガラス玉演戯』などが有名。


■集まると悪くなるバッタ
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荒俣■その意味でいうと、孤独がいいんですね、男は、基本的に。いまの萩尾さんのお話でいきなり思い出したんですが、昆虫でサバクトビバッタ(※10)っているじゃないですか。エジプトあたりにいる昔から有名な畑荒らしの集団バッタで、そのバッタは聖書でも悪魔の群れと言われているんですけれども。このバッタ、ふだんは大人しいんですが、あるとき姿が全部真っ黒に変わっちゃって、それが大集団になって空を飛んで、畑を荒らしちゃうんです。

萩尾■イナゴ?

荒俣■日本ではイナゴと言われていますね。エジプトのはバッタらしいんですよ。日本語だと飛蝗(ひこう/ばった)と書きます。あれは昔から有名で、悪魔のイメージにもなっている。

萩尾■畑の作物を全部食べ尽くされたら困りますもんね。

荒俣■ええ。ただ、あの昆虫はおもしろくて、あるきっかけで真っ黒になり、集団をつくって物すごく荒っぽくなるらしいんです。最近実験所で研究した日本人の学者が本を書いていますけど、ふだん孤独相という、1匹でぽつんといるときだと、緑色のきれいなバッタで、大人しいんですよ。草か何かを囓っているんですけど、だんだん生活密度が高くなってお互いに接触するようになると、ちょっと触れたことで、ホルモンの関係か何かで環境が変わったと判断するらしくて、いきなり姿が変わって真っ黒になって、みんなで集まって群生相に変わる。

萩尾■変身するように変わっちゃうんですか。

荒俣■ええ。姿が変わって、それで羽根がこんなになって、みんなで飛んで作物を食い荒らすんです。

萩尾■満員電車の中で全員バッタになると嫌だなと…。

荒俣■え、それすごい発想ですね。漫画にしてくださいよ(笑)。電車に閉じ込められた男が、いきなり真っ黒になって暴徒化するって、ホラーですよ。そのバッタの話を知って、男だけじゃないけど、若者が集まると暴徒化するのと同じじゃないかと思いました。ちょっと群れで接触すると、それが集団の圧力になって、大喧嘩になる。そこに、ボーイズラブのようなことが生物学的な根拠を持つかどうか……持ちませんよね、まさか(笑)。

萩尾■集団の力学についてはまだ研究されていないと思うの、不思議なことがいっぱいあって……。

※10 有史以来、時折大発生しては、農業に壊滅的な被害を与え続けているバッタ。アフリカ、中東、アジアに広く生息している。


■女は集団化してミツバチになる?

荒俣■接触というのはそんなに恐ろしいことだとは思わなかったけれど、男はたしかに触れるとあぶない。でも、ガールズラブってやたらに接触しあいますよね、こう腕組んだりしてね。

萩尾■そうそう。

荒俣■あれは大丈夫なんですかね、いきなり集団になって、真っ黒に変わったりしませんか?

萩尾■ガールズラブの場合は大丈夫でしょう。あれは学習の段階だから全然大丈夫。

荒俣■そうか、学習の段階なんですね。

萩尾■そうそう、あれでぽっぽしたりはしないから(笑)。

荒俣■学習したあとは男をみつけて、みんな分散しちゃう。

萩尾■うん。だから、お姉さんが、後輩をかわいがったりするわけ。

荒俣■女子校の関係ってそうなんですね。先輩というのはある種先生に近いんですね。

萩尾■そうそう。バッタは男だけど、女性の場合にはミツバチに近いですね。女王バチが1匹いて、ほかに何万匹もいるわけでしょ、働きバチが。みんなしっかり統率されていて……。

荒俣■ミツバチの働き手はみんなメスですからね。なるほど、そうすると、群れの中に一つの統率がなきゃいけないので、言語が発達するわけですね。ハチの言語は、多分ああいう集団だから言語が発達する必要がある。サバクトビバッタは、集まるのはフェロモンですから、言葉じゃない。体に直接効いちゃうから、文化にまで昇華しないか。

萩尾■じゃ、やっぱりハチの踊りは言語なんですか。

荒俣■言語ですよ、あれは。かちかちかちってやる音楽もみんな言語で、つまりコミュニケーション。だから、芸能の発生ってそれに近いような感じがします、特に音楽とか。

萩尾■私は、アリがしゃべることを見たことがあるんですよ。

荒俣■ひえー、ほんとですか。

萩尾■ええ。うちにアリがたくさん出たので、困ってるんです。あるとき庭をアリが一列に並んで食べものとかはこんでいるんですね。それでね、アリコロリを買ってきてね、これを巣に持っていってもらおうと思ったんですよ。それで、アリの通る道にちょっと置いたんですね。持っていってくれるかなと見ていたらね、避けて通るんですよ。学習しているのかわかんないけど、避けていくのね。これは美味しいんだよって、少し平たくしたり、目の前に置いたりしながら観察していたらね、こちらから来た若いアリが1匹それを見つけてね、自分の体の倍ぐらいあるのを、いいものを見つけたという感じで運び始めたんですよ。で、巣までちゃんと持っていくかなと思って見ていたら、途中で別のお兄さんアリか何かに出会って、それでこっつんこしたらね、そのお兄さんアリが怒り始めたんですよ。どんな風にして怒るかというと、髪を振り乱して(笑)、前足をばたばたさせてね。

荒俣■そうなんですか、初めて聞いた(笑)。

萩尾■本当に? 何か怒鳴っているような感じですよ。そうしたらね、その若いアリはアリコロリを捨ててね、お兄さんアリについていったんです。説得されたのね。

荒俣■説得されたんですね。

萩尾■これは持ってきちゃ駄目だよって。

荒俣■しかし、すごい観察をやっていますね。

萩尾■だって、せっかく(アリコロリを)買ったのでね、効果があるかなと思ってね。

荒俣■そうですか。ちょっとおどろきましたよ。萩尾作品のすごさの裏が見えた感じです。(笑)。そういえば、萩尾さんがはからずも仰った女王バチと働きバチの世界って、オスを必要としない女性だけの世界ですね。生殖的にもオスは要らない。『マージナル』という女性がいなくなった、産む性が存在しなくなった世界を描いた傑作を、萩尾さんはおかきになっていますが、あの作品でも「女性のふりをした疑似的な男」がたしかでてきましたよね。生殖はできないけれど、どうも女性という形式は地球に必要らしいという深い洞察が盛り込まれていますが、それはちょうど、働き蜂の役割かもしれません。子を産まないメス、しかし社会を安定に導いている役割。働き者なんですよ。その点、ハチのオスってほとんど意味がないんですね。そもそも、存在すれば巣の外へ追い出されますし、絶対に働かない。唯一の仕事は交尾ですが、1回交尾するとショックで死んじゃうし。でも、女王バチが死んじゃっていなくなると、働きバチがいきなり子供を産み始めるんですね。つまり、無性生殖というか、オスがいなくてもばんばんできちゃって、そうするとおもしろいんですけど、無性生殖で産むとオスになるらしい。

萩尾■ダニと一緒ですね(笑)。

荒俣■ほんとに! しかも、オスがばんばん増えていくと、働きバチが一生懸命出産のほうに熱中するので餌をとらず、蜜も集めなくなる。巣の中はだれも働かない世界になって、やがて巣が崩壊。二、三カ月でそのソサエティは滅びますね。萩尾さんの『Marginal マージナル』を、つい思い出してしまいます。オスだけじゃ、すぐに滅亡だ。

萩尾■生まれたオスというのは、ご飯を食べ尽くしたらそれでおしまい?

荒俣■はい。それで、これがどんどん増えるわけですよ。

萩尾■その前にちゃんと巣別れしないといけないんですね。

荒俣■まさにそうなんですよ。だから、巣別れというのが実に重要なシステムなんです。SFで言えば別の星に行ったり、何かして、分かれていくということが大変重要なわけですね。

萩尾■何かのきっかけでそれができなかったりするんでしょうね。

荒俣■そうでしょうね、恐らく。

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