5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【まんがナビ対談:荒俣宏・萩尾望都】その3
eBookJapan「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」

荒俣宏の電子まんがナビゲーター:魚拓
https://web.archive.org/web/20140626083359/http://...

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163500...



第14回:萩尾望都編
その3 コミックとしての日本SFの巻
2013年04月30日

註:対談部分を中心に採録
全文は「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」(各見出し下のURL)にてご確認ください


■「11人いる!」の衝撃
https://web.archive.org/web/20130517214038/http://...

(荒俣宏の解説・略)

『ポーの一族』はひょっとすると少女漫画だったかもしれないが、『11人いる!』はあきらかにその枠を越えていた。萩尾さんが1976年に小学館漫画賞を受賞されたとき、その対象作品は『ポーの一族』と『11人いる!』だったこと、またその後にSF小説への授賞を主にしていた星雲賞(※1)に何度も輝いていることから、萩尾さんのSF作品はもはやコミックの域も越えたといってよい。

(荒俣宏の解説・略)

※1 1980年に創設された、日本で発表されたSF作品に与えられる賞。SF大会参加者による投票で決まる。


■え?「座敷わらし」ですって?

荒俣■今回は、SF作品といういちばん実りの多い萩尾ワールドを紹介いたします。よろしくお願いします。

萩尾■やっぱりSFの話もしないといけないんですね。

荒俣■はい、ぜひお願いします。『11人いる!』って私が一番大好きなSF作品なんです。今でこそ知的なシミュレーションドラマ、たとえばテレビの「LIAR GAME(※2)」だとか、知的トリックを使う話が氾濫していますが、そんな現在でも大傑作だと思うんです。それから、脚本家の宮藤官九郎がテレビで同じ設定のドラマをつくりましたよね。ただ、11人目が幽霊になっていて、広末涼子かがそれを演じました。タイトルが『11人もいる!』という(笑)。

萩尾■密室空間か何かの?

荒俣■ええ。密室空間なんですけど、狭いアパートだか、貸し家で、お父さんが売れないカメラマンでしてね、昔死んじゃった先妻が押し入れに住んでいて、人数が1人多いんですよ。萩尾さんの『11人いる!』という作品は、そういう意味でも一つのひな形をつくった。この設定がいかにおもしろかったかという証拠です。

萩尾■でもですね、これは宮沢賢治の『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』という短編から来ているんですよ。

荒俣■え? 宮沢賢治なんですか、ほんとに!しかも、座敷童子(わらし)!?

萩尾■そうです。 オバケなんですね、ヒントは(笑)。

荒俣■そうだったんですか。たしかに座敷童子は数が1人多くなる。なるほどねぇ。

萩尾■10人で遊んでいたら、いつの間にか1人増えるというすごく簡単な童話なんです。でも、読んだときに物すごくゾッとしちゃって、いるはずないじゃないかと思ってね。これでSFの密室ばなしが何かつくれそうだなという想いが、ずっとあったの。

※2 斐谷忍による漫画。参加者が“ゲーム”を通じて金銭を奪い合う。心理戦の描写に定評がある。ドラマ化、映画化もされた。


■1960-70年代SFの世界観を受け継ぐ
https://web.archive.org/web/20141006150522/http://...

荒俣■いや、驚きました。『11人いる!』の発端はオバケでしたか。しかも、相当温めていたネタなんだ。

萩尾■そうそう。

荒俣■それを宇宙の密室に変えて、あんなすごい話になったんですか。

萩尾■やっぱり60年代、70年代にあったSFの世界観みたいなものをちょっと受け継いでいるみたいね、あのときは。

荒俣■それは、いろんなところの惑星の人たちが出てくる宇宙共同体といったような、あるいは『スタートレック(※3)』的な?

萩尾■銀河系ですけどね、宇宙が新たなフロンティアだったでしょ。

荒俣■でも、萩尾さんの作品こそが、日本SFにとっても一つのエポックになっていると思いますよ。宇宙観を出したのは、むしろ萩尾さんのほうじゃないかと。たしかに小松左京(こまつ・さきょう 1931〜2011 ※4)さんや光瀬龍(みつせ・りゅう1929〜1999 ※5)さんの壮大な宇宙叙事詩はあったけれども。その辺、SF作家が書くとどうも、バックでグスターヴ・ホルスト(1874〜1934 ※6)の『惑星』あたりが響いてくるような大仰になるんだけれども、コミックというスタイルが改革を呼んだのかもしれないんですよ。目で見て、感覚でわかるというところがね。当時、スペースオペラの翻訳をされていた野田昌宏(のだ・まさひろ 1933〜2008 ※7)さんが「SFは絵だねぇ」と名文句を吐かれましたし…。

萩尾■そうです。それは手塚先生とか石ノ森先生がいち早くなさったことですね。漫画でSFを描くことは、手塚、石ノ森両先生からわたしも学んだ部分ですね。

荒俣■そこなんですが、私みたいな素人眼には、SFを描くというのは、文章もさることながら、絵で表すと言うのはさらに厳しい才能が必要だったんじゃありませんか? ロケットにしても、科学知識やセンスがないと、それこそ“まんが”になってしまいますから。漫画家が行う選択としては非常に不利なところがあると思うのは、どうしてもメカニックな世界を想定するので、理屈を描かなきゃならない。それでもなお萩尾さんが本当に傑作を描き上げた。絵を描くときあるいは漫画の画面を構成するときって、いつも萩尾さんは何をお考えになっているんですか。

萩尾■わりと簡単です。エピソードを考えているときに一緒に絵が浮かぶの(笑)。

荒俣■浮かぶんですか(笑)。

萩尾■はい。心に浮かんだその絵がいいと、どんどんエピソードも浮かんできます。

荒俣■じゃ、絵と文章が連動しているということですか。

萩尾■はい、連動もしている。あるいは、一つの言葉からどんどんイメージが浮かぶときもある。言葉の向こう側には絵がいつもあるんですよ。

荒俣■へぇー、一種の特殊能力者ですね。

萩尾■そういうわけではないけれど(笑)

荒俣■宇宙服とか、ロケットとか、未来都市とかも?

萩尾■心のどこかから浮かんできます。資料なんかよりも、思いついた言葉ですね、絵を浮かびあがらせるのは。

※3 アメリカのSFテレビドラマ。1966年のテレビ放映開始以来、映画やアニメなど様々な形でシリーズ展開され、世界各国に熱心なファンがいることでも知られる。

※4 SF作家。日本SF作家倶楽部の創設に参加するなどし、日本におけるSFの素地を作り、また牽引し続けた。代表作に『日本沈没』『さよならジュピター』など。

※5 SF作家。代表作は神話的戦いを描いた『百億の昼と千億の夜』、『たそがれに還る』など。

※6 イギリスの作曲家。組曲『惑星』、とりわけ「木星」が有名。

※7 小説家、翻訳家テレビディレクター、プロデューサー。テレビマンとして『ひらけ!ポンキッキ』、『料理の鉄人』などを手がけるかたわら、『キャプテン・フューチャー』をはじめ、多くのSF作品を翻訳した。


■心に浮かんでくる言葉=イメージ
https://web.archive.org/web/20141006145647/http://...

荒俣■そういえば、前々から気づいていたことなんですが、萩尾さんの作品の中で使われる科白やナレーションが、いつもどきっとするような、ある意味では詩的な用語というのをたくさん出すじゃないですか。イメージなんだけれどもイメージしにくいようなもの、たとえば音楽がテーマとなる場合があって、『銀の三角』というSF作品は典型だと思うんです。が、あの作品でも最後に「(時空の)結晶を壊すような音」というのが非常に印象に残ります。萩尾さんの中にはしばしば音楽と言葉の関係を連想させるような名フレーズがでてきますけど、僕が一番記憶に残っていて、いつか使いたいなと思っているのが、こんなフレーズなんです。「言葉というのは埋もれた音楽であって、一種の音の化石のような存在である……、どっちかを解凍すると言葉になり、音楽になるというような……」

萩尾■何で書いたんだろうな。

荒俣■『銀の三角』だったはずですが、こういうフレーズはそのまま絵になってますよね。 言葉と音楽なんていかにもファンタジーを描くときに取り上げられそうなテーマではあるんですけれども、例えば非常に抽象的な概念を表す言葉を考えついたときに、それにふさわしいイメージも出てくるんですか。抽象的な言葉であっても?

萩尾■いい言葉だといいイメージが出てきますね。

荒俣■やっぱり出てくるんですか。

萩尾■はい。それは、自分でぽっと思いついた言葉もあるけど、詩なんかを読んでいて、あとは文章を読んでいて、例えばだれの文章かは忘れたけど、はるかな国の花や小鳥というフレーズがあったんですね。これは非常にきれいな言葉なので『ポーの一族』の短編のタイトルにして「はるかな国の花や小鳥」を使ったんだけど、すごく乙女チックな少女世界のイメージがすぐに見えてきました。

荒俣■それって、ある意味での共感覚者ですよ。アッという音を聞くとチョコレートの味がするとか(笑)。

萩尾■そうかな(笑)。


■心臓と二つの杞憂

荒俣■SFじゃないですが、たとえば『トーマの心臓』。この心臓という言葉が出てくるじゃないですか。あれを最初に見たときに、やっぱりショッキングで、この心臓という言葉と物語のイメージがどう結び付くのかなと大変関心を持ったんです。あの心臓のイメージというのは、描いているときにはどうだったんですか?

萩尾■えーとですね、ほら、ハートってあるじゃないですか。

荒俣■ハート? トランプのマークのような?

萩尾■あれが心臓のマークでしょ。

荒俣■そうですね、心臓のマークですね。

萩尾■だから、描いているときは、別に臓の字が難しいぐらいしか思わなくて……。

荒俣■じゃ、どきどきと脈打っているような生な心臓ではなく、ハートの……。

萩尾■だから、トーマの心でもよかったんだけど、それだと微妙にべたっとしませんか。

荒俣■なるほどね。トーマの心だとショッキングではないですからね。

萩尾■うん。だから、臓までつけちゃえって(笑)。

荒俣■なるほどね。それは萩尾さんらしいですね。じゃ、イメージとしては赤いハートマークがあるわけですね。

萩尾■右心室、左心室があって、血管があってというイメージよりはハートマーク。

荒俣■なるほど。そこから絵が浮かんでくるのですか。でも、あれもショッキングな作品でしたよ。いきなり遺書だし…。

萩尾■でも、心臓というのは、受精卵が、まだ形というか、人間の形をとらない前に最初に動き始めて、ずっと動いているんですよね。

荒俣■あのポンプはずっと動いています。一番根性のある臓器で、あれがとまっちゃ終わりです、ほんとうに。

萩尾■私は、学生のころ恐怖に思ったことが2つあって、1つには心臓って本当にちゃんと動いていてくれるんだろうかと。まぶたとか手足みたいに自分で意思を持って、不随筋だから意思なんかないんですけど、黙々と動いているけど、本当に動き続けるんだろうかと。翌朝目覚めたら止まっていたらって…、もちろん、止まっていたら目覚めないんだけれど、止まっていたらどうしようとかってすごく考えた時期があったんですよ。  あと1つはね、空気はいっぱいここにあるけど、本当に空気がいつまでもあってくれるのだろうかと。あるとき急に地球の空気がすっとどっかに行っちゃったらどうしようと。

荒俣■すごいな、そんなことまで心配していた?

萩尾■一種妄想のたぐいですけど……。

荒俣■確かに心臓って人体に寄生した別生命体みたいなところがあります。勝手に動いているから。

萩尾■そうそう。つまり、私は大丈夫、どんなことがあっても生きていけるわといいながら、空気がなくなったらどうするのとか、心臓が止まったらどうするのとかね。

荒俣■でも、心臓というのは象徴的でしたね、ある意味ではキリスト教のシンボルにもつながるし。ブロークン・ハートとか恋心イメージは、ハートは二つに割れたり、矢が刺さったりでしょ。

萩尾■そうですね。そうなると、イメージをつかえば絵文字として伝わる。

荒俣■逆に言うと、イメージが浮かんでくるような非文章的な小説が書ける可能性があるということかもしれませんね。

萩尾■書いていただけたらうれしいな。

荒俣■去年だったかな、書評を頼まれて、どれでもいいから好きな話を書評してくれって、3・11なんかの絡みで読めるというところもあったんですが、絵が浮かんでくるからおもしろい話として、萩尾さんがお書きになった短編、奈良の薬師寺か何かの仏像を追っかけていく話があったじゃないですか。

萩尾■『守人達』だったかな。

荒俣■そうそう。十二神将なんかがでてくる。あれを読んだときに、終わるまで終始イメージが湧いてくるんですよ、映画みたいに。そのとき書いたのは400字ぐらいでしたけど、これは考えないで読めますよと。なぜなら、読んでいる間、話が全部絵のように浮かんできますから、そんな感じがしました。萩尾さんの書かれたあの小説は、70年代ぐらいですか。

萩尾■そう、70年代ぐらい。でも、逆に言えば小説家の人はどうなんでしょう。小説家の人は文章を知っている量が違うと思うけれど、絵のイメージが小説を書きながら浮かぶのかしら。

荒俣■やっぱり2通りだと思いますね。浮かぶ人もいるんだろうけど、浮かぶほうが多そうですね。我々はどっちかというと論理とか何かが破綻していないかとかというようなことばっかり考えてしまう。

萩尾■イメージに引っ張られると逆に破綻する可能性がある。だからやっぱりボーイズラブなんですね。思い余ると心中までいっちゃうから、やっぱり理知でどっかで抑えないといけないという…。

荒俣■絵と言葉って、自然な関係がいちばんコミュニケーションできるんですね。


■単体の人造人間から合一の意識共同体へ
https://web.archive.org/web/20141006122745/http://...

萩尾■すこし話が変わりますけれども、私は、なぜか若いころから人造人間にすごく興味があったんですよ。アトムなんかを読んだせいなのかもしれないけど、新しい生命体を生み出すということに。

荒俣■人造人間のどういう点に関心があるんですか。

萩尾■理想的な人間をつくれるんじゃないかというところです。天馬博士が交通事故で死んだ息子の代用として、アトムをつくりますね。最初、若いころに考えたときは、死んだ娘のかわりに理想的な娘をつくるとか、そういうベタなパターンだったんですけど。

荒俣■その意味では、『鉄腕アトム』は全くベタな人造人間ですよね。

萩尾■はい。それをつくるのと、永遠の生命をつくるのとが、私のなかではどうもシンクロしているらしくて、ずっと後で『バルバラ異界』というSFを描いたころにそれに気がついたの、自分でね。

荒俣■『バルバラ異界』ですか! あれ、日本SF大賞(※8)に輝いた長編ですね。もはや心に神でも降りてこないとかけない作品ですよ。あれと、「S-Fマガジン」に載せた『銀の三角』は、これから買ってくれて読む読者のことを考えると、ぜひ作者からの一言が欲しくなります。

萩尾■テーマは永遠の生命です。永遠とは、互いに殺し合わないこと。他者がいなくなれば、一人だけになればいいわけですよね。これがある意味で完璧な人造人間です。ストーリー話としては、夢の世界をあつかった作品です。他人の夢の中を自由に出入りできる「夢先ガイド」がいて、彼のところに不思議な依頼がきます。7年間眠りつづけている少女の夢の中にはいってくれないか、というんです。少女が見る夢の世界「バルバラ」では、ヒトは空が飛べる、永遠に生きることができて。ところが、この少女の世界を創ったのが、夢先ガイドの息子だということがあきらかになるんです。

荒俣■ストーリーは、読者に楽しんでいただくとしても、これはそうとうにもつれあった世界の物語ですね。この『バルバラ異界』、すでに触れた、だれもが腰を抜かしてすごいと叫んだ『残酷な神が支配する』の後に出た作品ですよね。

萩尾■そうです。わたしはSFを描くと、こんどは現実の話にスイッチしてバランスをとるようなことが、よくあります。

荒俣■ということは、萩尾さんの作品としてはSFの理知に戻ったともいえる。でも、いま考えますと『バルバラ異界』は『残酷な神が支配する』よりもすごいんじゃないですか、内容の深さが。バルバラは以前から考えていらしたストーリーなんですか。

萩尾■すごく変な話ですけど、『残酷な神が支配する』をかいた後に、日本を舞台にして家族の話がかけるようになったんですね。それまでにも二、三作かいていたけど、特別なときにしかかけなかったんです。ところが『残酷な神が支配する』で親子問題の話をかいちゃった後に、親も人間なんだなと気づきました。

荒俣■『残酷な神が支配する』は、本当に鴎外の「ヰタ・セクスアリス」だなと思いましたね。強姦ですよね、ほとんど。

萩尾■そうですね。それで、こんどはお父さんと息子の話にしようと思いました。最初は、夢先ガイドのお父さんが異世界に行って死んだ息子を見つける話にしようというのが漫然とした筋で、単行本1冊ぐらいという感じで始めたんですけど、1回目をかいた途端に話を全部つくりかえたくなっちゃって、キリヤ君という息子を登場させたんですね。だから、2回目から最初に思ったのと全く別の思惑になってしまいまして、それでキリヤ君とお父さんの話が現在の世界で進んでいって、眠り続ける少女「青羽ちゃん」の夢の中でもお父さんと本当の息子さんとの話が進んでいっている。そういうのが途中でいろいろとあると。いろいろあるというのは、ネタばれになるから。

荒俣■そうですね。ネタばれになるから詳しくは言えませんけれども、一番おもしろいところは、萩尾さん独特の存続と生殖の問題がつながってくるんですけれども、物すごいのは一種の「食い合い」ですよね。相手を食べて一つになっちゃう。

萩尾■そうです。 それで、夢の中に入っている青羽さんが言うのは、要するに一つというか共同意識体になれば何の苦しみもないんだということです。でも、一応ストーリーの中ではそう言わせているけど、それって物すごく孤独な世界じゃないかと思うんですね、相手がいないわけですから。

荒俣■そうですね。全部一人称になっちゃうから。

萩尾■そうなんです。私だけがいて、私が眠って、私が起きて、私が私のことを考えていると。だから、こいつはまずいなと実際には思っていて、本当はそういう世界が続かないほうがいいなと望むわけです。

荒俣■あれは、最終的にはみんな意識が一個になっちゃう世界というのを想定した話ですね。掲載されたのは「S-Fマガジン」のような小説誌でしたっけ?

萩尾■あれは「プチフラワー」です。

荒俣■そうでしたか。最終的にすべての人間の意識が一つになっちゃうという宇宙観は、下手すると『2001年宇宙の旅』につながると思うんですけれども、あれはヨーロッパで、多分1950年代か、60年代にテイヤール・ド・シャルダン(1881〜1955 ※9)というフランスの科学が大好きなお坊さん(カトリック司祭)が出したビジョンに似ています。テイヤールは北京原人の発掘調査にも関わった古生物学者でもあり、年じゅうキリスト教のカトリックの教義に反する理論を出すのでので、よく破門を食らっていたんですけど、その人が考えた「ヌースフィア」というアイデアにつながっています。

萩尾■参考のためにお訊きしますけど、その理論も最後は共同体意識のようなものになるのでしょうかね。

荒俣■はい。アーサー・C・クラーク(※10)はテイヤール・ド・シャルダンの理論がとても好きだったんです。地球は最初は岩石の物理的な世界だったんだけど、生命が誕生して、生命が大気の酸素をつくったり、岩石をほかのものに変えたり、いろんなものに変えることによって生物的な地球になってきたと。で、生物的な地球になってきたんだけれども、そのうちに生物の中から人間というのが出てきて、人間が出現したことによって地球もまた物理的な性質が変わってきたと。極端な話、電波とかいろんなものをつくることによって世界が変化する。もっというと3・11ですよ、まさに原発のような自然界の中だったらなかなか存在しないようなものをつくっちゃって、こんなものが地球の中に存在するのは人間がつくったからです。人間の知能が新たな地球をつくる。やがては、その頭脳なり、意識なりがつながりあって、相互依存の形態となる。これを「ヌースフィア(精神宇宙/精神圏)」と呼んだ。だんだん肉体的な人間の活動だけではなくて、インターネットや電話が飛び交っているのと同じで、精神的なものが瞬時にあっちこっちに連絡するようになってくると、最終的には意識が一つになってきて、人間が個々の存在ではなく、総体的な人間になり、ついに地球霊に代わる。肉体的な人間というよりは精神的なものが一つに固まって、これが地球の意識になってくるというとんでもない理論なんです

萩尾■ガイア理論(※11)みたいな?

荒俣■まさにそうですよ、ガイアの先駆だと思うんです。シャルダン本人はその臨界点を「オメガポイント」という名前で呼んでいます。精神がみんな一つになると地球がいきなり目を開く。意識を持って目を開くという瞬間が「オメガポイント」だというんですけど、そこまでいっちゃう話にSF作家たちが人類存続の活路を見出した。アーサー・C・クラークはまさにその最先端だったんですけど。

※8 日本SF作家クラブが主催する賞。小説、コミック、映像、音楽など幅広いジャンルにおける優秀なSF作品に与えられる。

※9 フランスの司祭(イエズス会士)、古生物学者。カトリック教徒でありながらキリスト教的進化論を提唱し、20世紀の思想界に大きな影響を与えた。北京原人の発見でも知られる。

※10 SF界「ビッグ・スリー」の一人。著作に『2001年宇宙の旅』『幼年期の終わり』など。

※11 大気や地殻などの自然環境と動植物などの生物が互いに影響を与え合うことで、地球という惑星が一つの生命体のように活動しているとする考え方


■変えた設定のつじつまを合わせる
https://web.archive.org/web/20141006072154/http://...

萩尾■私の共同体意識というのは、エマニュエル・レヴィナス(1906〜1995 ※12)という哲学者がいるんですけど、この人の論文というか、そういった本を読んでいるときに、思いついたことなんです。互いが互いのことを考えるのはどういうことかっていうそこから来ているんですけれど、それの前提となる話が、人間は通じ合うことができない、だけど通じ合うように努力しなければいけない、その努力こそが人間らしいし、わかり合えないということはないのだという非常に宗教的なポジションのお話で、それを極端に発展させたのが『バルバラ異界』の青羽ちゃんです。いっそ意識体が一つになればいいんじゃないかとちょっと思ったんですね。

荒俣■レヴィナスとは、またすごい本をお読みですね。私も読んだことないです。

萩尾■たまたまですよ。だけど、そういうことで『バルバラ異界』を描き始めましたけど、実は描き始めた途端にまずいと思ってしまいました。有名なSF『終わりなき戦い』をかいたジョー・ホールドマン(1943〜 ※13)が、戦いに行った兵士が全部相手の兵士との共同意識体になって戦争ができなくなったというエピソードを書いていたからです。でも、やはりこうしたストーリーに対してはすごく憧れがあるんですよ、これで収まるんじゃないかと。ただですね、収まるということは、コミュニケーションが成功したというよりはコミュニケーションが消失したというのと一緒だなと思って。

荒俣■あ、それすごいですね。消失に非常に近いですね。

萩尾■だから、あれを描きながら、最初に載せたときにやばいと思ったけど、設定しちゃったからこれで終わらないといけなくなりました。

荒俣■長編みたいな論理が必要になる場合、物すごく複雑で精緻につくりますから、設定を崩すとたいへんでしょうね。今のバルバラの話で、1回描いて、また気に入らなくて全部変えちゃったみたいなことも含めて、ストーリーは相当綿密に考えられるんですか。

萩尾■ええ、物すごく綿密に考えます。ただ、取り残しはあって、例えばバルバラの場合は、吾妻ひでおさんに指摘されました。青羽ちゃんは向こうの世界に飛べないのですが、それは最初の設定にあったんですね。けど、設定を変えちゃったものですから、飛べないだけが残って、その理由まで全然いかなかった。説明不足ですけど、現実を生きている青羽ちゃんの夢だから夢にまさに引かれるとかそういうことだったんですけど、そんなふうに取り残しのところも多々あります。でも、なるべく吾妻さんが見つけたようなところがないように細かくつじつま合わせをするんです。しかも、つじつま合わせをしているなとわからないようにつじつま合わせを……。

荒俣■そうでしたか、苦労の結晶ですね、バルバラは。気づかせないで変更するのは難しいところですよね。

萩尾■そうそう。

荒俣■でも、あの作品、読みながら頭が爆発するような快感がありますよ。

萩尾■え、それはどうも済みません(笑)。最初からあの形態にするとわかっていたらもうちょっとイントロを整えていたんだけどね。現在と未来が呼応し合っているという話はすごくおもしろいんじゃないかな。

荒俣■そうですね、おもしろいですよね。 あれを読んだときにいろんな連想が発生します。ターセム・シンと(1961〜 ※14)いうインドの映像作家がいて、一番有名なのは『落下の王国』という一本なんですけど、この人の作品に『ザ・セル』というのがあります。石岡瑛子(いしおか・えいこ 1938〜2012 ※15)さんが衣裳デザインを手がけた映画ですが、誘拐した犯人が死んじゃったか何かして、どうしても誘拐されている子を助けなきゃいけなくて、ある装置で犯人の脳の中に入っていって、夢だか意識だかの残りを手掛かりに子どもを救い出すと言う話でした。

萩尾■バルバラの連載を始めた途端に、友だちがこれを知っているかって、『ザ・セル』とほかにも夢の世界へ行くビデオを幾つか貸してくれたので観たら、この台詞を最初に見ていれば導入のスタイルをこれにしたかもしれなかった。おもしろかったですね、やっぱり。

荒俣■夢って不思議なテーマですね。

萩尾■筒井康隆さんの『パプリカ』。あれが怖かったですね。夢の中に行って犯人を捜して、ちょっと放送禁止用語だけど、気が狂った、精神が崩壊した人の夢の中に入っていって、非常に荒れ果てているって……。

荒俣■その影響じゃないんですけど、私が一番気になっているのは、コントロールがきかなくなった人が夢を見たらどうなんだろうかということ。つまり現実と夢は切り離されるべきものだけれども、やっぱりどっかでつながっている。有名なマルセル・プルースト(1871〜1922 ※16)に『失われた時を求めて』というのがあって、あれも基本的に夢の話ともいえるんです。

萩尾■そうなんですか。

荒俣■ええ。夢の中の人生をどうやって思い出して、夢の中で自分らしい世界を築くかという。例えばマドレーヌを食べて、紅茶を飲んだときのほんわかした意識とか、筒井さんで言えば『時をかける少女』のラベンダーの香りとかが、いきなり夢の世界の中にずっと入っていく。最近わかったんですが、マルセル・プルーストの小説にネタ本があったんです。サン=ドニ侯爵という19世紀に夢の操縦法を研究をした人がいて、頭の中で見る夢というのもリアリティーを持っているので、本人の意思によって必ず夢を操作できるに違いないと。それで、夢の操作法を30年にわたって実験するんですよ。レムだか、ノンレムだか覚醒すれすれの夢を見る訓練をして、例えば夢の中で馬を走らせていくときに落馬する夢を見ると、次は夢をコントロールしてうまく馬を御し、落馬を防ぐような夢を見ようとする。とても好きな女の子に会った夢を見て、夢の中で彼女を抱き抱いてキスをするところまでずっと妄想するんですよ。そのサン=ドニがプルーストと関わりがあったんですね。フロイトなんかとも……。サン=ドニみたいな時代の、まだリビドーとかそういうものにつながない前の……。

萩尾■陸続きみたいなものが?

荒俣■ええ。

萩尾■おもしろいですね。

荒俣■だから、夢ってもっとやってもいいテーマじゃないかな、SFの中でもね。

萩尾■あと、それこそ予知能力も夢の一種ですよね。

荒俣■そうですね、夢の一種ですね。

萩尾■ごく普通の人が、突然、明日久々にだんなが帰ってくるとかね、何かが符合していくような夢を見る場合がありますね、まだ生きているおじいさんが挨拶に来たりとか、あれは何なんだろうといって……。

荒俣■よく聞きますね、その話。

萩尾■ええ。単に本人が心配しているから、幾つか出た妄想バージョンのうちの一つを覚えているのか、もしくは未来に起こっていることがやってくるのか、それが知りたいな。 時間とは何か。リサ・ランドール(1962〜 ※17)でしたっけ、最近宇宙の次元の話を書かれた。すごく難しかったんですけど、簡単に言うと、宇宙は例えばシャワーカーテンの上にいっぱい水滴がついているようなもので、そのうちの一つの宇宙が銀河系を含む私たちの存在する宇宙だと。銀河系だけでも大変なのに、私たちの存在する宇宙空間には山ほどの銀河系があるでしょうと。しかも、それがシャワーカーテンのしずくの一つにすぎないといったら、どこまで考えていいのやら……。

荒俣■フーム、むずかしい。

萩尾■100億とか1000億じゃたまりませんわという(笑)。

荒俣■でも、今の話でふと思ったんですけど、やっぱりSFの役目なんですね、科学の言葉や理論の用語をイメージ化させるというのは。宇宙科学なんかもそうしないと、何光年なんていう単位は出てくるけど、そこにイメージが伴わなくなる。

萩尾■それで思い出すのが、『火星転移』とかを書いたグレッグ・ベア(1951〜※18)という作家ですけど、彼が書いたのは、惑星が1つ移動したり、人間が移動したりできる世界。それこそ宇宙船ヤマトの瞬間ワープみたいにね。ということは、それは銀河系だけのことなのかな。それとも距離は関係ないからはるか遠くに見える宇宙空間のあそこまで移動できるのか、そうしたら宇宙の最初まで移動できるってことになりますね。考えだしたら、いろんな言葉がイメージを運んできてしまって、収拾がつかなくなる。

荒俣■そういうことですね、確かに。

萩尾■それは一体何じゃらほい、とかね(笑)。

荒俣■その話って、答えは出ないんだろうけれども、一種の仮説の力ですよね。

萩尾■なんだかわかりません。『バルバラ異界』の話から妙にむずかしくなったけど、eBookjapanには入ってますか、この作品?

荒俣■もちろん入っています。そして、途方もない言葉=イメージの流出ぶりも、いま目の前で拝見できました。やはり、萩尾さんはすごい(笑)。

萩尾■これで『銀の三角』に話がスイッチしたら、もう私にもコントロールがきかなくなるかもしれません(笑)。『銀の三角』は入ってるんですか?

荒俣■幸いにも、まだ入ってません(笑)。これじゃ、だめですけどね。(編集註:3月から発売開始しました。)

※12 フランスの哲学者。フッサール、ハイデガーらに師事。近年は内田樹により多くの論文や研究書が翻訳されている

※13 SF作家。代表作『終わりなき戦い』でヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞。

※14 インド出身の映画監督、映像作家。数多くのミュージックビデオやCMを手がけたのち2000年に『ザ・セル』で初の映画監督を努めた。

※15 アートディレクター、デザイナー。資生堂・角川書店の広告で活躍したあと渡米。、アカデミー衣裳デザイン賞など、多数の賞を受賞。北京オリンピックの開会式の衣装デザインを担当した。

※16 小説家。ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカとともに20世紀を代表する作家に位置づけられている。プルーストが半生を費やして執筆した大作『失われた時を求めて』は何度か映画化もされている。

※17 理論物理学者。2007年、日本で来日記念講演を行った。著書に『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く』など。

※18 SF作家。ヒューゴー賞を2回、ネピュラ賞を5回受賞している。代表作は『ブラッド・ミュージック』、『タンジェント』など。

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます