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【まんがナビ対談:荒俣宏・萩尾望都】その4
eBookJapan「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」

荒俣宏の電子まんがナビゲーター:魚拓
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資料提供
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第14回:萩尾望都編
その4 身辺の遠近(おちこち)を聞くの巻
2013年05月17日

註:対談部分を中心に採録
全文は「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」(各見出し下のURL)にてご確認ください


■萩尾先生の作品と実生活との距離感
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いよいよ萩尾先生へのインタビューも最終回となった。萩尾ワールドというのは、あまりにも奥の深いゆえに、何時間お話を聞いてもインタビューするほうは五里霧(ごりむ)の中からでられないのだが、今回伺ってよく理解できたのは、萩尾ワールドが基本的に先生自身の日々の暮らしや想いを素材にして芽を吹きだすものである、ということだった。

(荒俣宏の解説・略)


■まんが事始めのころを回想する
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荒俣■すでにお聞きしたことですが、最初に読んで、ヨーシわたしもやってやるぞ、と奮い立たれたのは、やっぱり石ノ森章太郎のファンタジー少女漫画ですか。

萩尾■はい、そうですね。『ポーの一族』は、要するに、私流の『きりとばらとほしと』なんですよ。

荒俣■まさに原点となった『きりとばらとほしと』。あれは吸血鬼漫画ともいえますが、画面構成の新テクニックとしても傑作なんですよ。画期的な映像がありますよね。

萩尾■ええ、一ページを縦割りできれいに使ったり、ページ全部を一画面として使ったりとかね。

荒俣■そうなんです。それまでのポンチ絵でなく、ディズニーアニメにも近い映像の世界がありました。じつは私自身もあれにショックを受けて漫画を描こうと思ったんです。漫画の可能性が見えた!っていう感じがしましたから…。

萩尾■やっぱり、みんな驚いたわけですね、ああいう作品を見て。

荒俣■それでもう一つ、つかぬことを伺いますけど、わが家にも元漫画家の妹がいまして、子どもの頃は吸血鬼も好きだったんですが、女の子って、バレエのチュチュにものすごく憧れをもつんですね。萩尾さんはどうでしたか、バレエは?『ローマへの道』なんか、堂々たるバレエ漫画ですものね。この作品もeBookJapanで読めます。

萩尾■いきなりバレエですか。私、若いころからバレエはすごく好きだったんです。

荒俣■やはりバレエも。すみません、バレエのお話もちょっと聞いてよろしいですか。

萩尾■はい。私の子供のころはバレエ漫画が全盛だったんですよ。だけど、ほとんど本物のバレエというのは見たことがなくて、生まれて初めて見たのが高校のときぐらい。本当に美しい舞台の世界と音楽で憧れていて、それでバレエというと山岸先生の『アラベスク』という名作があるので私には手が出せないなと思ったんですけど、舞台を見に行っているうちに描きたくなっちゃったんです。

荒俣■少女漫画をやるからには、バレエは外せないと。

萩尾■そう。

荒俣■バレエはどこがそんなに魅力的なんですか。

萩尾■戦争が終わった後にバレエ界というのがばっと活気づいたんですね、現実に。それで、いろんな劇場がオープンして、ロシアから先生を呼んで教室が開かれてというふうに日本的な雰囲気の中でバレエ文化が盛り上がった時期で、そのころ森下洋子(もりした・ようこ 1948〜 ※5)ちゃんとかそういった少女バレリーナがたくさん出ました。

荒俣■そういや、少女雑誌のグラビアによく出ていたよね。

萩尾■そうです。小鳩くるみ(1948〜 ※6)ちゃんも、松島トモ子(1945〜 ※7)ちゃんも、トゥシューズを履いてグラビアに出ていましたよね。だから、舞台でぱっと見るという場合、日本舞踊じゃなくてむしろバレエのほうだったんですね、子どもたちのあこがれの世界というのは。

荒俣■新しい舞踏の世界だったんだね。そうすると、萩尾さんは初めて舞台をごらんになったのが高校生ぐらいのとき?

萩尾■そうです。牧阿佐美バレヱ団(※8)だったかな、そういうものを。それからクラシックバレエをずっと見ていたんですけど、途中からモーリス・ベジャールを知って、モダンって何でおもしろいんだろうと思って、そこにいきなりカタっと行ったんですね。で、モダンを見てまたクラシックに戻ってくると、前にクラシックで気がつかなかったおもしろさというのがまたわかってきて、行ったりきたりですね。今はもうちょっと昔のバロックダンスに行っています。

荒俣■じゃ、これからまだまだいろんな展開がありますね。

萩尾■はい。生の舞台が大好き。一期一会だから同じ演目でも昨日とは同じではないですから…。

荒俣■そう言えば、公演に毎日通ったりなんかもされていますよね。

萩尾■ええ。でも、モスクワに行って「スパルタクス」を踊ったイレク・ムハメドフというダンサーの舞台を見に行こうとして、ツアーバスで観光中にそのバスが交通事故に遭ってしまったんですよ。

荒俣■あれはモスクワかどこかにいらしたときですか。

萩尾■モスクワに行ったときです。

荒俣■重傷だったという話を聞きましたけど。

萩尾■そうそう、半年も。頭蓋骨骨折とひざの骨折。

荒俣■え? それは危なかったですね。

萩尾■でも、脳は無事だったらしく、順天堂のお医者様に、変だな、ここに骨折があるということは、普通なら脳みそが豆腐がぐちゃぐちゃになったみたいになっているはずなんだけどなって言われて……。丈夫な頭蓋骨でよかった(笑)。

※5 橘秋子に師事し、12歳から住み込みでバレエを習う。14歳の頃より「りぼん」や「少女倶楽部」などの雑誌で“天才バレエ少女”として特集が組まれ、全国の少女たちのあこがれの的となった。1974年にはヴァルナ国際バレエコンクールで日本人初の金賞を受賞。

※6 本名・鷲津名都江。3歳の時にNHK名古屋放送局主催の歌唱コンテストで合格し、日劇最年少デビューを果たす。童謡歌手として、「ちえのわクラブ」「NHKうたのおねんさん」など様々な番組で活躍。小学生時代には、雑誌「なかよし」のカバーガールをつとめた。

※7 3歳より石井漠舞踊研究所でバレエをはじめる。映画館の劇場ニュースで写っていたのを阪東妻三郎が見初め、スカウト。1949年に芸能界デビューする。雑誌「少女」「平凡」でモデルをつとめる。

※8 橘バレエ団を前身として1956年に設立。草刈民代、逸見智彦といった有名ダンサーを輩出している。


■原稿を描きながらの海外旅行
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荒俣■それほどまでして、バレエを見に行かれたんですか。このお話は伺っていいのかどうかはわかりませんけれども、われわれ読者が聞きたい話の一つは、70年代に山岸さんや竹宮さんと、増山さんもいたのかな、なんとヨーロッパに出かけられましたよね。あのころって、ヨーロッパに行くのは困難きわまりない時代だったんじゃないかと思うんですけれども。

萩尾■とにかく飛行機代が高いんですね。だから、一番安いルートで行ったんです。

荒俣■女性だけで行ったわけですか。

萩尾■そうですよ。駅に着くたんびにインフォメーションに行って宿を探して、それで時刻表の本(※9)を竹宮惠子さんが持っていらしたから、時刻表でずっと計算しっぱなし(笑)。

荒俣■でも、お忙しい最中だったじゃないですか。よく決断されましたね。

萩尾■読み切りを再録してもらったので、編集部からお金が30万円ぐらい入ったんですよ。当時の私にしてみれば凄い大金で、こんなに若いのにこんなに大金を持ってしまって、これは使っちゃおうと思って、じゃ海外旅行をしようと言う話になって、1人じゃ行けないからちょっと募ったんです。そうしたら……。

荒俣■みなさん集まったんですね。でも、まだ国外へ出るのが大変だったはずです。七十何年ぐらいでしたか?

萩尾■72年ぐらい。

荒俣■え! 72年っていえば昭和47年でしょ。三島由紀夫が割腹自殺してから二年後だ(笑)。

萩尾■でもね、行ったんです。私は連載中の『ポーの一族』の原稿を持って。

荒俣■原稿を持っていった! メールもファックスもないでしょ! せいぜい国際郵便ですね、活用できるのは。

萩尾■はい、でも、描きながら外国旅行をしたんですよ。

荒俣■何日ぐらい行ってたんですか?

萩尾■今となってははっきり覚えていない。

荒俣■1カ月ぐらい?

萩尾■1カ月ぐらいだったような気もします……。

荒俣■船で行ったんですか。

萩尾■船で横浜からナホトカに着いて、それから列車でハバロフスクまで。

荒俣■列車で行ったの?

萩尾■はい。それから、飛行機でモスクワへ行って。

荒俣■そこは飛行機だったんですね。

萩尾■はい。モスクワで、山岸先生と一緒に「アンナ・カレーニナ」のバレエを見たんですね。たまたま券が2枚あるというので、地下鉄を乗り継いで。

荒俣■その券も現地調達ですか?

萩尾■現地のホテルの人がたまたま譲ってもいいって言うので、買いました。

荒俣■だいたい持っていますよね、ホテルのコンシェルジュは。

萩尾■そうなんですね。

荒俣■なるほど。それで結局、どこまで行ったんですか。

萩尾■イギリスは抜かして、イタリアには行ったような気がする。

荒俣■地中海までたどり着いたことになりますね。これは当時もの凄い体験と刺激になったんじゃないですか、あらゆる意味で。

萩尾■でもね、イタリアでみんなが観光している間、私は締め切りがあるから外へ出なかったんです……。

荒俣■え、やっとたどり着いたイタリアなのに、動かなかったんですか。

萩尾■そう。ホテルの部屋で原稿を描いていた記憶がありますよ。

荒俣■いやはや、大変な旅行ですね。そして、描き終えた原稿は郵便で送られたんですか。

萩尾■はい、郵便で送りました。ところが、イタリアの郵便事情が悪いから、私が帰国した翌日に届いたというのがありましたね。持って帰ったほうが早かった(笑)。

荒俣■凄さに脱帽です。画期的な旅行ですね。皆さんは若いから命知らずで……。

萩尾■本当に命知らずです。ですからイタリアはよくみられなかったんですが、一番記憶に残っている場所というと、意外にモスクワが新鮮でした。列車でずっとナホトカからハバロフスクまで行くんですけど、本当に森と野原だけで、のんびりと1日じゅう列車に揺られて窓の外を眺めていました。

荒俣■言ってみればシベリア横断だ。

萩尾■そうですね。おもしろかったのは、やっぱりとても人が住めると思えないような小屋がいっぱい並んでいる。これは夏だけの家かな、寒かったら凍え死んでしまいそうなところだなと思ったんです。でも、結構洗濯物が干してあったから、人が住んでいるんだろうなと。

荒俣■季節はいつだったんですか。

萩尾■9月だったかな……。

荒俣■じゃ、何とか行けるぐらいのギリギリで。

萩尾■ええ、まだ雪はなかった。

荒俣■パリとかは行かれましたか。

萩尾■パリも行ったと思います。パリのどこへ行ったとかは全然記憶がなくて、電車でずっと移動するでしょ。そうすると、地形の変化に伴って植物層が変わってくる。だから、ドイツにはドイツらしい木があって、フランスに入ったらフランスらしい木がある。

荒俣■さすがに萩尾さんらしい観察眼だと思います。だんだん南に行くとイトスギみたいなのが出てきて風景が違ってきて、ゴッホの絵っぽくなる。

萩尾■そうそう。似たような木でも形が違っていてね。ああいうのを見るがおもしろかった。当時のヨーロッパは安全だったんですよ、意外に。女だけで行っても大丈夫なんですですから。

荒俣■そうですか。女性はよく独りで世界旅行することにあこがれるみたいですが、日本人の女の子が世界を旅することのハシリだったといえますね。

萩尾■はい。うかうか旅行に行くと危ないというのが何となく聞こえてくるのは、もうちょっと後になってからなんですね。私が行ったときは、怖いことは何もなかったです、どこでも結構親切にしていただいて。やっぱり20代初めの日本人女性でしたから、どこに行っても珍しがられました。体が細いから本当に中学生ぐらいが旅行しているみたいに思われたんでしょうね。

荒俣■でも、そういう積極性は女性がこの時代に大爆発をさせた。お陰で男どもに文化力で大きな差をつけたと思いますよ。その後の少女漫画の発展要因も、そういった文化的貪欲さにあったんじゃないでしょうか。

萩尾■そうはいいますが、私の場合、ヨーロッパへ行ったのはいいけれども、歴史的なこととか全然知らないものですから、木の形が違うというのでおもしろがったり、これが有名なエッフェル塔かと感心したり、そういうレベルの体験だったですからね。

荒俣■それでも違いますよ。現場の空気を吸うんですから。みなさん病気とかせずに、1カ月の長丁場を無事に?

萩尾■はい、そうですね。

荒俣■やっぱり若い体は凄いですね。バレエの話から旅行の話に行っちゃったので少し戻しましょう。やっぱりあのころは、みなさんバレエ漫画を描いていらしたわけですね。

萩尾■私はバレエを見ただけだけれど、山岸先生はバレエを実際にやっていらしたんですよ。ただ、そのころは一時的に、少女漫画からバレエ漫画が前線を退いちゃって、スポーツものが全盛になってしまっていました。そこで、バレエはスポーツものと何ら変わることはないという新たなバレエ漫画を描こうという気運が山岸先生たちの意志だったようです。

荒俣■なるほど。バレエって美しくて優雅な芸事かと思っていましたけど、みなさんの漫画を見ると肉体芸ですね、ほとんど。『エースをねらえ!』とかの世界と同じですから。

萩尾■そうそう。ですから当時は、山岸先生がバレエの話をやりたいと言ったら、編集が、そんな古いものはだめだと断ってきたんです。

荒俣■それをひっくり返すには、バレエもスポーツ以上に厳しい世界なんだという物語を描くことしかないわけですね。

萩尾■ええ、そうです。東京オリンピックなんかがきっかけでだんだんそうなっちゃったんでしょうね。バレーボールが凄かったですからね。同じバレーでも、バレエじゃなくてバレーになっちゃった(笑)。

荒俣■萩尾さんは89年に『フラワーフェスティバル』というバレエ漫画を描かれていらっしゃいます。これも本格的なバレエ世界を描いていて、しかも、日本の女の子がイギリスでバレエに挑戦するという国際的な展開です。いわば、萩尾ワールドにおけるバレエの 開幕といった重要な作品ですが。

萩尾■私がバレエ漫画を描きたいなと思ったのは、ローザンヌ国際バレエコンクールというのが今もありますけど、当時それの見学ツアーに参加したときのことでした。

荒俣■バレリーナの登竜門といわれる国際的なコンクールですね。

萩尾■はい。そのときに、お稽古場の見学というのができるんですね、時々。チューリッヒとかベルギーのほうとかドイツのほうのバレエ学校のお稽古場の見学に連れて行ってもらって、ほかの先生方はプロだからちゃんと目的意識があるんだけど、私は全くの素人で参加したんですけど、それでも物すごくおもしろくて……。同じ側に同じような背丈の子が並んで同じポーズをとっているんですけど、やっぱりその段階から個性が出ているんですよ、一人一人に。

荒俣■じゃ、基本を学ぶ段階から、もう独自色が……。

萩尾■ええ、その段階で全部違うんですね。こんなに違うものだろうかと思った。

荒俣■個性というのは、たとえば体がやわらかい人とか?

萩尾■やわらかい人とか、得手、不得手があるし、それから全体的なスタイルとか。服も、制服があるところはあるけれど、大抵私服だから、それぞれとりどりのセーターとかTシャツで集まってくるんです。

荒俣■手のポーズとかアクションによっての表現の仕方はそれぞれ個性があるから。

萩尾■そう。それが非常におもしろくて、レッスン風景から始まるバレエを描きたいなと思ったんですよ。学校があってどうのこうのという展開で。

荒俣■じゃ、バレエの訓練から始まってコンク−ルで優勝するまでのプロセスをぜんぶ見せるような?

萩尾■そうそう。だから、『フラワーフェスティバル』は、『マージナル』という結構ハードというか、ややこしいSFを描いた後だったので、ちょっと女の子に戻らなきゃと思って『フラワーフェスティバル』を描き始めたんです。

荒俣■ややこしいSFの後、女の子に戻るためのテーマだったのか(笑)。

萩尾■そう。ただ、ちょっとラブロマンスを絡ませてと思ったんだけど、自分で再読してみたら、この女の子が何を考えているのかわかんない気がしてきて、変わった女の子になってしまって、すみません。

※9 トーマス・クックヨーロッパ鉄道時刻表。この時の旅行に関しては「「電子まんがナビゲーター 竹宮惠子編 その2」に詳しいエピソードが紹介されている。


■イグアナという哲学的な存在

荒俣■バレエ話の次は、また方向を大きく変えましょう。じつは隠し玉があったんです。それは、萩尾さんの親子関係をベースに置いたとんでもない作品、『イグアナの娘』です。これを大いに読んでほしい。そこで、ご本人から実生活と作品との距離についてお話しいただけたらうれしいんですが。昔のことを蒸し返すようで、ほんとうに恐縮です。

萩尾■両親のことですか。親子問題が話しづらいのは、考え方や受け取り方が時間とともに変わっていくんですね。わたしは上京してまんが家になることを親から反対されました。でも、母もコロコロと意見が変わっていまして、わたしは反対したことがないとかいろいろ言っています。それもケース・バイ・ケースで、昔は反対したとか今は違うとかね、いろいろと。けれど、とにかくまんがを描くことはずっと両親に反対されていて、まんがとなると両親と口論が絶えなかったんです。親がね、親の言うことを聞かないのはあんたが仕事をしているせいだからやめなさいとかね、いろいろ言うんですよ。わたしは、そういう親の心理を知りたくて、ちょっと心理学書にのめり込んだことがありました。その時期に描いたのが『メッシュ』なんですけど、心理学書を読んでも親の気持ちはわかんないんですね。だって、心理学書にはちゃんと病気になった人のことが書いてあって、うちの親みたいに病気じゃないけど、神経が細かい人のことは書いていないわけよ。それで、あるとき自分で、こんなにコミュニケーションがとれないのは、もしかしたらわたしは人間じゃないのかもしれない、と考え方を変えてみたんです。原因は親じゃなく自分の方にあるのだと。たとえばわたしがほんとうは人間でなく、宇宙人であるとか動物であるとか。わたしが人間じゃないと判ったら、親とコミュニケーションがとれないのはしようがないじゃないですか。たとえば牛と人間だったら、気持ちを通じ合うのは無理だと。それを考えたらちょっとほっとしたんですね。
ちょうどそのころ、テレビでガラパゴス諸島のビデオを見ていたら、イグアナがいっぱい岩の上にいて海をみつめているシーンがあったんですよ。あれは単に胃の中のものを消化するために陽に当たっているだけらしいんですけど、いかにも哲学的に海のかなたを見ているんで
す。

荒俣■そうですね。ウミイグアナがこうやってずっとじっとしていますね。

萩尾■ちょっとイグアナの気持ちになっちゃって、イグアナに生まれちゃった、本当は人間に生まれたかったのにって、映画みたいに勝手にせりふを入れていたんですね。
で、人間の胎児というのは、一時期トカゲみたいにしっぽがあって、目が顔のハシの左右についている時期があるじゃないですか。

荒俣■はい、形態的には良く似ていますね。

萩尾■だから、人間に生まれたかったのにイグアナのまま生まれてきちゃったと。で、お母さんとコミュニケーションが取れないというのを描いてみようと思って、それでイグアナなんです。

荒俣■そうでしたか、イグアナって重要なきっかけだったんですね(笑)。このまんがは、まんが家になりたい女の子が母親に愛されないのは自分がイグアナの姿をしているからだと知る話です。じつにとんでもないんですが、いまうかがって分かりました。ここには個体発生と系統発生の進化論的な問題が潜んでいると(笑)。

萩尾■その問題は、だれが書いたんだろう、グレード……。

荒俣■はい、グールドじゃないですかね。死んじゃった進化論学者のスティーヴン・ジェイ・グールド(一九四一~二〇〇二※1)。

萩尾■そうですね。

荒俣■このまんがはおもしろかったですよ。『イグアナの娘』はテレビドラマ化されたときに、菅野美穂(かんの・みほ)が演じていましたね。今のお話のとおり、お母さんと娘の話という観点から読んでもおもしろいし、系統発生と個体発生の問題も深くかかわっているというので、ちょっとお勧めのお話です。

※10 生物学者。正統ダーウィニズムに対する修正ダーウィニズムの論客。彼がナイルズ・エルドリッジとともに提唱した「断続平衡説」は、種の進化はゆるやかに行われるのではなく、急激に変化する時期とほとんど変化しない停滞期が繰り返されるというもの。


■韓国ドラマにハマる理由
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荒俣■最後に、これはもういちばんホットな萩尾さんの日常をお伺いしてインタビューを終了したいと思います。

萩尾■ありがとうございます、そろそろ解放ですね。

荒俣■ずばりと伺いますが、いま、いちばんハマっていらっしゃることは何ですか。

萩尾■うちは、いま韓国ドラマにちょっとハマっていて、友だちからビデオを片っ端から借りて一日じゅう回しているんですけど、どれもおもしろいし、それから映像がすばらしい。

荒俣■え、韓国ドラマですか? それは偶然です。私もじつは韓国ドラマにハマッているというより苦しんでいますので。

萩尾■どうして苦しんでいるんですか?

荒俣■いま私は日中韓三国共同でテレビドラマを制作するプロジェクトに参加しているんです。東アジアの三国がもっと協力して文化を世界に発信するには、三国共同制作のテレビドラマを制作して、三国で放送しようと言う企画です。ところが今、領土問題がもちあがってしまい、暗礁にのりあげています。でも、それ以前に三国でドラマづくりの姿勢が違うんです。

萩尾■それはおもしろそう。どこがどう違うんですか?

荒俣■ようするに文化の違いですね。早い話、視聴者の意識が違っている。日本人は連続ドラマを毎週楽しみに観てくれますよね。でも、韓国はそれとは違って、新し物好きで、待ってくれないんです。毎週二本は放送しないと離れてしまいます。

萩尾■そんなにせっかちなんですか。

荒俣■はい。そしたらもっと恐ろしいことが判って、中国では連ドラを一日二話流さないと待ちきれなくて観てくれなくなるんだそうです。日本みたいに根回しとかなんとか時間のかかることはしたくない。なにせトップダウンですからね。そうなると、日本人の感覚では、すくなくともドラマを撮影できない。そこで韓国につくってもらうしかない。韓国が量産を実現できるのは、ストーリーや人間関係のパターン化を徹底しているからなんです。どうすればお客が喜ぶかの選択肢を用意している。その点、日本人脚本家や監督は、ひねったことをしたがる。パターン化させた話をヘンに歪めるのが好き。

萩尾■そういうことですか。でも、毎日つくったら役者は死にますよ(笑)。

荒俣■たしかにそうですね。でも、スピード感とパターン性があるから、韓国ドラマや韓国家電は世界に通用します。余計なことはしないし、新しさをつねに追い求めるんですね。驚いた話があります。韓国には老舗がないんです。一番古い店でも30年。それ以上は飽きられて続かない。たとえばカルピスならカルピスというのが日本で100年以上売れるじゃないですか。次の代へと伝わっていく……。

萩尾■たしかに、韓国の場合は老舗がないんですよね。最近は中国でもそうだと聞きました。何でって言ったら、みんな商売に成功してお金をもうけたら官僚になりたがるからだって(笑)。

荒俣■なるほどね。日本なら、自分の店を子や孫に引き継がせますよね。だから、100年以上も続く。

萩尾■伊勢なんかね、創業2000年以上のアワビ屋というのがあるけど、2000年前じゃ、お店なんか興せないから、アワビをそこら辺でとって売っていたんでしょうけどもね。

荒俣■2000年は確かに無理ですけど、創業1500年の会社と言うのは、実際に訪問したことがありますよ。京都の金剛組という建築会社、なにしろ創業者の社長が聖徳太子です! 四天王寺を建てるために大陸から大工をヘッドハンティングしてきて創ったんです。

萩尾■それは凄いな。

荒俣■スピード感とパターン性。これ、文化だけでなく生存戦略ともかかわっている感じですよね。

萩尾■そうか。私は、最近気づいたんですけど、スピード感とパターン性を柱にしたこの大層便利な文明社会が生命力を失って行き詰った後に、もういちど非常に原始的な命の流れ、もしくはエネルギーに救われる時期がくるということを、私自身がパターン的に繰り返して作品にしているようなんです。以前は意識していなかったんだけど、全くそのパターンに合致しているような作品の流れができています。

荒俣■さっき、ちょっと出ましたね。ハードなSF作品『マージナル』のあと、『フラワーフェスティバル』で女の子に還る、といったような。

萩尾■そうなんです。『マージナル』というSFの世界は大変な作業で、たとえばジョン・ウィンダム(1903〜1969 ※11)の書いた『アマゾンの時代』みたいに女の人だけが集団で社会をつくっている話はよくあるのだけど、それじゃあ男ばっかりの世界になったらどうなるだろうという設問から連想させてつくった話なんです。

荒俣■なるほど。男だけの世界という究極段階の環境まで一気に進んだから、もう時間も止まり、パターンのストックもなくなったわけですね。それで、一転、生命の源にある女性の生産力、頑張り力に救われる。韓流ドラマも、日本ではちょっと外交問題の行き詰まりも手伝って、陰りがみえてきた。

萩尾■私のところではまだ新鮮ですけど(笑)。

荒俣■たぶん、萩尾さんにはまだ、原始的な生命エネルギーの送り手なんですよ。

萩尾■私の中ではお蔵入りしていたネタが、何かのきっかけでぱっと開いて出てきたりするような展開がありますね。いろいろおもしろいことがあります。

荒俣■どうもありがとうございました。私もここらで手詰まりです。長い時間おつきあいいただいて感謝に耐えません。

萩尾■こちらこそ、お疲れさまでした。

※11 SF小説家。長編『トリフィド時代』は、大人の鑑賞に耐えるSF作品の出現と、読書界に衝撃を与えた。映画化された作品に『光る眼』がある。

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