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【インタビュー:第2部「作家・竹宮恵子」+増山のりえ】
ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」(32歳)

ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」
発行日:1982年08月01日
出版社:雑草社


資料提供
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インタビュー:第2部「作家・竹宮恵子」+増山のりえ
まんがは私のメッセージ
(画像13枚に続いてテキスト抽出あり)

















インタビュー:第2部「作家・竹宮恵子」+増山のりえ
まんがは私のメッセージ

どんな状態でも描く

ーー今、4本の連載を持っていらっしゃいますが、仕事のペースはいかがですか?

竹宮 かなりきついですね。連載だから内容的に割と延ばしている部分もあるし、楽なんだけど読み切りがたくさん入っているのとは違う、長期的に忙しい気分がする。

ーー精神的にいつも仕事がある、みたいな?

竹宮 これは読み切りを沢山入れている方が大変なんですよね。夜、寝る間を惜しまなくちゃいけないという程、切迫感はない。それは私が気分的に一山越しちゃったんで、割とのんびりしている所もあるんじゃないかな。

ーー「地球へ...」を描いている頃、がむしゃらに描いているなと読者の目から見て感じたのですが、そういう時のバイタリティーはどこからきますか?

竹宮  それはやっぱりファンの支持だとか、まわりの雰囲気ですよね。社会的に自分がどういう所にいるのかとか、ファンにとって自分の存在が今、どういう状態なのかとか、そういうことによって、自分が結局石炭くべられるような感じね。そうしようと自分から思うよりも、まわりがそうしちゃう。そのせいじゃないかな。そのせいで今「地球へ...」を見るとすごく疲れるのね。あまりにもエネルギーがありすぎて。大変さを思い出す。

ーーカラーの違う作品を同時期に何作も描けるのは何故ですか? 精神的にバランスをとっているんですか?

竹宮 私は「風と木の詩」みたいなのだけを描いていると不安になっちゃう。で、これじゃあ私の一面だけしか出していないじゃないか、これじゃあ誤解されるっていったらおかしいけれど、私はこんな人間じゃない。やはり「風と木の詩」を描いていると「風と木の詩」のような生活をしているんじゃないのかとか、こういう細かい事にこだわる人じゃないかとか、そういう風に思いこまれがちなのね。変に色をつけられちゃう。それがすごくイヤでね。「地球へ...」みたいなものも描ける、別の精神状態を私自身に作りたくなっちゃう。で、「地球へ...」でもやっぱり不服で別のものをもっとやりたいとか思っちゃうわけなんですよね。今の流行歌手のように一つヒットすると又同じようなイメージの曲、あれをどうしてやっていられるのか私には不思議でしょうがない。

ーー絵柄の切替えはどうやってしますか?

竹宮 それはもう気分を変えればすぐ変わっちゃう。タッチなんかはね。タッチは気分がそのまんま出てるものだから、特に意識はしてないしね。だから昔の気分が荒れている時のスケッチ・ブックなんか見ると、それがそのまんま出て。たかが鉛筆の絵でも、すぐそのまんま分っちゃう。すごくわがままなんだよねー。絵に対して。

ーーわがままじゃない作家はいないんじゃないですか?

竹宮 それはそうじゃなくて、もっと他のところでわがままじゃない、みんな。結局自分が作家的気分になる為に、生活を合わせるとか、そういうわがままさでしょう。だから、タッチには抑制がきいている人の方が多いとは思わない? 日本人には特に。タッチはいつも同じで、自分のカラーで、というのを決めて。すごくつっぱりの部分が絵に出ちゃっている人の方が多いと思うのね。私はそうじゃなくて、気分をそのままストレートにバーンと投げつけて出しちゃって、平気なのね。それを恥とも思わないしね。厚顔なんだよね。その辺がすごく私のキャラクターで言えばエドナンみたいなタイプ。エドナンのピアノなんてどうせそうでね。気分がそのまんまボロボロ出ちゃうというか、聴いている方はそれをもう楽しんでもらうしかないわよ、という開き直りのような...。ウォルフのようなタイプの方が日本人には多いわけよね。

ーー常に自分自身に描くということを強いているように見えるのですが? 描きたくない、描けないけど描く、という。

竹宮 それはあるみたいね。強いているって言われるとすごく語弊があるような気がするんだけれど、描いていない自分なんて、やっぱり何の価値もない。くずだな、という気があるから、描いている方がよりましだろうということでね、どんな状態でも描くようにしている。そういう風に、どんな状態でもそれをそのままぶつけて、ボロボロ出ちゃうのが作品なんだ、っていう感覚が私にはあるから。描けない時でも描くべきだ。そうじゃなきゃ、自分の作家性なんかどこにもないじゃない。そういう定義が私にはある。他の人だったらもちろん、もっといい状態にしてから描くとか、気分が荒れているから休みをとって十分充電してからやりますとか、そういう感じになるわけでしょう。私は全然そうじゃない。それをやっても、私の場合いつになったらそれが出来るのか分ったもんじゃない。そんないい状態にね。そのいい状態だから描けた作品がいいか、というとそんなことはない。それができる人はすればいいと思うけど。人とそういう意味で違うということに、私は全然恐れを抱いていないから、自分はそれでいいようにやっていくしかないなあと、今は思っているけど。その違う部分をむしろ分ってくれたら、私の楽しみ方、竹宮恵子の楽しみ方というのは別なんだと分るんじゃないかなと思うけど。

いつも人と違ってた

ーー人とは随分違うなと気づき出したのはいく つの頃からですか?

竹宮 20歳から25歳位までは、変わっているとは言われていたけれど、まさかっていう感じが強かったから(笑)。でも、結局一緒に増山とやってきて、話し合っていると作家的にどうしてもぶつかるところがあるのね。「何でなんだろう? 私はこうよ」って話しをしてるうちに、それがはっきり分ってきた。25歳位じゃないかな。

増山 大泉サロンの頃にあなたが悩んでいたわよね?

竹宮 そうね、同じようじゃないということに悩んでいた。

増山 私を含めて佐藤史生さん、伊東愛子さん、山岸凉子さんもいたわね。ささやななえさん、萩尾望都さん全部含めて一つの色でしょう。あなた一人違っていたわね。だから随分、自分が違うことで悩んでいたというような記憶が、私にはある。

竹宮 私もみんなと二年間サロンをやっていて、自分とモー様が同居していることで、サロンができているという自覚があったから。そうやって私とは逆のタイプの作家を常に見ていて、それがプラスになる部分があるだろう、と思ってやり始めたわけなんだけど、それがマイナスになったら別れなくっちゃと思ってた。

増山 客観的に見てすごい危険を感じたのよね。ケーコタンとモーさまの絵がどんどん似てくる。

竹宮 それは当然にあることだから、むしろあんまり気にしていなかった。

増山 つまり、お互いに苦手な部分がどうしてもね。

竹宮 結局、まわりにいる人が男の子はあなたの方がいいけど、女の子はモーさまの方がいいわね、と。そればかりじゃないけど、そういうみたいなことを言うじゃない。どうしてもそうなっちゃうことはあるんじゃないかな。

ーー似ている人が集まった?

増山 結局、そうなのね。同好の志が集まった。その中でも特にケーコタンは違ってた。

竹宮 私はいつも違うんだよね。でも「これじゃないんだよね」ということは言えても「こうなのよ」ということは言えないわけ(笑)。まだ出来ていないから。だから欲求不満がたまっちゃってーーまだウツ病になるには至っていなかったけれどーーすごく悩んでいたよね。毎日の生活が、生活の仕方からして違うから。

増山 それは人間一人一人違うから。別れたのは結局欧州旅行を4人(竹宮、増山、モーさま、お涼さま)でして帰って来てから別れたの。

竹宮 結局、ついに私が我慢できなくなったということで。やっぱりダメだわあと言って分裂したい、ということを言ったのよね。

ーー大泉サロンの中で、自分が理解されないこととか、そういう欲求不満があると、作品に出て来てしまう方ですか?

竹宮 あったけれどね。でもその欲求不満て全然晴らされない。何故かというと、自分のものがまだ確立していないから。でも、私は確立していないんだという答がはっきりあったら、確立されるだろう、そうでなきゃ私は満足しないんだ、というはっきりとした答を出しちゃっていたから、すでに。だからそれで欲求不満になってイライラして、作品にそれが出るというのはなかったけれど。でも、やっぱり作っている間にはすごく悩む。とっかかるのにも時間がかかるし、かかってからもすごい時間を食っちゃって、その間中悩んでいたんだと思うわけ。自分じゃない方のタイプに引っ張られーー自分がどうしても確立していないから引っ張られるというところがあってーーそれを切り離すために、随分時間かけちゃう状態みたいなのがすごく長くて、編集の方に迷惑かけた。

大胆不敵な行為

増山 ヨーロッパから帰って来て第一作が「ホットミルクはいかが?」で、次に「まほうつかいの弟子」、「ウェディング・ライセンス」が始まって、それをやりながら「ガラス屋通りで」「20の昼と夜」「ブラボー! ラ・ネッシー」とかを描いていると思うんだけど、結構冷静に描いているんじゃない?

竹宮 だから描いているのはなぜかっていうと注文が来るからっていうだけのことでね。自分から望んでこれが描きたいんです、みたいなことはなくて。私は結局デビューした時からそうだったんだけれども、構成力だけで出て来たっていう作家なんだよね。持ち味があるとかそういうことじゃなくて、きちんと構成が出来るということだけで出て来たから、そこに心が無くても作れるというところがあったのね。まんが家になって一年経つか経たない頃っていうのは本当に、何描きましょうか? ってこっちが言うくらいだった。向こうが言うものを描いてみようっていうか、それに即応できるんだっていうのが、私の自慢みたいなものでもあったわけ。で、大泉サロンでみんなとやり始めて、ああ違うんだ、心は必要なんだ、ということを思い始めたのね。

増山 だから「自分」でなければならない。

竹宮 そういうのを教えたのはこの人(増山さん)なのよね。私も大学の頃、色々政治のこととか論じることには慣れていたけど、こと自分 のことになると、そんなこと誰も論じていなかったし。

ーーそれから「ロンド・カプリチオーソ」が始まりますね?

竹宮「ロン・カプ」はもう、「ウェディング」やってもダメ。ダメっていうか、我ながら釈然としなかった。じゃあ今度はエンターテイメントに徹してもダメだったから、自分の心に従ってその時の自分の気持ちをぶつけるんだっていう思いで描いたわけ。それで随分説得された人はいるんだけど、今はあれは見たくない(笑)。「ロンド・カプリチオーソ」をどう思うかと言われたらね、ああいう状態には絶対なりたくない。っていう答しか出てこないわね。それが好きなのに、という人が沢山いて、今でもこだわっている人、ああいう風に描いてくれたらいいのにっていう人がね。本当に私のコンプレックスだけでできているっていうところがあって、見てると辛いし。果してこれを克服したのかっていうと、そんなことないんじゃないっていう答しか出てこないから(笑)。

増山 そのあとに時間的に追うと、ずーっと『週コミ』でやっていたのに『花とゆめ』に他流試合みたいに。

竹宮『花とゆめ』に行ったのは私自身がもういいかげんにこの落ち込みから出たいんだ、っていうところに至るわけよね、意識として。その時は、はっきりと自分が大胆不敵なことをしているんだなあ、っていう意識があったし。結局、小学館の私に対する期待だとか、今までにやってきた失敗の数々というのをひきずりたくなかったから、それを捨てたかった。

増山 やっぱりあの当時でも、大胆不敵な行為でしたよね。今でこそ不思議じゃないけれども。

竹宮 まだはっきりといわゆる契約のようなものは叫ばれていなかった頃で、私は全然したことなかったけれど。それだったら当然、出ていってもいいはずだっていう答になっちゃった。今になって、契約すべきじゃないと言いながらも、自分の所だけで描かせていた編集がいたわけ。その人に言わせると、とにかく出ていくやつの方が甲斐性があると。当然、編集者は止める。それを振り切ってでも出ていくやつが、甲斐性がある(笑)。それができないやつは甲斐性なしなんだっていうことになる。答は結果として出てくる。まだ中堅に手が届かない自分としては怖い状態なわけね。でもそれ位のことをしなきゃあ、自分が欲しいものを得られないんじゃないか。そういう意味で犠牲を払ってでもということで、そのまま小学館が怒って切れちゃてもいいんだ。一番最悪の事態を考えてそれもいい、何か新しいものがつかめるなっていうことで出たわけね。

増山 で、「つばめの季節」を描いて。

竹宮 最初は嫌われるものをやりたくなくて(笑)。私いつも最初はそうなのね。次は「ヴィレンツ物語」その辺に行くと殆ど脱脚しようという意識があって、そうなると出たも同然なんだよね。今から考えると、まだまだ出てはいないけれども、出るんだっていう慈識があるから。それで十分だということじゃないかな。

いいファンに囲まれて

増山「ジルベスターの星から」「ファラオの墓」は谷を脱けた。脱けたと言ったのはあなたであって、ファンは潮を引くようにいなくなっていたけど。

竹宮 私は自分のことしか関心がなかったのよね、そういう時は。ファンの後押しなんていうのは、半年とか一年経ってから現れる。私が一番不思議なのはマニアっていうのが即応しないのね。いいなあとこの作品を思うでしょう。でも、まわりの人の意見を聞かないと不安なの(笑)。しばらくみんなで、あれ良かったんじゃないって言ってみて、みんなが良かった良かったって言うと、ようやくはっきり公言することになるんであって、それが一年位かかっちゃう。即座に反応するのはミーハーファンだけ。

ーーファンには作品以外にもサイン会などでも応えていきたいというお気持ちはありますか?

竹宮 うん、一年に一回位はね。

増山 あなたは非常に幸福だったと思う。本当にいいファンがついてくれていてーー『さんるーむ』見ても思うものーー本当にいい子ばかりに囲まれて、よくぞここまでいい子が集まったというか、ねえ。不思議なくらい!

竹宮 だからファンに「何故サイン会に来るか」と尋ねたら「来ることで自分の支持する作家の人気が支えられるからだ」という意識を持って来るというのはなかなか(笑)来ること自体はつまらないことでも、そういうところに精神的な意味を持ってくれるというのはすごい。それでこそ助かっちゃう、って感じるね。

ーーファンの力も、竹宮さんとの距離を縮めよう縮めようとしてたようですが。

増山 お互いに歩み分ってたんだよね。

竹宮 それはあるんじゃない。

ーーこれからはもう派手な格好は?

竹宮 ちょっとあまりそういう格好はできないんじゃないかな(笑)。サイン会はたまにはやると思うけど。ファンの反応を見てないと、なんとなく自分の作品を読まれているっていう実感がないからね。手紙ももちろんだけど、やっぱり実感するでしょ、顔を見れば。そういうことのためにサイン会をするんだ、みたいなね。

ーー予想していましたか?「ファラオの墓」を描いて、まだ読者にはピンとこないだろうなって。

竹宮 今、「イズァローン」をやって、そう考えているけれども(笑)、「ファラオの墓」の時はそんな余裕ないもの。いじましいというか、本当にアンケートの結果が知りたかった。もうマニアなんかいいわけ。何を言ってこようが知るかって。ただただアンケートだけを知るというか(笑)。「ファラオ」を始めた時、どっちを始めようか随分もめたのね。「風木」があって「ファラオ」があったわけ。ところが担当さんに両方見せたら、当然のことながら「ファラオ」を選んだのね(笑)。でも、あの時「風木」をやっていたら失敗してたと思う。実力、構成力がなかったんじゃないかな。グレードが高くなかった。基本的な構成力はあるけれども、文学的に表現するとか、その辺の技術があまりグレードアップはしていなかったんじゃないかな。編集と気まずくなりたくなかったのね。それをおしてまでやる実力は私にはない。それを見返すだけの力はないと思って「風と木」を選ばなかった。

増山 そして「ファラオ」を連載している時に、 おそらく一番、読み切りを描いていたわね。「Qの字塔」「夏の夜の夢」「扉は開くいくたびも」「漫画狂の詩」「椿館の三悪人」「夏への扉」「NOELノエル」とばんばん描いていたね。

ーーそういう時の方が忙しかった?

竹宮 ものすごく忙しかった。だって、それ程の構成力がないにも関らず、イメージだけで、 毎回構成構成の連続でしょ。だからその時身につけたのかもしれないけどね。今の変わり身の早さとか(笑)。とにかく毎月違うイメージのものを出し続けて。

ファンレターは見なかった

ーー結局、二年後に「風と木の詩」が発表されたわけですが、その時期は合っていましたか?

竹宮「合ってた」というのはどういう意味で「合ってた」かというと、私のファンがガラッと変わっちゃって、まっさらでそれを受けとめる人が随分たくさんいたっていうことと、「ファラオ」の人気が高かったから、そういう目で見てくれた。これを描いてきた人だから、何とかやっていくだろうという信頼で、何とかなっちゃったというところもあるんじゃないかなあ。どうせやるなら大胆にいきましょう(笑)って、そういう人だったよね、あの時の担当さん。それでそのセンセーショナルなところで売りましょうと。私もそれを承知して。最初はそのセンセーショナルなところで売るというのがすごくイヤだったのね。まだ「風と木の詩」を描いたばかりの頃、何も言わずにひっそり始めて、それで売るということはせずに、もっと真面目にみたいなことを思っていたんだけれども、もういいや、ここまで来たら、センセーショナルに行っちゃうべっていう感じでね(笑)。何を言われてもいいやっていう大胆さでね。だからその部分で誤解なんかも沢山生まれただろうし、と思うけど。その辺にくるとファンっていうのは何なのか、みたいな私の方からのファンの概念のようなものができているから。どんなことが起きても怖くないねェっていうのがあったんじゃないかな?

ーー第一回目の反応はどうでしたか?

竹宮 いや、見なかったの(笑)。第一回目から四回目位までは、ファンレターが来たらそのまま担当さんの所で止めておいて下さい。私は受け取らない。絶対見たくないから。今見るとそれだけで、変わっちゃうかもしれないから見 たくないって言ってーー結局10回、2ヶ月位全然見なかったのね。最初の感触というのは、無い(笑)っていうか...2ヶ月後、手紙を開けてみたら、昔のファンがすごく読んでいるというのを感じたのね。「空がすき!」を好きだったファンが、私が「風と木の詩」を描きたい描きたい描きたいと言って、描けなかった状態をずっと知ってて、ようやく出すね、という歓迎の意思表示が殆どだったのね。「ファラオ」のファンというのは逆なのね。やだよ!! 前はあんなにはつらつとして明るかったのに、どうしてこういうもん描くの、って。落差の激しさにめげてるというのが殆どだったの。そういうことを私の場合、平気でやっちゃうのよね。裏切りという。

ーーそれは離れて行ってもかまわないから? それともずっと読んでいれば好きになるわよ、ということ?

竹宮 それは本人任せだから、そういうことをとやかく言う気は全然ないしね。ファンを集めてから出したかった、「風と木の詩」なんかはね。そこでどういう反応になるにしろ、必要だなって。圧倒的な人数がいてそれを読んでいてくれるんじゃなきゃイヤだ、っていう気分的に。最悪の状況では描きたくなかった。そこで判断されるんだったら公平なものだから、それに対して(自分が)おべんちゃらしようとか、そういうことは全然思わないから。離れようというのならそれでもいいし、それがこの作品の価値だっていう風に思っちゃうから、できるだけミーハーのファンがいいわけ。あんまりマニアっぽい判断をしないようなミーハーファンがワーッといる所に、ワーッと投げて反応が見たかったわけ。

増山 あの作品自体はどういう風に見てもマイナーな作品で、その単行本が二百万部以上売れているという数字ね。やっぱり不思議な成功をしたなって思う。私は、あなたが言ったようにひっそりと始めたらそういう数にはならなかったと思うのね。

竹宮 それは私の作家性が問題で、マイナーじゃあ勝負できない作家なんだって思うの、マイナーだけでは。マイナー好みの絵柄というのを最初から拒否しているところがあるし、暗い絵というのは読むのはいいんだけれど、描くと落ち込むのね(笑)。落ち込まないと描けない絵なのね。それがイヤだから、どうしても避けちゃうでしょう。アピールのある絵を描きたがる。マイナーで勝負するには何か足りない作家だなっていうか、中身には持っていても、それを外に出す部分で何となく削り落としちゃうところがあって、私の自己犠牲でやっちゃうところがある。「ファラオ」でワーッと集めておいて、そこにポンと投げたかったというのはミーハーフアンがほしかったからじゃないかな。マイナーではやっていけないというのを本能的に分っているからじゃない。

まんがより面白いものはない

増山 あの時、同時に「変奏曲」もやっているのよね。それで相乗効果を上げたと思うけれど

竹宮 あれはね、音楽家の話だし、落ち着いて読まなければよく分らない。

増山 だから前半は「変奏曲」と「風と木の詩」が並んで、後半は「風と木の詩」と「地球へ...」が重なるのよね。それぞれに全然別個のファンがついたのね。

竹宮 ものすごく極端にファン層が違うのね。

増山 今は「しっかりせいよ」という手紙が比倒的に多いわね。

竹宮 今はそうね。なんか虚脱状態でね。しゃきっと絵を描いてないねとか。なんかエネルギッシュさが足りないとか。そういうことをいう手紙が多いわね。

ーー「何とかしておくれよ」という?

竹宮 その内、何とかなるでしょうと思って下さい(笑)。私も描くのが面白くない状態にはいたくないわけ。 一生描いていこうというのを持っているでしょう。だから、描くのが面白くないという状態になるのはものすごく危険だから。行くとこまで行くと、又戻ってくるんですよね。描きたくない状態にしばらくいると、それに飽きて又戻ってくるというか、本当に私にはこれ以上面白いものは無いわけだから。生活の糧もないしね。落ち込んでいる時だとか、虚脱状態にいる時は、不安だ不安だ不安だと、まわり中に言うようなものではないし、結局自分の意志でしていることじゃないかという風に思っちゃう。したいから拒絶状態にいるんだという風に私は思っている。

ーー斬新なものが出てこない不安感というのはありませんか?

竹宮 ないわね。あまりにもすさまじいことをやってきたから。普通じゃないことをやってきたと思うわけよ。「風と木の詩」と「地球へ...」とをやったのをね。それがそんなに長続きをするのも変だし。まあそうなったら狂うしかないわね(笑)。それがイヤなら、長くやりたいなら、ボケーとしている時期もあるんじゃないかしら。客観的になるんだよね。

ーー最初に「空がすき!」でヒットを飛ばし、その後「風と木の詩」と「地球へ...」と「変奏曲」。殆どたて続けに出していて、パワーがあったわけですね。

竹宮 それはそうそうに期待されても難しいわね。そういうものを3本並列させるということはね。

ーーしばし休みたいと?

竹宮 休みたいというより、何となく休んでいるから休んでいる(笑)という...。

増山 はたで見てても、あなたは実に楽しそうに「フライ・ミイ」を描いてるし。

竹宮 あれは本当にブラブラしているのと同じなのよ。細かいものをちょこちょこっと小手先で遊ぶみたいなものだから。楽しくて(笑)。

増山「イズァローン伝説」もけっこう楽しげに、描いているし。

竹宮 あれは割と悩んでいる、というのではないけれど、色々考えているんだ。一番入れ込みたいのは何かというと、「イズァローン」になるのよね、今は。「風と木の詩」というのはそうじゃなくて、手本見てただ淡々と続けていけばいい。そんなに熱心にやるもんじゃないというか、これからの「風と木の詩」というのは。 今までのようにエネルギッシュじゃないとか言われるんだけど、あれはもうそういう時期は過ぎた。あれに入れ込むのは、もう古い(笑)。入れ込むよりも、細やかな意味で淡々とね。今まで自分が読者の立場に立てば、色々感情を動かされたと思うのね、あれによって。そういう風に描いてくる人が多いから。それを整理する時期にあたっているんだから、これからどうなっていけばいいんだろうということの、答を出してほしい。私もそうだし、読者もそうだし。だから、そんなに入れ込みまくるというもんじゃない。今、私が一番入れ込みたいのは「イズァローン伝説」、入れ込みたいんだよね。まだ入れ込んでいるというところまで行かないのが難問なんだけれど。

増山 アシさんにまかせず、自分で絵を描き始めたでしょう? それも一つの方法?

竹宮 そうね。満足のいく絵が描けないと入れ込めないから、という理由で。アシスタントが下手だからとかじゃなくてーー注文通りに描いてくれるけれどもーー厳密な意味で自分の状態に近づけたいからというので、自分で背景を描いたりもしているし。そうじゃないと何か納得できない。入れ込む材料にしたいから、殆ど自分で絵を描いているわけ。

増山 長期連載は二年三年経たないと、評価が出ないから。

竹宮「ファラオ」と同じね。「ファラオ」も最初の絵を冷静な目で見ると、今の「イズァローン」と同じで定まらないんだよね。毎回毎回分けて考えると、ここのところはしらけているとかが分るのね、こっちから見れば。だから今、同じ状態だなって。でも、何かを求める気持ちというのは「ファラオ」をやっていた時の方が、強いといえば強いわね。早く答を出したいとい う。

エドナンは私の自己弁護

ーー「変奏曲」という作品は、ボブがメインテーマであり、そのバリエーションとして、ウォルフやエドナンが描かれていると感じるのですが?

増山 そういう風に見えるんじゃないかな? 発表形態がそうだったから。別にメインテーマじゃないのよね。『グレープフルーツ』に最近描いたけれども、ボブというのはごく最近の産物で、まず最初にアネットとウォルフとの兄妹愛の話だったの。その次に、ウォルフとエドナンの芸術上のライバルの話。で、その話をもっと生き生きさせる為に、第三者的に美学者を設定して、そのモデルが迷亭さんだというのを初めて公開したんだよね。「吾輩は猫である」という、金ブチメガネの美学者「迷亭さん」(笑)。

竹宮 そう言ったらおかしいけれども、形はそのまま描いたのよね。

増山 だから、最初にそんな金ブチメガネをかけた美学者が出現した時は、彼は重要ではなかったのよね。

竹宮 なんか軌道修正をするのが専門の役柄なんじゃない、彼は。そんなに重要視はしていなかった。

増山 ああいう魅力的な人物に、いつのまに成長したんだろうね。

竹宮 遊んでいるうちに(笑)自然に作られちゃうのね。ただ遊びのつもりで「椿館の三悪人」を描いたら、あの二人だと描き易いから描こうと思ったら、それがボブについての結論みたいになっちゃった。で、それが構築されちゃったのね。成り行きでそうなっちゃった。ボブが語る、というタイプが一番やり易いからね。

増山 だから、最初はエドナンとウォルフの話、その音楽的な葛藤が拠点になっていたのよね。それがボブの方が人気があるのよね、アダルトの人に。でも、日本人て暗ーく屈折しているから、オーギュストを好きな人が圧倒的に多いじゃない。

竹宮 オーギュは成長していないじゃない。でもボブさんは全然違うじゃない。オーギュさんのように悲惨ではないけれど、悲惨の一歩手前という感覚があるから。

ーーボブの過去を描くという予定は?

竹宮 描こうとした予定はあった。

増山 今、ニーノの話になっちゃってるしね。

竹宮 そっちの方をかたずけないとね。ボブがどうやってなったかなんてやってもどうしようもないしね。

増山「変奏曲」は本当に発表形態が不規則だから、後でどうまとめていいのか分らないのね。今だって、ニーノの話をやっているけど、圧倒的にファンは「アレンはどうなっちゃったんですか?」というのが多いし。同時に語るというのはできないしね。ニーノは今、育ててる話でしょう。

竹宮 一番意外だったのが、ニーノを描く為にエドナンを、エドナンの顔が変わったと言われて(笑)。

増山 なんであんなに恐いお父さんになったんだろうって。

竹宮 だってあの性格じゃ、恐くしかなりようがない。自分がこうだと性格を決めちゃうと、例えば別の人間から見ればそれはとても冷たい人間に見えることもある。そういうことだってあると言いたい。気に入った主人公はみんなべストだと思われちゃ困るわ。あんまりそういうことは同情しないの。昔はネーム作っている時はあんまり悪いことはさせられなかったけれども、自分じゃないもんと放しちゃうともう何をやっても平気で。この人は悪い人って言えちゃうもんね。エドナンはすごい利己的にアネットを好きじゃない? あんまりいい旦那とは思えないし(笑)。アネットは結局、結婚して子供を作って、結果的には得をしているでしょう。まあ、いいでしょう、ウォルフを失くしたんだから。作者的に同情はあっても。時が経てば、ウォルフを失くしたんだからという同情はどこかに飛んでいってしまう。ニーノファンにはさんざんに言われるし(笑)。それが一番おかしかった。工ドナンにはおじいちゃんという時代もあるのよね、考えたらね(笑)。

増山 エドナンは子供もかわいがらないしね。自己愛の権化ね。

竹宮 性格的に私と似ているような気がする。そういう自己弁護する為に彼がいるような気がする。

まんがが私の天職

ーー長編の主人公のキャラクターの顔や性格、育ちというのは、どのようにして考えていくのですか?

竹宮 作ろうというのではなくて、私はこういう姿形をしている人が興味があるんですとまず思う。で、この人はどういう育ちをしてきたから、こういう性格、こういうしゃべり方をするという風に、好奇心の向くままにというか...。そんな風に設定していく。で、こういう育ち方をした人は、こういう趣味はありませんとか。つまり○×方式よ。

ーーこういう風に歩きますとか?

竹宮 その人がちょっとワンパターンで、それがあったから、これがないんですとかね。こういう性格の人に、全然違うこういうところがあるんだ、それは何故か? という昔の経験法だとかね。オーギュさんとかは、そういうパターンね。段階として。

ーーキャラクターは殆ど竹宮さんの分身だそうですが、その中で最も自分自身が出ているキャラクターは?

竹宮 生まれはタグなのね。育ちはセルジュ。

ーー単純な質問なんですが、どうして量産できるんですか?

竹宮 えっ、量産って?

ーーよく飽きないな、と。

竹宮 うーん...そりゃ飽きることはあるよ。私にとっては一番飽きないことだったんだよね、まんがが(笑)。

一同 ああ、そう!?

竹宮 すごい飽きっぽいんだ。他のことは。一番長くやっていられることだから、これが私の天職だと思っちゃったのね。だから石森先生が量産しているのを見て、ああ私もこうしたい、と思ったの。日がな一日まんがで暮すんだろうなと思って、まんがを描いて暮したい、私もそうなりたいって思ったからまんが家になったんであって。だって学校の先生になるチャンスもあったし、学校の先生がいやなら美術家になるチャンスもあったわけよ! もちろんいい絵を描けばだけどね! 入れ込めばもう少しいい絵が描けるだろうと思ったのに、つまんなくてやってられないわけ。画架の前に立っているということが、もう耐えられないの。何の意識もないモデルを描くっていうことが、つまんなくてつまんなくて。そこに何かがある人でなきゃ描けられない、そんないい絵なんて。あるいはキャンバスの上に何かサムシングが見出せるんじゃないと、絵なんか描いてたって、つまらないわけよね。それが私にはなかったんだから、やっぱり自分で捨てたとしか思えない。白い紙にコマを描いてる段階では私にはサムシングがあると感じられたけれども、他のことでは一切ダメだったわね。

ーー絵を描くことには飽きないんですか?

竹宮 描くことには飽きないね。絵には時々飽きるけど。自分の絵がきらいになっちゃう時。不思議なことにね、まわりに聞くのね、自分の絵をきらいになることない? って聞くと、無いって言うのね。もうすごく不思議なの、それが。自分の絵が結局一番好きだ、って。それは私の中にもあるとは思うの。でも、いつまでも信じていられないの、それを(笑)。他の人は信じて疑わないものなのね、そこのところが不思議ね。今いっぱい出てくる若い人たちも、本当に陶酔して自分の絵を見てるなっていうのが分るのね。その辺が私の新人時代には一切合切無かったから、そういう反応が不思議でたまらない(笑)。何でそんなに惚れ込めるのか分らない。だから私が本当に自分の絵に惚れ込んで、この絵いいでしょいいでしょ、って持ってまわる時っていうのは、絶対に誰からも賞められる絵でなければならない(笑)。そういう、かなり厳密なというか規定があるんだよね。それに満たないものを私が賞めるなんて譲れないっていうか、自分で惚れ込むなんて。

ーーマニアっぽい質問ですが、カラーにどれ位竹宮さん自身が手を加えるのでしょうか?

竹宮 その時によって違うのね。どうしても自分で入れたい絵とか。「イズァローン」なんかは自分が描かないと納得できないとか。なんで「イズ アローン」にそれ程入れ込むの、って聞くかもしれないけど、そうしたいからする、というのが自分にあって。私は自分の気持ち本意であって、その点読者本意じゃないんだよね。

増山 あんまり分業システムになってはいないんだよね、うちのプロダクト。

竹宮 はっきりとは決まっていないんだよね。だから、契約しているのもあるわけ。誰それに任せて塗ってもらって、注文とかつけないで、仕上げだけ私がするという形でやる時もある。

ーー女性まんが家は、そういうことにこだわって、線一本でもできるだけ自分で描きたい、というけれども、竹宮さんはその辺を割り切っていらっしゃるみたいですね。

増山 割り切るんじゃないんだよね。1+1が3になるように。それが好きなのね。

竹宮 別のものができあがる事を期待するからなのね。私はそういう意味で作品本意なの。誰が協力しようとかまわないから、それがよりいい方向に行くんだったらいいと。そうじゃなくて、手伝ってもらうことに慣れちゃうと、今度は流れ作業になっちゃって、その作品の質が下がるでしょう。そうなっちゃったら、しない方がまし。そういうことで協力する。本当の意味では割り切ってないんだよね。

増山 昔から言ってたわね。大泉サロンの頃からあなた一人が言っていたのよね。いずれ自分のプロダクション作って、色んな個性で合作するんだって。みんなに総スカンをくったのね。(笑)。

竹宮「自分一人で描くものよ」ってみんなが言うのね。

増山 斜線一本、自分で描くべきだっていう人の集まりだったから、大泉サロンは。

子供に向けて描く

増山 絵が洗練されると却って若さを失うという感じ、あなた自身の中に持ってる?

竹宮 それは持ってるよ。

ーー常に子供に対して描く?

竹宮 そうでなきゃ意味ないんだって思ってる。メッセージとしての意味はない。私はメッセージとしてまんがを描く以上、相手は若い人じゃなきゃダメだっていうか、頭が固くなっちゃった大人とか中年とかじゃダメなのよ、っていう考えがある。例えば中年の人たち、結婚しちゃった人たちを本当に相手にするんだったら、お互いに楽しみましょうね、っていう共通点がなければダメなのね。でも私は結婚もしてないし、普通の人と同じようなところってないのよね。元々普通じゃないところへもってきて(笑)。本当に暮し方も違うし、その辺がギャップになってとてもそういう人たちに向かって何か言えるような共通点は持っていない。

ーーそうすると、今のペンタッチは敢えて抑えているところはありますか?

竹宮 上手に描く方を? それはあるみたい。 時々、やおら欲求不満の虫が爆発して上手風にっていうか、そういう風に描きたくなることはあるね。でも描くと面倒くさいし時間はかかるし、かといってアッピールのある絵にはならないし、それで結局投げちゃうんだよね。だからどこかで凝りに凝ったーー竹宮恵子の色を排してもいいからーー絵を描いて、絵を描くということを楽しみたいっていう部分があるの。それにはテーマも何もなくて、ただ絵でいいっていう、そういううっぷんを晴らしたい気持ちはあるんだけど、それはどこかで何か機会があるんじゃないかな。一回描いたらもう次は描きたくないっていう位の絵を描きたい気はするの。でもそれは自分だけのことでしょ、自分だけのことにあまり興味があるようでいて興味がない。人がいっぱいいる所に自分がいて、その自分には興味があるの、すごく。だけど、まわりに誰もいなくって、自分一人しかいない時には何の興味も湧かない、自分に対して。まわりにある。例えばじゅうたんの汚れだとか花に水やってないとか、そういうことに関心がいっちゃうのね。まわりがみんな自分を見てるという時の自分にはすごく関心があるけど、そうじゃなければ何の関心もない。

ーー竹宮さん自身の理想の絵柄と今現在描いている絵柄とは違いますか?

竹宮 今のとは違うと思うけど、でもその理想の絵柄が何なのかっていうと、私はまだ分んない。まだ分んないというより、そんなのしょっちゅう変わってる。表に出しているのは「営業してる竹宮恵子」なのであって、私の本当の先端とは違う感じがする。先端の私を見せる時は、バカな実験をして失敗した時の私じゃないかな(笑)。例えば...例えばと言われると困るね。「風と木の詩」の最初の頃の絵は、あの頃の私にしてみれば理想の絵柄。ああいう風にひとコマの端が消えているの、そういうの好きなのね。まわりは想像して下さい、って感じで投げちゃうのが好きなのね。それだけじゃ、ほんの1ページは構成しきれないしね。ああ理想だなーと思うのは、5年とか10年とかにいっぺんづつ位しか出てこないんじゃないかな。で、しばらくの時期それをやってるけど、結局色んな事情でそれをやめちゃって、別の方向へ流れて行くっ なっちゃうね、どうしても。

実は根が暗い

ーー今、ストーリーのストックはどれ位ありますか? 何年か後に描きたい作品は?

竹宮 そういうのはあるんだけど、その話を編集にしたら、もうやめたら、って言われて。あなたに合わないよ、原作書いたら、とか言われてね(笑)。そうかその手もあったのかと思って。

増山  描かなかった作品というのも昔のスケッチ・ブック見ると出てくるのね。

竹宮 今、どうしても描きたいっていうのは ーー「風と木の詩」で思っていた時みたいなのーーはないわね。

ーー私小説的な作品というよりは、エンターテイメントな作品を描いていらっしゃいますが、私小説的なものにはあまり興味がありませんか?

竹宮 実はね、まわりにいる誰よりも自分は根が暗いんではないかという(笑)恐ろしい事実があって、私小説的になると暗くなるんじゃないか。それを見たくないっていう基本的にそういう反応があるわけね。だから、描くのだったらもっと自分に対して本気でなくなっちゃった時がいいっていう風にーー普通だったら、私小説的なものっていうのは若いうちに描いちゃって、あとでエンターテイメントに行くっていうのが普通のパターンなんだけど、私はそれをやるのだったら逆にしたいーーもう過去の思い出になってから描きたいっていう気がするんだけど。私の私小説的なものっていっても、自分が主人公になるようなものは描けないから、やっぱり誰かに写して描くっていうふうになるんじゃないかな、「ロンド・カプリチオーン」を描いてた時みたいにね。本当に、これは竹宮恵子自身の心の内を明かしているんじゃないのっていうことは、その状態を知っている人じゃない限り分らないでしょうから。早い話が、そういう作品は無いんではないかという。有り得ないんじゃないかな。だから、高野(文子)さんが描いてるじゃない、ああいう形のーー私小説でもないのかなあ、あれは何なんだろう。こうわりと昔の思い出みたいなこと描いてるでしょ。ああいうのっていうのはもうーーそうね、描くチャンスあるのかな。楽しんでマニア誌に描いたりとかそういう時はあっても、大々的に自分の特徴として出すことは無いんじゃないかな。

ーー今ここにこうしている作家・竹宮恵子というのは、プロになる以前にこうなりたいなと思っていた形と同じですか、違いますか?

竹宮 んー、まんが家になりたいと思った時には、何のプランもなかったんだよね。ただまんが家になりたかった。で、トップクラスになりたかったの。プロダクションを持ちたかったの(笑)。でも、こういう作家になりたいとか、そういう望みは何もなかった。それはなってから、生まれてきたことだから。子供が社長さんになりたいとか思うのと同じようなんじゃないかな。

ーーまんがの読者というのは、思い入れが強いまんがに対して何か自分と同じ何かを読み取りたいとか、読んでいて「そうなの、そうなのよ」って共感できることを求めたり、「この作品で、私は救われた」みたいな思いを持つことも多いんですよね。「風と木の詩」が発表されてから、私のまわりにも「こういうのを待ってたの」とか、「救われた」と言う子がいたんですが、竹宮さん自身、読者を救った、みたいな意識を感じられたことはありますか?

竹宮 そんなことはないわよね。そうね、あるとしたら結局...セックスの問題に関して全部伏せられていた少女まんがの中に、それを持ってきちゃった、というだけじゃないかな。

増山 オトメチックロマンはたいてい恋が成就したり結婚したら終りじゃない。でも実質的な生活の中では、右を見ても左を見てもそこから闘いが始まるわけでしょ。愛してれば愛してる程そこから闘いが深くなっていく。

竹宮 私のまわりの友人達の経験では、夫婦の間にあるいざこざって、みんな似通っているんだよね。細かい理由は違っていても、感情的なやりとりはものすごく似通っているわけ。だから、セルジュとジルベールの間にある争いだとか、そのまわりから来る影響だとかは全部現実の人と同じじゃないかなって。恋人を持っている人も、夫婦になっちゃった人もね。また恋人を持つに至らない、憧れでしかない中学生なんかだったら、あれは読んでもしょうがないのよね(笑)。だから、その段階に至っている人にはすごくリアルな問題として、あの二人の問題が受け取られるんじゃないかな。

ーーただ読者としては救ってほしいという気持ちがどこかであるんですね。この作品に、ひいては竹宮さんに。

竹宮 だから何をどう救ってるのかっていうのは色々手紙に書いてくるから...分るんだけど、全然違うのね一人一人。私はただ主人公に出会っていくエピソードに、色々なシチュエーションに対して私の考えを述べているだけなんだけれど、私が思ったように受け取られなくても読者が救われちゃったりとか(笑)するしね、まわりの人たちが言ったセリフに救われちゃったりーー例えばパスカルによって救われる人がいると思えば、カールによって救われる人がいる、ーーという感じね。あるいはこういう友だちがほしかったとかね。そういう目で登上人物一人一人を見てるから、この人の言うセリフに励まされたりとか、そういうことはあるみたい。それは私の描きたいこととは全然違うわけで、典型的な恋愛パターンなのね、あの話の本筋は。でも私はやっぱりそれから派生するまわりの反応とか、そういうのも描きたいといえば描きたいね。テーマとは関係ないけど。それで落ち着かされたり励まされたりということはあるんじ ゃないかなって気がするけど。

描くことが会話

ーー作者のメッセージと読者の反応がなければまんがを描いてる意味がないと思います。とおっしゃるのを読んだことがあるんですが、自分一人の為に描くっていうことは考えられませんか?

竹宮 そうね、私は考えられない。例えばこの世の終りが来て、自分一人が生き残った場合にまんがを描きますか? って質問されたことがあるの私はそれに対して、描かないって答えたのね。描く必要がないから。一人でいる時にすることではないよね、まんがを描くということは。一人でするにはあまりにも面倒くさすぎる(笑)何かを伝えるために描くっていうことはね。ただ絵を描きなぐるっていうのは、本当に自分のマスターベーションだと思うけど、そうじゃないもの、何かメッセージを伝える為に描くまんがっていうのは。人がいなきゃ絶対描かない。考えられないわね、自分のためだけっていうのは。とにかく私はこう思うのよ、あなたは...会話がしたいから描いているっていうか、私はあんまり口上手じゃなくって変わり者だから、まわりの人と会話のバランスが合わないんだよね。(増山さんに向かって)全然面白くなんないでしよ。会話してても(笑)会話してても役に立たないのよね。だから結局自分の中で落ち着いてかみしめて、その結果としてまんがにして出さないと理解されないの、私の言ってることは。主語はとばすし(笑)。相手の反応を期待しながらしゃべっちゃうところがあるから、相手にとっては何も面白くない会話になっちゃうし。自分を語るっていうのはいいんだけど、会話するのには向いていないみたい。

増山 若い編集さんに言わせると、あなたは17、18でデビューしてもう30になって、まんが以外のことは何ひとつやってなくて、しかもあなたはまんがばっかり描いてて...気の毒だっていう言われ方をしたのね。それはどう思う?

竹宮 だから、今ずっと話してきたように、私って何だか冷静で客観的なのね。恋してもあんまり燃えられないのね(笑)。つまんないわけ。早い話が誰かと話してるなんていうことは。会話が下手なこともあるけど。だから、そういうことやりたいなとも思わないし、自分にとって意外な程新鮮な相手って見たことないから、そのせいもあるかもしれないけど。

増山 十代、二十代、今三十代の一番の青春の時を犠牲にしたとはかわいそうに、という言い方をしたのね、その編集さんが。全然そうは見えないわけよね。逆にあなたはやりたいことを、やるだけやったわけで、その方が難しい。一番難しいことだと思うのね。やりたくてもできないという方がむしろ多いでしょ。

竹宮 そうね、そういう欲求不満って多いものね。

増山 苦労はたくさんあったけれども、実にやりたいことをやってきた気がするのね。

竹宮 やりたいようにやってきた。こんなにも自分の判断にまかされていることってないんじゃない、将来が。結局自分だけの責任で自分が選べばいいんだっていう。独断をまかされてるって最高の快感というか。私は男に生まれたかったいうところがあるから、こういうことをやってることで満足させているのね。だから今からそれを折って誰かに従属してーー結婚イコー ル従属とは思ってないけどーーそういうふうに暮していこうとは思わないわね。

増山 あなたを見てると24年組の人が殆ど結婚していないのが、よく分るの。青春を、やりたいことを全力投球でやって。

竹宮 だから、それほど楽しいことってないんだよね(笑)。でも大体みんな、いい人がいたら結婚しますって言うでしょ。あれってウソかなホントかな(爆笑)分んないけど...。

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