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【インタビュー:竹宮恵子】
ぱふ1980年04月号「特集竹宮恵子」(30歳)
増山さんが同席し少々発言しています

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163500...



ぱふ1980年04月号「特集竹宮恵子」
発行日:1980年03月31日
出版社:清彗社




ぱふ1980年04月号「特集竹宮恵子」154-170ページ
インタビュー:竹宮恵子
「地球へ…」は女が作った物語なの
──恋愛、結婚、出産、育児──
■構成・編集部
(図版に続いてテキスト抽出あり)

154ページ↑判読不明部分の修正データ提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/166235...



















インタビュー:竹宮恵子
「地球へ…」は女が作った物語なの
──恋愛、結婚、出産、育児──
■構成・編集部

二月十二日の夜八時、竹宮さんのインタビューのため、『ぱふ』編集部員三人は、既に閑散とした下井草駅に降り立った。以下は、三時間余にわたって行われたインタビューのもようである。


「地球へ…」の映画化は

──まずは、映画について、アニメーションの「地球へ…」には、竹宮さん御自身はどの程度関係されているのですか。

竹宮 アニメの全工程からいくと、大したことはしてないです。やっぱり、勝手がわからなくて、というのが正直なところで。
一番初めのキャラクターデザインをやって、あと、脚本の手直しというか、細かいところいろいろ打ち合わせして、コンテを見せてもらって、そのぐらいですね。コンテなんかでも、最初から関わらないと、大きい指示はできないし、その辺はもう監督さんまかせで。 監督さんは、実写ではかなり名のある人だから、勝手な口はさまない方がいいんじゃないかなって思って。

──他の部分で何か要求を出されませんでしたか。例えば音楽とか……。

竹宮 いえ、それもよくわからなくて(笑)、わたしには。とにかくわからない事だらけなんです。初めての経験なので。

──では、声優さんなども、あちらに一任という形ですか。

竹宮 そうですね。やっぱり監督さんの意見がアニメの場合一番強いということで。監督さんが、声優さんじゃなくて俳優さんを使いたいようなのです。実写の人だからそれなりに演技つけたいとか、いろいろあったみたいですね。

──主題歌は、聴いた感じでいかがですか。

竹宮 う〜ん、聴きやすいから(笑)、もしかしたらヒットするんじゃないのー、という感じ。ただ試聴テープを聴いた時は、男の人が歌っていたんですね。このほうが良かった。SFは、あまり女声は向いていないと思うんですけど。

──主題歌とかB・G・Mとかは、一枚のLPレコードになるんですか。

竹宮 ええ、なるそうですね。そちらの方で、何か詩を書いてくれませんか、とはいわれてるんだけど、やっぱり、私としては原稿描く方が大切だから、どうしてもそちらを先行して、という感じになってしまう。
だから、もっとタッチできるんなら話は別だけど、わたし自身にアニメの知識がない以上、この程度が一番いいんじゃないかな、と思ってるんです。

増山 前に、実写の話が起きたのよね。

竹宮 そう、そう。

──あっ、実写の話が。

竹宮 まだ第一部が終わっていないときに、そういう話が来まして、どこから来たんだっけ。

増山 やっぱり、大手映画会社だったわよね。

竹宮 ええっ!? といってね(笑)。だれがソルジャーやるの、だれが!?(一同爆笑) そこで、 既に挫折してしまった(笑)。漫画担当者が即座に断ってね。

──具体的な配役などは決まってなかったのですね。

竹宮 いえ、具体的な事は全然決まっていなくて、ただ映画にしていいかという話だけで。

──でも、考えてはいたのでしょうけれどねえ。

竹宮 そうですねえ、聞くまでもなかったりして(笑)。

──全部聞いてみたかったですね。

竹宮 そうね、話のタネぐらいにはなったかもね(笑)。とにかく、まず、やりましょうという企画が来るんですよね。何事でも。だから、だれでという話はなくて、まず企画としてOKかどうかが問題で、それから俳優とか具体的な事が決まる。だから、一たん動き出すとどこへ行くかわからない。

増山 とにかく、大組織のあらゆるセクションが一斉に動く訳なので、作者はきりきり舞いしちゃうんですね。

──だいぶ以前から、一度自分の作品をアニメ化したいとおっしゃってましたけど、今回それが実現してみていかがですか。

竹宮 何も「地球へ…」を望んでいた訳じゃないので、唖然! という感じね。「地球へ…」に関しては、自分でもビックリしている。「最初は、映画化するかしないかで、随分渋った──ここだから正直にいってしまうけど。

増山 もっと実験的にね……。

竹宮 うん、実験的に……というか、わたしがアニメやりたいといったのは、丸を動かしたりとか、棒を動かしてみたりとか、アニメの基本的なものをやりたかったんで──自分で描くならね。そうでなければ、もっと小さいところで、それこそ一時間ぐらいでいいから、読み切りみたいな感じのアニメをやりたかった。


ファン・レターの数が長期連載を決めた

──さて、それでは漫画の「地球へ…」の方へ移らせていただきます。足かけ三年以上にわたって描き続けてこられて、この度終了の運びになる訳ですが、「地球へ…」は、竹宮さんなりに完結しましたか。

竹宮 完結というか……結局どうなんだろう(笑)。話としては完結するけど、やっぱり結論は第三世代に預ける事になってしまうから……。その点では、はっきりした答は出せないみたい。その第三世代がトォニィたちじゃないって事は、最初に予定してた事なんだけど。

──PART2は、考えていないのでしょうか。

竹宮「地球へ…」のPART2は、今のところ描く気ないわ。あれより先へいくと、独断と偏見になってしまいそうだし。

──第三、第四のソルジャー・ブルーは出てこないんですね。

竹宮 そうね(笑)、そういう意味では出てこないわね。ソルジャー・ブルーというのは、へんに、こう、虚飾だなあという気がするんですよね(笑)。彼のスター性というか。なぜあんなに人気があるのか、我ながら全然わからない。ただ容姿がいいというだけのことで(笑) あるいは悪いところを全く見せなかっただけのことで。

──ファンの反応見ると、やはりソルジャー・ブルーが一番人気あるんですか。

竹宮 そうね。やっぱり、その想いだけが最後までずっと続いているから。わたしは、相変わらずジョミーの方が好きなんだけど。中途半端っぽいところがね(笑)。

──最初は、確か三回連載の予定で始められたんですよね。一回めのときに、既に三回めの終了の時点の話まで考えられていたんですか。

竹宮 一応、成人検査が終わったら、後は宇宙船が出るところまで描けばいいよね、という事で。ただ、その時点でも先に話はあったんだけど、まだ茫洋としててあまりはっきりは考えてなかった。先に希望を持たせるような話でいいんじァないか(笑)という感じで。だって、当然切られるだろうと思っていたし(笑)。

──では、一回めが発表されて、読者の反響がすごいからというので、長期連載になった……。

増山 いえ、一回めどころではなかったの。予告が出ただけでワーッとファン・レターが来てね。それで、編集部がビックリして……。

竹宮 わたし自身についてた女の子の固定ファンが多かっただけだけどね。

増山 要するに、あの当時、時代的にSFを望む声がいかに高かったかという事ね。そんな事は前代未聞なので編集部がビックリしちゃったんじゃない?

竹宮『マンガ少年』で個人あてに来るファン・レターというのは、それこそチラホラという感じらしいし。わたしみたいに、ワッと数集めるのはいなかったから、ビックリしちゃったみたい(笑)。でも、わたしにしてみればそうでもなかった訳。他の編集部へ来るものに比べたら──例えば「風と木の詩」やってる最中の手紙の数と比べたらね。だから、何となく、チラホラと来てるなァ、という感じで見ていたんだけど。でも『マンガ少年』の編集側はそれが衝撃だったっていうから(笑)。特に、男の人の漫画というのは、編集部あてにあまり手紙は来ないそうですね。送りたければ、それぞれに自宅の住所知ってて、みなそちらへ送ってしまうから。こちらは全部編集部止めでファン・レター来るようにしてあるから、編集部へ送るしかない訳ね。そんな伏線もあったんだけど……。編集部がだまされちゃったのね(笑)。わたしにとっては良かったけど。

増山 ここまで連載が延びるとは思いませんでしたけどね(笑)。

竹宮 そうねえ。だからこういう話が、例えばアンケートで一位とれたりするというのは、 かなり異常な事なんじゃないかと(笑)、今でも思うけれどね。


管理教育の善し悪し

──「地球へ…」の中で、「アタラクシア」という教育都市が出てきますね。「アタラクシア」だけでなく地球の制度そのものが全てそうなのだろうけど、教育というものが全て管理されていますね。最近の毎日新聞の記事に載っていたんですけど、現在、実際に生徒に背番号を付けて、名前を呼ばずに番号を呼んだりする、生徒総背番号制を実施している小学校などがあるらしいんです。この、管理教育というものをどうお考えになりますか。

竹宮 わたしは、地球の教育制度とか政治制度とかを創っていたときは、批判のみでは描きたくはなかったの。ある意味では便利なところもある、という事も見せたかった。理想的な子供を育てたかったら、ある程度こちら側を見せない、みたいな教育の仕方もあると思う。あとは、それをいかにうまくやるかの問題だと思う。だから、味方する部分も、わたしには半ば──まではいかないけど、三分の一ぐらいはある訳。だから、特にそれ自体を悪いとはいわないんだけど、人格破壊とか、そういうところに行かれると困る。今だったら、それを使う方の頭がなってないからダメなんじゃないかと(笑)、単純にそう思うけど。ガンダム流にいうならば、ニュー・タイプの人間でないと、そういうものは使えない。道具が発達してくると、人間の頭もある線を越えないとダメだなあとは思う。今、もし、理想の教育制度があったとしても、それを使える理想の人間がいるかというと、いないもの。

──「地球へ…」に描かれる社会の中では、いわゆるプライバシーというものは、存在しないのでしょうか。

竹宮 いや、知ってるのは結局コンピュータのみで、他の人間が知ってる訳じゃないから、一応プライバシーはある訳。個人間相互ではね。中央には全部知られているという事はありますけどね。ただ、特殊な職業以外の人は利用できないので、一応は守られているんじゃないかな。悪用する意識にはブレーキがかけられるように教育されてる。

──その職業ですが、確か職業選択の自由もありませんよね。自分の適性に合った部署へ配置される。一見ユートピアのようだけれど、考えようによってはすごいアンチ・ユートピアなのじゃないか、という気もするんですが。

竹宮 そこも、わたしとしては半々でね。そういうように適性に合ったところを──潜在意識的な部分から掘り起こされて、これが適性ですと与えられる訳だから、ある意味では飛び越えてるところもあると思う。人間が苦労して──模索していかなきゃいけない部分をね。挫折とか、そういう余計な経験──というと語弊があるかもしれないけどね、そういう挫折を経て何か別のものが育つ人もいるから──を省いて、成長をスピードアップするためには必要かなっていう気もする。必ずしも、わたしはそれが悪いとは思わない。ただ、ある程度の自由意志的なところがあってもいいとは思う。その適性判断に際してね。
よく、コンピュータで適性判断しますとか、占いしますとかってあるでしょ(笑)。そういうの、やってみたくなるじゃない、やっぱり、だから、自由意志でできるんならね。あえて、適性ではないのにやってみようという気になればね、それはそれなりに何か得るものがあるだろうし。未来はわからないから美しいんだっていうけど、そればかりでもない気がする。わりとシビアに考えればね、ロマンだけではないと思う。未来に対する夢というものを、ある程度こわすいい方かもしれないけど。


適性はどこから来る

──どうでしょう。もし、竹宮さんが漫画を描き始めた頃、コンピュータがやって来て、「アナタニハ、マンガハムカナイカラ、ホカノショクギョウニウツリナサイ」といったとしたら、どうしたでしょうか。

竹宮 わたしは、何事でも楽しめる方だからけっこう別の事も喜んでやってたんじゃないかしら(笑)。だから、そういう事が考えられるのかもしれない。漫画は趣味にして、自分の楽しみで描きながら、別の仕事に就くという事も、割に楽にできちゃうタイプだから。

──適性というのは、どこから生まれてくると思いますか。持って生まれた──生まれてきた時点で、適性というのはある程度決まっていると思いますか。

竹宮 ある程度は、そうだと思います。やはり、親からひいているものがあると思うから。それプラス環境。あとは自分で耕していく、みたいな感じになると思う。うーん、シビアにいえば、それぞれ三分の一ずつぐらいあるんじゃないかな。

──「地球へ.…」で描かれているように、教育がシステマティックになり、画一化、均一化されてくればくる程、客観的に見てその人の適性をひき出すという事は困難になるのではないでしょうか。

竹宮 そういう事はないんです。あれは、つまり先天的な素質というもので選んでいて、教育もそれにあわせて行なわれる。画一化というのとは少し違うのよね。コンピュータの能力がすごく大きくて個性を育てることもできる時代な訳。

──現在ある精神測定法のようなものが、もっと高度に発達して、幼いうちにそれによって振り分けられられる、ということでしょうか。

竹宮 いえ、そうじゃなくて、もっと前の段階で。つまり、生まれる前の段階で、遺伝子的なところで、分けてしまう。あるいは、組み合わせを考えるとか。


コンピュータは二つある

──この前の「マンガ少年」十一月号で見たところによりますと、マザー・イライザにとってミュウは永久に抹消することのできない存在だった訳ですね。

竹宮 成人検査は、その芽をかりとるためのものでもあったんだと思う。

──ああ、なる程。

竹宮 あれは結局、女性型コンピュータでしょう。わたしにとっては、女性型だけではない──男性型コンピュータというものの存在 も一方にはあってね。人間に女性と男性とがいるように。そこには違いが歴然とあるでしょう。精神的にはあまり差がなくなってしまっているけど、本質的違いは厳然としてあるという事を、わたし自身が身をもって感じている部分があって。だから、コンピュータの存在に関しても、そういうところが生きてくる。マザーは産む存在であるって訳。

──では、コンピュータにも、本質的な相違を持った二つの種類があると。

竹宮 ええ。例えば、記録型というのと、単純にいえば、思考型というもの。最後の最後に、わたしは思考型というものを残してある(笑)。思考型といっても、そのまま人間と同じではないという基本的な考えはあるんだけど。まあ、一応思考型と名づけるしかなくて、そういうタイプのコンピュータを置いてある。

──すると、ミュウはコンピュータに勝る存在である、と。

竹宮 そうですね。と、いうよりも、人間そのものが、やはりコンピュータに勝る存在であると思う。

──グランド・マザーに対する唯一絶対の命令──ミュウの素因子を消してはならないという──のところを読んだ時、一瞬、神とか超越者というものの存在が思い浮かんだのですけど、そうじゃないんですか。

竹宮 いえ、全然そうじゃないんです(笑)。結局、あのコンピュータというのはだれが作ったのだろう、という問題が最後にからんでくる。

──それは、はるか者、人類が生まれる以前に、外宇宙からやってきた何者かによって作られた……。

一同爆笑。

竹宮 そこまでSF的発想じゃないのよね(笑)。意外と現実的なんです。女が作った話だから(笑)。

──SFは、もう随分とものになさいましたね。

竹宮 そうですねえ。でも、果たして本当のSFなのかというと、問題が残る気も……。 その点では、松本零士さんと気が合ったんだけど、お互い全然違う事をいってたような気もする(笑)。合い方がズレたんじゃないか、と(笑)。


したたかな強い女性がいい

──ちょっと脱線してしまうのですけど、「ジルベスターの星から」に関して、何か一つ今までのものが済んだというような気がした、ということをどこかに書いてらっしゃったように思うんですけど。

竹宮 結局、スランプだった時期が抜けた、という気がしたの。何か、こう、落ちた! という感じね。今まで、わたしに課題として残っていたものを、ああ、やっつけた! という感じだったの。

──ヴェガ博士という女性が、最後に「何人も何人ものジルをあげる」といいましたね。 あれは竹宮さんの本音ですか。

竹宮 そうねえ(笑)、本音といえば本音かもね。女の一番強い部分がそれだと思っているから。

──したたかな?

竹宮 そう。だから、私の妹(妹の友だちなどもそうなんだけど)、なぜか、子供作るのがヘタっていうか(笑)、そのへんがすごく悩みでね(笑)。それで、全くかわいそうねえ(笑)という感じで、わたしにまかせて(笑)といっているんだけど。なぜか相手がいない(笑)。
わたし自身としては、そういうところのある女でありたい。例えば「火の鳥」にあったでしょ。天の岩戸の前でウズメが踊る話。あれが結局、敵国の男と一緒になっちゃうでしょ。あんたの子供を生んでやるんだ、という。あの強さが耐えられないなあ、良いなあという感じで(笑)。理想ですね。女の人がSFの中で価値を持つとすれば、そういうところじゃ ないかなと思う。すごく原始的な意味でね。
「ジルベスターの星から」もそうだし、「地球へ…」も随分そういうところがある。

──ミュウの最初の自然出産の子、トォニィが、アルテラという女の子と手をつないで赤ちゃんを作るシーンが、大変衝撃的だったのです。そこでの「希望すればどんなことでもできる」というセリフは、日常の生活の中のどのへんで考えつかれたものなのでしょうか。

竹宮 うーん、そうねえ……。やっぱり、すごく長い時間の間に培われた結論じゃないかな。

増山 昔から言ってたわね。人生観の一つとして。

竹宮 例えば、中学時代に好きな子がいるとするでしょ。で、その子をこっちに向かせたいと思うでしょ。結局、単純な事──その子がこっちを見るという単純な事なんだけど、やらせてみせる、というね、意志でもって何とかするというようなところが、昔からあったから。まあ、そういうところから始まって、漫画家になりたいと思ってなったという事とか、スランプになって、そのスランプからどうしても脱け出したい、もう一度脱けるまではやめるものか、という気持ちがあった事とか、そういうところから出てきたんじゃないかな。
「地球へ…」に関しては、わたしのそういう希望的観測というのか、そういうところから全て出てきている話だから、そんなことばもつい出てきちゃったんじゃないかな。

──結局、その男の子はこちらを向きましたか。

竹宮 (笑)今となってはよく覚えてないんだけど、失敗した時も成功した時もあるんじゃないかな。

──常に向かせることができたのなら、竹宮さんはミュウかあるいはニュー・タイプではないのかと……(笑)。

竹宮 (笑)むしろ、半年ぐらいかけてじっくりやった方が成功する(笑)。その場合には、周囲の人を利用するとか、いろいろある訳。

増山 ゲームなのね。

竹宮 そうね、わたしにとっては一種のゲームだったのかもしれない。自分自身の一生がどうなるか、という事に関しても、半ばゲームみたいな感じがある。……あんまりこわくはない。


管理社会と人口問題

──また、コンピュータ管理社会というところに戻るんですが、生態学者のデズモンド・モリスが「SF小説がどれ程いってみたところで、生物としての人間の本質的特性から、コンピュータ支配社会は実現しない」というような事をいっているんです。竹宮さんはどう思われますか。

竹宮「地球へ…」ぐらいまで完璧なのは無理、というか、そうとうな年月をかけないと無理という気はします。
この前、NHK教育テレビでやってたでしょ、SFと未来とかいう番組。あれなんか、すごくおもしろかったね。で、わたしコンピュータ一つ欲しいな、と思った訳。なぜ欲しいかというと、やっぱり育ててみたいからなの(笑)。そういう風に、コンピュータ自体を育てられれば、もしかしたらもしかするんじゃないか、という気はした。結局、人間だって同じでしょ。ただ、コンピュータは、並行して考える事ができない。一つの事をピックアップする事はできても、中で思考する事はできない。横につながるというのは無理でしょ。人間は、くだらない事しながら、パッとアイデアが浮かんだりとかね(笑)。コンピュータにはその辺がないので、果たしてどうかなとは思うけど。やっぱり、期待は持っている。
ただ、生活に必要な事だけ管理してもらうという事は、できるんじゃないかな。人間の生活の毎日のリズムとかね、そういうのはできるんじゃないかな。ただ、現実の今の世界を見ると、遠い未来の話だなあ、という気はするけれど。
「地球へ...」の設定で一番の難点は、どうやって皆を説得したのかしら(笑)、というところね。地球に住みたいという人も全部そこから追い出して、特殊政治体制(スペリオル・ドミナント)を作る事自体が難しいでしょ。それをどうしたのか、というところね。わたしにもよくわからない。

──「地球へ…」で描かれる世界は、人口も完全に調整されている訳ですね。

竹宮 そうです。

──今、この地球上では、人口が爆発的に増加していて、一つの危機を作り出しています。ところが、それに対する一般の認識というものがあまりにも低い。もっと、避妊とか中絶とかの問題を真剣になって考えてもいいと思うんですが、女性の立場からいかがでしょう。

竹宮 いや、それより、結婚を真剣に考えた方が(笑)いいと思いますね。やっぱり、結婚すると、親が早く孫の顔を見たいとか因習的な事いうでしょ。それにつられて、何の計画性もなく子どもを作ったりというケースが多い。だから、もっと真剣に結婚自体を考えるべきだと思う。意外と、単なる夢でもって結婚しちゃう人たちが多いから。だから、何のために結婚するのかを、もっとじっくりと考えて欲しい。単に伴侶として結婚するのだったら、子供を作る事は必要ないと思うしね。その辺をもっと厳しく考えて欲しいな、と思う。徒(いたずら)に子供を作ったりせずにね。


テレパシーは理想のコミュニケーション・メディア

──次は、コミュニケーションの問題についてなんですけど。考えてみれば、テレパシーというものは、人間にとって、マス・コミュニケーションの発達の契機となった活版印刷の発明に匹敵する、あるいはそれ以上のコミュニケーション・メディアではないかと思うんです。その、テレパシーでコンタクトをとり合うミュウの社会ですが、そこにはいわゆるプライバシーというものは存在するのでしょうか。

竹宮 ああ、それは、その能力がある以上、当然それを止める能力もあって、テレパシーといっても一種の特殊な会話法という感じで使っていて、プライバシーは完全に保たれている、と考えてます。

──ただ、テレパシーを使う能力とそれを止める能力があっても、個体相互間にはその能力の大小の差が当然出てくると思うのですが。

竹宮 いや、わたしはそれに関しては、いわゆるニュータイプの人間というのが──またガンダムの話になっちゃうけど──今までとは全然レベルが違う、対人間の考え方、思想が根本的に違うと思う訳。例えば、相手の事を思いやるとかね。今の人間が持っている能力以上のものを持っているのだから、そういう意味では、必要な場合を除いては、強制という事は絶対にしない。だから、人間として紳士というか、理性がすごく効くという訳。

──ミュウのテレパシーというものを、先程特殊な会話形態であるとおっしゃいましたが、それは、人間が電話で話をするように、頭の中で考えている事を、一たん言語記号に置き換え、それを音声にして遠くの相手に伝える──ミュウの場合は、この部分が当然省かれますが──という方法に類似するのでしょうか。それとも、頭の中の概念・思考というものをそのままダイレクトに相手に伝えてしまうのでしょうか。

竹宮 それは、そのままストレートに、です。より正確に、より早く、ね。そこでは、伝わらないゆえの誤解とか、思い過ごしとかがなくなる。一つの理想ね。

──ストレートに、ダイレクトに、という事ですが、それで本当に正確に伝わるでしょうか。

竹宮 うーん、伝わるというのが設定、というか、理想だから。

──つまり、個人によって思考の形態が本質的に違う場合があるのではないか、と。だから、全く裸の概念というものを他人にぶつけた場合に、相手の人がその人の持っている概念とは違う受け取り方をする場合がないでしょうか。

竹宮 いや、それはやはり、ことばを使うから起こる事で、そうでなければ、もうそのまま引き写しで伝わると思うけど。だから、ことばというものは、すごく不便なものだと思う。漫画世代だったら、ある程度その事がわかるんじゃないかな(笑)。ことばというのは、ニュアンスのとり方一つで、全く違う意味を持ってきちゃう事があるでしょ。私の仕事場では、いつも七、八人いるんだけど、その中で暮らしていると、そういう事は切実に感じますね。

──あのミュウたちの中で、一番テレパシー能力の強い者は、だいたいどのくらいの距離まで思念を送れるのでしょうか。

竹宮 例えば、ジョミーなどだと、地上にいて引力圏外まで、とか。わりに、距離に関係なくワープ的に届くのかもしれない。相手の位置がわからないと、どうしようもないところはあるけど。

──ただ、そうしますと、そういう能力の強い人が一人いれば、その人を宇宙の一点、あるいは惑星上の一点に置けば、テレビ局なりラジオ局の役割を果たすことができるのではないでしょうか。その能力の強い人を中継して、あらゆるところにいるミュウにメッセージを送る事ができる。するとそこでは、マス・コミュニケーションはあっても、そのマス・コミがもはや産業として成り立たなくなってしまうのではないか、という気がするのですが。

竹宮 うーん、そうねえ……。ただ、いつもそれをやってると疲れる(笑)。もしそうなってしまえば、ミュウの作る社会というものは、わたしたち旧人類には想像もつかない形態になるという気はする。そこまでいってしまうと、ちょっと描きづらい(笑)。でも、おもしろいかもしれないから、そういう話は「オルフェ・シリーズ」で描きたいなあと思ってい る。「オルフェ・シリーズ」は、ちょっとそういうところがある話だから。

──「オルフェ・シリーズ」は、次作の予定が既にたっているのですか。

竹宮 ええ、秋頃には描きたいとは思っているんだけど……。あれは、何でも描けそうというところがあって、わたし自身も楽しみにしている。
わたしとしては「地球へ…」よりも、むしろ 「オルフェ」の方がよりSFらしいと思ってます。「地球へ…」というのは、結局、現在から移行した。すごく常識的な描き方という気がする。

──「オルフェ」のシリーズの中で、「人間とミュウは共存できるんだ」といわせていますが、あれは竹宮さんの考えるところですか。

竹宮 そうですね。ただ「地球へ…」の場合は、もうバレちゃっているでしょ、ミュウがどういう生き物か。「オルフェ」の方は、ミュウといっても、うまく自分たちでセーブしながら生きている。そういう意味での共存だから。

──では、その存在がわかってしまうと、やはり難しい……。

竹宮 ええ、知れてしまうと無理だな、というのが結論としてはあるけれど。人間の方にそれを容認するだけの能力がないから。


「地球へ…」と「風と木の詩」

──えー、少し「地球へ…」を離れるんですが、メッセージ伝達の手段として漫画を選んだという事について、他のメディア──例えば、活字とか電波とか──と比べた場合、今どうお考えになっていますか。

竹宮 そうですねえ、自分一人しかかかわらなくていいという点で、他のメディアよりいいというところはあります。すごくストレートな伝え方ができるんじゃないか、と。独断と偏見も許されるし。例えば、映画とかアニメとかは、多くの人たちが関わるという難しさがある。もちろん、それだから出せるというものもあると思いますけど。だから、テーマというか、自分のいいたい事をストレートに出せるという事が、文学作家に等しいぐらいある。しかも、作家では文章にせざるを得ないところを、絵でできるということで、すごくクロスオーバー的なところがあって、今考えると、理想的な表現方法だなあと思っている。

──自分の描かれたものを、何回も読み直す方ですか。

竹宮 出した直後に見ても、何も感じられない(笑)けど、一ヶ月ぐらい経つと、ようやく客観的に見られるようになる。本当は、半年、一年経った方がいろいろいえる。ここは一カットとか、もう一コマあれば良かった、とか。わりと楽しんで読み返す方ですね。昔描いたものを、たとえあんまり良くなくても、いやがらずに読む方です(笑)。

──では、そういうところで、フィードバックの作業などをよくされている訳ですか。

竹宮 ええ、それはやっていると思ってます。だから、昔の方がいい絵だったなあという事で、またちょっと戻ろうか、というような事はありますね。

──漫画の絵柄というのは、昔の方がいい絵だったから戻ろうといって、簡単に戻れるものなんですか。

竹宮 自分で客観的にとらえられれば、戻れると思いますけど。ただ、わたしは、それぞれに捨て難いところがあって、それを自由に使い分けられるようになれば(笑)最高にいいのだけど、という欲張りな考えを持っている。話の種類によって絵柄を分けたいと思うのだけれど、やはりなかなか難しい。全く違うタイプ──例えばコメディーとシリアス──の 場合は使い分けられるけど、シリアスな絵を描いている最中に、ほんの少しの離れ方だと、どうしても似てきてしまう。

増山「地球へ…」と「風と木の詩」の絵が、どんどん似てきたものね。

竹宮 そうね、やっぱり真剣さが同じだから、どうしても似てきてしまう。だから、「風と木の詩」やめて「地球へ…」だけに集中しだすと、線が太くなってきて、もっと略しちゃえ、見てるのが男の子だからかまわない(笑)とかね。「地球へ…」の第一部の絵など今見ると、何という絵だ! よくこれで耐えてたなあ(笑)というところがあるんだけど、というのも、あの頃のわたしにとっては、「風と木の詩」の方が大切だった。一生懸命さは変わらないにしても、やはり「風と木の詩」の占める比重の方が大きかったから。

増山 それがだんだん均等になってきた……。

竹宮 そう。均等になってくると、絵も似てくる(笑)。それから、テーマ的にも「地球へ…」がかなり重くなってきちゃったのでつらくって、両方続けていく事ができなくなってしまった。

──「風と木の詩」は……。

竹宮「地球へ…」が終わったら、六月からようやく始まります。両方やるというのは、エネルギー的にも問題がありまして。

──「アンドロメダ・ストリーズ」は、両方いっしょに描けますか。

竹宮 それがわからないの(笑)、恐ろしい事に(笑)。


ボナールさんが好き!

──竹宮さんは、キース・アニアンよりはジョミー・マーキス・シン、ジルベールよりはセルジュだと思うのですが。

竹宮 あの、いいかげんさがたまらないのね(笑)。作者はそういうふうにいってはいけないと、いつもいわれるんだけど。回りがいう楽しみがなくなる、と。

──「ファラオの墓」に、ベヌディトという乳兄弟がでてくるでしょう。あの人が、「風と 木の詩」のボナールさんにだぶる(笑)。

竹宮 そうねえ、やっぱりボナールさんが一番好き、というか、「風と木の詩」でだれが好きですかときかれると、そういってしまう。すると、女の子の大半はひっくり返る(笑)。当然、主人公のどちらかを選ぶと思ってるんでしょう。

──「ファラオの墓」ですけど、その中に出てくる『エステーリア戦記』について、どこかの図書館から問い合わせがあったと書いてありましたね。そういうものが来た時というのは、作家の方にとってはどうなんでしょう。やっぱり、「やった!」という感じなんですか。

竹宮 それはもちろん「やった!」ですよ(笑)。それしかありません(笑)。「変奏曲」のあのお酒──バーガンディのゾレ──を、本気で探したという人がいましてね(笑)。その時も「やった!」という感じでしたけど。

──やはり、そういう時は、作家冥利に尽きる、と……。

竹宮 そうですね。わたしはうれしいですね。小さい子供が間違って覚えたらどうするんだ、といろいろいう人もいますけどね。それはねえ、もう、しっかり間違えて下さい!(笑)、 と。


子供ができれば変わるかも……

竹宮 例えばね、中学生の頃に結婚したとしてダンナさんが浮気したらいやかね、という話が出る訳。それは自分に責任があるのよ、つかまえておかない方が悪いとわたしがいったら、もうメチャクチャ(笑)。でも、わたしはそう思う。今でもそれを変える気はないんだけど(笑)。
恋というのは錯覚だとか、そういういい方はしないけど、すごく流動的だと思う。ずっとそこにあり続けるとは限らない。ただ、お互いが本質において恋した限りにおいては、最後まで続くだろうな、とは思う。そういう恋人が結婚して子供作るのなら大丈夫だろうけど、そうじゃない場合は、すごく問題が残ると思う。その点を本当に気をつければ、人口が増え過ぎて困るとか、そういう事はなくなるんじゃないかな。

──竹宮さんには、素敵な恋をして欲しいですね。

竹宮 いや、そういう話はいろいろありまして、子供をもうけて欲しいという人もいる(笑)。結婚しなくてもいいから、子供を作りなさいよ、という話が出たりする。今のわたしが、結婚して何かいいことあるかなあと思うと疑問なんだけど、子供を作る事に関してはあると思う。自分は結婚しても変わらないだろうけど、子供ができたら変わるだろうなあと思う。



ぱふ1980年4号「特集竹宮恵子」
 【竹宮恵子:アルバム】
 【インタビュー:竹宮恵子】
 【作品について+編集後記】

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