【往復書簡：光瀬龍・竹宮恵子】
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mototemplate 2021年11月23日(火) 00:11:56履歴
【往復書簡：光瀬龍・竹宮恵子】1980年09月10日
初出：PasseCompose・パセコンポゼ：1980年09月10日
再録：続マンションネコの興味シンシン：1984年10月5日
Passe Compose パセコンポゼ 過去完了形
出版社：駸々堂書店
発売日：1980年09月10日
続マンションネコの興味シンシン
発行所：角川書店
初版発行：1984年10月05日
往復書簡：光瀬龍・竹宮恵子
図版は「続マンションネコの興味シンシン」より
（図版に続いてテキスト抽出あり）
竹宮恵子様――光瀬龍
今、午前三時。私の一日の終りです。
むかしの私なら――ヘビどころか、ヘビ年生れの人でさえ、へきえきするほどの、ヘビースモーカーであった頃の私なら、当然、ここで一服つけて、一日分の満ち足りた思いと、何がしかの感慨にひたるわけですが、たばこをやめて既に久しい今の私には、その呪術的愉しみも無く、ただ、肩に積った一日の重さを、あああ、てな調子で自堕落に受け止めるばかりです。
貴女はヘビ年、いやトラ年だったねえ。ヘビ年の人は、たばこはいけませんよ。貴女はたばこは吸わないようだけれども、ヘビを退治するには、たばこがいちばんいいんです。たばこのヤニがつくと、ヘビは尻尾からくさっちゃうんだよね。
今日、押し入れにほうりこんである古雑誌の間から、古い「少女の友」が出てきました。昭和十四年。今から四十年も前のものです。
表紙は中原淳一。ほこりを払って、茶色になったページを繰っていると、松本かつじの《くるくるくるみちゃん》というまんがが目にとびこんできました。
それらは、遠く過ぎさった少年時代への郷愁に、たまらなく私の心をかり立てました。
今日は、そのことから書いてみたいと思います。
中原淳一の画は、たぶん見たことがあるでしょう。昭和十年代のはじめ頃から、太平洋戦争をはさみ、昭和三十年代のはじめ頃まで「少女の友」や「ひまわり」などの少女雑誌の表紙やさし絵などを描いて、熱狂的にむかえられました。淳一の描く、目の大きな、煽々とした美少女の、はかない風情とそこはかとない退廃の驚は、それは甘美な思いで、少年たちの胸を締めつけたものでした。少年たち、というのが、奇異に思われるでしょう。
私が書いてみたかったのは、そのことなのです。
淳一の活躍した時期が、太平洋戦争をはさみ、と書きましたが、実はその太平洋戦争がはじまる少し前頃、淳一は軍によって抒情画を描くことを禁じられてしまったのです。女子挺身隊や、女学生の竹槍訓練の時代に、哀愁に満ちた薄幸そうな少女の画などまかりならんというわけです。だから、私が「少女の友」で淳一のさし絵を目にしたのは、既に戦争もはげしい頃で、その「少女の友」は、私の姉の所有になるもので、もう古い雑誌だったわけです。
恋という言葉さえ禁じられていた時代に、一枚の抒情画が、どんなに少年たちの心を熱く灼いたことか。画の中の少女を恋うるのは、さめない夢に沈溺することです。
淳一の画も、《くるくるくるみちゃん》も、もうふたたび登場してくることはないのだという哀惜の思いが、少年たちの心を締めつけ、深く傷つけたのでした。
それは心やさしい少年たちにとって、秘めたる恋人の面影の如く、甘く切ないものでした。それは二度と還らない青春の烙印でしょう。
私のところへ、SFの若い読者たちがよくやって来ます。かれらのほとんどが、同時に少女まんがの熱烈なファンでもあります。そしてそれぞれに好きなまんが家があり、好きなキャラクターを持っています。かれらがそれを語るとき、あたかも、自分の恋人について語るが如くです。
事情は変っていても、自由に人を恋することができる時代であっても、若い心のはたらき、みずみずしい心の感受性は少しも変っていないのだな、と思います。
少女まんがに登場してくる主人公に寄せる想いをつづった手紙を、私あてに送ってきた青年がありました。現実にどうしようもない心の苦しさを、せめて代りに読んでくれる人に送ろうというのでしょう。その心の新鮮さは、これは若い時代の特権です。
そうした青年たちの中に、貴女のファンがたくさんいます。貴女の作品のひとこま、ひとこまに、若い時代の、おのれ自身の一刻、一刻が充填（うめ）られてゆくのでしょう。
とてもいいことです。
だから、竹宮恵子よ。おまえ、しっかりしなくちゃいかん、などと野暮なことを言うのではありません。
自分の作品を、誰かが身を削るようにして読んでいるんだ、という覚悟のようなものをいつでも、心のどこかに持っていてもらいたいと思うのです。創作というのは、他人の為ではなく、自分の為にやっているのだ、とよく言われます。全くそのとおりなのですが、自分の為にやることが、他人の為にやることでもあるのです。
それについて思い出すのは、いつか貴女は、この世に、自分一人だけが生き残ったとしたら、私はまんがを描かないでしょう。と言ったことがありましたね。その自己顕示の姿勢は立派です。 このひとことは、正にプロの発言です。
『風と木の詩』、毎回大変興味を持って見ています。貴女という人が、実によくわかって楽しい。そんなことを言うと、「すぐにそう軽々しいことを言う。わかってたまるか！」などと目ェ釣り上げている顔が見えるようだが、なんのなんの、貴女の韜晦（とうかい）趣味はなかなかのものだから、多少のキーワードぐらいでは解けんのよ。
『地球へ…』、SFだし、正直のところ、はらはらしています。でも、よくやるもんだねえ。あらためて感心しています。近頃、少女まんがの、とくに新人にSF作品が目立って多くなったようですが、どうも、ストーリーの展開が弱いようです。ほんとうは、SFというのは思い切ったストーリー展開が可能であり、波瀾万丈の物語が作れるはずですが、どれも妙にちぢこまって、発想がひろがらない。たまにそれらしいものがあると、これはどうも前にどこかで読んだような筋だったり。ほんとうにSFの面白さがわかってSFまんがを描いているのかな、と思うようなものが多い。これは男性のまんが家(妙な言い方だが)のSF作品でも同じようなことが言える。鶏を裂くのに牛刀をもってするようなSFが多いのはたいへん残念だ。SFというのは発想それ自体ではなく、料理する手法のことだ。《SF的発想》などという妙な言葉にまどわされないようにしないとね。貴女の『地球へ…』はたいへん壮大な夢があっていい。そのロマンを忘れないようにしてください。みなで声援しています。
外は雨です。
風邪がはやっているようですから、お体大切に。 また書きます。
竹宮惠子 樣
光�麥�
光瀬龍様――竹宮恵子
何か昔なつかしい、かぐわしさを感じて、ロマンチックな思いに浸りつつ、お手紙を拝見致しま した。
そう――母がまだ女学生の頃に描いた、小さな古い彩色画を、私は大切に持っているのですが、満州生まれの母が、日本へ持ち帰ったドイツ人形や、数少ない写真には、なんだか特別な呪文でもかけられているように不思議なエキゾチシズムに満ちています。母も例にもれず、中原淳一のファンで、彼の、「子供服デザイン集」をボロボロになるまで参考にしていましたっけ。そんな服を着ながら、私もまた、母の過去の象徴みたいな中原淳一の絵で育ったのかもしれません。
三月、雛祭りが来るたびに、はなやかに店頭に並べられる雛人形。あれを見ると、祖母が競馬で得たお金で、初孫の私のために買い集めてくれたという雛人形を思います。初節句だからといって、そんなものを気安く買い求められる時代ではなかったと思うと、五段飾りのセットでなく、店の片隅の大きな箱の中に入れられてバラ売りされていた、この人形たちに、ひたすらせつない愛情がわいてきます。若い頃、大工などもやった父の、手造りの木箱から、これを取り出すとき、やはり過去の世界のエキゾチックな香りがして、いつも、殊勝な気持ちにさせられたものでした。
私は幼な心に、母が満州生まれであることが自慢でした。父が戦争で、同僚に遅れをとってしまって、会社を辞めたという話も、悲しいながら好きでした。両親は何もない時代に生きて、結婚式には花嫁衣装が着られなかった。娘時代に好きだった牡丹の柄の着物を、私に着せたかったと母が言った。兵隊時代の写真を指しながら父が、彼も死んだ、彼も死んだと平然という。そんなことを私は、ぞっとしたり、口惜しさにかられたりしながら聞いて、ものすごく強烈な、明確な過去の印象を胸にきざみつけたものです。♪ナンナンナンナン南京さん、南京さんの言葉は南京言葉……という歌も、母や祖母から教わりました。♪……赤いお船で父さまの帰るあしたを待ちましょう……というのもありました。きっと終戦で帰ってこなかった父親のことだろうと思うのですが、強烈に覚えている歌のひとつです。中国の旋律の歌を、母がふとんを敷きながら歌っていて途中で思い出せなくなったのを、実に口惜しく思ったこともありました。
あなたが、ロマンチックな少年時代のお話を書きおくって下さったせいか、私まで思い出に浸りすぎてしまいました。でも、こうした経験を私は、一種のタイムトラベルだとすら思っています。父の思いやら、母の思いやらに同調して、どこまでも、私の知らない満州の鞍山や、ジャワ島(父の戦地)まで旅したいと思うし、可能なことだと信じています。そして父や母や私の、感性が同調することで歴史がつながってゆくんだ、などと思ってもみます。あなたのお手紙によって、今、私はあなたの少年時代とも、つながれたんだと言えないでしょうか。
そんなふうに考えてみると、漫画も、だれかとつながれる、タイムスリップ空間です。私の主人公の一挙一動に、一喜一憂して同調してくれる読者のだれかさんは、もしかしたら、私の祖母と、密かにどこかで結ばれていたりするのかもしれません。
人と人の触れあいが、もし感性のエネルギーの接触だとしたら。肉体は単に精神の入れものにすぎないとしたら。精神が触れあうと溶けあってしまうものだとしたら。私の中には今、どれだけの精神がつまっているんだろう。できるだけそれを感性に変えて持っていよう、そう思います。そして、できるだけ多くの感性と触れあいたいと思います。その重みをズッシリと(精神に重さはないけれど)感じて生きたい、なんていうと、友人たちにはウンザリした顔をされるのですが……。
自分自身という個体が、空中に指で人型をなぞったようなもので、しょっちゅうその中を、いろんな精神が行き来している。そんな感じをいつも持ってはいるのですが、言葉にして人に語ってみようとすることは、あまりありません。時々、友人の間で幼い頃の共通体験に花が咲く時、奇妙な精神の接触に快感を覚えるくらいなものです。
手紙というのは、またひとつ不思議なものですね。もう何度もお会いして、昔の話もしているのだけれど、今度のお手紙で、やっとつながる糸を発見したような気がしました。幼かった私が、まわりにいる大人たちとの間に、ふと対等の位置をみつけたとき、自負に満ちて幸福だったのを思い出します。
この間、ご招待いただいた大相撲トーナメント、とても珍しく、楽しく拝見いたしました。そして、何よりもあなたと、ひとり息子の修羅くんとの、父子の会話が楽しかった。私は、いろいろと細かく覚えているのですよ。とてもいい時に、修羅くんを見せていただいたと感謝しています。
きのうは暖かだったのに、きょうはまた、雨です。
雛段は相変わらず春の香りがしています。
古くなったぼんぼりの紙を張りかえて、桜の花でも描こうかな、と思いつつ、また忙しさに追われて忘れたり。
今度お会いする時は、春らしくなっているでしょうか。
久しぶりに手紙を書きました。
機会がありましたら、またこのような、お手紙のやりとりもお願いしたいと思います。
それでは又……。
光�� 龍 樣
竹宮恵子
初出：PasseCompose・パセコンポゼ：1980年09月10日
再録：続マンションネコの興味シンシン：1984年10月5日
Passe Compose パセコンポゼ 過去完了形
出版社：駸々堂書店
発売日：1980年09月10日
続マンションネコの興味シンシン
発行所：角川書店
初版発行：1984年10月05日
往復書簡：光瀬龍・竹宮恵子
図版は「続マンションネコの興味シンシン」より
（図版に続いてテキスト抽出あり）
竹宮恵子様――光瀬龍
今、午前三時。私の一日の終りです。
むかしの私なら――ヘビどころか、ヘビ年生れの人でさえ、へきえきするほどの、ヘビースモーカーであった頃の私なら、当然、ここで一服つけて、一日分の満ち足りた思いと、何がしかの感慨にひたるわけですが、たばこをやめて既に久しい今の私には、その呪術的愉しみも無く、ただ、肩に積った一日の重さを、あああ、てな調子で自堕落に受け止めるばかりです。
貴女はヘビ年、いやトラ年だったねえ。ヘビ年の人は、たばこはいけませんよ。貴女はたばこは吸わないようだけれども、ヘビを退治するには、たばこがいちばんいいんです。たばこのヤニがつくと、ヘビは尻尾からくさっちゃうんだよね。
今日、押し入れにほうりこんである古雑誌の間から、古い「少女の友」が出てきました。昭和十四年。今から四十年も前のものです。
表紙は中原淳一。ほこりを払って、茶色になったページを繰っていると、松本かつじの《くるくるくるみちゃん》というまんがが目にとびこんできました。
それらは、遠く過ぎさった少年時代への郷愁に、たまらなく私の心をかり立てました。
今日は、そのことから書いてみたいと思います。
中原淳一の画は、たぶん見たことがあるでしょう。昭和十年代のはじめ頃から、太平洋戦争をはさみ、昭和三十年代のはじめ頃まで「少女の友」や「ひまわり」などの少女雑誌の表紙やさし絵などを描いて、熱狂的にむかえられました。淳一の描く、目の大きな、煽々とした美少女の、はかない風情とそこはかとない退廃の驚は、それは甘美な思いで、少年たちの胸を締めつけたものでした。少年たち、というのが、奇異に思われるでしょう。
私が書いてみたかったのは、そのことなのです。
淳一の活躍した時期が、太平洋戦争をはさみ、と書きましたが、実はその太平洋戦争がはじまる少し前頃、淳一は軍によって抒情画を描くことを禁じられてしまったのです。女子挺身隊や、女学生の竹槍訓練の時代に、哀愁に満ちた薄幸そうな少女の画などまかりならんというわけです。だから、私が「少女の友」で淳一のさし絵を目にしたのは、既に戦争もはげしい頃で、その「少女の友」は、私の姉の所有になるもので、もう古い雑誌だったわけです。
恋という言葉さえ禁じられていた時代に、一枚の抒情画が、どんなに少年たちの心を熱く灼いたことか。画の中の少女を恋うるのは、さめない夢に沈溺することです。
淳一の画も、《くるくるくるみちゃん》も、もうふたたび登場してくることはないのだという哀惜の思いが、少年たちの心を締めつけ、深く傷つけたのでした。
それは心やさしい少年たちにとって、秘めたる恋人の面影の如く、甘く切ないものでした。それは二度と還らない青春の烙印でしょう。
私のところへ、SFの若い読者たちがよくやって来ます。かれらのほとんどが、同時に少女まんがの熱烈なファンでもあります。そしてそれぞれに好きなまんが家があり、好きなキャラクターを持っています。かれらがそれを語るとき、あたかも、自分の恋人について語るが如くです。
事情は変っていても、自由に人を恋することができる時代であっても、若い心のはたらき、みずみずしい心の感受性は少しも変っていないのだな、と思います。
少女まんがに登場してくる主人公に寄せる想いをつづった手紙を、私あてに送ってきた青年がありました。現実にどうしようもない心の苦しさを、せめて代りに読んでくれる人に送ろうというのでしょう。その心の新鮮さは、これは若い時代の特権です。
そうした青年たちの中に、貴女のファンがたくさんいます。貴女の作品のひとこま、ひとこまに、若い時代の、おのれ自身の一刻、一刻が充填（うめ）られてゆくのでしょう。
とてもいいことです。
だから、竹宮恵子よ。おまえ、しっかりしなくちゃいかん、などと野暮なことを言うのではありません。
自分の作品を、誰かが身を削るようにして読んでいるんだ、という覚悟のようなものをいつでも、心のどこかに持っていてもらいたいと思うのです。創作というのは、他人の為ではなく、自分の為にやっているのだ、とよく言われます。全くそのとおりなのですが、自分の為にやることが、他人の為にやることでもあるのです。
それについて思い出すのは、いつか貴女は、この世に、自分一人だけが生き残ったとしたら、私はまんがを描かないでしょう。と言ったことがありましたね。その自己顕示の姿勢は立派です。 このひとことは、正にプロの発言です。
『風と木の詩』、毎回大変興味を持って見ています。貴女という人が、実によくわかって楽しい。そんなことを言うと、「すぐにそう軽々しいことを言う。わかってたまるか！」などと目ェ釣り上げている顔が見えるようだが、なんのなんの、貴女の韜晦（とうかい）趣味はなかなかのものだから、多少のキーワードぐらいでは解けんのよ。
『地球へ…』、SFだし、正直のところ、はらはらしています。でも、よくやるもんだねえ。あらためて感心しています。近頃、少女まんがの、とくに新人にSF作品が目立って多くなったようですが、どうも、ストーリーの展開が弱いようです。ほんとうは、SFというのは思い切ったストーリー展開が可能であり、波瀾万丈の物語が作れるはずですが、どれも妙にちぢこまって、発想がひろがらない。たまにそれらしいものがあると、これはどうも前にどこかで読んだような筋だったり。ほんとうにSFの面白さがわかってSFまんがを描いているのかな、と思うようなものが多い。これは男性のまんが家(妙な言い方だが)のSF作品でも同じようなことが言える。鶏を裂くのに牛刀をもってするようなSFが多いのはたいへん残念だ。SFというのは発想それ自体ではなく、料理する手法のことだ。《SF的発想》などという妙な言葉にまどわされないようにしないとね。貴女の『地球へ…』はたいへん壮大な夢があっていい。そのロマンを忘れないようにしてください。みなで声援しています。
外は雨です。
風邪がはやっているようですから、お体大切に。 また書きます。
竹宮惠子 樣
光�麥�
光瀬龍様――竹宮恵子
何か昔なつかしい、かぐわしさを感じて、ロマンチックな思いに浸りつつ、お手紙を拝見致しま した。
そう――母がまだ女学生の頃に描いた、小さな古い彩色画を、私は大切に持っているのですが、満州生まれの母が、日本へ持ち帰ったドイツ人形や、数少ない写真には、なんだか特別な呪文でもかけられているように不思議なエキゾチシズムに満ちています。母も例にもれず、中原淳一のファンで、彼の、「子供服デザイン集」をボロボロになるまで参考にしていましたっけ。そんな服を着ながら、私もまた、母の過去の象徴みたいな中原淳一の絵で育ったのかもしれません。
三月、雛祭りが来るたびに、はなやかに店頭に並べられる雛人形。あれを見ると、祖母が競馬で得たお金で、初孫の私のために買い集めてくれたという雛人形を思います。初節句だからといって、そんなものを気安く買い求められる時代ではなかったと思うと、五段飾りのセットでなく、店の片隅の大きな箱の中に入れられてバラ売りされていた、この人形たちに、ひたすらせつない愛情がわいてきます。若い頃、大工などもやった父の、手造りの木箱から、これを取り出すとき、やはり過去の世界のエキゾチックな香りがして、いつも、殊勝な気持ちにさせられたものでした。
私は幼な心に、母が満州生まれであることが自慢でした。父が戦争で、同僚に遅れをとってしまって、会社を辞めたという話も、悲しいながら好きでした。両親は何もない時代に生きて、結婚式には花嫁衣装が着られなかった。娘時代に好きだった牡丹の柄の着物を、私に着せたかったと母が言った。兵隊時代の写真を指しながら父が、彼も死んだ、彼も死んだと平然という。そんなことを私は、ぞっとしたり、口惜しさにかられたりしながら聞いて、ものすごく強烈な、明確な過去の印象を胸にきざみつけたものです。♪ナンナンナンナン南京さん、南京さんの言葉は南京言葉……という歌も、母や祖母から教わりました。♪……赤いお船で父さまの帰るあしたを待ちましょう……というのもありました。きっと終戦で帰ってこなかった父親のことだろうと思うのですが、強烈に覚えている歌のひとつです。中国の旋律の歌を、母がふとんを敷きながら歌っていて途中で思い出せなくなったのを、実に口惜しく思ったこともありました。
あなたが、ロマンチックな少年時代のお話を書きおくって下さったせいか、私まで思い出に浸りすぎてしまいました。でも、こうした経験を私は、一種のタイムトラベルだとすら思っています。父の思いやら、母の思いやらに同調して、どこまでも、私の知らない満州の鞍山や、ジャワ島(父の戦地)まで旅したいと思うし、可能なことだと信じています。そして父や母や私の、感性が同調することで歴史がつながってゆくんだ、などと思ってもみます。あなたのお手紙によって、今、私はあなたの少年時代とも、つながれたんだと言えないでしょうか。
そんなふうに考えてみると、漫画も、だれかとつながれる、タイムスリップ空間です。私の主人公の一挙一動に、一喜一憂して同調してくれる読者のだれかさんは、もしかしたら、私の祖母と、密かにどこかで結ばれていたりするのかもしれません。
人と人の触れあいが、もし感性のエネルギーの接触だとしたら。肉体は単に精神の入れものにすぎないとしたら。精神が触れあうと溶けあってしまうものだとしたら。私の中には今、どれだけの精神がつまっているんだろう。できるだけそれを感性に変えて持っていよう、そう思います。そして、できるだけ多くの感性と触れあいたいと思います。その重みをズッシリと(精神に重さはないけれど)感じて生きたい、なんていうと、友人たちにはウンザリした顔をされるのですが……。
自分自身という個体が、空中に指で人型をなぞったようなもので、しょっちゅうその中を、いろんな精神が行き来している。そんな感じをいつも持ってはいるのですが、言葉にして人に語ってみようとすることは、あまりありません。時々、友人の間で幼い頃の共通体験に花が咲く時、奇妙な精神の接触に快感を覚えるくらいなものです。
手紙というのは、またひとつ不思議なものですね。もう何度もお会いして、昔の話もしているのだけれど、今度のお手紙で、やっとつながる糸を発見したような気がしました。幼かった私が、まわりにいる大人たちとの間に、ふと対等の位置をみつけたとき、自負に満ちて幸福だったのを思い出します。
この間、ご招待いただいた大相撲トーナメント、とても珍しく、楽しく拝見いたしました。そして、何よりもあなたと、ひとり息子の修羅くんとの、父子の会話が楽しかった。私は、いろいろと細かく覚えているのですよ。とてもいい時に、修羅くんを見せていただいたと感謝しています。
きのうは暖かだったのに、きょうはまた、雨です。
雛段は相変わらず春の香りがしています。
古くなったぼんぼりの紙を張りかえて、桜の花でも描こうかな、と思いつつ、また忙しさに追われて忘れたり。
今度お会いする時は、春らしくなっているでしょうか。
久しぶりに手紙を書きました。
機会がありましたら、またこのような、お手紙のやりとりもお願いしたいと思います。
それでは又……。
光�� 龍 樣
竹宮恵子
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