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【岡田史子について:山口芳則】

まんだらけZENBU No.4
出版社:まんだらけ出版部
発売日:1999年09月01日

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164958...


「まんだらけ ZENBU No.4」290-291ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

岡田史子 波乱のみなもと
山口芳則




岡田史子は、一九六七年「COM」という雑誌から「太陽と骸骨のような少年」と いう作品でデビューした。初めて彼女の作品を読んだ時の衝撃は今でも忘れられない 「太陽と少年」を描いた頃、当時彼女はまだ高校生で、北海道に住んでいた。「太陽と少年」は、今まで誰も描いた事がない、初めて見る作品だった。病院の上で少年と少女の会話だけで終わる。
ストーリーも起承転結もなく、美しいイラストのような絵と、詩的なネームだけのこの作品は、新しいモノに飢えていた読者には、ひどく新鮮に見えた。
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その頃、岡田さんの作品を読んで、急にボードレールやゲーテの詩集などを読みだした読者もいるほど、岡田さんの作品は芸術的で幻想的で文学的だった。デビュー作の「太陽と少年」は、その後に描く岡田さんの作品を期待させるには充分だった。
その期待を裏切る事なく、素材を変え、絵柄を変え、新作を発表した。そこには岡田さんにしか描けない、岡田史子の世界があった。
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岡田史子と言ったら「COM」と言うくらい、「COM」と岡田史子は切っても切れ ない関係にあった。だからといって、「COM」が無かったら岡田史子はデビュー出来なかったという訳ではない。作品は必ずしも作家一人のモノではなく、それを描かせてくれる編集者も必要だった。「COM」はある程度、自由に作品を描かせてくれたのかもしれない。
岡田史子の名作と言われる作品は、ほとんど「COM」に掲載された。
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彼女の作品を「一人よがり」とか「気取ってる」とか「意味がわからない」などと言う人がいるが、それは彼女の作品の手法、表現方法がそうなのだから、それを変えたら岡田史子じゃなくなってしまう。それでも彼女は彼女なりに、少しでもわかりやすく、多くの読者に読んでもらおうとしたのだが……。当時、彼女は作品を描くのもイヤになるほど悩んでいた時期もあった。
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彼女が高校生の頃、すでに何作も「COM」に作品を描いていた。卒業して、上京した頃は、誰もが認めるプロ作家だった。
その頃、岡田さんに何度か会った事がある。作品の感じから、最初はちょっと気取った怖い人だと思っていたのだが……会ってみたら、とても感じのいい、やさしい人だった。
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新宿のマンガ喫茶「コボタン」で岡田史子展をやった事があった。パネルにした絵を20点ほど展示して売り出したのだが、最終日前に全部売約済みになり、すべて完売した。
欲しくても数に限りがあり、手に入らなかったファンも大勢いた。当時「コボタン」はマンガ家やイラストレーターや、そのタマゴ達の溜まり場になっていて、そこに行けば必ず確かに会えた。
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岡田さんには、どんなに絵を変えても岡田史子にしか描けない独特の雰囲気と絵の魅力がある。岡田さんの絵に魅せられて、後にブロになった作家も多い。
今回の作品集にはデビュー作「太陽と骸骨のような少年」よりも前に描いた作品も入っている。
「みず色の人形」「火焔」は、多分岡田さんが中学生の頃描いた作品と思われる。絵は「水野英子」風で、まだ岡田さんの絵になっていないが、「みず色の人形」は彼女の最初で最後の時代劇「チャンバラモノ」で、「シェークスピア」のようなストーリーは、当時、文学少女だった、いかにも岡田さんらしい。
「火焔」は、絵や表現に未完成さが目立つ、でも、この作品は、後に描く「ホリデイ」 や「赤い蔓草」に続く作品だと思う。
「耳なしホッホ」や「Kaen」など、生や死をテーマにした幻想的な描写は、すでに岡田作品になっている。
「黄色のジャン」。このキャラクターは、よっぽど岡田さんが気に入っているらしい。後に描く「フライハイトと白い骨」という作品でも「黄色のジャン」が登場する。
「オルベとコリデ」。この作品は「COM」 に載せるつもりで描いたと思うのだが……なぜか「COM」には載らなかった。舞台劇を思わせるようなコマ運びと、計算されたセリフのやりとりは見事としか言いようがない。
「レクエム」はペン入れはニベージだけで、ほとんど下描きのままなのだが、それでも作品の内容は充分に伝わると思う。
岡田さんのデッサンや、どんな下描きからペン入れをするか? それだけでも貴重な作品と言える。
現在、彼女はキリスト教信者らしい。そういう意味でもこの作品は興味深い。
この作品集で岡田史子の原点が見つかるかもしれない。

山口芳則(やまぐち・よしのり)
一九五〇年八月五日生まれ。
岡田史子とは「奇人クラブ」の仲間で、10代で上京し、水木しげるのアシスタントを経験。水木プロを退社後、まんだらけの前身、調布の憂都離夜創立時の店長。石井隆のアシスタントをしていたこともある。現在は青森在住。


「まんだらけZENBU No.4」278-291ページ
岡田史子:インタビュー第一部】テキスト抽出あり
岡田史子:インタビュー第二部】テキスト抽出あり
岡田史子について:青島広志】テキスト抽出あり
岡田史子作品リスト:青島広志
岡田史子について:山口芳則】テキスト抽出あり

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