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【音楽エッセー:竹宮惠子のモーツァルト・バイオリンソナタ】

竹宮惠子のモーツァルト・バイオリンソナタ(6分36秒)

番組名:N響アワー
放送日:1994年05月28日(YouTubeのコメントから)

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163018...


1994年発表の竹宮惠子作品
「紅にほふ」月刊ビッグゴールド1994年11月-1995年10月
「吾妻鏡(上巻)」マンガ日本の古典14(描き下ろし)


竹宮惠子発言の聞き起こし
ざっくりした聞き起こしのため喋り口調と文調は一致しません
正確な内容は添付動画でご確認を


モーツァルトに出会ったのは東京に出てきてまったくの新人の時、お金もないので中古レコード屋さんとか輸入レコードの安いものしか手に入らない頃に買った

あの頃は試聴して買うことができた

視聴した時にこれは会話のような小鳥のさえずりのような、あるいは自然の風とかが話をしているような感じの曲だなと思った

別にクラシックだからとかモーツァルトだからとかいうことではなくて、選んで買った

自分の話のために合う曲として買って帰った

「風と木の詩」という物語にどうしてこのモーツァルトが合ったかというと、この曲はバイオリンとピアノの会話のように聴こえて、私の主人公の会話というふうに聴こえてしまった

片方の主人公セルジュは「木」である、地面から真っすぐ伸びた木

その梢を揺らすのが風であるジルベールということで、ジルベールがバイオリンである、と

今でもこの曲を聴くと、初めてセルジュが作曲するシーン、ジルベールに聞かせたいがために即興で作曲するシーン、この作品で一番輝いているシーンを描いた時のことを思い出してしまう

バイオリン・ソナタ変ホ長調K.481

こんなふうにいろんなものから影響を受けるのは危険じゃないかと言われるが(誰から言われるのか?は不明)すごく気にする作家もいる

だれかの真似しちゃったんじゃないかしら、どう思う?

って聞いてくる人もいっぱいいるが(「いっぱいいる」の中身は不明)

私はそれにかんしてはあまり怖れを感じていない

例えば誰かが「あの部分の真似でしたね」と言っても「私にはまったくそれが意識にない」

比べてみたらそうだったかもしれないと思うこともあったりするけれど

それを危険だと思わないようにしている

それを危険だと思って自分の創作意欲を抑えちゃう方がもっと怖い

自分を抑えて頭で作ってしまう方がやっぱりイヤだなと思っている

他にもクラシックの世界が舞台になったマンガもある

その中にはもちろんシャコンヌだとかがそれぞれにあり、その時はもちろん聴きます

実はシャコンヌを非常にはやいスピードでヒステリーをおこして弾くというシーンがあり

それをどうしてシャコンヌにしたかというのは、間違えて(レコードを)かけてしまって、それで「これはいいや」と思って

回転数がはやい部分で間違えてかけてしまって(33回転LPを45回転でかけた、ということか?)

そういうエピソードをつくってみようかなみたいな


進行の中村紘子のまとめ
「この世のにはこんなにたくさんいっぱい音楽があるのに、その中のたったひとつのバイオリンソナタと竹宮さんが出会ってそしてそこから風と木の詩が生まれて、それに今度読者が出会ってなにかまた夢をふくらませる。本当に音楽っていうのは不思議な力を持っているものだということをこういうお話を伺ってると改めて感じさせられます」

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