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【花郁悠紀子:「あそび玉」を発表されるにあたり…】
少年少女SFマンガ競作大全集5(1980年04月)



少年少女SFマンガ競作大全集5
発売日:1980年04月01日
出版社:東京三世社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162472...




「あそび玉」を発表されるにあたり…:花郁悠紀子
(画像に続いてテキスト抽出あり)





「あそび玉」を発表されるにあたり…:花郁悠紀子

「あそび玉」は幻の名作であります。どこが幻かと申しますと、かの原稿が紛失されて久しいからであります。現在それがいすれかの本に姿を表しても、それは文明発達の力により、編集サイドが四苦八苦、七転八倒して、印刷物からコピーした物に他なりません。つまり、ナマ原稿から直接印刷した物とは若干の差をどうしてももつという、ファンにとっては残念しごくな感覚を禁じえない物なのであります。

とは申せ、あれはまったく名作であります。画面に少々の差があるとはいえ、読まれた方は皆、その完成度に胸うちふるえるのを、おさえる事ができぬのではないかとまで思う私であります。何よりもまちがいない事には「あそび玉」によって少女マンガはSF(原文傍点あり)というジャンルを、そのフトコロに納めたわけで、そのひとつをとっても、いかに発表当時センセーショナルな作品であったかを思い起こすに充分であろうと思われます。これは私個人の思い入れが多分に入った評ではありますが、けっして過言ではなかろうと信じます。

萩尾望都氏が、SF少女漫画を語る場合、なくてはならぬ作家である事は今となっては周知の事実でありますが、「あそび玉」発表当時、まだ純真な一ファンであった私は、友人と上京できたのを幸いに彼女の住居におしかけてーーああ……当時本当に純粋無垢で、純真と無礼の差もろくに認識できなかったのでしたーーあれ(「あれ」傍点あり)が人間であるかどうか半信半疑で、ためすがめつ彼女をみつめたものでした。SFの他に、多彩な分野で氏はみごとな短編、長編をものにしておられたのですから凡(ルビ「ぼん」)なこちらからすれば、彼女自信がSFであったのです。

一応、人間型であると知ると、その後どうしても質問したくなるというのは、人間の性癖であります。私自身がきいたのか、他の誰かから萩尾氏に質問したのをきいたのか、今では記憶にさだかではありませんが、
“あのねモーサマ(これはまわりの人間が彼女をそう呼び習わしていたものです)あのあそび玉っで、どこから考えたの? ビー玉から?”あれはビー玉と考えるのは、まず普通の発想でありましょう。ところが、
“ううん、ボーリングよ”

この答は、再び私共をえびぞらせしめる(「えびぞらせしめる」傍点あり)に充分なもので、きいてみればナンダともいえるネタなのではありますけれど、考えてもごろうじろ! 他の誰が、ボーリングなどという若者のレクリエーションからあの作品をひねり出せるものであるか。私共は、深きため息と共に語るに至るのです。
“やっぱり普通じゃないよ”
“普通じゃないね”
ホナ、ウチャバケモンカ! と萩尾氏に言われそうな会話ではありますけれど、あたらずといえど遠からずなのではありますまいか。

ちなみに、彼女をバケモンあつかいする理由は、発想、構成もさる事ながら、あの画力が大きなパーセンテージをしめる事は否めないと考えます。きくところによると、萩尾望都作品の画面は、いわゆるカメラ・アイでとらえてあって、つまり映画の画面を見るごとくの感覚で読者はストーリィにのめりこめるのであります。ことほどさように彼女の構図感覚は少女漫画の域を脱していて、今のところ、他にカメラ・アイで少女漫画を描(ルビ「か」)く作家を私は知りません。

なにも、誉(ルビ「ほ」)めちぎるために私はこの文章を書きはじめたのではないのであります。ありますが悲しきはファン根性で、こればっかりは神の大なる力をもってしても、そう簡単にはくつがえせないので若き純なる年齢を脱した今も、私の性根には脈々(ルビ「みゃくみゃく」)と賛萩尾作品(「賛萩尾作品」傍点あり)の文字が輝いているのであります。

とはいえ、こちらも次第に年齢を重ねますから、昔のような過激なファンではなくなったという事はまだしも救いと申せましょう。それでなければ、こちらも同業の末席を汚す者として正気を保つのはむずかしいのです。

さて、これ以上いくら彼女の作品の事を書いても、それは誰もが感じる感動をむりかえすにすぎないと思いますので、ちょいと別の視点からご本人の事を言いますと萩尾望都氏は睡眠人間という印象を私に与えた事であります。食べなくてもさほど苦痛を覚えないような氏は、あたかも眠る事ですべてのエネルギーを補給するごとく充分以上の睡眠をとられます。私の知るかぎり、この事に関してはいくつかの型があり、眠らなくても保つけれどその分、食べる事でエネルギーを補給するタイプ、これは木原敏江先生などがそのようで、あるいは青池保子先生のように食べも眠りもせず原稿に没頭するタイプ。もしくは語るも悲しい、食べて眠って原稿を忘れるタイプの四種であります。データが古い事もあり、これは私が独断でそう思っているのでもし先生方が“ちがう!”とおっしゃられたら、平身低頭しておわび申しあげる次第ですが……。

ともあれ「あそび玉」が再び世に出る機会を得た事はSFファンとしては、まことに喜ばしいかぎりです。何より私は、昔の発時の作品切ぬきを手中に収めているので、昔の作品を知らぬ輩(ルビ「やから」)に、ワーハハハハと優越感に満ちた笑いをあびせ、ファン根性丸だしにして、そのうち値が上がるぞー、などと上品きわまりない言動のもとに、それもタテマエであると知りつつ、顔面をほころばせる事を許される機会を得た事に感謝する次第であります。



関連項目
「あそび玉」について
「あそび玉」収録エピソード
小野耕世 :萩尾望都『あそび玉』をめぐって】1978年07月
ささやななえ:あそび玉秘話】1980年04月
「あそび玉」と「地球へ…」の類似点

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