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【原作・原案ものは、私がはじめちゃったことですね】



2007年
竹宮惠子:57歳【「地球へ…」新装版発売記念インタビュー】より
竹宮 もうひとつ、『変奏曲』という作品があるんですが、増山法恵さんという人が壮大な原作を持っていたので、それを寝かせておくのはもったいないと描きはじめたのですね。そういうような原作・原案がいて、それを再現するというのも、私がはじめちゃったことですね。いまではCLAMPさんみたいに、みんなで分担して描くという形もできてきましたけど、当時は少女マンガではなかなかできなかったことだったんですよ。原案協力とか、原作と出すだけでも、許されなかったんですね。
全文はこちら【「地球へ…」新装版発売記念インタビュー



『変奏曲』発表当時は原作者名が表記されておらず竹宮惠子作品として掲載されている。

『変奏曲シリーズ』wikipediaより
作画:竹宮惠子、原作:増山のりえのマンガ作品。1974年から1985年にかけて中短編が発表された。当時は原作者が付くと物語の書けない作家と思われる流れがあったため、増山はそれを怖れて自分が原作者であることを20年近く伏せていた。
増山がピアニストになるための過酷なレッスンと勉強から逃避して、小学生から高校生までの長い時間をかけて作った架空の町ヴィレンツが舞台。
竹宮が「変奏曲を描かせてくれ」と頼んで漫画化された。街では様々な出来事が起こるので、起承転結の物語はなかったが、竹宮がそれを切り貼りしてストーリーを作り、それぞれのキャラクターを増山のイメージそのままに絵に写した。竹宮は同作を「ものすごく描きたかった。どうしても自分が描きたかった」と言っていたという
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E5%A5%8F%E...



「当時は少女マンガではなかなかできなかったことだったんですよ。原案協力とか、原作と出すだけでも、許されなかったんですね。」と竹宮惠子は57歳の時に(「変奏曲」シリーズを発表し始めた)24歳当時(1974年)を振り返り語っているが参考資料【原作あり少女マンガ作品リスト(一部)】のように1950年代から原作ものは雑誌に掲載されており「許されなかった」と竹宮が断言する根拠は見当たらない



参考【原作あり少女マンガ作品リスト(一部)

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