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山田ミネコ氏が語る「花の24年組」の由来(少年少女SFマンガ競作大全集6より)


少年少女SFマンガ競作大全集6(1980年発行)


※参考資料のTwitter画像を補正し書き起こしました。

「言い出しっぺなのヨ」
「花の24年組」という名称の由来はネ、ホラ、70年代初頭の頃にフラワーチルドレンってあったでしょ。“花のサンフランシスコ”という曲もあったりして、当時“花のナントカ……”というのが流行ったのよネ。その名残りというか……。某出版社の人と話をしていてーー編集者にも24年生まれがわりと多かったのよーーあら、あの人も、24年生まれなの?あのマンガ家もそうなの?ってカンジでね。73年か74年の頃かしら。私がいろんなマンガ家の人と会う機会が続いて話した時に、アラ、あなたも同い年? あら、あなたもなの!? これは24年生まれの同窓会をしなくちゃね。そこで“花の24年組”と言ったのがパーッと広まってその言葉が定着しちゃったみたいね。
大泉サロンに出入りしてた人達がのきなみ24年だったのね。大体みんな70年代初めにアタマそろえて各馬いっせいにスタート(笑)ってかんじ……。昭和24年というのは1949年でしょ、だから時代時代の区切りがつくの。60年代にはティーン、70年代には20歳代を過ごし……わりととらえやすい区切りでもあるわね。たぶんベビーブームのせいなんでしょうけど。一年二年三年の開きがあっても、大島さん、ドジさま、お涼さまなどもその頃でしょうね。
男の人でも24年生まれの人いるのよね。私が今思い出せるのでも聖悠紀さん、吾妻ひでおさん、諸星大二郎さん……。何ていうのかな、少なすともひとすじ縄でいくような人達じゃない(笑)。ひとくせ、ふたくせ、三くせ半もありそうな……。
つまり、単純に同い年ということだけじゃなくて名前をあげても萩尾さん、竹宮さん、樹村さん、ささやさん……いわゆる個性派作家というか、それまでのマンガと違うものを描いてるという意味でね。いろいろと話しが広まっていくうちに24年組というのはそういう意味合いがつけ加えられてきたみたい。単に同い年の同窓会じゃなくて。
「大泉時代」
大泉サロンに私が最初に行ったのは萩尾さんが「すきとおった銀の髪」を描いていた頃だった。どうして出入りするようになったかというと、ささやさんと文通してて北海道に遊びにいったりしたの。そこで(以下読み取れず)
サロン解体の頃はよく知らないの。私もその頃結婚して住む所も離れてしまったから。
今の新人の人たちのことよく知らないけど、やっぱり地方から出てくると心細かったりするもの。ああいう大泉サロンふうのものが今でもどこなにあるかもしれないわね。


参考資料:夏が好きTwitter

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