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【小野耕世 :萩尾望都『あそび玉』をめぐって】1978年07月10日



別冊奇想天外NO.5「SFマンガ大全集」123-125ページ
発行日:1978年07月10日
出版社:奇想天外社





単行本全集未収録作品紹介
萩尾望都『あそび玉』をめぐって
小野耕世
(画像に続いてテキスト抽出あり)


資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163018...



単行本全集未収録作品紹介
萩尾望都『あそび玉』をめぐって
小野耕世

アラン・レネ監督の短編に「世界のすべての記憶」という映画がある。
内容は、フランスの図書館のなかを、ただていねいに撮しただけのものだ。本がびっしりとならぶ図書館の棚を、カメラは、まわりこみながら、ゆっくりと見せていく。うすぐらいその内部が、しだいに、一種の死体置き場のような気がしてくる。

いや、そんないいかたよりも、仮死状態になっている書物たちが、冷凍冬眠しているその置き場をのぞいている、というべきかもしれない。その古今の書物のなかには、先人たちの記憶がつまっている。いつかそれらは、息を吹きかえして、明かるいひざしのなかを歩きだすのだろう。図書館とは、一時的に本が、記憶が眠らされている冬眠所なのだから。

そして、カメラが、本のあいだに回廊を進んでいくうちに、見ているこちらは、いつのまにか、迷児になってしまったような気分にとらわれる。図書館のなかは迷路で、それは記憶の迷路であり、そのあいだに私ははさまれて、抜けられなくなってしまう。そして、それこそが、アラン・レネが意図したところなのだろうが、私のこころがどこか別の空間に重び去られていくような、めまいを覚える……。

このフランス映画について書いたのは、もしアラン・レネが、「世界のすべての記憶」などというのだったら、萩尾望都の場合は、〈宇宙のすべての記憶〉ということばがふさわしいと思ったからだ。
時間を超えて生きつづける吸血鬼族をあつかった「ポーの一族」にしても、読んでいる私は、記憶の海に足をとられて、ちょっとめまいを覚えてしまう。

また、記憶が凝縮している場所としては、図書館のほかに、遺跡がある。萩尾望都のマンガでは、だから、しばしば遺跡が舞台となる。それは、人間の世界ではなく、宇宙の、異星人の記憶、さまざまな文明の記憶があつかわれていて、「左ききのイザン」という作品の場合も、どこかの星の遺跡を荒らすサイボーグの悲しみを描いていたし、「奇想天外」に発表してSF短編小説のなかでも、星の遺跡を探っている考古学者が、その遺跡のなかに、古代人のオルゴールを発見するという、壮大な設定があった。じっさい、生命なんてはかないといえば、はかないものなのだが、記憶がひきつがれ、別の生命のなかに(変形されたとしても)、残っていく限り、なにかの糸は、つながっているのだろう。

萩尾望都のマンガのなかに、〈記憶〉とかかわりながら登場するのは、超能力者である。バンパネラ一族も、一種の超能力者といえないこともないが、その傾向での傑作には「精霊狩り」という愛すべき連絡がある。

お茶目な精霊の女の子は、長生きして何回も結婚し、ふつうの人間たちを混乱させるのだが、異端狩りに遭っても、結局はハッピーエンドに終っていて、精霊たちの愛嬌が勝利を占め、読んでいてほっとさせられる。ただし、社会のたてまえだけは、いちおう護っておかなくてはならない。

別冊少女コミック、昭和四七年一月号に発表され、その後、原稿紛失の為全集にも単行本にも未収録になっている短編「あそび玉」は、この「精霊狩り」の系列につながるもので、この作者らしい、見事なストーリー・テリングの腕まえを見せているから、画面を想像しながらおよみ下さいーー。



「人間は、銀河七万の惑星に住んでいる。宇宙は七十七の地区にわけられており、人口はおよそ……」
とどこかの星の学校では先生が説明する超未来のおはなしだが、すでに、人類がどの星から発生したかは、あいまいになっている。その学校の休み時間、子どもたちは、あそび玉ゲームに興じる。ビーダマのような玉をぶつけあうあそびなのだが、ティモシーという男の子は、なんと、連続十九回のストライクを記録してしまう。

やがて、この少年は、反重力装置をつかったわけでもないのに、頭上にあそび玉と浮かしてぶつけることもできるようになる。「みんなだって、練習すりゃできるようになるさ。心のなかで、あそび玉をつかまえて動かすんだ……」

だが、そのありさまを見まもっていた教師は、生徒たちが帰ると、中央司令室へ連絡するのだった。「調査員をひとりよこしてください。超能力者がいます……」

別の生徒は、ティモシーをものかげに呼んで言う。「いいか、おれのクラスメイトに、おまえみたいなのがいたんだ。そいつは、教室であそび玉を動かしたよ、おまえみたいに……」「うん?」「どうなったと思う? 彼は、トリスプロウに連れていかれた。中央病院さ。そして、入院して一か月めに死んだよ」

家に帰ると、客が来ている。「われわれは、完全な社会システムのなかの異質なものをはぶかねばなりません」客が、父親にはなす。「ええ、わかっています。答える父親。

やがて少年は、同じ超能力者の少女と知りあう。「ときどき、わたしたちのような超能力者が生まれては、毛なみがちがうというので、こっそり処刑される。わたしは、せいいっぱい正常人のふりをして、うまく暮らしているの。超能力者は、コンピューターにくみこめない思考をもっているので、完全な社会システムをみだすもとになるわ」

だが、病院から脱出し、少女に救われ、さらに逃亡した少年も、超能力探知機をそなえつけたサイボーグの追跡者に、つかまってしまう。「むかしはずいぶんすごい超能力者たちがいたものだ。戦争のころはね」とサイボーグは語る。
「戦争なんて、何千年のまえのことだ」と少年。
「いや、八〇年まえのはなしさ。八〇年まえ、たくさんの人間が戦争で死んだのさ。それは、人間と超能力者の最後の戦争だった」
「そんなこと……教わらなかった」
「タブーになっている」
「そうか、超能力者たちは、その戦争で全滅してしまい、悲劇をくりかえさないために、あそび玉を動かせると処刑してしまうんだね……」

中央司令室に出頭した少年を、責任者が待っていた。「待っていたんだなよ、ティモシー・スーン、どうなることかと思ったが、これで全部すんだ」
「ぼくは、ほんとうに生まれてはいけなかったんですか」
「そうだよ。きみは毛なみがちがう。このコンピューター・システムの社会の平和を少しでも長く保つために、われわれは、おたがいの領域にたちいらないことにしたんだ。超能力者たちは、戦争のあと、同じように静かな世界を遠い星につくった。きみは、そこへいくんだ、ティモシー・スーン」
「いや、おもてむき、きみはトリスロウ(ここでは「トリスロウ」と印字されているが「あそび玉(萩尾望都作品集9「半神」)」では「トリスプロウ」となっているため印字ミスと思われる)で病死することになっている。……じきに、むかえがくる」
「じゃ、ぼくはロケットで?」
「いや、むこうの超能力者がきみを呼びよせる……ジャンプだ。きみは。まがった空間を飛んでいくんだよ」
「でも、どこ? むこうって? ぼくは……」
「それは地球と呼ばれている遠い太陽の第三惑星だ。人類がそこから生まれ宇宙にとんだという小さな伝説をもつ惑星だ。きみが、本来、生まれるべきだった惑星だ」
星の空間をジャンプしながら、少年は思った。地球。テラ? どこかできいたなあ。その惑星では、放課後の教室で、みんな、どんな遊びをしているんだろう……と。


こんなふうに(ちょっと変えたが)、登場人物のセリフを書き写してみると、萩尾望都の作品では、いかにことばに気が配られているかがよくわかり、見事なものだと感心する。わかりやすく、しかしのびやかな文章が、画面に重ねられていく。この「あそび玉」の場合も、超人類は、処刑されることはない。そして、彼には、まだ見たことのない地球への記憶がうかがえる。記憶の糸が、宇宙のさまざまな知性体のあいだを結んでいて、しかし、地球は忘れられかけた星であることは、アイザック・アシモフの長編「宇宙気流」を想いおこさせる。



小野耕世
1961年:第1回空想科学小説コンテスト 奨励賞受賞
2006年:第10回手塚治虫文化賞特別賞受賞
(長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動により)
2013年:日本SF作家クラブ名誉会員に
wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E...


関連項目
「あそび玉」について
「あそび玉」収録エピソード
ささやななえ:あそび玉秘話】1980年04月
花郁悠紀子:「あそび玉」を発表されるにあたり…】1980年04月
「あそび玉」と「地球へ…」の類似点

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