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【石子順「山田ミネコとSFマンガ」】


少女SFマンガ競作大全集
出版社:東京三世社
発行日:1978年11月25日


資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...


石子順「山田ミネコとSFマンガ」

コネミ・ ダ・マーヤ
石子順



山田ミネコは歌人だ。その作品「金星人ミルテラ・パーツマコ、火星人コネミ・ダ・マーヤの詠める金星・火星・地球の詩」などは、未来人の未的感情をうたいきっている。
金星から地球に戻ってきた者が 「われふたたび、地球の緑の丘に立ちて、ふるえる心をおさえつつ……」とその気持ちを切なくうたうあたりなどは、万葉歌人のよう だ。
あるいは、戦う友に「死んでしまったのかい、金星人よ。生きているのかい、私の友よ……」とよびかける。
山田ミネコの絵は、こうした歌に裏打ちされているせいか、東洋的な雰囲気に包まれている。花にたとえるならば、バラではなく、桜みたいなのだ。もちろん絵そのものも背景はびっしりと東洋風。そしてそこに動く人物は西洋風。
東洋と西洋、その接点にミネコSFはなり立っている。
「西の22」の海中浮遊都市のデザインなどは、どうみても、オリエンエル・タッチである。つまり中世の日本人が仏像を彫る、あののみを打ちこんだ感触が、息づいている。
その未来感覚は、故郷を想う気持ちに満たされている。滅びた星=故郷にもどりたいが、もどれない。帰り道を絶たれ、帰るところさえ失ったあとの痛覚がよみがえってくる。
未来に生きるものにも、当然故郷を想う感情はあるのだろう。だが、そのころの故郷とは、いまのぼくたちが抱く、XX県や、◯◯国に対するような規模の小さなものではない。火星や金星、地球そのものが故郷になっている。故郷は惑星そのものの大きさに拡大されている。
そうしたさい、視野が広がるにつれて、その感情も、大ざっぱになるのではないか。いやいや、人間でも、ミュータントでも、感情はきめ細やかで、繊細なのだろうと、ミネコは思っている。その細やかさを表現していく上で、東洋的タッチは、効果をあげているのだ。
そして、もし故郷が滅びていたとしても、それを運命として甘んじる、あきらめに近いものが、漂ってくる。
といってもあきらめる境地だけではない。もし滅びたとしたら、そのあとに来る子供たちに、何と教えたらいいのか。と、滅亡する警告をも描きこんでいる。
手塚賞をめざして描いたこの作品をスタートとして、最終戦争シリーズに至るまでの二年ほどの間に、山田ミネコは目をみはるような活躍ぶりをみせてくれた。同時に自分の描きたい世界を確立したともいえる。
それは東洋的な発想によって、SFを描くという発見だ。
いいかえると、21世紀になって惑星単位で物語が考えられるようになり、人類の思考や行動が、人種、国別を乗り越えてとけあっていった時にも東洋的感覚は失なわれるのかどうか、またはっきりと存在し続けるのか、といった問いかけがあるということだ。

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