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【石森章太郎:竹宮恵子のこと】サンルームにて(サンコミックス)

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竹宮恵子傑作シリーズ1
サンルームにて(サンコミックス)
発行日:1976年05月20日
発行所:朝日ソノラマ




竹宮恵子のこと
石森章太郎
(図版に続いてテキスト抽出あり)




竹宮恵子のこと
石森章太郎

ある日突然、フラリと、彼女はひとりでやってきた。昭和四十と何年だったか、確かなことは忘れたが、七・八年前のはなしである。

当時ボクは、いくつかの漫画研究会に頼まれて“顧問”をさせられていたのだが、彼女はそのひとつの会の会員であった。彼女の名は、その同人誌で時折見かけただけ。それだけの“関係”であった。もちろん、初体面である。ブッキラボーな女の子だった。

デビュー以来、六・七年、ボクは少女マンガばかり描いていた。女の子のファンが、ずいぶんと訪ねてくる。中には未来のマンガ家を目指している子もいる。そのいずれも、ほとんどはかなり騒々しくさえずって……帰って行く。例によって例の如くの多忙と、訪問客不感症、加えて口下手で照れ屋のボクの無愛想を上まわる程の、ブッキラボーな女の子だった。会話(はなし)らしい会話(はなし)はしなかった。

仕事場の二階に、来客用の洋間と日本間がある。その日本間に、彼女は泊って……翌日、昼過ぎにボクが起きた時は、もういなかった。が、夕刻になるとちゃんともどってきて、どこそこの出版社へ原稿を見せに行ってきたという。そして、そんなくり返しの二・三日が過ぎると、彼女は来た時と同じように、フラリと帰っていった。

それから半年程たった頃、また、フラリとやってきて……。

────数年後。ある日突然、フラリと彼女はふたりでやって来た。アシスタントの城章子(彼女も、二階の日本間泊り歩き組の一人だった)を連れて……。スクラップブックを持参している。自分の雑誌に発表した作品なのだ、という。他人の作品を見ない主義のボクを知っているので、無理にでも見せたくて、持ってきたのだ、という。彼女はいつの間にか上京し、東京に住みつき、マンガ家になっていたのだ!!「先生の初期の作品のムードを持っているといわれるんです」と彼女がいった。

少女マンガは、雨後の竹の子のように誕生し、消えて行く。その中で、将来を期待されるひとは、数少ない。竹宮恵子は、その少ない中のひとりである。それは、この作品集をごらんいただけばわかるだろう。

最近、ある編集者から、彼女が「わたしは石森ガッコーの優等生です」と“自称”しているという話を聞いた。うれしい。

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