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【石田美紀・増山法恵『JUNE』について】

聞き手:石田美紀
インタヴュー日時:2006年09月29日
インタヴュー場所:吉祥寺
増山法恵(56歳)
本書において「インタヴュー」と表記されている


「密やかな教育〈やおい・ボーイズラブ〉前史」

出版社:洛北出版
発売日:2008年11月08日


「密やかな教育〈やおい・ボーイズラブ〉前史」319-322ページ

少女マンガにおける「少年愛」の仕掛け人
増山法恵



『JUNE』について

Q 一九七八年に「耽美」というキャッチ・フレーズをつけて「少年愛」を前面に出した雑誌『JUNE』が創刊されました。『JUNE』との関わり、あるいは『JUNE』との距離はどのようなものでしたか。

増山『JUNE』とその類似誌の違いというか、『JUNE』の強さというのは、マンガは竹宮惠子、小説は中島梓さんを二本柱にして、最初から美意識を強力に打ち立てたところです。 編集長の佐川[俊彦]さんはこうじゃないか、ああじゃないか、と試行錯誤されていたのではと思いますが。
元来世間でいうところの「耽美」は男性が紡ぐ世界で、基本的に男性のものだと思っていますし、少女が求める「耽美」はまた違う。『夜想』なんかも男性からみた「耽美」の世界で、いつも違和感を感じるのです。題材、素材はもちろん重なっていますが、男性の「耽美」と、少女の「耽美」は、ずれる点、違う点もあるのじゃないかな。男の人が考える「耽美」というのは、もう少し猟奇的なもの、激しいものも入ってくるような感覚をもっています。
本来日本文化、世界も含めてもいいと思いますが、もともとは「耽美」とは男性のものであって、そこから抜粋して抜粋して、自分の美意識を加えつつ作り上げたのが、わたしの「耽美」というか。少女たちが作り上げてきたものが「耽美」と名づけられるのであれば、それまでの男性の「耽美」とはやっぱり別物だ、という意識があります。
「BL」や「やおい」については、よくわからんというのが正直なところです。わたしは別方向を目指す人間だと思ってます。『JUNE』でもその手のものは読めなかったです。いわゆる 『JUNE』っぽくなると、わたしは駄目でしたね。わたしはヘッセどまりです。竹宮や中島さんが描いているものともちょっと違ったので、わたしは『JUNE』からはジリジリっと離れていったんです。
でも編集長の佐川さんは、わたしが感動した本や映画、ヨーロッパで買ってきたレコードについて自由に評論やエッセイを書かせてくれました。当時から佐川さん、それから他の出版社の方から、小説を書くことを熱心に勧められていました、小説を自分が書くなんてとんでもない、と思いましたから逃げ廻っていたんです。そうしたら、佐川さんに締切を先に設定されてしまって(笑)、死にもの狂いで書き始めたのが、『JUNE』に連載された『風と木の詩』の後日譚ともいえる『神の小羊』です。
三年ぐらい『神の小羊』を連載しているうちに、いろいろな出版社から書き下ろし小説の依頼が来ました。自分としては「少女小説」が書きたいな、「赤毛のアン」みたいな主人公が登場する、って思ったんです。少年とも少女ともつかない女の子 (ジブリ・アニメに出てくるような!)、それから「赤毛のアン」のように自主性のある、最初から自分の世界というものをしっかりと持っている少女。自分の精神世界を自由に構築している少女を作るのが長年の夢だったのです。
角川書店から「増山さんの好きに書いていい」といわれて、最初は少女が主人公のファンタジーの話をもっていきました。三人の日本の少女が、偶然スイスの少女パブリック・スクールに留学する形で出会います。親にもけっして言わなかったけれども、三人それぞれにひとつずつ不思議な力があって、協力して摩訶不思議な事件を解決し、いろんなことを正してゆくんです。ミステリーだけれども吹き出すような愉快な話も挟んであったんです。そのプロットを持っていったら、編集さんに「上下二巻本になると思いますけど、書きます?」と言われてビックリ。長いのは嫌だな、と(笑)。

Q  で、『永遠の少年』をお書きになられたんですね。

増山 ええ。それまでにいろいろな編集さんにアレコレ言われまして。外国人を主人公にしないでください、外国を舞台にしないでください、などなど。わたしは外国を舞台にしなければ書けないのに、と困りました。日本を舞台にして、主人公は男の子でも女の子でもいいから、日本人にしてください、とか。

Q それは読者が感情移入しやすくするためでしょうか。

増山 現代はそういう風潮の社会になっていたのでしょうね。主人公を一五歳くらいに設定するとして、いまさら日本の学生生活とか、何を食べているとか、何を話しているとかわかりませんから、「すみませんが、主人公を留学させてください」って言いました。少年がイギリスのパブリック・スクールに留学していきなり屍体を発見して、殺人事件を解決するのですが、その過程でパブリック・スクールがいかなるものか、をすべてを語ってしまおう、という物語でした。じつは二〇年以上イギリスのパブリック・スクールを研究していたものですから、ぜひこれを舞台に書いてみたかったんです。
マンガの原作をやってきたせいでしょうけれども、少女読者を信じているので、読者に向けての小説、それも少女小説を書きたかったのですが、いざ書こうとすると、それはそれで制約がたくさんありましたね。これはいやだ、あれはいやだと断って、唯一好きに書かせてくれた角川さんから『永遠の少年』を出したわけですが、出来上がるとあまり少女小説っぽくはならなかったですね(笑)。担当は女性編集者でしたが「これでいいんですよ。今の少女小説の中にこういう物語もあるべきです」っておっしゃってくださって。嬉しかったですね。

Q かつての少女マンガの状況に似ていますね。

増山 いやいや、今度はマンガ仲間という戦友のいない、たったひとりのささやかな闘いです。でも、もうあの闘いをする体力はないかな (笑)。それから、ずっと物書きとしての戦友だった映画評論家の石原郁子さんが、『永遠の少年』をすごく誉めてくださったことは、とてもうれしかったですね。彼女が亡くなったことは、本当に悔しいです。仕事上の戦友って、なかなか見つからないものなんですよ。

(文章中、一部敬称略)


294-303ページ
増山法恵「七〇年安保闘争」と「少女マンガ革命」
303-312ページ
増山法恵 少年を描くこと、1972年のヨーロッパ旅行
312-314ページ
増山法恵 1976年『風と木の詩』
314-319ページ
増山法恵 黒子に徹する―「変奏曲シリーズ」における共同作業
319-322ページ
増山法恵『JUNE』について
322-324ページ
増山法恵「少女革命」が成し遂げたもの

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