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【相田恵子:少女漫画美学】だっくす1978年12月号


だっくす1978年12月号
発行日:1978年12月01日
発行所:清彗社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/165398...




「だっくす1978年12月号」43-49ページ
少女漫画美学
相田恵子
(図版に続いてテキスト抽出あり)










少女漫画美学
相田恵子


およそ数年前の少女マンガ評というものは、星きらきらの大きな瞳、流れる金髪、国籍不明の顔つき、手足は長く、バックには花、着ているものはヒラヒラドレス。これで片づけられていた。しかし、いかに少年マンガ読者に気持ち悪がられ、マンガを読まぬ大人たちに馬鹿にされようとも、一方で確かにそれは、少女たちの夢の一部を反映していたのだ。その幾種類かのパターン化されたストーリーと共に。

現在、次々に個性派が登場し、読者層が広がり、ストーリーの点でも絵柄でも、読みごたえ十分な作品が発表され、注目に値することは、多くのマンガファンの間では周知の事実である。ところが前述したような少女の夢、憧れ、独得の美意識は、依然として、形を変えて、あるいはそのまま、少女マンガの至るところに生きている。そのジャンルに、小道具に、ファッションに、絵柄に。そして星きらきらの眼うんぬんの時期よりも、より正当化され、説得力を持った形で……。

少女マンガを好む読者たちの美意識に極端な転変はない。むしろそれらは視野の拡がりに伴なって、より文学的に、より絵画的に、より純粋化し、昇華していったといえるだろう。星らきらの虚空を見つめる瞳が哀しげな憂いを秘めた暗い瞳に変化しても、それは表現方法の向上と美意識の深化によるもので、風に流れる髪や、人物と交錯する植物、ロングスカートやヴェール、宝石、彫リの深い顔立ち等と共に、少女の夢と幻想、美への憧れを根底に抱いていることに変わりはない。

最近の少女マンガの絵柄に見られる美意識を見ていくと、19世紀末という時代につきあたる。科学的進歩と合理主義の賛美された19世紀末はまた、それへの反発として内面へ向かおうとして夢や幻想の世界を生み出す象徴主義絵画が現われ、凝った装飾の調度品や工芸品が流行し、さし絵やポスターのためのイラストレーターたちが活躍した時代でもあった。そして、情報網 の発達が、かけはなれた時代や世界からのイメージのとり入れを可能にし、中世的、エジプト的、ギリシア的、東方的なイメージのごった煮された世界を登場させる。現在の少女マンガには、その形式の成立した背景こそ違え、とり上げられた意匠や図像に大きな影響が見られるように思う。山岸凉子の妖精たち、内田喜美の天使、森川久美の男女、萩尾望都の幻想世界に住む者たち、その他にも多くの少女マンガ家たちが、アクセサリーや調度品、花や衣装の中に19世紀末の美に共通するものを持つ。そして少女マンガの読者たちが、日常的で身近なロマンを求める一方で、手の届かぬ遠い夢の世界へ憧れつづける限り、少女マンガにおける19世紀趣味 は生きつづけるだろう。

さらにいえば、19世紀末美術が不特定多数の人間に受け入れられたものである以上、少女マンガにおける19世紀趣味は、ストーリーの文学化やセンスと共に、少女だけの美意識に拡がりを与え、より多くの読者に訴える可能性を持つとも言えよう。

ただし今回、少女マンガで19世紀趣味を探すにあたり、調度品をみつけることに苦労した。頭の中で思いうかべると、あれは19世紀末のムードだと思う作品が、実際にページをくくってみると、確かにムードはそうなのだが、調度品その他、つまり背景にあったもので、とり上げられるようなものが皆無に等しいのである。少女マンガにおける絵の弱さを真のあたりに見たような気がした。これから、絵の点で少女マンガを発展させようとするなら、人物と同様に、 周辺にも比重を置くことであろう。そうなった時、少女マンガはもっと大きな変貌を遂けるような気がするのである。


1 19世紀が舞台

バッスルスタイル、アールヌーボーの工芸品を身につけた婦人たち。馬車、大きな館、芸術家たち。独得の風俗が描き出され、華麗な、見 知らぬ時代に誘いこまれる。萩尾望都のポーの一族、森川久美のシメール、青色廃園、君よ知るや南の国などが代表作。ちょっとさかのぼって18世紀が舞台なのは坂田靖子育絹の風、池田理代子ベルサイユのばらなど。


2 19世紀の調度品・装飾品を使う

19世紀末には非常に凝ったデザインの工芸品が作られた。華奢で華麗で装飾的なので、貴族やブルジョワを表現するためによく使われる。そういう暮しもまた少女や女性たちの夢の一端。 山岸涼子のグリーンカーネーションや名香智子の美女姫シリーズを始めとして、竹宮恵子、大島弓子、池田理代子、一条ゆかり、岸裕子など多くの少女マンガに見られる。


3 19世紀末絵画からの影響をうける

19世紀末には、象徴主義絵画やアールヌーボーのポスター、イラストレーションが生まれた。象徴主義絵画は、あらゆる国や時代からいろいろなものをとり入れ、夢や幻想、美など、人間の内面追求をした。よって聖書や神話、伝説から、天使、ニンフ、牧神、ユニコーン、ペガサス、サロメなどを取り出し、表現に使った。ラファエル前派の女性像やミュッシャのポスター、ビアズリーのイラストの影響をうけたものは、少女マンガにも多い。山岸涼子の妖精王、ティンカーベルなど。内田善美の銀河その星狩り、パンプキン・パンプキン。萩尾望都のユニコーンの夢。その他にも森川久美、大島弓子、竹宮恵子、池田理代子、一条ゆかり、花郁悠紀子等、ずいぶん多い。大矢ちき、水野英子。

少女マンガの視野が広がリ、ジャンルが多彩をきわめると、当然のことながらSFも登場してくる。もっともSF自体、広範な守備範囲を持つものであり、宇宙や未来や科学進歩を扱ったもののみではなく、伝奇ものや神話、おとぎ話などのファンタジーまで含むことを考えると、随分昔から、夢物語的な形で、少女マンガの中にはSFがあったのだと言えよう。

ストーリーの点から言うと、奇抜で独得の発想を重視するのがSFならば及ぶべくもないが、絵と文字の融合というジャンルとしてマンガを捉えるなら、少女マンガとSFの結びつきは、それなりに独自の世界を創っていると言えそうだ。SFにおいても、少女マンガは少女マンガで在り続けるために、少女マンガの美意識に基づく選択をし、少女マンガ的描き方をするのだが、SFのように現実に存在しないものを現出させ、視覚化する時、少女マンガにおいて基盤となるものは、先に述べた19世紀末時代に見られた夢のごった煮である。メルヘン、ファンタジーの類はもちろんのこと、少女マンガに数少ない宇宙もの、科学もの、未来社会ものにも19世紀趣味(少女たちの求めるロマンや幻想の世界を、様式の類似からそう呼ぶなら)が見てとれるのだ。

そして、メルヘンやファンタジーの類が、その絵柄の点で19世紀末に結集されるいろいろな様式・テーマをあわせた絵画、イラスト、ポスターの形態の追従と少女マンガ風現代的アレンジのみに終わっていたのに対し、宇宙もの、科学もの、未来社会ものは、19世紀末のロマンにプラスαを加え、少女マンガにおけるロマンにもうひとつの広がリを与えた。まさにこれは少女マンガが生み出した新しいロマンである。もちろんプラスαとは、ユニコーンの夢や銀河その星狩りをはじめとする未知なる宇宙の持つロマンであり、ハルマゲドンシリーズに見られる、死と破滅のイメージの暗い未来社会の持つロマンである。ユニコーンの夢におけるユニコーン伝説を信ずる古代ギリシア風風俗の人々や風景と、高度な文明が必要とされるであろうスペースポートや宇宙戦争が、何の異和感もなくとけあい、一種独特のムードをかもし出していることを考えてみても明らかであるが、宇宙や未来と19世紀末趣味の一見矛盾した結びつきが、少女マンガの培ってきた美意識によって可能になり、新しいロマンが生み出されたわけである。

しかし、よく考えてみれば、少女マンガにおいては、自分の生活する日常を離れた把握しがたいものであるためにロマンを感じるという点 で、未来も過去も同価であり、宇宙にある見知らぬ一惑星も、中世ペルシアの宮殿も、そこに求められるロマンの質は根本的に同様のものであり、そこに何の矛盾もないことも事実なのだ。

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