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【対談:萩尾望都・小松左京】1986年12月01日



11人いる!(映画アニメグラフィティ)
出版社:小学館(プチフラワー編集部)
発行日:1986年12月01日




11人いる!(映画アニメグラフィティ)」129-135ページ
対談:萩尾望都・小松左京
複数の図版を組み合わせて見開きにしてあります
(図版に続いてテキスト抽出あり)







ミス少女まんが──はぎお・もと
萩尾望都
ミスターSF──こまつ・さきょう
小松左京

まんが・アニメ・SF
ETC(いろいろ)してしまおう

「11人いる!」を小学館漫画賞に推したいという秘めたエピソードを持つ小松左京先生。萩尾先生と語りあかしたまんが、アニメ、SF論!!



このたびアニメになりました。
出崎監督による『11人いる!』
萩尾望都

『11人いる!』の長編アニメーションを見た感想は、一言でいうなら、さわやかだったということです。絵がとてもきれいで、よけいさわやかさを感じたのかもしれません。それと、劇場でたくさんの人に見てもらうためにはわかりやすさが第一条件ですが、その意味でも合 格。青春ものとして心地よくできあがっていました。

最初に出崎(哲)監督が、ボクは下品なものは作りませんといってくだって安心しました。監督御自身、上品でいらっしゃるので、それが出たのだと思います。 私は、映画、とか、アニメとか、ビジュアルなものが好きで、大きな可能性を秘めたジャンルだと思っています。ただ、私の考えでは媒体としてまんがより上だと思う。映画はまんがより歴史も長いし、何十年も昔の名作映画も多いし、だから映画には期待が大きいんです。

今回のアニメは、各キャラクターの描き分けもしっかりしていて、声なんかもピッタリ。見ているだけでSF空間を楽しめました。ことにフロルは、乱暴なセリフ回しが多いので、ややもすると下品になってしまうのではないかと危惧していたのですが、とってもかわいい声でよかった……。

映画の仕事は好きです。今回のアニメ化に際してはいろいろと勉強させてもらいました。この一、二年、私の『11人いる!』以外でも眉村卓さんの『時空の旅人』のキャラクターを描いたりして、アニメ界の人にもたくさんお会いしましたし、アニメの 制作現場も拝見しましたが、やはりアニメは手作業で、人も手間もかかって大変なんですね。好きでなければできない仕事ですね。

私の作品がビジュアル化される時、お願いしたいことが二つあるんです。一つはテーマをはずさない。もう一つは私が描いた作品以上のものにしてほしいということです。先にも述べたように、映画とまんがとは異なる媒体ですが、原作がある場合、製作された作品として、マイナスに変わるのではなく、プラスの方向に変わってほしいのです。そのためにも、山ほどの予算と、山ほどの時間があればよいと思っています。(談)



1章 少女まんが論
とにかく11に縁がある。『11人いる!』について語ろう

小松『11人いる!』は、ぼくにとっては非常に縁の深い作品で、小学館漫画賞の選考委員になった時のこと、ずっと女性が受賞していないので、わめきちらして、強引に『ポーの一族』と『11人いる!』に受賞させろと……。

萩尾 そうだったんですか。ずいぶん涙ぐましいことを…(笑い)。

司会 小松先生と少女まんがの取り合わせは、意外な気がするんですが……。

小松 少女まんがをぼくに読ませるようにしたのは、萩尾さんなんですよ。「COM」という雑誌に載った『10月の少女たち』『少女が小犬とポーチで』などがとても良くて、それまでは「少女まんが、うへへ」と逃げてたんだよ。少女まんがのジャンルが長谷川町子さんや上田としこさんたちと違っていて「どうして?」って聞いたら「スタイル画の大きな流れがある」って萩尾さんに教えてもらって、なるほど! と膝を打ったのは、中原淳一さんの『ひまわり』『ソレイ
ユ』。あれ、スタイル画なんです。目のウロコが落ちたんだ。

萩尾 そうだったんですか!

小松 をいってるの!(笑い)

萩尾 いったおぼえが……(大笑い)。

小松 発表してから11年目なんだってね。よくよく11って数字に縁があるんだ。

司会 映画の公開が11月で、この本の発売も11月1日なんですよ。

小松 それじゃ、テレビの「11PM」で紹介するべきだね。(笑い)

萩尾 私は知らなかったんだけど、小松さんも書かれているんですね

小松「11人」って書いてるよ。ところが、これがひどい話でね、ハヤカワ文庫に入ったら、読者から「小松さんの『土人(どじん)』とい作品は……」って、『土人』なんて書いたことねぇと思って目次を見たら、『十一人』がくっついて『土人(どじん)』になっていた(笑い)。知らなかったんだろう?

萩尾 そうなんですよ。後で友だちに「小松さんの知ってるか?」って……。

小松 ぼくも「あれっ?」と思って、あれから盗ったのかなと思ったけど、そうじゃなくて大変ハードな話でね。ぼくのは一種のショートショート怪談みたいなものでね。

司会 11人というのは、どういう意味があるんですか?

萩尾 本当は10から二ケタになるんだけども、どうしても11から二ケタになるって印象があるんですよ。だから……。

小松 ぼくの場合は、昔の古い話があって、百物語なんかやっていて、最後にローソクを消すと一人余ってるって話から、どこかの惑星基地で、宇宙船が帰っちゃって10人が残ってるんだけど、数えてみると11人いる。そのうち誰かを、こいつだってブチ殺すんだけど、数えてみるとまだ11人いる。

萩尾 何人殺しても11人。わぁ、やだ!

小松 だけど萩尾さんの場合はそこへ、ぼくですら『結晶星団』でようやく書いた両性具有(ヘルムアフロディット)を描いていてね、こんな難しい話をよくやった。女の子──あの頃は女の子だよな、11年前だから──は恐しいことを考えるなと思った。SFでは女流作家のアーシュラ・K・ル・グィンが『闇の左手』を書いているけど、内面性の問題として、『10月の少女たち』の中でも乱暴な男の子に日記読まれちゃう……。なんてったっけ?

萩尾 真知子、ですね。米山行(よねやまこう)って子に日記を読まれちゃう真知子さんが出てくる……。

小松 女の子は、男の子の乱暴さに憧れてるところがあって、感情移入はできるんだけど、それが実現したら、──『とりかへばや物謡』みたいに──ってこんな話よく描けるなと感心したね。



コラム記事
アシモフの『宇宙気流』を読んで以来
SF熱はつのるばかり

●超能力まんが
あそび玉
別冊少女コミックの72年1月号に掲載され超能力テーマとしてファンの関心を集めた。
あそび玉で遊ぶうちに超能力が発現したティモシー少年は……!?

●ブラッドベリを連想
10月の少女たち
COMの71年8月号に掲載された。対談中にもあるように、小松先生を少女まんがに目醒めさせた。トウラ、真知子、フラィシーの三部からなる。

●ユニセックスの典型
6月の声
六月のおわりに、太陽系外惑星移民に出発するエディリーヌ。それは、ぼくの美しいいとこ。なんのため飛ぼうというのか。宇宙感覚がサエわたる。



2章 アニメ・CG論
フロルがちゃんとしてたので、ホッとしましたよ……

小松 ぼくは『11人いる!』がアニメに──まだ見てないんだけど──なったというのは、大変うれしい。

萩尾 いろいろ面白い話があるんですよ。最初に出崎さんたちと会った時に、「キャラクターのことなんですけど」と私がお話しして、実は昔NHKで『11人いる!』やった時に、スタッフの方がフロルを女の子と勘違いされたらしくて、ドレスを鏡の前で当てがって見るシーンがあって、「だいたい未分化なんだから、こういうことはしないんだけど」というと、出崎さんがカラカラと笑って「何をいってるんです、萩尾さん、ぼくはそんなことはしませんよ」(笑い) ところがその後に「ぼくはフロルを女の子として考えます」といっていたから、どうなるかなと思ってたけど、今日試写を見たらちゃんとしていたので、ホッとしました。

小松 ちゃんとしてた! そりゃよかった。萩尾さんの作品で映像にしてほしいものはいっぱいある。アニメにするんなら『スター・レッド』 あれはいいだろうな、目が赤いのが見たいんだな。

司会『スター・レッド』の企画は、ずいぶん耳にしましたよ。

小松 今、CG(*)使って、実映像みたいに作るアニメーションがある。ぼくはもうCGに──明日もその審査があるんだけど──5年かかわっているんです。 とてもレベルが上がってきていて、ホイットニー・Jrな
かスーパー・コンピュータ使ってアニメやろうとしている。もう本当の人間と変わらないわけ。すると『スター・レッド』主人公だけアニメにしちゃって、あと実写って手もある。金は膨大にかかるだろうけど、小学館に出してもらって……。(笑い)。
アニメ制作技術も、手塚さんはディズニーの影響をモロに受けている。ディズニーは、1930年代からアニメーションをやっていて、アニメートしやすいキャラクターをペイントメディアに応用した。彼はその影響を受けて出てくるわけです。ディズニーだって『白雪姫』や『ピーターパン』のウェンディに、実際の女の子でかわいいキャラクターを持ってきて、それを撮影してアニメートした。ダンシング・シーンのステップを合わせるところとか、絵を描いたのでは出せないイロっぽさみたいなやつをトレースしよう──て、今、ボブ・エイブルが同じことをやっている。イロっぽいロボットのスーパーCGアニメを作っていて、女優にアクションを全部やらせる。 それをビデオに撮ってディジタイズ(**)して、ロボットの絵にして動かす。これはスゴイよ。

司会 テレビアニメの影響が強すぎて、フルアニメだとファンがついてこないのでは?

萩尾 フルアニメは、重力があり質感があるように動かせてこそ生きると思うんですが。私はフルアニメのファンです。

司会 作劇上しようがない部分もありますが宇宙で星がまたたくことがあるんですよ。これはまずいんじゃないかと……。

小松 一つくらいなら、またたいてもいいんだ。パルサー(***)があるからね(笑い)。

萩尾『11人いる!』のアニメでは、星がスクリーンに写ってるので、スクリーンそのものがちらつけばよかったのかな。

(*)CG=コンピュータ・グラフィクス。 コンピュータの画像処理能力を利用して図形(絵)を描かける技術。
(**)ディジタイズ=ディジタル(数値)化するという意味だが、この場合はコンピュータに図形を入力する方法のこと。
(***)パルサー=脈動性電波天体。パルスのように電波を出す星。中性子星の自転に伴うシンクロトロン放射だといわれている。もちろん、電波だから肉眼では見えない。



コラム記事
『スター・レッド』アニメ企画書
ねらい
アニメ文化が浸透し、アニメ世代も二十歳を越えている。だが、安易なSFアニメが横行しているのが現状だ。 SFマインドを持った分かりやすいSFアニメが、今こそ必要だ。『スター・レッド』はその一本といえよう。
ストーリー
地球に住む少女、レッド・星は火星人の第五世代で超能力を持っている。 故郷の星へ帰れる日を待ち、正体を隠して暮らしていたが……!?



3章 ミステリー&ファンタジー論
宮沢賢治作品は、まんが、SFにとっての古典となっている。

司会 文庫本の『11人いる!』のあとがきに『座敷童子』って言葉が出てきますが?

萩尾『座敷童子』は入ってますね。宮澤賢治さんの。

小松 あ、そうだ。ほくのもそうなんだ。『ざしき童子のはなし』でしたね。子どもたちがいて……。

萩尾 一人増えて……。

小松 そうそう。

萩尾 高校の時に読んで、面白いと思って話は考えたけど、顔が11人描けなかったんです(笑い)。
自分で描いていると混乱してくるわけです。誰の顔だったっけ? なんて。 それで描き分けできず、あきらめたわけです。

司会 最初のころのキャラクターは、だいたい同じですか? タダとかフロルとかの主人公クラスは……。

萩尾 フロルは完全な女の子でした。

司会 宮澤賢治作品は、そうとうお読みになっていたんですか?

萩尾 中学から高校にかけて……。

小松 不思議なものでね、ぼくらにも一種の古典なんですね。だから、松本零士さんだって『銀河鉄道999』は『銀河鉄道の夜』のアクション版だ。

司会 小松先生がまんが『11人いる!』で印象に残った場面というのは?

小松 クルーズの環境ってのは面白いもので、つまり密室なんですよ。密室の中に入った構成メンバーが、コンプリヘンシィヴって、了解可能な連中か、了解できない要素があるか。これはスリリングな話なんです。地球もそうですからね。宇宙船地球号 ってイメージがあるけど、この中で一生かかっても了解できない。ところが、了解できる了解できないという基準が、18世紀以来のヨーロッパ近代文学なんですよ。それから外れる奴がオッドマンだ。オッドマンだって指名された奴はどうするんだ? 白人が了解できないっていわれた場合は、どうなるんだ?『日本アパッチ族』は、それで書いたんだね。世間から見て「お前はオバケだ」といわれたのが本人だったらどうするんだ?

萩尾 オッドマンって、オバケのことですか?

小松 いや“よけい者”って意味です。

司会『邪魔者(オッドマン)は消せ(アウト)」。

小松 あれは映画だけど、奇数(オッズ)と偶数(イーブン)って、 奇数は偶数より一つずつはみ出していると考えて、オッドナンバーと

司会『11人いる!』の中でも、しばしばオッドマンになる人物が出てきますね。

小松 ぼくなんかが気になるのは、地球人にとって、日本人がオッドマンになったらどうなるか? ということ。

萩尾 今、その傾向がだんだん強くなっていますね。

司会 宇宙へ持っていったのは、密室状態を完璧にするためですか?

萩尾 そうです。宇宙船が一つの閉ざされた空間になるわけでしょう。そのころ、好んでそういうジャンルを読んでいたという意識があったんです。自分でも、逃げ場のない宇宙船で……というのは、よく描いていました。

小松『2001年宇宙の旅』があったし、『冷たい方程式』というのもあったな。

萩尾 それから、誰も知らないと思うんだけど、『そして誰もいなくなった』なんていうSFがあるんですよ。

小松『そして誰もいなくなった』っていうのは、10人が全部死んじゃう話でしょう。

司会 小説なんですか?

萩尾 アガサ・クリスティーの有名なミステリーでありますね。それとは別の話で、タイトルだけ同じ、宇宙船の密室SFなんです。雑誌のフロクについていた短編の翻訳を中学の頃読んだんです。人間に化けたエイリアンに全員殺される話。



コラム記事

発想の原点をたずねてみる
『11人いる!』の原案を思いついたのが高校のころという萩尾先生。
「……ベースに、小学校のころ読んだ賢治の『ざしき童子』がある」とは文庫本のあとがきだが、宮澤文学は、まんが、SFの原典なのか。
・『銀河鉄道の夜』(新潮社刊)。この中の一編が『ざしき童子のはなし』

あとで気づいてビックリ!!
雌雄同体の問題を取り上げたSFに、グインの『闇の左手』がある。奇しくも女流作家で、SF界の女王といわれている。オッドマンテーマは小松先生の『十一人』。ホラーショートの典型だ。
・アーシュラ・K・ル ・グィン『闇の左手』(ハヤカワ文庫SF)
・小松左京 『ある生き物の記録』。話題にのぼった「十一人」を所収。



4章 外国TVで学んだこと
あきさせないで引っぱっていく、あのパワー、あの構成力。

小松『11人いる!』の原作の方でいうと、 ヌーというのが、とても印象的なキャラクターなんだけど、アニメでは、あれはうき出てた?

萩尾 ええ、みんなが大ケンカしている時も、だまってリンゴをむいていたり……。

小松 まさしく、レナード・ニモイの役だな。テレビの『スター・トレック』のミス ター・スポック。

萩尾 私『スター・トレック』は、全然知らないんです。マネージャーには一度見たことがあるといわれるんですが、印象にない。 ヌーはむしろ半魚人のイメージです。

小松 今、テレビのいろいろな番組が“消えもの”と呼ばれているでしょう。昔は、映画が“消えもの”だったのね。にもかかわらず、どこかにフィルムをストックしておけばね、今から見ればメチャメチャだけど、ドタバタのエノケンのシリーズなどを 子どもたちが喜んで買うわけですよ。同じように、タイムリミットがあって手を抜いてしまったものも、保存版としてリメイクして、完璧なものにして残す(笑い)。

萩尾 私も中学校のころ流行り始めた、アメリカの三十分番組、一時間番組、ずいぶん見てたんですよね。今でも、そのドラマ構成っていうのは、おぼえているんです。要するに、イントロ(導入部)にこういうのを持ってきて、エピローグ(小説などの終わりの部分)に何を持ってくるというよな。それは『宇宙家族ロビンソン』にもあったし、『ベン・ケーシー』にもあったんですよ……。

小松 白黒の方ができがいいわけ。スピルヴァーグなんて、あれで育ったのが見え見えなの。

萩尾 とにかく一時間をあきさせないで引っぱっていく、あのパワー、あの構成力。すごいですね。

小松 アメリカでも並行現象が起きたのが、ドクター・スミス。悪役だったのに、子どもの人気が集中して、ロボットとスミスで話をもたせている。あれなんか、よくできていたね。

萩尾 私は再放送でスミスさんの魅力に気づきました。見てるころは、まだ子どもだから、あのおじいさんさえいなければ、みんなが平和に暮らせるのにと思っていました(笑い)。

司会 あの、たくましく復活するところは、今のテレビアニメの悪役の原型なんですね。

萩尾『ブラボー火星人』というのもありました。

小松 それから『奥さまは魔女』なんて、よくできていたよ。魔女ものの原型といっていい。今、テレビでミステリーものやってるけど、一回完結で三十分から四十五分、とにかく見出したら最後まで見させるっていうの、『サンセット77』
もそうだしね、堂々たるものがいっぱいある。だから萩尾さんの『11人いる!』も、原作にそれだけの力があるんだから、保存版を作れば、二十年や三十年のロングセラーになる



コラム記事
あげていけばキリがない
外国TV映画

萩尾vs小松対談の中にしばしば出てきたのが海外TV映画。その何本かのデーターを紹介。
『宇宙家族ロビンソン』はTBS系で66年6月4日から放映を開始。宇宙版のホームドラマという設定に似合わずハードSFぶりがよかった。
『奥さまは魔女』は同じTBS系で、同じ年の2月に放映が開始された。あまりのログランに途中で亭主役が交代した。
『サンセット77』はKRT(現TBS)系で60年1月『ベン・ケシー』はTBS系で60年5月、『ブラボー火星人』はNTV系で64年3月から放映されている。ちなみに『スター・トレック』はNTV系、69年4月にスタートした。

・ミスター・スポック(レナード・ニモイ)自身が監督した『スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!』(ハヤカワ文庫SF)のカバー。
『スター・トレック』は、66-69にかけて78話79本が制作、TVで放映された。その後、パラマウント映画で3本の長編映画になるなど、その人気はおとろえを知らない。同作品のノヴェライズ(『宇宙大作戦シリーズ』)も盛んで、邦訳の20冊を超えるほどになっている(同文庫)。



5章 生物学も勉強……
両性具有(ヘルムアフロディット)を生物学的にまんが世界に持ち込んだ

司会 フロル、つまり両性具有を持ち込んだのはどういうことがヒントになっているのでしょう?

萩尾 手塚先生のロボットの系譜に、延々とあるんですよね。男でも女でもないというのが……。

小松 うん、『メトロポリス』のミッチーがそうだね。

萩尾 ええ、それですとか、「人間ども集まれ!」みたいに男でも女でもない無性人間とか。私は、それが非常に面白いなあと思って。

小松 女の子の中で、男っぽいからってイジメルこと、あるわけ? 男には必ずあるんですよ。

萩尾 むしろ、男っぽい女の子は尊敬されますよ。

小松 高橋和己の『捨て子』あたりを読んでみると、彼には終生そのコンプレックスがあるわけ。本当は女に生まれるはずだったのに、男に生まれてしまって不幸だって話でね。それがぼくの心の中にあったものだから、女の子に描かれたのがショックだったんだな。こういう手があったか、という感じ。その後、博物誌の方で調べたら、魚とか虫とかでね、タマゴ生んじゃったらオスになるとかいう例がいっぱいあって、セックスというのは、割りと融通無碍なんだな。

萩尾 ゾウリムシには4種類くらいあるそうですね。あれ、8種類だったかな?

小松 たとえば、男の世界でも、女房役って出てくるわけね。ピッチャーが男だったら、キャッチャーが女房役だ。

萩尾 アーシュラ・K・ル・グィンの『闇の左手』に、ふだんはどちらでもなくて、繁殖期だけどちらかになるという種属が出てきまして、やっぱり、あれが非常にショックでした。それで、生物界にも──カタツムリがそうだってことは知っていたから──他にいっぱい例があるんじゃないかと思って……。

小松 それ、もしかしたら、ぼくが書いたやつじゃない? カタツムリ(*)の話を書いているんだ。

司会 それで調べたんですか?

萩尾 具体的にどんなのがあるかなと調べました。だから『11人いる!』にも「シーバスにアメフラシにカタツムリ」と書いてあるけど、その他にもいろいろな例がある ことがわかりました。

小松 オスとメスって、バイナリー(**)でしょう。トリプル・セックスという、三つの性のある宇宙生物が、四角関係になるという話を書こうとしたんだけど、どうやってもうまくいかない(笑い)。

萩尾 それ、面白い! でも、どうしてうまくいかないんですか?

小松 想像力が足らないんだな(笑い)。面白い話はいっぱいあるの。セックスっていうのは、どうして二つになったのか? 日常的に生きているぼくらにとって、どんな意味があるのか? とかね。自然の中に は、クーロン力(パワー)というのがある。

萩尾 クーロンって、何ですか?

小松 クーロンって人が名づけたの。たとえば、磁石がNとSでしょう。電気が十(プラス)と−(マイナス)でしょう。二つに分かれる力を、全部クーロン力(パワー)というわけ。そうでない力(パワー)もあるということで、それが重力なんですね。

萩尾 重力ね。

小松 核力っていうのは媒介力だっていうんだけど、どっちかの二つの極にシンボルを収斂させるというのは、自然界にも沢山ある。重力だけは、わからない。

司会 そのことを『11人いる!』の中に入れて考えると、これはすごいことですね!

小松 だから、ぼくがどうしてギャーギャーいってるかというと、そういう問題をドラマとして提起したのが、まんがだろうと小説だろうと、初めてだったからなので、面白い話ですよ!」と、ずっとサポートしてきたんだ。本当は、一種の宿命的シンボル、宿命性みたいなものが表現できればもっと面白いものになったろうな。

司会『11人いる!』は、読み切りだったんですか?

萩尾 三回。本当は前後編だったんですけど、夏バテで……。

司会 読んで、三回って感じがしなかったんですけど。

萩尾 構成は一回でやりました。 120ページをもらったので、どうしてもこの中に話を収めなければいけないと、主要エピソードだけピックアップして、その間をつなげたという感じだから、あれはほとんど最短距離を突っ走ったという……。

司会 本当は、もっと長く描こうと!

萩尾 夜、みんなが寝静まった後とか、部屋割りをどうするかとか、いろいろあったのではないかと思うんだけど……。 アニメーションの方々は、ちゃんと部屋割りが出てきます。

(*)“カタツムリの話”は、小松先生の『男を探せ』だと思われますが、これはすごい傑作です!
(**)バイナリー(binary)=二つのもの。
(**)重力 (gravity)=宇宙にある5つの力の一つ。電磁力、強い力、弱い力はゲージ変換で説明されるが、重力はまだわからない。



コラム記事
カタツムリの話からヒント
完全雌雄同体

雌雄同体──。百科事典風に述べれば、一つの動物個体の中に、卵巣と精巣とがともに発達しているもので、ミミズ、カタツムリなど、ある動物種については正常な性的現象……ということになる。

小松左京風に述べるなら、「カタツムリは、雌雄両方の性器を一個体がもっとる。知っとるやろ? セックスの時は、二個体がからみあって、たがいに自分の雄性器を相手の雌性器にさしこむ。こんなのも、シクスティナインと言うんやろか? ミミズも、やっぱり頭の方としっぽの方に、それぞれ雄、雌の性器をそなえとってな。相手のいない時は、自分の頭をしっぽにかさねあわせて自家受精する事もあるという。ああいうのはオナニーと言うのか……」(小松左京『男を探せ』より) 小松節が生き生き!
・小松左京『男を探せ』(新潮社刊)。現在は、文庫「春の軍隊」に収録。



6章 SF論も最高潮!!
アイザック・アシモフの『宇宙気流』で価値観がすっかり逆転した。

司会 原作の冒頭で時代設定をやっていますが、あれはどのあたりをヒントに?

萩尾 あれは、I(アイザック)・アシモフの『銀河帝国の興亡(ファウンデーション・シリーズ)』ですが、移住可能な星に人々が住んでいるというパターンは、けっこう大勢のSF作家が書いているから、それにのっとって、自分で独自に作っちゃったんですね。このくらいならどうかな? なんて適当なこといいながら(笑い)。

小松 あのころは、まだSF読者と少女まんが読者が、そうクロスオーバーしていなくてね。楽な時代だった。

司会 その他にも、テレパスとか、SF的な要素がありますが……。

小松 女の人の書くSFも、まんがも、みんなすぐテレパスにいっちゃうな。『あそび玉』もそうだけど。男が書くテレパスは、筒井康隆さんの『ブルドッグ』みたいに、冗談になっちゃう。女の人は、しつこいからね。それに、映像化する時、一番お金がかからないのは、テレパスだと思うんだな。(笑い)。

萩尾 テレパスを出したのは、誰かが調べなきゃいけないなと思って、考えているうちに、結局一人が証明するんだけど、逆の証明ができないというふうに使ってしまおうと……。

司会 それが、さっきのオッドマンのバリエーションにつながるわけですね。

小松 男のSF作家としていうと、ミステリーはニュートン力学の範囲で全部証明できなきゃいけない。密室殺人、不可能犯罪なんてないんだ。それをアインシュタイン空間まで広げたとしても、それなりのパラダイムを持っている。いくらでも堕落できるのが、超能力とタイムマシンなんです。アシモフの違うところは「ロボット三原則」や「タイムマシン三原則」を作ったこと。ミステリー空間を確立しても、空間としての制限を作らないと科学にならないことは、ぼくも承知し ているわけだ。ところが女性ってのは、そーじゃねーんだな(笑い)。

司会 そういった意味で、しつこくテレパスを使ったんですか? その後も?

萩尾 やー、好きなもんで(笑い)。

小松 好きだろうと思うよ。

萩尾 石森先生の『ミュータント・サブ』とか、手塚先生の『ユフラテの樹』などが非常に好きですね。

司会 どのへんが魅力ですかね? なんでもできるかわりに、かなり制約しないと超能って使えないでしょう?

萩尾 最初、新鮮なうちは遊べるんですけど、パターン化しちゃいますと、ただの能力になってしまいますから、そのへんの兼ね合いが難しいですね。ああいうのを描けるのは、一時的なのかなと思ってしまいますね。

司会 SFを読まれるようになったのは、高校のころからですか?

萩尾 中学時代にミステリーとSFの両方を読んでまして、高校に入るとSF一辺倒になりました。そのきっかけは、アシモフの『宇宙気流(スペース・カレント)』なんです。それまでは地球人が地球にいて、火星人が攻めてきたり、遭難した宇宙船を地球の少年が助けるとか、そんなのばっかりだったんです。ところが『宇宙気流」では地球なんか最初から問題外で「地球? それはどこだ?」なんてセリフに、すごいショックを受けました。

小松『宇宙気流』か、あれは面白かったな。

萩尾 だから、価値感というか既成概念がそこでガタンとひっくり返ったショックの面白さがあって、それまでミステリーとSFの二本立てだったのが、ずっとSFにの
めりこむようになったんです。

小松 お気の毒に(笑い)。みんな同じでね。センス・オブ・ワンダーを感じて、のめりこんだんだよ。

司会 本日はどうもありがとうございました。



●〔対談を終えて……
SF大好き人間二人の間に一人の邪魔者!!
萩尾先生は、調布の東京現像所から、小松先生は、この日のため(かな?)に上京と、お忙しいお二方に登場願っての対談です。長年のおつきあいということで、お話も司会いらずの体でした。ただ、残念だったのが、小松先生にアニメ『11人いる!』をご覧いただけなかったこと。小松先生も残念がることしきり。「絶対見るぞ」というのが、小松先生の最後の言葉。 お二人に感謝いたします。



11人いる!(映画アニメグラフィティ)1986年

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