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【対談:萩尾望都×林真理子】
「マリコのゲストコレクション」週刊朝日:2019年7月26日号

今年、デビュー50周年を迎えた漫画家の萩尾望都さん。バンパネラ(吸血鬼)として永遠の旅を続ける少年を描いた代表作『ポーの一族』をはじめ、多くの読者を魅了し続けています。萩尾さんの50年の歩みを作家の林真理子さんが迫ります。


【前編】『ポーの一族』続編のきっかけは“有名作家”の…萩尾望都が明かす
2019.7.22 週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2019071800019.html

今年、デビュー50周年を迎えた漫画家の萩尾望都さん。バンパネラ(吸血鬼)として永遠の旅を続ける少年を描いた代表作『ポーの一族』をはじめ、多くの読者を魅了し続けています。萩尾さんの50年の歩みを作家の林真理子さんが迫ります。

林:萩尾先生は、今年デビュー50周年なんですね。私の年代って、一度はみんな漫画家を目指して、ノートにコマを描いて鉛筆で絵を描いて、クラスの友達に回して見せたりしました。そんなに評判もよくないので、だんだん描くのをやめちゃうんですけど……。萩尾先生は中学生のころから描いてらしたんですか。

萩尾:ノートに鉛筆でずっと描いてました。『鉄腕アトム』(手塚治虫)とか『サイボーグ009』(石ノ森章太郎)とか、好きな漫画家のキャラクターをどんどんまねして。

林:そのころから漫画家になろうと思ってらしたんですか。

萩尾:そうです。ただ、どうやったらなれるのかぜんぜんわからなかったし、やっていけるかどうかもわからなかったし、「なりたいな。でも無理だろうな。夢だもん」という感じだったんです。でも高校2年生のときに手塚治虫先生の『新選組』という漫画の単行本を読んですごくショックを受けて、「絶対漫画家になろう」と自分で決めちゃったんです。

林:ご両親は反対だったそうですね。

萩尾:大反対。「漫画家なんて恥ずかしい商売だ」と思っていたものですからね。今とぜんぜん時代が違います。両親ともすごくまじめな人で、父親はバイオリンを弾いていたんですけど、クラシック音楽以外認めないという人で、母親も「学校の勉強だけしてればいいんだ」という教育ママだったので、厳しかったです。

林:勉強はできたんですか。

萩尾:いや、ぜんぜんできない、悪いけど(笑)。ただ、当時は気がつかなかったんだけど、見た絵を暗記しちゃう能力があったらしくて、漫画一冊読むと全部暗記して、1カ月くらいはそれを思い出して楽しめるんです。

林:えっ、それは何冊も?

萩尾:読んだものは全部。

林:ええっ! すごい! ふつうの教科書はそんなことないんですか。

萩尾:美術の教科書は暗記できたけど、活字と数字は暗記できない。

林:たとえば「ここに電話してください。090××××……」って言われて、それ復唱できます?

萩尾:いや、できない。紙にメモしないと。

林:私もできないんです。私も人に言われて気づいたんですけど、世の中の人ってみんなそれができるらしいんです。

萩尾:あらら……。でも何かの能力がちょっと劣っているということは、どこかが突出してるんじゃないですか。

林:そう思わないと(笑)。デビューできたきっかけは何だったんですか。

萩尾:何とかデビューしたいなと思ってたら、同郷の平田真貴子さんという方が講談社の漫画賞に入賞なさって、「少女フレンド」に連載されていたので、あるとき大牟田のお宅に訪ねていったんです。それが縁で、私が高校を卒業して上京したときに「なかよし」を紹介してくださって、描きためた原稿を持っていって編集さんに見せたんです。「可愛い絵だね。20枚前後で漫画描ける?」「はい、描けます」「じゃあ今月中に送って」という流れになって、大牟田に帰ってせっせと描いて送ったのがデビューになりました。

林:上京、許してくれたんですか。

萩尾:父と母に「上京して漫画家になりたい」と言ったら、「貯金もないのにダメだ」と言われて、せっせと原稿を描いて送ってたんですけど、3本送ると2本ボツで、やっと1本オーケーという感じだったので、これでは上京しても食べていけないなと思って躊躇(ちゅうちょ)してたんです。ときどき原稿を持って東京に行っているうちに、「カンヅメになっている漫画家がいるから、手伝いに行ってあげて」と言われて、それが竹宮惠子先生で……。

林:まあ、竹宮惠子さん。

萩尾:竹宮先生、私の漫画を読んでくださっていて、「東京にいつ出てくるの?」って聞かれて、「私、生活できるかどうかわからないし、女の子の一人暮らしはダメだと両親が言っているので、当分出てこられません」と言ったら、「じゃ、私のアパートで一緒に暮らしませんか」と言ってくださって。両親に話したら「1年ぐらいならいいだろう」という感じで許してくれたんです。

林:それからはトントン拍子ですか。

萩尾:いやいや、トントンじゃなくて、ジグザグ、ジグザグです(笑)。漫画界には、メイン作家と、描いても描いてもものにならないサブ作家というのがいて……。

林:メイン作家は巻頭を飾るような人ですね。「巻頭カラー40ページ一挙掲載!」とか。

萩尾:そうそう。それと巻末に流れるようなサブ作家がいて、私はメインからはるかに離れたところでとりあえず描いてました。

林:そんな時代もあったんですか。私は1954年生まれで、「マーガレット」「少女フレンド」が必読書でしたけど、あのころはどんな漫画が一世を風靡してましたっけ。

萩尾:「週刊マーガレット」では『ベルサイユのばら』(池田理代子)とか『エースをねらえ!』(山本鈴美香)、「りぼん」では『アラベスク』(山岸凉子)とか、もうちょっとあとになると「花とゆめ」で『ガラスの仮面』(美内すずえ)とか。

林:『ガラスの仮面』はまだ続いてますよね。なんかすごいな。70年代って少女漫画の黄金期ですね。漫画と小説が共存共栄してるすごくいい時代だったような気がします。

萩尾:そうですね。文学、漫画、映画、皆さん同じように愛してくださって。

林:そしていよいよ『ポーの一族』の連載が始まるわけですね。美少年が、これでもか、これでもかとキャラクターを変えて出てきて。

萩尾:はい。美少年を描くのが楽しくて楽しくて(笑)。

林:でも、こんなにヒットすると思ってました?

萩尾:いや、ぜんぜん思ってないです。サブ作家だから、「ページがあるだけでうれしいな」という感じで、当時は毎回31枚だったか、描かせていただきました。それと、編集の方針もあれこれ変わるので、いつクビになるかわからないんです。

林:いつぐらいから騒がれ始めたんですか。

萩尾:単行本が出てからです。74年ぐらいに小学館の少女漫画部門で初めて単行本を出すことになって、『ポーの一族』の1巻、2巻、3巻が1カ月おきに出たのかな。編集者が私に「3万部刷る。1年ぐらいたてば売れるんじゃないかな。もし売れなかったら、原稿料はお金の代わりに単行本で払うから」って。

林:そんなのひどいなぁ(笑)。

萩尾:「単行本をもらってどうすればいいんですか」って聞いたら、「池袋の駅の地下で売ったら?」って(笑)。冗談だろうけど、それぐらい売れないだろうという雰囲気だったんです。そしたら発売して3日で3万部が売り切れたというんで、それで編集が「あれ?」と思ってくれたんです。

林:今までトータルでどのぐらい売れたんですか。何百万部とかですよね。

萩尾:わからない。何十万部は売れたと思うんですけど。

林:いや、絶対に100万部単位だと思いますよ。萩尾先生は印税の通知が来ても見たりしないんですか。

萩尾:見るんですけど、数字は覚えられないんで(笑)。

林:私も数字が嫌いだけど、このごろは「何この数字。なんでこんなに印税少ないの。何かの間違いじゃない?」って怒りながら見てますよ(笑)。話を戻して、そのあとはガンガン大ブームになったわけですね。

萩尾:いやいや、そうでもないです。編集から「第2部を描いてよ」という要望で、1年後ぐらいに第2部みたいなのを描いたんですけど、最後にアランを消しちゃったものですから、自分の中では終わったつもりだったんです。でも、「続きを描いてください」「そのあとどうなったんですか」っていろんな人に聞かれるんです。

林:ええ。

萩尾:そのうち作家の夢枕獏さんと知り合って、獏さんが「萩尾さん、『ポーの一族』の続きを描いてよ」って会うたびにおっしゃるんです。あの人、甘え上手ですね。柔らかい感じで「ボク、読みたいなあ」って。「ほだされる」ってああいうことを言うんでしょうか(笑)。獏さんがそう言うなら描いてもいいかなと思って。

林:それで40年ぶりに続編をお描きになったんですね。

萩尾:はい。続編を描いたときもう60歳を超してたので、発表するのがコワくて、エドガーの顔もぜんぜん違ってるし、「夢がこわれた」とか読者からお叱りが来るだろうなと思ったんですけど、けっこう皆さん喜んでくださって。

林:すぐ売り切れちゃったんですね。

萩尾:小学館の「月刊フラワーズ」に掲載したんですけど、すぐ売り切れて、雑誌にしてはめずらしく重版がかかりました。

林:そして今も断続的に続いてるんでしょう?

萩尾:はい。自分でも驚いたんですけど、描き始めたらすごく楽しくて、キャラクターが勝手に動いてくれるんですね。これまで「あんたたちは出番が終わったのよ」という感じでどこかに閉じ込めていたのが、ドアを開けてみたら「待ってたよ」って出てきたという感じで、「みんなゴメンね、放っておいて」という心境になっちゃいました。



【後編】『王妃マルゴ』を企画したきっかけとは…萩尾望都が明かす
2019.7.22 週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2019071900071.html

林:『ポーの一族』は海外でも翻訳されてるんですか。

萩尾:イタリアで翻訳されたのと、7月に英語の翻訳本が出る予定で、これでやっと英語圏の人も『ポーの一族』を読んでくれるかなという感じです。

林:『ポーの一族』は「漫画を文学に高めた」とよく言われますよね。私たちの年代、純文学を読んでるような感じで『ポーの一族』を読んでいました。今までの女性漫画とはぜんぜん違うとらえ方で「中央公論」とか「朝日ジャーナル」でも取り上げられたような気がします。

萩尾:当時は描くことに夢中で、あんまりそういうことは……。

林:私、『王妃マルゴ』は最初から読んでいたんですが、あれは東北の震災のあとですよね。

萩尾:そうです。だんだん疲れてきて、私はこんなふうにちょこちょこ描きながらだんだんフェードアウトしていくんだろうなと思ってたら東北の震災が起こって、一瞬、何も考えられなくなったんですけど、逆に、何かしなければという気持ちが強くなってきて……。震災の直後に「なのはな」という震災にからんだ短編をいくつか発表したんです。でも、ずっと考えてるとつらくなるんですね。そんなときに「月刊YOU」の編集者さんから「何か企画を」と言われて、いっそ遠くに飛びたいと思って、16世紀の王妃マルゴの時代に旅をしにいこうということで始まりました。

林:どうして王妃マルゴだったんですか。

萩尾:王妃マルゴがナバルの王子と結婚したあと、パリでは「サン・バルテルミの虐殺」といって……。

林:プロテスタントがたくさん殺されたんですね。

萩尾:プロテスタントがカトリック教徒に何千人と殺されたんですね。その図版を若いころに見て、同じキリスト教徒なのにどうして殺し合うんだろうという素朴な疑問が湧いて、機会があると調べていたんですが、あの時代はカトリーヌ・ド・メディシスはいるし、エリザベス女王はいるし、クイーン・メアリーはいるし、フェリペ2世はいるし、とてもおもしろい時代なんですね。でも、王妃マルゴのことはボロクソに書いてあったんですよ。淫乱だとか何人も恋人がいたとか。だけど、どうしてもそんなに悪い人とは思えないんですね。それでマルゴを擁護する立場から話を書きたいと思ったんです。

林:私、「月刊YOU」をずっと読んでたんですけど、急になくなっちゃっ
て、ほかのところにお引っ越ししたんですね。

萩尾:月刊「ココハナ」に引っ越して、去年7巻目が完成し、今年からまた8巻目の連載が始まります。

林:あれは人間関係がすごく複雑ですよね。私、子どものときから漫画を読むのがすごく速くて、パッパッパッとめくっていくんですけど、『王妃マルゴ』は本を読むぐらい時間がかかるんです。セリフの一つひとつを噛みしめながら、一コマ一コマ。あれは大叙事詩という感じですよ。

萩尾:ありがとうございます。ほめてください、あんまり売れてないので(笑)。

林:話が突然変わりますけど、萩尾先生、着物がお好きなんですよね。志村ふくみさんのお着物とか。

萩尾:はい、好きです。志村さんは草木染ですから、着物の前にベールがかかって、草木の精霊みたいなのがフワッとしてるようなオーラがあるんですよね、どの着物も。

林:志村ふくみさんの着物が好きって、さすがにシブいですね。漫画家の方って、忙しいからお金の使い道がなくて、パッと高価な着物をお買いになるそうですね。

萩尾:かもしれません(笑)。

林:失礼ですけど、萩尾先生はずっとお一人ですか。

萩尾:はい、一人で猫と一緒に暮らしております。猫は2階に2匹、1階に4匹住んでるんです。

林:実生活でもドラマみたいな恋多き生き方をしている池田理代子さんみたいな方と、萩尾先生みたいにお一人で猫ちゃんと暮らしている方と、漫画家でも2通りいらっしゃるんですね。あ、池田さんがめずらしいのかな。

萩尾:私が知ってる範疇では、女性漫画家って机に向かって黙々と仕事をしてる系が多いから、少女漫画家ではめずらしいタイプですよね。美人で博学で恋多き『王妃マルゴ』って、池田先生みたいな人かな? 今ふと思いました(笑)。

林:萩尾先生、スポーツはおやりにならないんですか。

萩尾:見るだけ。このあいだ、広島カープが最後の最後で9点入れられて負けて……。

林:カープファンなんですか。

萩尾:いや、彼がカープファンで。

林:彼というと、パートナーですか。

萩尾:いや、ただのお友達の彼。話がすごく合うので、「来世では結婚しようね」って言ってるんです。

林:ああ。一瞬、「えっ彼?」と思っちゃった。

萩尾:ウフフ。ちょっと見え張って、彼って言ってみました(笑)。

林:おかしい(笑)。萩尾先生ってこんなにおもしろい方だったとは。これからも作品、楽しみにしています。

(構成/本誌・松岡かすみ)
(撮影/写真部・片山菜緒子)

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