5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【大泉サロン関連年表】
下記参考図書と本スレ参加者の情報をまとめました(情報は都度更新します)

1969年
1969年?月:萩尾、増山さんと文通を始める
1969年08月02日:映画「If もしも....」日本公開(萩尾、竹宮が見た期日は不明)
1969年08月:「ルルとミミ(なかよし夏休み増刊号)」でデビュー

1970年
1970年?月:講談社編集部が福岡の萩尾宅来訪「ケーキケーキケーキ」執筆依頼のため
1970年03月15日:大阪万博開催
1970年 春:萩尾、編集部の紹介で竹宮のアシスタント「アストロツイン(なかよし4-6月号連載)」
1970年05月:竹宮、桜台に転居
1970年?月:萩尾、増山さんを竹宮に紹介する
1970年?月:増山さん、萩尾に「ヴィレンツ物語」を語る
1970年07月04日:映画「悲しみの天使」日本公開(3人が観たのは1971年02月)
1970年?月:萩尾、竹宮のアシスタント(桜台)「Go!Stop!物語(週刊少女コミック第15-20号連載)」「雪と星と天使と…(別コミ1970年12月号)」
1970年08月15日-09月30日:竹宮が観たと思われるバルビゾン派の展覧会「ミレー・バルビゾンの画家たち」渋谷・西武百貨店
1970年?月:竹宮「風と木の詩」の構想を得る(桜台)
1970年09月13日:大阪万博終了
1970年09月:萩尾「ケーキケーキケーキ(なかよし09、10月号2ヶ月連続別冊付録)」発表
1970年10月:萩尾、上京(上京については「ケーキケーキケーキ」で得た原稿料20万円を上京費用と生活費にあてることで親を説得した)
1970年10-11月あたり?:竹宮、増山さんと「風と木の詩」の構想を夜通しの長電話で一晩語る(大泉本32ページ)
1970年10月:大泉サロン開始
1970年11月25日:三島事件
1970年12月:「雪と星と天使と…(別コミ1970年12月号)」発表(後に「サンルームにて」に改題)

1971年
1971年01月21日:竹宮「風と木の詩」のクロッキーブックの日付
1971年02月:映画「悲しみの天使」を萩尾・竹宮・増山の3人で見る(封切りが1970年07月のため、二番館か三番館での上映と思われる)
1971年02月:佐藤史生、大泉に来る
1971年03月:萩尾「雪の子」発表(別コミ1971年03月号)
1971年03月:「トーマの心臓」を原稿用紙に描き始め、皆に見せる(最終的に300枚)
1971年06月:竹宮「風と木の詩」の冒頭50ページのクロッキーブックを萩尾をはじめ皆に見せる
1971年08月:萩尾「11月のギムナジウム」執筆(別コミ1971年11月号に掲載)
1971年10月:竹宮「とにかくどうしても描きたいっていうものは今はないんですね」COM1971年10月号

1972年
1972年01月:別コミに「ポーの一族」構想発表
1972年02月19-28日:浅間山荘事件
1972年09月12日:萩尾、竹宮、増山、山岸の4人で欧州旅行(44日間)横浜港出発
1972年11月:大泉サロン解散

1973年
1973年03月:萩尾「小鳥の巣(別コミ4-7月号)」発表
1973年03月:呼び出し事件
1973年09月:少コミに「風と木の詩」構想発表

1974年以降
1974年05月:「トーマの心臓(少コミ第19-52号)」発表
1976年03月:「風と木の詩」週刊少女コミック第10号から連載開始

参考:
「一度きりの大泉の話」
「竹宮惠子カレイドスコープ」
「少年の名はジルベール」
「扉はひらくいくたびも」
本スレ参加者の書き込み←ここ重要

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