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【竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻】

竹と樹のマンガ文化論

著者:竹宮惠子・内田樹
発行日:2014年12月06日
発行所:小学館


「竹と樹のマンガ文化論」78ページ


竹宮 内田先生は、『赤毛のアン』派ですか? 私はケストナーの『飛ぶ教室』が好きでした。

内田 ふふ、僕はもちろん『飛ぶ教室』派ですよ。なるほど、やっぱりそうだったのか、わかりました。『飛ぶ教室』が『風と木の詩』の舞台となるギムナジウムにつながってくるわけですね(笑)。『飛ぶ教室』は隠れファンが多いですよね。

竹宮「大泉サロン」では、来る人みんなに、あなたは『赤毛のアン』派か、ケストナー派かって、聞いていました。萩尾望都さんは『赤毛のアン』派でしたね。


「竹と樹のマンガ文化論」80ページ


竹宮 私もケストナーには、すごく影響を受けましたね。

内田『飛ぶ教室』の登場人物たちが、『風と木の詩』のさまざまなキャラクターに投影されているわけですね(笑)。

竹宮 そうかもしれないです。ジルベールとセルジュの周りにいる人たち……。


「竹と樹のマンガ文化論」82-83ページ


『風と木の詩』着想の源

内田『風と木の詩』が『飛ぶ教室』からインスパイアされていると知って、すごく納得です。『風と木の詩』はそれまでの少女マンガでは描かれたことのなかった少年たちの同性愛を描いた作品で、僕はそれをリアルタイムで読んだので、あの時の驚きは、今でも忘れません。

竹宮 最初に読まれた時は、拒否反応がありましたか?(笑)

内田 いや、あまりなかったです。男として読んだら呑み込みにくかったかもしれませんけれど、ほら、少女マンガ読んでいる時は少女になってるから(笑)。今だと「ボーイズラブ」というジャンルがもう確立されているから、その原点に『風と木の詩』があったというふうに系譜をたどることができますが、リアルタイムで読んだ時は、まったくそういう履歴のないところに無文脈的に登場したわけじゃないですか。なんだ、これはって思いますよね。

竹宮 普通は、そう思いますよね。


内田 当時は、萩尾望都さんや山岸凉子さんと仲良くされていたそうですけれど、みなさん からの反応は、いかがでしたか?

竹宮「大泉サロン」のなかでは、いつも話していたようなテーマだったので、特には……。


「竹と樹のマンガ文化論」84ページ


内田 はいはい、あの頃、イギリスのパブリックスクールを舞台にした、ホモセクシュアル映画が何作かありましたね。

竹宮 思い出しました! リンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも・・・・』です。

内田 若きマルコム・マクダウェルが主演した作品ですね。最後に主人公が学校に立てこもって、銃を乱射しちゃう話。

竹宮 はい。でも、私たちは、どっちかっていうと、同性愛的なテーマではなく……。人間関係じゃなくて、ヨーロッパ世界のありようそのものに興味を持ったのです。『if もしも・・・・』は、カンヌでグランプリ受賞しているのですが、世間が評価するポ イントと、私たちの視点はまったく違っていましたね。

内田 あの映画、カンヌでグランプリ取ってるんですか。なるほど、『風と木の詩』が『if もしも・・・・』にインスパイアされていたとは、いま聞けば納得です。


「竹と樹のマンガ文化論」140-144ページ




『風と木の詩』単行本最終巻は少しだけ厚い

竹宮『風と木の詩』 のこぼれ話的なエピソードをお話ししてもいいですか?

内田 どうぞ。ぜひ、お聞きしたいです。

竹宮『風と木の詩』は、実は、「もう、ここで終わりますから」と自ら宣言して連載を終了したのです

内田 えっ? なぜ、そんなことを……。

竹宮 本当は、ずうっと連載を続けていたい。ずうっと、描いていたい。でも、このまま続けたら、大人の話になってしまう。『少女コミック』や『プチフラワー』という、少女向けのマンガ雑誌にふさわしくないストーリーになって、他のマンガと折り合いがつかなくなると思ったのです。

内田 先はまだまだ描けたということですか?

竹宮 いくらでも続けることはできました。描きたくて、描きたくて、何年も構想し続けた、私の分身のような作品。自分の中に描きたい物語はたくさんありました

内田 連載を打ち切ることにした竹宮先生の側の理由はなんですか?

竹宮 その時期、八〇年代頃から、読者が暮らしている現実の世界に近いストーリーが、はやり始めていた。いわゆる、非日常的なマンガの世界を描くような状態ではなくなってきていました。

内田 雑誌連載はどうしてもそれが読まれていたリアルタイムの時代の空気を勘定に入れないと、どうしてその作品が描かれねばならなかったのか、その理由がわからないですね。後になって単行本を読んだだけでは、どうして他ならぬこの作品が他ならぬこの時点で描かれたのか、その理由がなかなかわからない。

竹宮 単行本で読むのもいいけれど、本当は連載されている雑誌で読んでほしいのです。雑誌に掲載されている他の作品と比べながら、読むっていうのがすごく大事。作品と一緒に、その時代の空気みたいなものまで詰まっているから。

内田 なるほど。雑誌を取り巻く歴史的環境ということよりも、むしろ同時期に同じ雑誌に掲載されている他の作品との関係のなかで、それぞれの作品の意味は決定されてくるということですか。これは思い至りませんでした。やっぱりリアルタイムで雑誌掲載の時に読んでないと、わからないことはわからないな。でも、連載打ち切りは思い切った決断でしたね。

竹宮 要するに、雑誌にそぐわない状態で描き続けるのは嫌だった。もう、終わるんだったらここしかないって思ったんです。そうしたら、単行本を作る段になって問題が発生しました。単行本は販売価格に合わせてページ数が決まっているから、最終巻は読み切りのサイドストーリーか何かを抱き合わせないとページ数が足らない。何か短い作品を描いてほしいと。単行本化のことを考えずに、物語を締めちゃった私のせいなのですが、あれほど重い話に、別の物語をくっつけるのは嫌だなって。

内田 それは読者も、きっと厭がるでしょうね。悲劇的な物語の後にコミカルな短編とかがページ稼ぎのために入れたりしてあると、けっこう白けますからね。

竹宮 そうです。だから、単行本は新たに短い話を付けて作るのでなく、最終話まで入れた通常より増ページの一冊にしてくれませんかと、編集長に私自身が直談判をしました。すると、ページを増やすなら、価格を上げるしかないと。私はそれも、嫌だった。読者はそれまでの本と同じ値段だと思って買いにくるわけでしょう。お小遣いが10円足りなくて、買えない子が出るかもしれない。そういう読者に対する裏切りのようなことはしたくなかった。

内田 えらいなあ……。

竹宮 思わず自分自身に腹が立って、泣いてしまったのです。

内田 泣いちゃったんですか?

竹宮 私も、まだ若かったし。『風と木の詩』だっただけに、感情的になってしまったのでしょうね。編集長も「やばい、泣かれちゃった」と、困った顔をしていました。でも、そこまで、私が真剣に考えているとわかってくれたのでしょう。この話は、とにかくいったん預かるからと言ってくれた。

内田 そうやって『風と木の詩』の最終巻には別の読み切り作品は入れなかった。

竹宮 そうです。


38-43、66-69ページ
竹宮:日本のマンガは始めからオープンソースだった
78-84、140-144ページ
竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻
94-97ページ
竹宮:わたしたち「大泉サロン」とヨーロッパ旅行
122-130ページ
竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期
40、78、96、98、125、129、164ページ
竹宮:本書で萩尾望都に触れている

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