5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮:一番は竹宮さんね(山岸)】
竹宮発言の信憑性を検証



検証ポイント(引用部分の図版はこの項目の後半に添付)
ジル文庫:竹宮惠子「少年の名はジルベール(文庫)」2019年
扉本:竹宮惠子「扉はひらくいくたびも」2021年
大泉本:萩尾望都「一度きりの大泉の話」2021年

関連項目
竹宮:山岸凉子はどの作品を読み竹宮を訪ねたのか
「雪と星と天使と…」のプロモーション


1967年
竹宮「弟」COM12月号(12号)掲載

1970年
もりたじゅん「うみどり」りぼんコミック06月号掲載
竹宮「雪と星と天使と…」別冊少女コミック12月号掲載

1971年
山岸「白い部屋のふたり」りぼんコミック02月号掲載

山岸(もりたじゅんとともに)大泉に竹宮を訪ねる 2019年「ジル文庫」107ページ
竹宮:山岸さんは『白い部屋のふたり』(『りぼんコミック』)を、もりたさんは『うみどり』を発表したころだったと思う。2019年「ジル文庫」107ページ
山岸:「竹宮先生が『弟』という漫画を描いたので、竹宮先生もそういう人かと思って会いに行ったのよ」2021年「大泉本」103ページ
山岸:「男同士が好きかなと思って。でも、そんなことは考えもせず描いたと言うので、あ、勘違いしたのねと思ったのよ」2021年「大泉本」103ページ
山岸先生に竹宮先生の最近の作品とか読んだかと聞くと(『雪と星と天使と…』とか……) 「私、影響を受けるのが嫌だから、ほとんど人の作品は読まないようにしているの」2021年「大泉本」103ページ

山岸が竹宮を訪ねたときの会話が以下においてこのとき伝えてくれたように思えた私に先に描かれちゃった、ということでしたと「感想」から「事実」へと変化しており、同一のできごとの説明に極端な差異が認められる
山岸が「一番は竹宮さんね」と発言した事実は認められないが、それに続く文章が「とも言っていた」で結ばれていることにより、山岸が発言したように読み取れる文脈になっている
山岸は「弟」を読んで竹宮を訪ねたが、竹宮は「雪と星と天使と…」を読んで会いに来たということにしている

竹宮:「自分もずっと同性愛的なものをやりたいと思い続けていたんだけど、一番は竹宮さんね」というようなニュアンスをこのとき伝えてくれたように思えた。「私が描きたいのはもっと大人のホモ・セクシュアルなの。私も頑張るつもりよ」とも言っていた2019年「ジル文庫」107ページ
 ↓
竹宮:実は彼女(註:山岸)も全く同じことを、男性同士の愛がありうるということをどうしても描きたかったそうです。でもその手段を探しているうちに、私に先に描かれちゃった、ということでした2021年「扉本」69ページ

1972年
山岸「ゲッシング・ゲーム」別冊セブンティーン11月号掲載

参照【少年愛≒BLの元祖



竹宮惠子「少年の名はジルベール」2019年11月(小学館文庫)102-103、106-109ページ



そして私が描きたがっているこのテーマは、少女マンガの世界を変えようという意志ともつながっていた。彼女(註:増山法恵)は続ける。
「でもあなたが抱えている問題は、別のことだよね。あの作品が描きたいんでしょ?」
そのとおり。どうしたら、この閉塞状態から抜けられる?
「ケーコたんの作品って、今のところ、お話は典型的な展開なんだけどさ、あなたが描く少年だけは、魅力があるよ。すごくいい。特に今の少女マンガには、可愛い女の子は登場しても、本当に少年らしい少年を描いている人は少ないからね。あなたなら描けるかもしれないね、少年同士の心のふれあい。読者がビクッとするくらいの少年同士の愛」

このときの作品が『雪と星と天使と…』(のちに改題『サンルームにて』)というタイトルで、初めて世に出た「少年愛マンガ」(こんな呼び名がふさわしいかはわからないが)だった
『雪と星と天使と…』発表後、大泉に意外な訪問客があった。集英社少女マンガのホープ、山岸凉子さんと、もりたじゅんさんである。「大泉サロンに遊びに行きたい」と、編集部を通じて連絡があったのだ。
それまで面識はなかったのだが、注目株の先輩たちである。山岸さんは『白い部屋のふたり』(『りぼんコミック』)を、もりたさんは『うみどり』を発表したころだったと思う。願ってもないことなので、出入りしていた人たちにも声をかけて、お招きすることになった。

「どうして、ああいうものを描くことになったの?」 山岸さんは私の『雪と星と天使と…』について、そんなふうに聞いてきた。予告と違う作品にすり替えたとも言えず返事に困っていると、「実は私も、昔からああいう同性愛、少年愛をテーマにしたものが気になっていて、ずうっと考えてきたのよ。まさか私以外にも、少女マンガ家でそういうことに興味を持っている人がいたなんてって驚いちゃった。で、会ってみたいなぁって」と言うのだった。

自分もずっと同性愛的なものをやりたいと思い続けていたんだけど、一番は竹宮さんね」というようなニュアンスをこのとき伝えてくれたように思えた。「私が描きたいのはもっと大人のホモ・セクシュアルなの。私も頑張るつもりよ」とも言っていた。Yさんに散々に言われたあとだったので、山岸さんに認められたのは、ことのほか嬉しかった。



竹宮惠子「扉はひらくいくたびも」2021年03月 11、69ページ


『風と木の詩』を発表した1976年当時は、それまでの少女マンガにはなかった少年同士の愛というテーマが世の中に衝撃を与え、ずいぶん物議を醸しました。

山岸さんは、私が1970年2月に発表した『雪と星と天使と…』 (後に『サンルームにて』と改題)を読んで、どうしても私に会いたいと思ったそうです

山岸さんは『雪と星と天使と…』について、とにかく、なぜあの作品を描いたのかを私に聞きたかったと言いました。実は彼女も全く同じことを、男性同士の愛がありうるということをどうしても描きたかったそうです。でもその手段を探しているうちに私に先に描かれちゃった、ということでした




萩尾望都「一度きりの大泉の話」2021年04月 102-103ページ

7 1971年-1972年 ささやななえこさんを訪ねる

山岸凉子先生のアシスタントに行く

山岸凉子先生と知り合って、時々連絡するようになりました。1971年の4月か5月頃、山岸先生からアシスタントをお願いされ、アパートに出かけました。

私ね、竹宮先生が『弟』という漫画を描いたので、竹宮先生もそういう人かと思って会いに行ったのよ
「そういう?」
「男同士が好きかなと思って。でも、そんなことは考えもせず描いたと言うので、あ、勘違いしたのねと思ったのよ」
「はあ」
「私、男同士が好きなのよ。『白い部屋のふたり』も女同士の話だけど、本当は男同士で描きたかったの。でも許可が出なくて」
「はああ」。ううん、しかし今は大泉は少年愛真っ盛り。うーむ。山岸先生に竹宮先生の最近の作品とか読んだかと聞くと(『雪と星と天使と…』とか……) 「私、影響を受けるのが嫌だから、ほとんど人の作品は読まないようにしているの」



マンガ専門誌「だっくす1978年9-10月号・特集山岸凉子」44、46ページ



妖精王國記
従者の譜─早川芳子
「ゲッシングゲーム」
丁度、リボン(註:月刊誌「りぼん」)で同じ作者による『アラベスク』 第一部が後半に及んでいた頃だったと思います。とにかく月刊セブンティーンに載ったミッシェルのシリーズ第一作、「ゲッシングゲーム」は、当時の私にとって、ひとつのショックでした。
今でこそ(註:1978年時点)、竹宮恵子氏等が、少年愛の教祖のように言われていますが、性を含めた形で(しかもホモ的要素までも)美青年を扱ったのは、まさに山岸氏こそが最初なのです。(実は、間接的ではありますが私の仕事の関係で、山岸氏へのインタビューがあり、氏自身も自認されていることなのです)

先鋭ではありますが、 ここが、あの「風の木の詩」のジルベールにはない、リアリティであり、真の問題性の部分ではないかと思います。



CREA 1992年9月号(文藝春秋)84〜85P
山岸凉子インタビュー


山岸凉子画集「光」(2016年09月24日発行)に収録されたCREA 1992年9月号インタビュー「山岸凉子 誰も描けなかった世界[日出処の天子]を語る」から引用

『妖精王』のときも、ファンタジーで妖精ものはまだ誰も手をつけていない頃で、つまりね、私のモットーは「誰もまだやってないものをやる」ということなんです
最大のタブー破りといえば、「ゲッシン グ・ゲーム」で初めてホモセクシュアルを扱ったことでしょうか。これは編集さんから、「お願いだから男が男を好きだって告白するラストを変えてくれ」と懇願されましたもの。女性同士のは前からありましたし、兄弟愛や友情にちょっとその香りがするものはあった。でもストレートに男性の同性愛を扱ったものは、なかったのですね。で、私としては、その問題のシーンが描きたくって作品を作ったわけで、「それを削れというなら、もうこの作品はボツにしてけっこうです。そのかわりおたくとはこれでご縁が無かったことに」とまで言いました。そしたらついに、編集部で会議にかけて決めますってことになりまして(笑)。
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163456...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164353...

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