5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮:山岸凉子はどの作品を読み竹宮を訪ねたのか】

山岸凉子は「弟」を読み竹宮を訪ねたと言っているが、竹宮は自著2冊において「雪と星と天使と…」を読み訪ねてきた、と記述している
つまり、竹宮惠子だけが【山岸凉子が「雪と星と天使と…」を読んで自分を訪ねてきた】と語っている

関連項目
竹宮:一番は竹宮さんね(山岸)
「雪と星と天使と…」のプロモーション


1967年
「弟」COM1967年12月号掲載
1970年
「雪と星と天使と…」別冊少女コミック1970年12月号掲載


山岸凉子
私は、竹宮さんの「弟」という作品を”COM”で読んで強烈な印象をうけました。いままでにない作品でしたね。あれは……。で、ぜひ会ってみたいと思っていたら友人が大泉サロンに遊びにいくというのでついていったんです。それが、初対面でしたね」
1978年テレビランド増刊「竹宮恵子の世界」(徳間書店)41ページ(下に図版あり)
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164396...

山岸凉子
私は彼女の『弟』という作品を読んで、すっかり自分と同好の士だと思い込んでいたんです。それであるときご本人に、「あのね…もしかして竹宮さんって、こういう趣味?」って聞いたら、「えーっ!! そんなつもりで描いてない」といわれて、驚いたことがありました(笑)。
月刊flowers2016年07月号46ページ(下に図版あり)

山岸凉子
私ね、竹宮先生が『弟』という漫画を描いたので、竹宮先生もそういう人かと思って会いに行ったのよ
「一度きりの大泉の話」2021年(下に図版あり)

竹宮惠子
『雪と星と天使と…』発表後、大泉に意外な訪問客があった。集英社少女マンガのホープ、山岸凉子さんと、もりたじゅんさんである。「大泉サロンに遊びに行きたい」と、編集部を通じて連絡があったのだ。
どうして、ああいうものを描くことになったの?」 山岸さんは私の『雪と星と天使と…』について、そんなふうに聞いてきた
「少年の名はジルベール」2016年(下に図版あり)

竹宮惠子
山岸さんは、私が1970年12月に発表した『雪と星と天使と…』(後に『サンルームにて』と改題)を読んで、どうしても私に会いたいと思ったそうです
山岸さんは『雪と星と天使と…』について、とにかく、なぜあの作品を描いたのかを私に聞きたかったと言いました。実は彼女も全くおなじことを、男性同士の愛がありうるということをどうしても描きたかったそうです。でもその手段を探しているうちに、私に先に描かれちゃった、ということでした。
「扉はひらくいくたびも」2021年(下に図版あり)




1978年テレビランド増刊「竹宮恵子の世界」(徳間書店)41ページ

私は、竹宮さんの「弟」という作品を”COM”で読んで強烈な印象をうけました。いままでにない作品でしたね。あれは……。で、ぜひ会ってみたいと思っていたら友人が大泉サロンに遊びにいくというのでついていったんです。それが、初対面でしたね」


月刊flowers 2016年07月号
flowers 15周年
山岸凉子・萩尾望都
プレミアム対談



──お二人とも初対面のときの印象は覚えていますか?

山岸凉子先生(以下、山岸) 最初、私は萩尾さんを知らずに大泉のサロンへ伺ったのです。そこには竹宮惠子さんが住んでいらっしゃって、竹宮さんを訪ねたら萩尾さんがいらっしゃったのです。

萩尾望都先生(以下、萩尾) 私は山岸さんの作品をデビュー当時からほぼ逃さず読ん いましたから、山岸さんが竹宮さんの原稿を手伝いに来られると聞いて緊張していたんです。そうしたら山岸さんが真っ白なお洋服でいらっしゃって。

山岸 実はこの時、私は遊びに行ったので、白い服など着ていたのですね。

萩尾 私は、東京の人はなんておしゃれなんだろうと思いました。

山岸 いえいえ、北海道から出てきたばかりの人でしたが(笑)。あなたは、なぜ竹宮さんと一緒に住むことになったのですか?

萩尾 私がデビュー当時にまんがを描いていた講談社の編集さんから、「竹宮先生のところへ手伝いに行ってくれないか」といわれて、竹宮先生のところへ伺ったんですね。そうしたら竹宮先生に、「あなたはいつ東京に出て来るの?」と聞かれまして。私が「女の子が独りで上京なんてダメだと、親が許してくれないんです」といったら、「今度部屋数の多いところへ引っ越そうと思っているから、よかったら一緒に住みませんか?」 と誘ってくださったんです。竹宮先生は当時すでに引く手あまたで、お仕事の量がすごかったんですよ。

山岸 素晴らしい絵ですものね。私は彼女の『弟』という作品を読んで、すっかり自分と同好の士だと思い込んでいたんです。それであるときご本人に、「あのね…もしかして竹宮さんって、こういう趣味?」って聞いたら、「えーっ!! そんなつもりで描いてない」といわれて、驚いたことがありました(笑)。竹宮さんはあれを無意識に描かれてい たんです。

萩尾 それは新しいエピソードだわ。

山岸 初対面で質問をしたわけではないのですけど、この話を竹宮さんとしたのもサロンでしたから、私は何度か大泉へ伺っていますね。確か初めて訪ねたときは、ささやななえこさんと一緒で、二度目はもりたじゅんさんと…覚えていらっしゃらないでしょうけれど。

萩尾 覚えていますよ(笑)。もりたさんは気さくな方ですよね。こんな方にお願いしていいのかしらって思いながら、お手伝いをしていただいて。



「一度きりの大泉の話」103ページ

私ね、竹宮先生が『弟』という漫画を描いたので、竹宮先生もそういう人かと思って会いに行ったのよ


「少年の名はジルベール」図版は小学館文庫(2019年)107ページ

『雪と星と天使と…』発表後、大泉に意外な訪問客があった。集英社少女マンガのホープ、山岸凉子さんと、もりたじゅんさんである。「大泉サロンに遊びに行きたい」と、編集部を通じて連絡があったのだ。
どうして、ああいうものを描くことになったの?」 山岸さんは私の『雪と星と天使と…』について、そんなふうに聞いてきた


「扉はひらくいくたびも」69ページ

山岸さんは、私が1970年12月に発表した『雪と星と天使と…』(後に『サンルームにて』と改題)を読んで、どうしても私に会いたいと思ったそうです
山岸さんは『雪と星と天使と…』について、とにかく、なぜあの作品を描いたのかを私に聞きたかったと言いました。実は彼女も全くおなじことを、男性同士の愛がありうるということをどうしても描きたかったそうです。でもその手段を探しているうちに、私に先に描かれちゃった、ということでした。

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます