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【竹宮:私たちはそこを大泉サロンと呼んでました】本の窓1998年05月号

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/167348...



月刊本の窓1998年05月号
発行日:1998年
出版社:小学館




「月刊本の窓1998年05月号」74-77ページ
「少女まんが」名作選
心の琴線に触れ、涙を絞ったコミックの数々

第1回 『風と木の詩』
少女漫画の世界を変えた衝撃作
(図版に続いてテキスト抽出あり)







「少女まんが」名作選
心の琴線に触れ、涙を絞ったコミックの数々

第1回 『風と木の詩』
少女漫画の世界を変えた衝撃作


竹宮惠子
1950(昭和25)年、徳島市生まれ。67年COM新人賞佳作入選。
68年「週刊マーガレット」に発表した「りんごの罪」でデビュ一。
徳島大学中退後、上京し本格的に漫画家生活に入る。
76年『少女コミック』に『風と木の詩』連載開始。
代表作は他に『地球(テラ)へ…』『ファラオの墓』『疾風のまつりごと』『イズァローン伝説』『変奏曲』など。
80年、第25回小学館漫画賞受賞。

インタビュー・構成 生田安志
まとめ註:原本には記載されていませんが発言者名を付記しました



女たちのトキワ荘

解説 少女漫画を読む男が現われてきたことが話題になったことがある。もう20年も前だろうか。ユニセックス化という面もあったが、それよりもやはり少女漫画自体が変わっていったことが大きいのだろう。それまでの「少女」の漫画の世界から、読者層を広く深くしていったのがいわゆる24年組といわれる世代の新人たちだった。そして、彼女たちのトップランナーともいうべき存在の一人が竹宮惠子氏である。


竹宮「トキワ荘ですね。やっぱり、ああいった場が欲しいと思いました。同じ漫画の好きな人たちが集まって、話したり、漫画を描くのを手伝ったり、一緒に遊んだり、そういった時間や場所に憧れていました。実現したのは、東京に出てから半年くらいたってからでした。ええ、もうプロになっていましたけど、ある日、講談社で萩尾望都さんに出会ったんです。彼女もまだデビューしたばかりで、お互い新人だから注目はしてたんですね。でも、まだアシスタントもいない状態ですから、忙しい時に手伝いあうという仲になっていました。彼女はまだ東京に出てなくて、一緒に住まないかということになったんです」


解説 彼女たちのトキワ荘は、練馬区の大泉のキャベツ畑に面した家だった。徐徐に同好の士が集まり、新しい漫画の誕生の土壌が育ちだした。


竹宮「私たちはそこを大泉サロンと呼んでました(笑)。小さな家だったけど、いろいろな人たちが出入りしてよく合宿をしていました。合宿といったって、何日か一緒にいて朝までおしゃべりをしたり、忙しい人の手伝いをしたりとか、食事を交代でつくったりといった程度のことですけど、でも楽しかった。そこで自分たちの本当にやりたい漫画のことをよく話していたんです」


才能と努力

竹宮「漫画を描き始めたのは小学生の頃から。もちろんプロになるつもりなんてなくて、好き勝手に描いていたんですけど、描くのが好きだったんでしょうね、自然にストーリーをページ数にまとめるようになっていったんです。漫画雑誌をみて、1話で16ページとか32ページ単位だったのを知って、それと同じように物語をつくっていく。最後 のページできちんと終わるように話をつくるという面白さに夢中で中学の時にそういった形で96話も描きました。読者はいませんでしたけど(笑)」
参考【竹宮:中学時代に描いた2400枚と興味を持った時期

生田 96話! 16ページとかで?

竹宮「ええ、ほとんど毎日描いていました から。勉強の時間になるまでずっと。デビューは高校生の時です。新人賞がきっかけでした。中学の時から投稿していたんですけど、そのころ入選していた高校生に里中満智子さんがいて、これはかなわないと思いましたね (笑)。でも賞をもらったからといってもすぐプロで生活できるはずもなくて、大学に行きながら少しずつ描きだしていったんです」
参考【竹宮:1964年講談社第1回新人漫画賞→名前が載った


『風と木の詩』が出るまで

竹宮「それまでの少女漫画の形態に飽き足りなかった。新しいものをつくりたかったんです。そのころ少女漫画ではまだセックスはおろか、男女の恋愛も満足に描けなかったんです。何がテーマだったかといえば母娘の物語とか、家族のこととかで、思春期である読者や描き手である私たち自身が満足してなかった。恋愛にしても、女の子が自分の思いをやっと告げたところで終わるわけです。本当のドラマはそこからだろうって(笑)」

生田 ウーン、隔世の感がありますねえ。

竹宮「ほんとに。だからその先を描きたいというのは自然だし、読者の女の子たちもそうだったと思います。ただ、いきなり母娘ものから少年愛やセックスというわけにはいかないから(笑)、そこは少しずつ実績をつくっていきました。実際、編集部の人たちには、今こういうものを考えているというと、いやそれはちょっと難しいなあという感じでしたから」
竹宮「ただ、私の読者たちは私がそういうものを描きたいというのを知っていましたから、『風と木の詩』を発表した時も当然のように受けとめていたはずです」


解説『風と木の詩』は昭和51年に連載がスタート。フランス・アルル郊外にある男子校とその寄宿舎を舞台にした少年たちの青春物語である。美貌だが孤独で背徳的なジルベールと敬虔で向上心の強いセルジュが主人公。少年たちの同性愛、強姦シーンなどが強いインパクトを与え話題になった作品である。


竹宮「でも、まわりからはそれほど言われなかったんです。テーマはショッキングでも、見せ方は露骨ではないし、醜悪なものにはしたくなかった。絵を見て想像させるようなほうにもっていきました。あの作品の中で、読者におもねるような無意味なカットは1点もありません。セックスシーンもそのものズバリという形では出ていないのです」

生田 物語はだんだん大河ドラマ風になっていきますね。

竹宮「最初はそんな気はなかったんですけど、読者に背景をわかりやすくするため、ジルベールやセルジュの過去を説明する章を入れました。私の頭の中ではつながっているんですけど、二人の過去のいきさつがないと見えてこない部分もありますから」

生田 では最初から長編を目ざしていた?

竹宮「いえいえ、なにしろテーマがテーマですからいつまで続くかわからないわけですよ(笑)。いつ終わってもいいように描いていました。じつは読者の反応も怖くて、最初の10週くらいはきた手紙も読まなかったんです」


本当に描きたかったこと

解説 物語の終盤、二人が駆け落ちをしてパリで暮らす章がある。寄宿舎という一種の楽園から厳しい現実世界に出た二人には残酷な結末が待っていた。この章のもつ暗さ、せつなさにはファンの間でも賛否が分かれた。


竹宮「これこそ描きたかったことなんです。駆け落ちで終われば、それこそ以前、私が失望していた少女漫画のフィナーレですよ。その先にこそ新しい展開がある。ですから私は最初から二人が死ぬところまできちっと描くつもりでした。でもそうなると老人のセルジュまでいかないといけないから(笑)、無理でしたけど。ただ、やっぱりあの先は読みたくないという読者の手紙は多かったですね。ジルベールのファンからは恨まれました(笑)。でもジルベールはあのまま生きてはいけ ない存在ですから」

生田 続編などは考えなかった?

竹宮「時間がたつと絵のタッチが微妙に変わるんです。連載中ですらそうですから。読者を失望させたくなかったんです。ただ全集になった時に短編でジュールとロスマリネという脇役二人の子供時代を描いたことはありました」


今の少女漫画について

解説 低迷が続き、読者も離れだしたといわれる少女漫画。何が変わり、どこが問題なのだろう。


竹宮「つくり手側からすると、読者数のことがあると思います。少年誌ほど数が出ていれば、いろいろなことができるんですけど、少ないとどうしても読者に受けるものに従っていかなければならなくなる。そうするとヒットしたものと同じ傾向のものが続き、飽きられるという悪循環を生みます」

生田 読者も変わりましたか。

竹宮「読み手も描き手も、判断の基準が好き嫌いだけになってしまっている気がします。何でもありという状態は、私たちの若い時とちょうど逆です。制約やタブーがあり、それをなんとかしようと描いてきたのが私たちですから、今はとても自由なはずです。でも、それがじつは新しいものを生む障害になっているのかもしれませんね」

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