5ちゃんねる【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】に関する資料まとめサイト

【竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期】

竹と樹のマンガ文化論

著者:竹宮惠子・内田樹
発行日:2014年12月06日
発行所:小学館


『ファラオの墓』と同時期の連載作品について
〈竹宮:たぶん、萩尾望都さんが『スター・レッド』を描いていた時だろうと思います〉
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164218...


連載時期(いずれも「週刊少女コミック」)
『ファラオの墓』
1974年第38号-1976年第8号(途中休載あり)
『トーマの心臓』
1974年第19号-第52号
『スター・レッド』
1978年第23号-1979年第3号


一般的な流れとして、本が世に出る前には「文字校正」という工程が最低でも一度はある
上記『ファラオの墓』と同時期に連載していた萩尾作品について竹宮は自身の勘違い(記憶違い)のまま本書を上梓している
『トーマの心臓』と『スター・レッド』の掲載時期には4年の差がある
筆者・出版社(小学館)ともに本書内容について文字校正(事実確認を含む)を実施した上での出版なのだろうか
それに加えて、本件(掲載時期)が些細な間違いだとしてもこの「事実誤認」が記載されている以上、本書に限らず事実誤認はこのケースだけか? という疑念が持たれる可能性を否定できない
つまり、画業50周年を記念して新潮社から出版された『風と木の詩』のクロッキーノートの検証(参照【「風と木の詩」クロッキーブック検証】)にしろ、竹宮の言動における「信憑性」が問われるのは「事実誤認はこのケースだけか?」という疑念が基底となっているからではないだろうか
たとえば他の項目(例【竹宮惠子:漫画に興味を持った時期】)にも見られるように、時期・相手・媒体によって発言内容が変化していませんか? その発言には客観的事実との相違があるのではないですか? という疑念を持たれていることも、合わせて押さえておきたい
「竹宮さん、あなたの発言は信頼に値するものですか?」と考える人が、その人数は視認可できないとしても「大泉スレ」において少なからず存在していることも添えておきます

この項目では日常の発言における「言い間違い・勘違い・記憶違い・思い込みによる事実誤認」を指摘しているのではなく、出版物として世に出た竹宮の発言が客観的事実に基づいたものかどうかを検証しています



【追加考察1:竹宮発言の矛盾点について】
情報提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164288...

ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」(1982年08月01日発行)の「自筆年譜(186-189ページ)」において以下の記述がある

ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」188-189ページ

昭和49年(1974年)
「ファラオの墓」を開始。「風と木の詩」をやりたかったが、まず下地をつくってから、と自重。同時期「トーマの心臓」が始まったのは、故に手痛かった。殆ど見ないようにしていた
参照【竹宮恵子:自筆年譜

「ぱふ1982年8-9号」と「竹と樹のマンガ文化論」を照らし合わせると以下の矛盾点が浮かぶ

(1)ぱふ1982年8-9号(1982年08月01日発行)
〈『ファラオの墓』と同時期に始まった『トーマの心臓』にたいして「手痛かった」と感じ「殆ど見ないようにしていた」

(2)竹と樹のマンガ文化論(2014年12月06日発行)
萩尾望都さんが『スター・レッド』(まとめ註:正しくは『スター・レッド』ではなく『トーマの心臓』)を描いていた時だろうと思いますが、クローズアップの絵が多いと人気が上がる、という法則に気がついた。マンガ家同士でそういう情報交換もしながら、手探りで作品のクオリティを上げていくのです。〉

つまり(1)において〈『トーマの心臓』を殆ど見ないようにしていた〉と記述しているにもかかわらず(2)では〈萩尾さんの『スター・レッド(実は『トーマの心臓』)』で法則に気がついた→マンガ家同士でそういう情報交換をしながら作品のクオリティを上げていく〉と記述している
これはその当時「竹宮が萩尾と情報交換をしていた」ように読める、もしくはその意図の有無はともかく誤読を誘うように読める
実際には1974年時点で両者は既に絶縁しており、そのような関係が成り立っていたとは考えにくい
なぜ竹宮は2014年発行の「竹と樹のマンガ文化論」において『トーマの心臓』と『スター・レッド』の連載時期の間違いを校正せず、さも萩尾望都と交流があったかのように読みとれる発言をしたのだろうか

繰り返しになるが、この項目では日常の発言における「言い間違い・勘違い・記憶違い・思い込みによる事実誤認」を指摘しているのではなく、出版物として世に出た竹宮の発言が客観的事実に基づいたものかどうかを検証しています



【追加考察2:「原稿」について】
情報提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164288...

「竹と樹のマンガ文化論」123ページに以下の記述がある
冒頭のシーンから五〇ページ分はもう出来上がっていたので、その原稿を持って「連載でやらせてもらえませんか」と、編集者たちを口説いて回った。

ここで竹宮が言う「その原稿を持って」の「原稿」は『風と木の詩』の冒頭50ページを指しているが、1984年発行の「続マンションネコの興味シンシン」では以下のように記述している

「続マンションネコの興味シンシン」20-21ページ

■まず、自分が描き易いと思うクロッキー・ブックを画材店で見つくろう。
■自分のモウソウを、始めたい所から鉛筆でいきなりコマ割りして描く。
■だいぶたまったら、それを編集する。
■クロッキー・ブックから破りとって、適当に並べて、もう一度、クロッキー・ブックのコイルに差し込み、その部分を貼る。いくらでも好きな所に好きなだけページを差し込めるし、
この手で私は、「風と木の詩」の冒頭部分を描きためて、編集サンに見せたりしたのよね。
「続マンションネコの興味シンシン」26ページ

■どこに載るあてもなく一人でコツコツ描いていた「風と木の詩」が、いよいよ“少女コミック”に載る、と決まった時、ハタと困ったのはサイズの違いだった。私が一人遊びで描いていたクロッキーノートは横幅が広く、雑誌用原稿はタテに長い。それに描き始めた20歳頃の私のキャラクターは、顔がポチャポチャと丸く背も低い。
最初の絵の雰囲気を壊されよう、ガラスのテーブルに下から光をあてて、クロッキーノートをトレースしたわけだが、原稿の寸法と人物のサイズを微妙に直しながらペンを入れた

当時1970年代において漫画の「原稿」といえば、ペン入れが済み消しゴムで下書きを消した「完全原稿(入稿のためそのまま編集部に渡せる状態)」を指し、クロッキーブック(クロッキーノート)に鉛筆で描いたものを意味しない

編集に見せた『風と木の詩』の冒頭50ページを竹宮は「続マンションネコの興味シンシン」で【一人遊びで描いていたクロッキーノート】と記述し「竹と樹のマンガ文化論」で【原稿】と記述している
また、新潮社が2017年に「完全再現」した商品ではその特設サイトに「冒頭50ページ余にコマ割りやセリフまで描きこんだクロッキーノート」と記されている(参照【「風と木の詩」クロッキーブック検証】)

「クロッキーノート」と「原稿」はまったく違う状態にあるものだが、竹宮は編集に見せるためにかいた『風と木の詩』冒頭50ページについて、上記2冊の本においてそれぞれ別の言葉を採用している



「竹と樹のマンガ文化論」122-130ページ






竹宮 内田先生の説に照らすと、私の場合、『風と木の詩』を世に送り出すために、『ファラオの墓』を描き始めた時だと思います。

内田 どういうことですか?『ファラオの墓』と『風と木の詩』というのはどういう関係なんですか?

竹宮 はい。私の中では、『ファラオの墓』を描いていたのではなく、『風と木の詩』の準備をしていたのです。

内田「準備」って、どういう意味ですか? 資料集めとかじゃないですよね。

竹宮 わかりにくい表現ですみません。『ファラオの墓』を描く何年も前から『風と木の詩』の構想を練っていて、とにかくこの作品を世に送り出したかった。冒頭のシーンから五〇ページ分はもう出来上がっていたので、その原稿を持って「連載でやらせてもらえませんか」と、編集者たちを口説いて回った。でも、みな口を揃えて「こんなシーンから始まる作品、うちではとても無理です」(笑)。

内田 裸の男の子たちが絡み合っているシーンからですからね。

竹宮 当時、集英社が『りぼんコミック』という雑誌を発行していました。山岸凉子さんの初期作品で『ラグリマ』という、すごく暗い話を平気で載せていた。この雑誌なら載せてくれるかもしれないと、編集長にアポイントを取ってもらった。すると、「いいなぁ。ぜひ、やりたいなぁ。やりたいんだけど、申し訳ない。この雑誌はもう廃刊になるんだ」(笑)。

内田 暗すぎて売れなかったんですか?

竹宮 集英社はマンガでは常に王道を行く出版社なので、そんな変わった雑誌を作られて、実際のところは困っていたのかもしれません。

内田 連載は『少女コミック』ですよね。

竹宮『少女コミック』にも作品を描いていたので、私にも担当編集者が付いていたのです。毛利さんという方で、もともとは『ビッグコミック』の編集者。異動してきたばかりで、少女マンガ誌の他の編集者とは雰囲気が違っていた。そこで、思い切って相談してみました。 『風と木の詩』を『少女コミック』に載せたいのですが、可能性はありますか、と。当然、答えは「いきなりは無理ですね」。でも、ここからが毛利さんの本領発揮で、「この雑誌における作家自身の発言権を高めないと、これは載りません」。んん? どういうこと? 毛利さんの言う発言権って何ですか? と、聞いたわけですよ。そうしたら「発言権というのはですね、その前の連載作品でトップを取ることです」。
雑誌の中で一位、二位を争う人気作品を描いていれば、次回作に、そういうものを出してきても、編集長や会社だけではなく読者に対しても説得力があるだろう、ということなんですね。

内田『ファラオの墓』は、『風と木の詩』を連載するために、狙って描いたヒット作だった。

竹宮 はい、そうです。

内田 すごい。そういうことができるんですね。「描きたい」作品とは別に、「ヒットする作品」を狙って描くということができる。

竹宮 私だって、手塚先生や石ノ森先生を追いかけてきた人間なので、メジャーとは何か? 読者が求めているものは何か? という肌感覚は持っていました。でも、その頃、長期スランプに陥っていて、マンガ家として自分の進むべき道が見えずに悩んでいたのです。
隣には、萩尾望都さんっていう、とんでもない才能を持った個性的なマンガ家がいる。比して自分はというと、昔からあるマンガのオーソドックスを倣ってきた作家。だから、描くことには何の苦労もないのだけれど、じゃあ、そこに何か自分の個性を付け加えられるかっていったら、何もない。ファンの方からは、そんなことはない、当時からすごく変でしたよ、と言われるのですが、とにかく道に迷っていた。で、悩み、悩んでいるうちに、はたと自覚したんです。私の描いてる絵も構図も、誰かの影響を受けて出来上がっているもので、珍しくも何ともない。では、斬新な表現手法を持っているかというと、持っていない。そんな私が何で勝負できるかというと、作品の主題や内容ではないかと。

内田 それが『風と木の詩』。

竹宮 でも、あまりにも強烈だから、絶対今の少女マンガ誌では無理だと、私もわかっていた。いろんな人に見せて回っていた時も、それほど強くこれで勝負するとは思ってなかった。逆に成功しなかったら、マンガ家としての将来をつぶされるような内容。私にとっては、爆弾のような作品でした。

内田 だからこそ、まず『ファラオの墓』の成功が必要だった。

竹宮『ファラオの墓』はヒットを狙ったと言いましたが、それまでの作品も全部ヒットさせたいと思って描いてきたのです。でも、どの作品も人気が上がってこない。アンケートも最下位近くをウロウロしているような感じで。ただ、ファンレターの数はすごく多かった。みなさん、作品のディテールにまで突っ込んで、いろいろ意見を書いてきてくれる。一般的な人気を問うアンケートでは低迷していたけれど、コアなフォロワーはたくさんいたのですね。そこで、一般の人たちも巻き込めるようなメジャーな話でヒット作をつくることができれば、『風と木の詩』を世に出せる芽もあるのじゃないかと。

内田 それで、定番である古代エジプトの大河ドラマをやろうと考えたわけですか。

竹宮 北島洋子さんの『ナイルの王冠』や、水野英子さんの描くエキゾチックな国に憧れていたこともあって、エジプトを舞台に設定しました。でも、ここが私だなと思うのは、『風と木の詩』を描こうと思って、スケッチブックにストーリーのメモを書き散らしていた時に描いた絵が、少年ふたりがヌードで争ってるシーン。どうしてそんな絵を描いたのかと振り返ってみると、七〇年代のはじめに開催された
ラファエル前派展の影響だったのです。そこで買ってきたポスターにダフニスとクロエの絵が描いてあって、ふたりともヌードだった。それを観て何も身につけてない人間の肢体をどうしても描きたいという衝動に駆られたらしい。

内田『ファラオの墓』は、『風と木の詩』で男の子の裸体を描くための練習でもあったと(笑)。そうでしたか……。でも、作品をヒットさせるためには、読者に圧倒的に支持されるための仕掛けが必要ですよね。それは何でしょう?


必勝パターンを組み合わせる

竹宮 ヒット作のスタンダードを探るため、まず百年経っても古ぼけない演目はどういうものだろうと研究して、歌舞伎の「勧進帳」のシーンをそのまま取り入れたり……。 徳川家康が人質になっていた時代の話やシェークスピアも下敷きにしました。『ファラオの墓』は、まさに温故知新が生んだ貴種流離譚なのです。

内田 必勝パターンを組み合わせて作ったら、それが大成功した。

竹宮 いや。いや。いや。いきなり大成功はしないですよ。

内田 でも、だんだん順位は上がっていったのでしょう?

竹宮 いや、そんなに甘くなかったです。

内田 毎回順位は上下したのですか?

竹宮 それほど激しい変動はなかったですね。たぶん、萩尾望都さんが『スター・レッド』を描いていた時だろうと思いますが、クローズアップの絵が多いと人気が上がる、という法則に気がついた。マンガ家同士でそういう情報交換もしながら、手探りで作品のクオリティを上げていくのです。『ファラオの墓』の場合エジプトの話だから、当然戦いのシーンも描かなくちゃいけない。なんで少女マンガなのに、戦いのシーンが出てくるんだろうと思うのですけど(笑)。
私はそもそも少年マンガ育ち。ちょっと乱暴なシーンのほうが、描く意欲が湧いてくる。恋愛シーンを描くのはあまり好きじゃないのですが、必勝を期すには、やっぱり、なきゃいけない。当然、ロミオとジュリエット的悲恋を描くべきだという計算はあって、


竹宮 とにかく、読者の反応がすべてですから。水野英子先生の『星のたてごと』をじっくり読みなおして、女の子のどういう絵を美しいと感じるのか、どういうシーンが琴線に触れるのかということも、本当にいろいろ研究しました。だから『ファラオの墓』 の中には、『星のたてごと』へのオマージュもたくさん織り込んでいるんですよ。


38-43、66-69ページ
竹宮:日本のマンガは始めからオープンソースだった
78-84、140-144ページ
竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻
94-97ページ
竹宮:わたしたち「大泉サロン」とヨーロッパ旅行
122-130ページ
竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期
40、78、96、98、125、129、164ページ
竹宮:本書で萩尾望都に触れている

Menu

メニューサンプル1

管理人/副管理人のみ編集できます