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【竹宮:本書で萩尾望都に触れている】

竹と樹のマンガ文化論

著者:竹宮惠子・内田樹
発行日:2014年12月06日
発行所:小学館

2021年に「一度きりの大泉の話」が上梓されるまで、萩尾・竹宮の絶縁の事実(とその理由)はおおやけになっていなかった
2014年に上梓された本書「竹と樹のマンガ文化論」において竹宮の口から萩尾の名前が複数回出ていることに違和を覚えた人は(「一度きりの大泉の話」上梓前に)はたしていただろうか
この本で竹宮の口から萩尾の名前が出るたびに「大泉サロン」から長く続く両者の絆(もしくは同業者としての交流等)が続いているように読めなくもない



「竹と樹のマンガ文化論」40ページ


竹宮 そうかもしれませんね。トキワ荘の時代から、マンガ家には運命共同体的な意識があったのでしょう。当時は赤塚先生の作品を古谷三敏先生が描いたり、私も萩尾望都さんの仕事を手伝ったり、手伝ってもらったり



「竹と樹のマンガ文化論」78ページ


竹宮「大泉サロン」では、来る人みんなに、あなたは『赤毛のアン』派か、ケストナー派かって、聞いていました。萩尾望都さんは『赤毛のアン』派でしたね



「竹と樹のマンガ文化論」96ページ


竹宮 ヨーロッパ一周です。当時、山岸凉子さんが萩尾望都さんと友達になりたくて、「大泉サロン」によく来ていました。で、お誘いしたら、ふたりとも是非にと。萩尾望都さん、山岸涼子さん、そして増山法恵さんと私、四人で行きました。
(略)
内田 なるほど。はあ、まったく知りませんでした。萩尾望都、山岸涼子、竹宮惠子が一緒に一か月ヨーロッパ旅行したせいで、頭の中が全部ヨーロッパになっちゃった……それはすごいや。それだけ個性の強い作家が三人同時にヨーロッパにはまって相互影響し合ったとは。日本少女マンガ史上の決定的事件ですよ、これは。



「竹と樹のマンガ文化論」98ページ


竹宮 モスクワでは山岸さんと萩尾さんふたりでバレエを観に行きました。団体を離れて行動したので、融通のきかなさを、より痛感したのでしょう。そういう経験がその後の作品の端々に出てきているなと思いますね



「竹と樹のマンガ文化論」125ページ


竹宮 私だって、手塚先生や石ノ森先生を追いかけてきた人間なので、メジャーとは何か? 読者が求めているものは何か? という肌感覚は持っていました。でも、その頃、長期スランプに陥っていて、マンガ家として自分の進むべき道が見えずに悩んでいたのです。
隣には、萩尾望都さんっていう、とんでもない才能を持った個性的なマンガ家がいる。



「竹と樹のマンガ文化論」129ページ


竹宮 それほど激しい変動はなかったですね。たぶん、萩尾望都さんが『スター・レッド』を描いていた時だろうと思いますが、クローズアップの絵が多いと人気が上がる、という法則に気がついた。マンガ家同士でそういう情報交換もしながら、手探りで作品のクオリティを上げていくのです。



「竹と樹のマンガ文化論」164ページ


竹宮 マンガ家にもいろいろな性格の人、いますよ(笑)。でも、案外常識人が多いのは、あながち間違いではないように思います。さまざまな要求に応えるという意味では、手塚先生や石ノ森先生の時代のような、単純明快さだけでは読者は満足しなくなった。
もっと複雑な物語を。もっと深い描写を。という欲求から、映画に対抗できるようなマンガを作るのが当たり前になっていった。どんどん複雑化していったきっかけは、たぶん、萩尾望都さんだと思いますよ。絶対に、私じゃない(笑)。


38-43、66-69ページ
竹宮:日本のマンガは始めからオープンソースだった
78-84、140-144ページ
竹宮:『風と木の詩』と『飛ぶ教室』、『風と木の詩』最終巻
94-97ページ
竹宮:わたしたち「大泉サロン」とヨーロッパ旅行
122-130ページ
竹宮:事実誤認?『トーマの心臓』と『スター・レッド』連載時期
40、78、96、98、125、129、164ページ
竹宮:本書で萩尾望都に触れている

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