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【竹宮恵子:ロンド・カプリチオーソ】
「萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品でした(扉本49ページ)」
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...



前置き
竹宮恵子は「ロンド・カプリチオーソ」について「萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品でした(扉本49ページ)」と記している
また、作品を描くにあたって動機づけになった「ロンド・カプリチオーソ」の奏者について、1979・1980年と2016年で以下の違いが認められる

1979年
名バイオリニスト、ジノ・マランチェスカッティの演奏を耳にした時、一瞬にして『ロンド・カプリチオーソ』の物語が生まれた
ケーコタンのつれづれエッセイ】1979年

1980年
ジノ・フランチェスカッティの演奏する『ロンド…』でなければイメージがふくらんでくれなかった
(ロンド・カプリチオーソ小学館文庫あとがき202ページ:図版あり)

2016年
上京してすぐのころ、増山の家でヴィルヘルム・ケンプが演奏するロンド・カプリチオーソを聞かせてもらい、すごく気に入りました
(カレイドスコープ78-79ページ:図版あり)
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163914...

ジノ・フランチェスカッティ
フランスのヴァイオリニスト(1902年08月09日-1991年09月17日)
ヴィルヘルム・ケンプ
ドイツのピアニスト、オルガニスト、作曲家、教育者(1895年11月25日-1991年05月23日)



「ロンド・カプリチオーソ」のクロッキーノートより(「カレイドスコープ」79ページ)

知らないで
ひとを傷つける罪の大きさについて
知っていて、傷つける

きみはぼくに何をさせた?
ぼく自身が悪かったのかもしれない
ぼくが弱くてそれを許した

だがきみよ
たしかにちがうといいきれるか
たしかにおまえが悪いとぼくに

ぼくのしたことは罪深い
だがそうさせたきみはなんだ
やさしく素直な可憐な子よ

たおらばたおれ 神よ この花を
アルベルもこの身も あなたがつくりたもうた
あらそいはもうたくさん
神よ 御手さしのべたまえ



「ただの盲目! なんのねうちもない!」
サンコミックス(第1巻)206ページ
小学館文庫(第2巻)8ページ
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...




1973-1974年
「ロンド・カプリチオーソ」連載
週刊少女コミック1973年第44-52号、1974年第01-13号

サンコミックス 全2巻
発行日:1976年12月30日(2巻とも)
出版社:朝日ソノラマ


小学館文庫 全2巻
発行日:1980年08月20日(第1巻)
発行日:1980年09月20日(第2巻)
出版社:小学館




1980年
「ロンド・カプリチオーソ小学館文庫あとがき」202ページ
『ロンド・カプリチオーソ』は、スランプのまっただ中に描いた作品なので、再読すると当時のつらい思いがよみがえってくる。アルベルの悩みは、そのまま私の悩みであり、自己不信は足かけ五年のあいだ続いた。
ニコルのイメージは『ロンド…』のレコードを聴いた瞬間、夢のように浮かんできた。ただしジノ・フランチェスカッティの演奏する『ロンド…』でなければイメージがふくらんでくれなかった
この作品は第二部も描くつもりで、物語の最後にPart2の主人公を登場させたが、その後、なかなか続編を描く機会を得られない。第二部の主題が『変奏曲』(自作)(まとめ註:1988年に公表するまで『変奏曲』の原作者が増山法恵である事実は秘匿し、自作として語っている)のものと似ているということも、筆を重くさせている理由のひとつである。類は友を呼ぶのか、青春の悩みのまっただ中にいる人びとが、この作品に強く魅かれるらしく、今だにたくさんの読者から、早く続きをとさいそくされる。いずれは描くつもりでいるのだが……。




2016年
「カレイドスコープ」78-79ページ
上京してすぐのころ、増山の家でヴィルヘルム・ケンプが演奏するロンド・カプリチオーソを聞かせてもらい、すごく気に入りました。スケートの曲にぴったりだと思い、私自身スケートが大好きで関心があったので、スケートの話を思いついたのです。ただしその時に創作した冒頭は、悩みを抱えるコンサートマスターの男の子がスケーターの男の子に出会って……という話。「変奏曲」のテーマをスケートと音楽の世界で描こうとするようなものでした。そして3年たって連載するにあたって、もっとわかりやすくしなくては受け入れられないと思い、兄弟愛をテーマにしたスケーターの話に変えたのです。当時、私自身の悩みとリンクするところもあり、描いていて重たいものになったのですが、重いものを表現することにすごく一生懸命になっていた。だから今振り返ると、妙に艶っぽい作品になっている。ある意味、「風と木の詩」の練習のためには良かった連載ではないかと思います。




2019年
「少年の名はジルベール文庫」177ページ
萩尾さんの『ポーの一族』シリーズは、マンガ関係者が集まるあらゆるシーンでさらに話題になっていた。彼らだけでなくマンガを普段読まない文芸評論家にも高く評価されていた。
増山さんはもうピアノの練習をしなくなり、あんなに優しい母親と毎日のようにケンカしている。そして私は、次の出口を探すようにして自分を変える何かを待っていた。そして、「大泉サロン」……この長屋の契約更新の知らせが来たとき、私はついに大泉を離れることを決めてしまったのだった。
どんなふうにみんなに話したのか、実はよく覚えていない。誰にも相談らしい相談 はしなかった……と思う。




「少年の名はジルベール文庫」178ページ
「それぞれスープの冷めない距離でやっていこう」というような形になって、私が実はもう下井草(東京都杉並区)に部屋を見つけていることを話すと、萩尾さんも「じゃあ、私も近くにしようかな」と言った。「それはいやだ」という言葉が頭をかすめる。萩尾さんが遊びに来れば、また焦りや引け目を感じるに決まっている。本音が言えないまま、「うん、そうだね」。私にはことが運んでいくのをどうしようもなかった。




「少年の名はジルベール文庫」180ページ
萩尾さんには、彼女に対するジェラシーと憧れがないまぜになった気持ちを正確に伝えることは、とてもできなかった。それが若さなのだと今は思うしかない。

萩尾さんもここから歩いて5分くらいの場所に良い部屋を見つけることができたらしく、これでまた行き来できると安心していた。それを聞いて私の心にはうっすらと影が広がっていったが、その闇を見ないように努めていた。



「少年の名はジルベール文庫」181ページ
新しい暮らしを始めた1973年という年は、2回の週刊誌連載の機会を与えてもらい、それぞれ『ウェディング・ライセンス』(『週刊少女コミック』)20週、『ロンド・カプリチオーソ』(『週刊少女コミック』)22週の仕事をこなしたけれど、読者の人気はそれほどではなかった。




「少年の名はジルベール文庫」182ページ
連載二つのうち、『ロンド・カプリチオーソ』は、締切を守れず、青息吐息で描き綴った連載だったが、自分が考えてきたようなストーリー展開が多少は可能になった作品だったと思う。スケートの天才である盲目の弟を北欧の奥に隠して、自分はスケート界の第一線で活躍する兄の葛藤を描く物語。
そうはいっても、どう演出して長い物語を綴り、最後まで読者を導くかが、やっと見えた程度。でもなぜか、今見ると絵に艶がある。スランプの底にいつつも、構図にも表情にも貪欲なのは、不安を抱え、もがいて上がろうとする若さがなせる技だったのだろうか。





2021年
「扉はひらくいくたびも」49ページ
しかし1973年から小学館の「週刊少女コミック」に連載した、フィギュアスケート選手兄弟の物語『ロンド・カプリチオーソ』以後は、連載を描いていませんでした。その『ロンド・カプリチオーソ』は、弟の才能に嫉妬する兄を主人公にした物語で、萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品でした。自分でもあまりできが良いとは思えませんでした。
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162897...




「扉はひらくいくたびも」83ページ
一方、大泉サロンで同居している萩尾望都さんは、1971年には『10月の少女たち』『11月のギムナジウム』など多数の作品を発表。72年には『ポーの一族』の連載を開始するなど、着々と描いていました。それなのに私はやる気が起こらない。ひょっとするとスランプ? そう考えました。




「扉はひらくいくたびも」89ページ
そんな折、「大泉サロン」の長屋の契約更新の時期(まとめ註:1972年09-10月頃と思われる→大泉サロン開始が1970年10月、慣例では賃貸契約は2年間のため)が来ました。私は大泉サロンを解散して、萩尾さんとは別々に暮らそうと決意しました。
同年代で、同じ場所に住み、交友関係も同じだと、ニュースソースも経験もどうしても同じになります。その結果、紡ぎ出すものも似てきます。ファンも私たちを取り違えることが増えました(まとめ註:萩尾作品が竹宮作品と取り違えられた傍証は見当たらない)。この年、萩尾さんは『ポーの一族』の連載を始めました。少年の姿のまま、永遠の時を生きる吸血鬼の物語で、大ヒット作になります。すると、ファンなどから「竹宮さんって『ポーの一族』を描いていますよね」って言われるようになりました。それを気にする自分もイヤでした。




「扉はひらくいくたびも」90ページ
全寮制の中高一貫教育の男子校で過ごしている少年を主人公にした「ギムナジウムもの」と呼ばれるテーマを、私も萩尾さんも描こうとしていました。私が後に描く『風と木の詩』や、萩尾さんの『トーマの心臓』などがそうです。その世界が一緒なので、萩尾さんがどういうことを描くのかがとても気になりました。萩尾さんに対して嫉妬や焦り、劣等感を感じていたのかもしれません。いや、私が過剰反応していた、一人相撲をしていたのでしょう。




「扉はひらくいくたびも」92ページ
同居を解消してから半年ほどたってからだったと思います。萩尾さんに「距離を置きたい」と伝えました。以来、萩尾さんとは没交渉です。

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