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【竹宮恵子インタビュー:スピーチバルーン・パレード1988年】

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/167011...



スピーチバルーン・パレード
マンガをめぐる女たちの冒険
米沢嘉博
出版社:河出書房新社
発売日:1988年09月01日




「スピーチバルーン・パレード」106-113ページ
竹宮恵子
(図版に続いてテキスト抽出あり)







竹宮恵子
少女マンガに少年マンガっぽい感じを持ち込もうとしはじめた頃は周囲が叙情に流れていったし、同一の戦線をはれる人がいなかったんです。


──「ASUKA」に連載中の『アフターファイブ・レボリューション』 は、どんなところから?

竹宮 私はもうとっくに若い人ではないけど、それを理解できるか、とにかくやってみようということで始めたんです。最初は勉強の一年でしたけど、この頃ようやく何を描きたいのかがわかってきたようです。

──軽さの中に、どこか重いものを感じますが。

竹宮 それは、私たちの世代の問題だと思います(笑)。マジメというか、軽くなりきれないというか。逆に軽い人たちの弱点は、重いものを扱えないところかも知れないけど。

──ああいったロックの世界は、もともとはお好きだったんですか?

竹宮 最近の新譜はそれなりに聴いてますが。もともと私はクラシックが好きで、そういう世界を描いていたんだけど、その頃は、ロックは私の作品にとって必要なものじゃなかったんですよ。ディスコに行って踊るのは好きだし、阿波踊りやってたからノルのは好きなんですが。

──じゃ今は、どんなのが好きですか?

竹宮 どちらかといえばイギリス系ですね。何か言いたいことがありそうなタイプが好きです。U2とかね。ブルース・スプリングスティーンも、その点では嫌いじゃないんですけど、あれは体力使うためにやってる感じがちょっと(笑)。ジーン・ケリーがダメで、フレッド・アステアの優雅さの方が好きだった、みたいなことですね。

──やはりミュージカル映画なんかはよく観た方ですか?

竹宮 昔は映画全般よく観てたんですけど、最近はなかなか。話題作は観るようにしていたいですけど、時間がとれない上に、今の話題作ってつまらないのが多いから(笑)。



マンガというのはある程度
恥知らずじゃないと

──子供の頃のマンガ体験としては……?

竹宮 同い年の子と遊ぶより、近所のお姉ちゃんの所とかへ行って遊ぶ方が好きだったので、そんな所で見てました。最初の記憶にあるマンガは『冒険ダン吉』と『テルテル姫』(早見利一)なんですよね(笑)。『テルテル姫』を大事にしてたらしくて、おばあちゃんに布でカバーを作ってもらって、小学六年ぐらいまでしっかり枕元に置いてたんですよ。その頃に読んでて面白いはずないんですけどね(笑)。あれはいったい何年間持ってたんでしょうねえ。

──その頃は貸本屋さんにも行ってました?

竹宮 ええ。 マンガ家になってから、よく行ってた貸本屋さんに行ってみたら覚えてらしてね。よく来てた顔だな、みたいな(笑)。当時はいろいろ借りてました。矢代まさことか、今話すと誰も知らない赤松セツコとか、決して好きな世界じゃないけど佐藤まさあきとか(笑)。雑誌は続けて読んだことはあんまりないですね。買ってもらえなかったし。小学校三年の時『少年少女文学全集』を買ってもらってからは、そっち中心になったんです。ケストナーみたいな、男の子や女の子がいっぱい出てくるのが好きで、“全集”の中では『地下の洞窟の冒険』というのが一番気に入ってました。

──その頃はマンガ家になろうとは思ってなかったわけですか。

竹宮 全然。絵はうまかったので、「マンガ家になるの?」なんて言われてましたけど。母が、「そういう水商売はよくない」って言っていたんで「そーか、いけないのか」って思って(笑)。
結局、石ノ森先生の『マンガ家入門』読んで、仕事としてやっていけるんだなあと思ってからですね。はっきり意識したのは高二ぐらいかな。

──『マンガ家入門』の存在は大きかった。

竹宮 そうですね。あれで色々覚えたし、ついお手紙を出して、同人誌に入れてもらったりしました。小山田つとむさんがやってらした「宝島」ってサークルですけど。それから本格的にやり始めて、あの年は阿波踊りにも行かなかった(笑)。

──コマ割って描いたのはもっと前から?

竹宮 中学の頃ですね。その頃の作品って、自分の欲求に素直だから、御都合主義っていうか、自分の描きたいように話をもっていっちゃうんですよね(笑)、今考えると恥かしいですけど。もっともマンガって、ある程度恥知らずじゃないと描けませんからね。

──大学で教育学部を選んだのは、マンガのためですか?

竹宮 いえ。 おこがましいかも知れないけど、執行猶予の時間が欲しかったんです(笑)。
「COM」を読み出してから、マンガ家になろうって気持ちは固まってたんですけど、どうなるかわからないでしょう。それで、とりあえずという形ですね。

──「COM」でデビューして、大学に入って。

竹宮 入ったら、学生運動を始めちゃって。それで「連載できません」て断わったりして、一年間休みました(笑)。70年安保の時ですね。

──大学生とマンガ家の両立となると、やはり学校へはあまり……。

竹宮 学業がおろそかになるのはしょうがないって、ほとんど出なかった気がしますね(笑)。でも、大学に入って男友達が大勢もてるようになって面白かったですね。高校の時はほとんど女子高でしたから。 友達に会うために大学に行くみたいな(笑)。まじめにつきあってたBFもいたんですけど、半年で私がマンガやるために東京に出ていくことになってしまって…。 あの頃の人たちは今、ほとんどが教師やってるんですけど、私も、教育にかわることをマンガの中でやろうっていう意識はあります。それが私の中にある重さかも知れませんね。



あの頃の自分とは
別人のような気がする

──「別冊少女コミック」あたりから本腰が入ったという気がしますが?

竹宮 そうですね。十回連載させてもらった『空が好き!』あたりが、一線を超えた反応があったりして、一つのきっかけになりました。少年を主人公にするっていうのは少女マンガでは抵抗がありましたけどね。以後も少年マンガっぽい感じを持ち込みたかったんですが、周囲がだんだん叙情に流れていったんで、同一の戦線をはれる人がいなかった。そのことは辛かったですね。

──少年愛の世界を描いたってことでは?

竹宮 ウィーン少年合唱団をあの頃よくきいてたんですが、周囲にフリークの人がいて、そのうちどこが好きか、とかの話で盛りあがっちゃって(笑)。男の子の世界を描こうって。焚きつける人がいるとついやっちゃうんですね。

──『風と木の詩』あたりで、やっぱり一つの世界を築いたという感じですか?

竹宮 あいう世界はやはりヨーロッパじゃないかということで、資料を集めてるうちに世界が出来ていった感じですね。『IF』っていう映画がありまして、あれが向こうのパブリックスクールとの初めての出合いだったんですね。あれは理想的な世界だったから、『フランスの大学』なんて本買ってきて研究しまして、その結果を多少いじって設定作ったんです。スキャンダラスな部分もついてまわるんですが、中には私の受けとってもらいたい部分だけを読みとってくれる偉い読者もいて、そこへメッセージを送るために、好きにやり続けました。……あの頃の写真見ますと、今は、あの頃の自分とははっきり違うことがわかるんですよね。別人みたいですよ(笑)。もともと自己主張の強い人間だったし、それは変らないと思いますけど、私自身、変わらなくちゃ、という意識があったのかも知れません。

──あの作品を描いてた時は相当にのめり込んでいたと見ていいですか?

竹宮 没頭しちゃうと、世の中の動きを忘れちゃうんですよ。それでふと周囲を見回すと「新人類はわからない」と頭を抱えることになるんで(笑)。それを理解するためにロックの世界を描き始めたようなところもあります。

──それ以前から続いている『イズァローン伝説』ですが……。

竹宮 ファンタジーって、私は苦手なんですね。だからやってみようという気になったんですが、予想外に読者がついてきて、長くなってます。全く違う世界って、一から構築して、説明しなきゃいけないんで大変ですけど、もう大体終る時期も決まってますので……。

──これからやってみたいものは……?

竹宮 今研究中ですが、『ファラオの墓』に近い感じで……でも『アフターファイブ……』をやった後だから違う描き方で出せるんじゃないかと思ってるのがあります。『風と木の詩』をふっきった部分で何か出て来そうな感じですね。ただ、単に面白がられるという部分だけでなく、常に読者にメッセージを送り続けていこうとは思ってますね。


⚫️あとで一言・女性マンガ家として大切なもの⚫️
インタビューで“連載中”と言ってた「アフターファイブ…」 はもう、しばらく前に終って、「ASUKA」では「スパニッシュ・ハーレム」というのをやってます。……女性の描き手ということでは、男性から見て「これは女性でないと描けない」という部分があるなら、それはなくしたくないなと思いますね。



スピーチバルーン・パレード:米沢嘉博

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