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【竹宮恵子交友録:寺山修司・中島梓・Mrs.オクスフォード】


続マンションネコの興味シンシン
発行所:角川書店
初版発行:1984年10月05日





わたしの交遊録1
寺山修司さんの巻
本書158-159ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

真冬のアムステルダムで、寺山さんの率いる劇団「天井桟敷(てんじょうさじき)」の公演があると聞き、旅の最終地を、アムスに決めたのでした。「アンネの家」を思わせる狭くて急な階段のホテルに着いてすぐ、寺山さんに電話で連絡。今夜の公演をぜひ見たいこと、明日には帰国しなければならないことを伝えると、「えーもう帰っちゃうの、せっかく会えるのに」と不満そうな声。そんなひと言は、とても相手を嬉しくさせるものです。こんな瞬間、寺山さんは、ほんとに細やかなお世辞上手だと思わずにいられません。お世辞などというといけないけれど、やさしい心遣い故のこんな言葉を、どう表現したもの かわからない。

不思議な演劇を観た翌朝、「今から行くから朝食でも一緒に」と寺山さんからホテルへの電話。八時頃だったけれど、冬の欧州(ヨーロッパ)では、 未だ薄暗い朝まだき。ベッドの中で受け取る電話はラブ・コールみたいで、とても良い気分だったのを覚えています。

廊下は狭苦しいのに、そこだけはぽっかりとひらけた空間のダイニング・ルームで、寺山さんと私たちだけの朝食。靴音と声を響かせながら、簡単な英語でメイドさんに卵を注文する寺山さん。アムスでの寺山さんは、日本で見る寺山さんと、ずいぶん違って見えました。のびのびして自由を満喫している感じ。そういえば、あの不思議な演劇「奴婢訓(ぬひくん)」も、お固い日本では、充分によい条件で公演できない様です。アムス公演を観て、本当に夢の実現力のある人だと、改めて私は実感したのでした。凍てついた運河ぞいの道を並んで歩きながら、前に泊まったホテルで劇団員がホテルの奥さん(?)と深い仲になってしまった話など、実に軽く楽し気に、語ってくれる寺山さん。飛び交うカモメはキレイだけれど、実は獰猛だという寺山さん。「空想原則の世界と現実原則の世界と、両方で生きられないと人は不幸だ。」というあなたの理論に感動したのは、いつのことだったでしょうか。




わたしの交遊録2
中島梓さんの巻
本書160-161ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

彼女のことを派手で気の強い女性と思っている人がとても多い。彼女のことを話そうと思うと、つい、その誤解をときたい衝動にかられて、暴露記事っぽく、「ネェネェ、彼女ったらねー云々」としゃべりたくなる。ところが、まるっきり彼女らしいエピソードが出てこない。最初会ったときは私も、彼女が堂々たる貫禄(当時太っていた!)だったので、押し出しのいいお姉さん(私より年上に見えた)だなーと思ったものだ。それが栗本薫名義で江戸川乱歩賞、吉川英治賞、ナドナド聞くだけで凄そうな賞を経て、アッというまの有名人。マスコミ界とつきあうのって大変なのよネー、中島さん。誤解はされるわ、非難されるわ、かと思うと持ち上げるわで、疲れることオビタダシイ。ごく普通にしているだけなのに、いつの間にやら中島梓像が創りあげられてしまう。顔も知らない人が、自分のこと何かいってると思うと、何やらそぞろ落ちつかない。彼女はもともと、とても人に気を使う人だし、しかも相手にそれを悟らせない立派な女性であるのだ。マスコミの中でそれはとっても難しいことよね。フテブテしく自分の性格で押し切っちゃう人にはわからない苦労。早い話が、彼女という人は、一枚一枚外皮をめくってゆくと、最後には純白の羽毛をまとった少女(女ではないと信じる!) が膝をかかえてうずくまっている。そんなデリケートな人なのだ。だから、とっても傷つきやすいし感じやすい。彼女の友人たち、ワセダミステリークラブ軍団は、だから両手を広げて、皆で彼女を保護してる。そんな図が、私はすごく好きなのね。男友だちが多い彼女、私も男友だちが多いし好きなほうだけど、彼女と私ではつきあい方が全然ちがう気がするの。私は男になってつきあう感じだけど彼女はやっぱりかわいい女の子としてつきあう。すると私と彼女はどうやってつきあうのが理想かな、なんて考えてる今日このごろ。ねェ、パジャマ・パーティしてみない、中島さぁん。




わたしの交遊録3
Mrs.オクスフォードの巻
本書162-163ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

レッドフォードでもロックフォードでもなくて、オクスフォードですが、まじり気なしの日本人だったのです。彼女は1年前、金髪に青い目のクラスメイトと結婚して横文字名になった、私の前のアシスタント。2年位うちで手伝っていましたが、その変わり種ぶりは、どこのアシさんとも比べられないほど。面接試験に来たとき、仕事場を見渡して「どうしてこんな狭い所に住んでるんですか」ときた。本人に悪意は全くなく彼女が中学、高校、大学と過ごしたアメリカのレベルで考えただけのこと。アメリカの漫画家は、スイスに別荘を持つ左うちわの大金持ちだというのです。

よくよく聞けば、彼女はどうやら上流階級(ハイソサエティ)の出身らしく、家には運転手や熟練のお手伝いさんもいるご身分。しかも、アメリカ国籍を持ち、小学校がドイツ留学だったため、独語、英語がペラペラ。普通だったら、私もこんな肩のはるアシさんは、ゴメン、のはずなのに何故か雇ってしまった。何もこんな給料の安い所へ来なくてもいいのに!ーーしかし彼女は2年居て、基本以上の手伝いは何もできず、正に給料以上のことはせずにやめて行ったのです。そのくせ、チャッカリ漫画作法は身につけ、好奇心は満足させ、今では即デビューしてもおかしくない立派な個性派の漫画が描けるのですから。 彼女曰く「漫画家は必死でやってももうからないからパス」だそうな。

ドライでシビア、ひと言でいえば、そんな特徴。私も同じく、アメリカ的合理主義で、お互い日本人には仲間を見つけにくい者どうし、気が合ったのかもしれないな。

アシストをやめた彼女は、ダンナ様をエジプトに単身赴任させ、翻訳と通訳の本業に、世界中を飛び回っています。困るのは、今彼女は子供が欲しく、自分が出産に余り適さぬ身体なので借り腹を求めていること。いくらすばらしいからって、私のボディラインを変な目で見ないでほしいのよね。

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