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【竹宮恵子交友録:小尾信彌・花郁悠紀子・伊東愛子】


続マンションネコの興味シンシン
発行所:角川書店
初版発行:1984年10月05日





わたしの交遊録4
小尾信彌先生の巻
本書164-165ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

「宇宙、天文学、大好き少女で、この人の名を知らなかったらモグリよ」といいきれるほど、宇宙関係の著作が多い小尾(おび)先生。それが、とあるTVの特別番組で同席させていただくという光栄に浴し たのです。

小尾先生の第一印象は「わっ!! フレッド・アステアみたい」タップダンスの王様フレッド・アステアは、私の永遠の憧れなのですが、小尾先生のスリムで、ダンディな身のこなしは、まさに「アステア風」だったのです。

それでも最初は、「東大教授」という肩書きに気押され、私は声もかけられぬほど、カチン、コチン。しかし、番組がきっかけとなり、私の作品を贈ったり、先生の御本をいただいたり……。そして1度「おいしいお店に」と食事のお誘いがありました。ホテルのラウンジで待ち合わせ、素晴らしいフランス料理と、パートナーを決して飽きさせない軽妙な会話。その完璧なまでに紳士的なエスコートに、私は外国小説のヒロインになったような気分でした。

そして2度目の偶然。私が行きたかったNASA(宇宙航空局)取材のツアーに、先生が講師として参加されたのです。アメリカ生活の長い小尾先生は、初めての私に細かく気を配ってくださり、「西欧派の貴女に、ぜひアメリカを好きになってもらいたい」と歴史、慣習からアメリカ人気質まで、丁寧に教えてくださいました。

ワシントンのアダルトなお店で名物料理に舌つづみをうちながら、 サンフランシスコで有名なデパート、通りなどを要領よく案内してくださりながら、少年のように熱っぽくアメリカの素晴らしさを語る小尾先生のおかげで、楽しく充実した旅の終わりには、私もすっかりアメリカびいきになりました。

帰国後は、先生も私も仕事に追われて食べ歩き」もできず、もっぱら電話でお話しするのみ。今、先生はアメリカでお仕事だそうで、時折、素敵なカードで、お手紙をくださいます。




わたしの交遊録5
花郁悠紀子さんの巻
本書166-167ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

ジャン・コクトーは天折した天才レイモン・ラディゲを「天の手袋」と表現した。「天がその手をぬくと、それは死を意味する」と。

花郁悠紀子、その名を思い浮かべるだけで胸が痛くなる。1年と少し前、いくつかの作品を残して、この世を去った彼女の「死」という事実に、いまだ私は慣れないでいる。

オバタマ――と仲間うちでは呼ばれていた。私よりずっと若いのに、すでにドッシリとした落ちつきを持っていたせいだろうか。金沢から上京し、アパートの一室に自分の城を構え、はた目には新人作家として順調に仕事をしているようにみえたが、本人は時折自信がなくなるらしく、真夜中に電話で将来の不安を訴えてきた。そんな現実生活の苦労は、彼女には不似合いだった。夢を追い、夢の中に生きている人だったから。

彼女はよく冗談とも本気ともつかぬ口調で、こんなことをいっていた。「いつか上品でやさしい老婦人が私を迎えにきて六角形の素敵なサンルームのあるお邸で一緒に暮らすの」、そして可愛い出窓のある書斎で、生活の苦労なぞ考えずに、思いきり好きな作品を描きたかったのだろう。

彼女の死の報に接した時、思わずコクトーの「天の手袋」という言葉が浮かんできた。上品な老婦人というパトロネスを熱望した彼女に、神という大きなパトロンが出現してしまったのだ、とも考えた。現実や肉体という重いカセから解き放たれて、彼女は今こそ、愛してやまなかった反世界の住人となって、のびのび暮らしているのではあるまいか――彼女の残したわずかな作品を手にするたびに、ぼんやり考えこんでしまう。

オバタマ、どうしてますか。六角形のサンルームで飲むお茶はおいしいですか。お気に入りの書斎で、漫画を描いているのではありませんか。あなたが大好きだといってくれた「変奏曲」のシリーズを、これからも描き続けていきます。うちの出窓にも遊びにきてね。




わたしの交遊録6
伊東愛子さんの巻
本書168-169ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

「ファンレターを出したいので住所を教えて下さい」という内容のものがよくある。秘密にしていても、どこからか知れるもので、連休になると女の子たちが、2人連れ、3人連れで私の家を訪れる。忙しくて、とてもゆっくりお話などできないので、今もやはり秘密にしているのだが、時に、こういうファンレターにぶつかってニヤリ。私の自宅のある練馬の地図がコピーされてはいっているのである。そして、そえ書き。「自宅の位置に○をつけてご返送ください」

私が漫画家になって初めてコのテにぶつかったのが、伊東愛子氏からのファンレターであった。当時は、彼女も高校を出たばかり。私も新人で、暇だったので、返事を書き、かくて我らの○○○縁は始まったのである。

我らのサロンには、薔薇窓族・泥イモ族・薔薇イモ族という人種別がある。精神的に高尚で、夢見がちで「生活は召使がやってくれるわ」という型が薔薇窓族。芸術的満足なぞなくとも、生活の音楽をこそ旨とする「西武デパート家具家庭用品ツアー」型が泥イモ族、そして、一応夢見がちではあるが、生活にもしっかり興味があり、現実の問題にヒステリーを起こしつつ対応する立派な「北欧家具イケア」型を薔薇イモ族。

通称「ド・ラブ」伊東愛子氏は、最後のタイプである。まだ新人のうちから自分の作品世界を「ラブ・ランド」と呼び、作品はひとつの世界だ、仕事ではないのだ、と私に知らしめた。彼氏とのケンカの後の勢いで、前おきもなく私に手紙でまくしたて、生きるエネルギーを感じさせた人。「伊東の東は藤ではない、竹宮さん!!」と葉書いっぱいの字で書き送ってきたホコリ高き人。夜中の電話のダジャレ攻勢は、私にとって憧れ。どんな気分でいたら、あんなグロなダジャレで人を笑わせられるんですか? 腱鞘炎早く治してくだされ。昔、葉書にたった1個の絵しか描けなかった、あのきみの大胆さがなつかしい。

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