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【竹宮惠子、大島弓子を語る】
テレビランド増刊イラストアルバム7 大島弓子の世界


テレビランド増刊イラストアルバム7 大島弓子の世界
発行日:1978年11月30日
出版社:徳間書店



ユーミン色は季節の輝き:竹宮惠子



 大島さんといったら、季節を連想しますね。とにかく人間にしろなんにしろめぐっていくわけですが、ちっともかわらない。本質的なかわらない良さみたいなもの。例えば季節を描くんだったら、秋の良さとか夏の良さとかありますよね。そういうことで、人間の一つ一つの良さを描いていく。時代がかわって、対人関係がかわっても、かわらない部分を描いてる人じゃないかな。とにかく彼女の話って、すごく季節が残るんですよね。

 だいたい私が大島さんの作品を本格的に読み始めたのは「ゆるされざる恋人」「ミモザ館…」あたりからだと思います。友達みんなと話し合っていたんですけど、”この人どうしたのかしら、突然まんがの描き方がかわったわねぇっ”って。まずストーリーとキャラクター設定があって……なんていう描き方じゃないんですね。セリフ主体というか、最初からいきなり、日常からボーンと入ってくるという描き方。会話の一つがなにかテーマみたいなものがあるような。……だからとにかくかわってるということで、彼女がいちばん最初に”新ロマン派”の一里塚をつくったんじゃないかと思うんですね。感情主体の描き方をするというか、理論やテーマなんか関係なく、感覚で押しまくるというか。それだと、いいときはすごくいいもの、もうそれしかないものができる。私なんかとても描けないというか、全然描き方が違うんですね。だからライバルとして競争しなければならないときには非常に微妙な位置にくるんです。萩尾さんとだったら共通項があるから同じ土俵って気がするけど、大島さんの場合闘うに闘えませんからね。私がスランプのときには大島さんの作品読めなかったんですよ。読むと頭が混乱するのがわかりきってたから。でも、今は並べるものではないという感じで、わりと淡々としてますね。

 「綿の国星」以降、とても枯れちゃってるというか、センスがとんじゃってて高尚になり過ぎたという気もします。私は昔のなんともいえない優しさというか、きれいさが漂っている少年少女というのがすごくすきだから。たとえば私の好きな「ミモザ館…」なんか、とっても甘い話なんですよね。ストーリー的にいうと。だけどとにかく、文句なしに若い感情というものをノセていく。セリフだけしかストーリーをたぐりよせる手がない。というのは逆にすごくいみこみやすいってことですね。特にテーマには触れてこないけど、少しずつ煮つまっていくのが、罠にはまっていくという感じですね。最近の作品はすごくまとまりの良さがあって、感性も磨きぬかれたなと思うんですが、やはりそのムチャクチャさというか、あやとりGAMEおあとでようやくたどりつくおもしろさみたいなものは薄れてきつつあるみたい。作品自体が詩的になり過ぎたのかもしれませんね。私、大島さんの絵は好きだし、絵の中に詩がありますね。だけど今は絵が必要ないほど詩になっちゃったような気がする。

 もともと、彼女、あんまり作品を構築するってことに執着はないみたい。ごく些細な描きたい部分があって、そこに触れさえすればいい。読者をそこまで連れていきさえすれば、題名がどうであろうと文句がどうであろうとあまりかまわないんじゃないかと思うんですね。私なんか論理的に説得しちゃうタイプだから、そこに連れていくまでに全てが必要なわけ。題名もなんでもかんでも手とり足とり順番を踏んでいかなければいけない。私の発想の根底にあるのは一般的ではないですからね。ところが彼女は、どこにでも転がってる優しい感情、すごくたあいないことをサラサラとうまいことばにして出せる人ですね。

 ラブレター書けっていわれるでしょう。彼女にはわりかし簡単なことじゃないかと思うんですね。例えばそれが架空の相手に対してであっても、私なんて相手がしっかり目の前にいてくれないと書けませんね。相手によってことばが違うの。ところが彼女は自分の感情だけを表現すればいい。思うに、彼女は感情的には優雅な人なんじゃないでしょうか。私なんてほんとうに貧乏性でどうしようもない。才能ってことでいうんだったら、彼女なんかやっぱり才能のある人間なんだと思います。

 それに、大島さんの作品世界は起こりえない世界なんですよね。手を伸ばせば集められる宝石みたいな感じがするんです。自分の心の素養次第ではーーみたいに私に教えてくれるように思える。ちょうど、すごく古い家政というか行儀作法の授業を受けてるような気がするわけ。なんとなく大正とか昭和の初めにあった、そういう女の子だけに教える授業ね。萩尾さんの場合は、女の子ってこんなものなのよという紹介みたいなものだけど、大島さんのは、そういうものの理想的な育て方、本質じゃなくって、こういくべきだという女性の道みたいなものに思えますね。

 でも、彼女も結ばれた後のことはあんまり描かない。ポイントは男女の気持ちの流れというか、フワッと物語に触れる人間の本質みたいなもの。それがチラッと見えればいいってとこで、繰り返し同質のことを語っている。人間ってこうなんだなというか。私はそれを男女一緒にしちゃってるけど、彼女ははっきりちゃんと女性と男性をわけて描いている。それだけの違いであって、テーマ的にはやっぱり同じなんじゃないかな。人間の本質を追求しようというのが、”新ロマン派”の傾向みたいですしね。(談)

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