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【竹宮惠子:マンガ学科で教壇デビュー、三度目のわが転機】婦人公論2000年04月22日号

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/167918...



婦人公論2000年04月22日号
発行日:2000年04月07日
発行所:中央公論新社




婦人公論2000年04月22日号40-43ページ
マンガ学科で教壇デビュー、三度目のわが転機
竹宮惠子
(図版に続いてテキスト抽出あり)






マンガ学科で教壇デビュー、三度目のわが転機
竹宮惠子

構成:岡田尚子
撮影:大河内禎

新しいことを始めるときに気負いはないけれど、
ひとつひとつの時期の終わりは自分で決めてきました。
私、捨てるのが苦にならないんです。そのおかげで
周りをジタバタさせちゃうんですが。



科目は「脚本概論」


この4月から、京都精華大学芸術学部マンガ学科の教師になりました。もともと精華大学には漫画のコースがあったのですが、以前は一コマのカトゥーン(風刺画)だけだったのを、ストーリー漫画との2本立てにしようということになって、私にお声がかかったんです。私にはエルメス社の社史を綴った『エルメスの道』(小社刊)という作品がありますが、この作品が大学の目にとまったようです。社史ともなれば、オリジナルの漫画を描くときのように自由にはできません。どうしても個性が抑制される。そのあたりが教師に向いていると思われたのかもしれませんね。

教えるのは「脚本概論」、つまりストーリーの作り方です。実は私自身も『脚本概論』という本で勉強したことがあるんですよ。17歳でデビューして、大学生の頃にはすでにプロとして連載も持っていたんですけど、学問的なものをちょっと読んでみたくなって。でも、自分のまったく知らないことが書かれているとは思いませんでしたね。だから、あとはもう実際に漫画を描きながら試行錯誤しつつやっていきました。

ストーリーの組み立て方を「あっ、つかんだな」と思ったのは25くらいのとき。デビューから8年目です。最初からそれができる人もいることを思えば、ずいぶん時間がかかりました。感性や個性を教えることはできないけれど、自分で悩みながら学んできたからこそ、脚本の作り方は教えられる技術だと思っています。

授業は普通なら週に1コマずつ4週間行なうところを、2週間続けて週に2コマずつ行なっています。だから次の2週間はお休み。ちょっと変則的ですが、漫画を描く時間も欲しいので、こういう日程にしてもらったんです。今のところはまだホテル住まい。でも、いずれはあちらにも部屋を借りなくちゃいけなくなるでしょうね。というのも、新設学科なので今は1年生50人だけの授業ですが、来年、再来年になって2年生、3年生が出てくると、授業もだんだん増えていく。今の1年生が4年生になる4年後には学生は計200人、コマ数が約4倍になるわけです。こうなるとさすがにホテルではちょっと無理でしょうし。

実は、漫画を教えること自体は今回が最初というわけではないんです。これまでも、専門学校などでちょっと講義をするということはありましたから。ただ そういう場合はとても短期間だったので、それでは私が漫画に対して持っているいろんな考え、手法を伝えきれないという思いがあった。だから、4年制の大学で、ちゃんと学科としてやるのなら試してみたいな、と思ったんです。

でも、実際にお話をいただいてからお返事をするまで、しばらく私なりに考えました。果たして自分にどれくらいできるのか、大学のなかで漫画を教えるということはどういうことなのか。あくまでも授業であって、同好会で同人誌を作るのとは意味が違います。

もともと教えるという作業は好きなんです。漫画家になって上京したために、結局は中退してしまったとはいえ、大学も教育学部ですし。 まあ、漫画家になりたい気持ちのほうが強かったとはいえ、そういうところにいると、周りが教師志望の人たちばかりですから、教育の大切さは考えるようになるんですね。中退するときも、先輩たちから「なんでやめるんだ。もったいない」と言われたんです。

でも教師にならなくても、自分の正しいと思うことを、漫画を通じて教えていくことはできると思っていました。それが今回、こんなふうな形で実現するとは本当に意外で……。なにしろ、「教授」ですもんね。(笑)

おもしろい授業になるかどうか? うーん、それはまだわかりません。ただ、まだ誰も教えたことのない、前例のないことなので、そのぶん、自分で自由にできるなとは思っています。自由に組み立てられるなんて楽しそう。がんばらなくちゃいけないとか、結果を出さなくちゃいけないとか、「初めてだ」ということがプレッシャーになる人もいますけど、私の場合はそうじゃないんです。先例があると、それを踏まなくちゃいけなかったり、比べられたりしますが、初めてなら何も言われないから楽だと考えちゃう。



先入観も計算もない


私はなぜか「初めて」ということによく当たるんです。 同業の萩尾望都さん、大島弓子さんと近い年の生まれということで「花の24年組」と言われ、少女漫画の新しい表現を切り拓いてきたというイメージもあるようですね。76年に『風と木の詩』を連載し始めたときも、少年同士の同性愛を初めて漫画に登場させたと言われました。セックスシーンを描いたのにも驚かれましたね。

実は当時、文部省から男女が絡み合っているシーンはダメだというお達しがあったようなんですが、なぜか男同士はOKだったんですよ(笑)。私自身は「穴場だ!」と思って描いたんですが、その頃の、肉体関係なしの男女の恋愛ものが主流だった少女漫画の中では強烈だったかもしれません。でも、決して新しいタイプの漫画家ではなかったんです。周りがどんどん新しいことをやるので、私もやらなくちゃと思ってやってきた。70年代という時代そのものが新しいことをやろう、生み出そうという気分に満ちていたことも影響しているかもしれません。

ただ自分を振り返って思うに、妙に自由に育ってきたという感じはします。いろんなことに対して、あまり先入観がないんです。何に対しても平等な見方をするところがあって、これを描くと問題になるだろうからやらないとか、そういう計算をしないんです。分別がないというか(笑)。だから『風と木の詩』のような、当時としては過激なものをすっと出しちゃう。 編集さんはビックリしてましたね。(笑)

古典の『吾妻鏡』を漫画化したきっかけも、私自身はおもしろいと思ったのに、一般的には難しいとされているようで、いろんな本に「資料として仕方なく読んだけれど、そうでなければ難しくて読みたくない本だ」などと書かれている。で、ちょっとやってみたくなったんです。 これが『平家物語』だったら描かなかったと思う。すでにきれいに演出されていますからね。でも 『吾妻鏡』は単なる記録だけで、演出されていないので、そこがすごくおもしろいと思った。ところが描 いてみたら、「あんな難しい物語をよく漫画化した」と言われて意外でした。

今回、私が教授になるきっかけとなった『エルメスの道』は、エルメス社からいただいたお話です。高級だとか高額だとかということだけでなく、もっと中身のよさを日本のお客様に知ってほしいということでスタートした企画だったようです。でも、社史を文章で書いても誰も読まない。そこで漫画で、ということになったと聞きました。フランスでも漫画は「マンガ」という日本語で通用するくらいポピュラーで、日本では漫画というメディアがすごいパワーを持っている、という認識がエルメスにあったんですね。そこで、馬の絵が描ける人、乗れる人を、ということで、馬の大好きな私にお話がきたんです。

描くにあたっては、エルメス社の歴史だけでなく、19世紀の西欧社会の風俗などを、もうこれ以上はできないというくらい調べつくしました。社史となると、私がそれまで描いてきたオリジナルの漫画とはまったく違う描き方をしなくてはなりませんでしたが、新しい経験ができたと思っています。それが今回の大学のお話につながっていくんですから、縁とはおもしろいものですよね。

私、なんでも「おもしろがる」性格なんですよ。これもひとつの才能かもしれないけれど、たいていの人は怖くてプレッシャーを感じたり、躊躇してしまうようなことでもおもしろがれる。うらやましい性格だとよく言われます。(笑)

そういう性格のせいか、何かを始めるとき「よし、がんばって新しいことにチャレンジしよう」などという考えはまったくないんです。「これを描きたい」「これがおもしろい」と思ってやったことが、結果としては初めてだったというだけのことで、これをやったらステップアップになる、などと考えてやったことは一度もない。逆に、どうして私のところに初めてのことが来るの、と思っているくらいなんです。ですから、何かを始めるときも気負いなんて全然なくて、むしろ淡々としている。今回の教授になるというお話も「おもしろそうだな」というのが一番で、あまり肩肘はってという感じではない。

だから「偉くなられたんですね」なんて言われるとちょっと……(笑)。それは結果を出してからではないかと思うんですよ。ただ今度もまた初めてのことに当たってしまった、とは思いました。こういうのを、めぐりあわせとでも言うのでしょうか。私はずっと自分の好きなこと、やりたいことをやってきただけなんですが。

ただし、ひとつひとつの時期の終わりというのは自分で決めてきました。たとえば、『風と木の詩』『地球へ…』という大きな連載が終わったとき、「ああ、一段落したな」と自分で思ったんです。

あの当時は、私の漫画が非常にたくさんの人に読まれた時期でした。 でも、私は自分を、そんな多くの読者をフォローするタイプじゃないと思った。で、この方向を一度終わらせようと、ファンクラブを解散したり、意図的にそれまでとは違う現代を舞台にしたような物語をたくさん描いたりしました。前のファンがあまり好きそうでない、どちらかというと嫌がりそうな話をたくさん描いて、ファンの方に離れていってもらおうと思ったんです。ファンを喜ばせるコツっていうか、喜ぶツボがわかってきてしまうんですよ。でも、そういう馴れというのがどうにも嫌だという思いがあって。

結果ですか? 離れていったファンもいれば、「こっちのほうがいい」という人、さらには新しい読者もできたりして、私の想像どおりでした。(笑)

今回もこのお話が来たとき、これはたまたまなんですけど、9年間雑誌に連載していた『天馬の血族』が終わったんです。そうなると「あっ、このあたりが区切りなのかな」と自分で思うんですよね。ちょうど年齢とともに目が疲れやすくなって、漫画をたくさん描くことには無理を感じてもいました。そこへ今回のお話があったので、少し漫画の仕事を減らして、大学で教えることと両立させていこうと思った。

だから、上手にというと語弊がありますが、ひとつの時期を終えるのに、外からの変化もうまい具合に作用してきたんだと思います。そうしてはっきり選んで区切ってきた。私、捨てるのが苦にならないんです。捨てるのが誰よりも早いというか。そのおかげで周りの人をジタバタさせちゃうんですが。

転機というのは、どこからか突然降ってくるものじゃないんだと思います。やはり自分から求めていかないと。日々の生活の中でも、私はこれが好きだとか、こっちの方面のことをもっと知りたいと思うとか、そうやって広げていくと、後からみて「あれが転機だったのかな」と思うようなことが出てくるんじゃないでしょうか。

読者の中には、やっと子育てが一段落したという方も多いでしょう。そういう方は、そろそろご自分の生活に戻ってみてもいいんじゃないかしら。確かにお母さんでいることはすごいことで、以前、幼いお子さんを持つお母さんたちの会合に出席したことがあるんですが、独身の私は全然相手にしてもらえなかったんですよ(笑)。みんな、気持ちが子育てのほうに行っている。それはもちろんとても大切なことです。でも、自分を忘れている時期でもある。だから、子供が15歳くらいになったら早く子離れして、本来の自分に戻ってほしい。

ちょっと勇気がいるかもしれないけれど、やはり「今日から新しい自分になる」と決めることも必要なんだと思うんです。幸い女性には、結婚、出産、子供の入学というふうに、人生の節目がわかりやすい形で訪れる。その節目を上手に活かして、ずっと輝いていてほしいと思います。特にいまは女性が生涯輝くことが可能な、いい時代なんですから。



学生と同人誌を作ろう


私も今、自分が新しい節目を迎えたところだと思っています。

最初の節目は、漫画家になると決心したことでした。次は私自身はマイナーだと思っていた『風と木の詩』が賞をいただいたこと。そして今回が三度目になりそうなんです。というのも、学生と接することで、私にも得るところがあると思うんですね。雑誌の新人選考会などで審査委員をやるだけでも刺激を受けるところがありますから。若い人は目のつけどころが全然違うんです。だから今度の出会いでも、やはりいろんな発見があるんではないかと実は期待していて、それが作品に反映されることもあるかと思うと楽しみですね。

学生たちと同人誌を作るのもいいかもしれません。実はストーリー漫画のコースでは、元編集者だった方が漫画の編集の部分を教えるので、実際の仕事のように一緒に本を作るという計画もあるんですよ。漫画家にとって編集者というのはとても重要な存在で、物語のテーマからストーリーまで、ひとつの作品を一緒に作り上げることも多いんですね。その点、今回の精華大学のカリキュラムは、とても実践的なものなんです。私も授業がそのまま仕事に活かせるよう、同人誌や本 を作るときにも「売れる」という点も考えようと思っています。売れないことには仕事に結びつきませんから。だから、全員のを載せるのではなくて、みんなで編集会議をして誰もがいいと思うものを選ぶ。いわば、実践と競争原理を大事にしていきたいんです。漫画は大衆メディア。自己満足で好きなように描くだけじゃダメですから。

私、漫画家とは職人だと思うんです。入口は大衆的で誰に向かっても開かれているんだけれど、そこを究めると職人芸になる。それが私の理想の漫画なんです。学生たちにはそのあたりも伝えていきたいですね。と同時に自分で発見するということの大切さ、素晴らしさもわかってほしい。やはり大事なことは自分で発見しなくては身につきませんから。

そして漫画をもっと利用してほしい。漫画はコミュニケーションの道具としてとても有効な手段なんです。私はこれまでずっと、自分が正しいと思うことを、漫画を通して伝えていきたいと思ってきました。漫画家の中には、自分が乗り越えられないことだからこそテーマにするという人もいるけれど、私は自分がわかったことや、生きていくうちに理解したことのすべてを伝えていきたい。それには漫画はうってつけの表現方法なんです。ナマな言葉では恥ずかしかったり、理解しがたかったり、避けて通りたいようなことも、漫画の中でなら表現できたり、じんわり伝えることができる。そういう表現方法としての漫画をひとりでも多くの人に利用してもらいたい。だから、第一線で活躍するのでなくても、漫画で食べていける人をひとりでも多く育てたいと思っています。



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