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【竹宮惠子:少女マンガ その「文学的」表現】

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木野評論 臨時増刊
発行日:1998年10月25日
発行所:京都精華大学情報館




「木野評論 臨時増刊」68-77ページ
「少女マンガ」という名の文学ジャンル
⚫️竹宮惠子さんに聞く⚫️
少女マンガ その「文学的」表現
インタビュアー:鈴木隆
文責:編集部
(図版に続いてテキスト抽出あり)













「少女マンガ」という名の文学ジャンル
⚫️竹宮惠子さんに聞く⚫️
少女マンガ その「文学的」表現

たけみや・けいこ マンガ家。
中学生時代にマンガを描き始め、17歳でデビュー。少年の同性愛を描いた『風と木の詩』は衝撃的な作品として話題を呼んだ。現在(註:1998年現在)、角川書店月刊ASUKAに『天馬の血族』(角川書店) を連載中。



──まず、特集の「文学はなぜマンガに負けたか!?」への感想などから。

竹宮 負けているとも言えないんじゃないかと思いましたよ。マンガで育ったような、マンガと深く接してきたような書き手が小説の方でも出てきている。しかも、いきなり何万冊も売れるというような人が。吉本ばななさんがそうです。私自身はそんなに本を読む方じゃないし、必ずそのときの話題を追うということもないのですが、文学は好きです。

──竹宮さんや萩尾望都さん、大島弓子さんが出てこられたあたりから、マンガがとても文学に近くなったという感じがあります。

竹宮 私以外の人は(小説を)読んでいたから。私はあわてて追いかけた、という感じですね。マンガが文学の方に近づいていくのは挑戦的 で非常にいいことだと思っていました。文学に負けないマンガを作ろうという気持ちがありました。文学は大人の読み物として認められていますよね、それなりの広がりもありますし、ジャンルも広いですから。でもマンガ 子どもの読み物と捉えられていた。深い表現やわかりにくい表現は避けなさいとか、芸術的になるとだめだとか、そういう規制みたいなのがあった。でも、読み手の方がついてきてくれるのなら、深い表現をしても芸術的なものであっても成立するんではないか、なんとかそれを成立させよう、というのが私たちの試みだったと思うんです。実は、萩尾さんと私が同居していた時期が二年間ぐらいあったんです。私のブレーンだった人(註:増山法恵さんを指していると思われる)が、「トキワ荘」の真似をしよう、少女マンガ家の「トキワ荘」を作ろうとあおったんですね。狭いアパートだったんですけど、来る者は拒まずという感じで誰でも入れていました。マニア の人たちとか、新人でまだ名前が売れていないような人もみんな招き入れて、男女ごっちゃになって一晩語り明かしたり、マンガ以外のものを読んだり見たりして、刺激を求めたりした。本もそうだし、そのころはSFも名作が本当に多くて、いいと言われるものは片っ端から読んだし、誰も行かないような映画も見に行きました。

──竹宮さんには、『風と木の詩』という大変衝撃的な作品があります。あれは当時のマンガとしては相当冒険的なものですね。

竹宮 そうですね、発表まで八年かかりましたから。なかなか発表できなかったんです。

──それはなぜですか? 男性間の恋愛という題材が、ということですか?

竹宮 やっぱり危険すぎるので。最初からあの展開(※次頁参照)ですから。「この描き出しから始められないんだったらやらない」という気持ちでやっていましたので、その最初のページを認めてもらえるだけの、自分の足場を作るのにそれだけの期間がかかったということなんです。そのころの二四年組といわれる人たちは、自分の特徴というものを作り始めていたんです。ところが私は非常にアカデミックなマンガの描き方を覚えちゃっていて、職人的な楽しみで描いていたようなところがありましたから、あまり自分の個性というのを作ってなかったんです。自分でもそれを不満に思っていました。でも、出版社が取るアンケートではいい数字が出て次も描かせてもらえますし、仕事は十分にあったんです。新人の割には順調に仕事をしていた。だからこそ特殊なものを入れていくことを編集者は嫌がった。 せっかくいい成績なのに、なんでこここでわざわざ偏ったものを描くのかって、相 当いろいろ言われて。でも、自分の個性を持たなければこれからはダメだ、なんとか個性のあるものを作りたいという気持ちがありました。そんなとき、自分の特徴って何だろうっていろんな人に相談したら、「何よりも男の子を描くのが好きでしょう。男の子描かせたら抜群なんだけど」といわれました。自分では気づいてなかったんですが、プロになる前から、男の子の話を描くのが好きだったようです。 女の子を描くよりも意欲が沸いた。でも、読者の女の子には恋愛モノじゃないと反応が悪かった。
ちょうどそのころ、いわゆる少年の魅力について語る映画が多かったんです。その中にはたとえば、カトリック系の学校で幼い少年を神父さんが好きになってしまう話とかがあって。稲垣足穂さんの『少年愛の美学』が出たのもそのころ。そういうこともあって、自分の趣味の部分、非常に偏った部分ではあるけれど、そこに、美学的な真理があるんじゃないかという気持ちになりました。それでいろいろ分析しているうちに、ああいうカタチができあがった。それを追究したものを描きたかったんです。ただ、それは精神としてですから、物語ではいわゆるホモセクシャルな愛情というものを排斥する社会とのせめぎ合 いの話にしたい。寺山修司さんには「教養小説」と言われたんですけど、そういうものに仕立てようと。それは最初からイメージとしてあ りました。

──時代設定が一八〇〇年代ということや、国をフランスにしたということは、安全弁が働くということがあったんですか。

竹宮 今の時代に舞台をおいても何も珍しくないし、あり得ることです。そういうことが完全に排斥される時代じゃないと、逆にリアリティが出てこないと思いました。前衛的なことを描くだけであったら、好きな人には好まれるけど、嫌われる部分も多いと思いましたから、もっと常識の部分で描きたかった。それでわざわざ一つ前の世紀末に設定したわけです。私としては『風と木の詩』が勝負の作品だと思っていたので、妥協したくなかったんですね。

──寺山修司さんは『風と木の詩』の解説を書いてらっしゃいますね。それは反道徳的な物語で、寺山さんはそこにこそ可能性を見出していた。竹宮さんはなぜ、道徳を越えた、普通の社会的基準からすると危険で反道徳的なことを描こうとされたんですか。

竹宮 反道徳的なことこそが道徳的じゃないのか、という疑問がありました。道徳というのは、時とともに変わってきますよね。たとえば今のマンガは、殺すことが果たして本当に悪いことなのか迷っている。価値観のふらつきがあるんです。そういうふうに、価値をどこに置くかというのは時代とともにどんどん変わっていきます。わたしはそのころまだ若かったので、「変えたい」「もうすでに現実は違う」と思っていた。だから当然のように、やっていることが正しいと思って打ち込みました。

──「もうそういう時代じゃない」と考え始めたのは何年くらいのことですか。

竹宮 考え始めたのは、プロになって二年目くらいです。一九七二、三年くらいだったと思います。

──そのころの時代背景と何か関係がありますか。

竹宮 私も七〇年安保参加組ですから、ムーブメントというのは起こそうと思えばできる、っていう気持ちがあるんです。運動自体は挫折だったとみんな言っていますけど、完遂だけが目標ではなかったはずですね。わたしはノンセクトラジカルだったんですね、どちらかというと。ムーブメントの行方を見たかった。どういうふうに結集というのが起こるのかを、ただ見ていた。もちろん集会は成功するときもあるし失敗するときもある。空中分解することもあるんですけど、運動っていうのはそういうもので、それをいっぱい見てきましたから、実際に仕事をするうえでも、「もしかしたらやれるかも」っていう気持ちはありました。
当時の雑誌は旧態依然としたカタチを取っていて、相変わらず女の子の惚れたハレたの話で終わってる。まず、それを何とか変えたい。たとえばセックスの問題というのは絶対触れてはならない部分だった。ベッドシーンも、そのものを描くわけじゃなくて、ベッドシーンがあった、ということだけを描くんです。でも、孤軍奮闘では全然変わらないから、少しでも 周りを固めようという気持ちがあって、「それ ではいけない」と思っている人たちを自分の方へたくさん連れて来ようと考えました。 萩尾さんには一番最初に声をかけたんです。別の雑誌で描いていたんですけど、「こっちへおいでよ」って、自分がやっていたところに呼んで。でも現実は厳しくて、「普通の少女マンガを描いている人の方がウケているじゃないか、人気が取れるじゃないか」と必ず編集部に言われてしまう。それじゃあもう話にならない。実績をともなわなきゃならないのなら、自分だけじゃなくともかく周りを固めて、そういう色に変えていこうって。

──マンガのある種の使命として、売れないといけないということがありますね。例えば純文学ですと、最初から売れなくて当たり前、読まれることを期待していないような作り方をしていますけれど、マンガの場合は多くの人に読まれるという使命を感じます。

竹宮 マンガの宿命です。まずはそれをクリアしないといけない。わたしは虫プロの「COM」という雑誌から出ましたけど、他に「ガロ」っていう雑誌がありまして、それはむしろ売れなくていいんだっていう描き方ですよね。でも「COM」はそうじゃない部分を持っていたから、私はそっちに行ったんです。もともと自分の中に、たくさんの人に読まれなければ、ムーブメントにならないという気持ちがありましたから。

──実際に『風と木の詩』の連載がはじまって、読者の反響はどうでしたか。

竹宮 これが私がいちばん描きたいものだとか、自分のファンだけにはわかってもらえる、わかって欲しいと、あらかじめあっちこっちに書いていたので、その刷り込み効果があったのか、反響は悪くはなかった。それでも最初は怖くてファンレターを読めませんでした。反発みたいなものはとくにはなかったですね。もちろん、前の作品の『ファラオの墓』の方が好きだったと言う人もたくさんいました。でも、『ファラオの墓』の中でも、そういう色を少しは出していたんです。そういう意味では、私のファンにはそんなに違和感はなかったと思うんです。あとで、そのころ読んでいた人の話なんかを聞くと、みんな電車の中で本を開いて、一瞬で閉じてしまったとかいう人ばかりで(笑)。そういうことで話題になっていたことはあとで聞きました。センセーシ ョナルな捉えられ方ではありました。



マンガにおける「物語性」

──竹宮さんのレパートリーは相当広くて、『ファラオの墓』のような時代物も『地球へ…』のよ うなSFもあります。歴史物は好きなんですか。

竹宮 歴史物が好きというよりも、ああいう大舞台じゃないと自分の言いたいことが言えない。 最初のころは読み切りページしかもらえませんから、小さな舞台の中でおもしろい話を作らなきゃいけないんですけど、それだと自分の言いたいことがうまく伝わらない。消化不良な短編をいっぱい描いてしまって後悔した時期もあったんです。普通の営みをしている人間たちの長いドラマの中で、自分の言いたい事というのはほんの一言だけだったりすることが、ずいぶん長く描いてきてからわかったんです。ですからそういう長いドラマのスタイルで描いていれば、自分の言いたい事をいろんな人の立場に立って言えるじゃないか、と。舞台として、便利なんです。それで選んでいるんです。普通の人があまり考えない、形而上学的なことに興味があるんです。たとえば、白に属することと黒に属することの心理があると思うんですが、その両方を言いたい。そうすると歴史を舞台にした栄枯盛衰の話の方がやりやすい。

──特に日本の文学では、大きな話ではなくて、身近な話をちょこちょこと書いている短編小説が多い。些細な出来事を書いては、しみじみとした情感を出すみたいな。そういうものはあまり好きではないということですか。

竹宮 そんなことはなくて、いいなと思うことはあります。たった十数ページのもので泣けたり。でも、自分ではそれを構築できないと思うんです。

──最近出てきた少女マンガの人たちには、日常の風景を描く人が多いように思います。

竹宮 それがよく表れていればおもしろいと思いますよ。今の少年マンガ誌はゲームのようなストーリーが多いですけど、その中でも心理を描けてる人とそうでない人といるわけで、それが現れている人はおもしろいと思います。だから表面だけ見て「ゲーム的なマンガじゃないか」という評価はしません。

──竹宮さんが描かれたSFものの中でも、『地球へ…』は多くの人に読まれましたが、最初から一つの指向としてSFがあったんですか。

竹宮「地球人の未来はいずれこうなる」という作品に、あの頃の映画では『スターウォーズ』とか『未知との遭遇』がありましたけど、それとは違う自分の未来を描いてみたくなったんです。そのイメージを今でも自分の中では変 わりなく持っているのですが、今現在はその状態に近づこうとしている時期なので、中途半端で描けないんです。もともとそういうことが好きなのも事実です。石ノ森章太郎先生をずっと見てきましたので、私も指向していたということもあります。でも決してSFをたくさん知っているというわけではないんです。
『地球へ…』を描き始めたのは、『風と木の詩』の連載中だったんです。ほとんど同時連載になるんですけど、わたしはもともと少年マンガが好きで、少年誌からの依頼を断る気になれなかったというのと、目標としてきた手塚先生がその雑誌に載っていた。しかも『火の鳥』だったんですね。自分が「COM」に投稿していた頃の続きですから、その作品といっしょに連載できるというのもあったし、『風と木の詩』とは全然違うものをやりたいっていう気持ちもありました。

──『地球へ…』は『風と木の詩』の反対側の作品ということですが、でも『地球へ…』の少年たちも非常に美しかった。

竹宮 当時来ていた男性のアシスタントさんにしみじみと「こんなシーン、『風と木の詩』を描かなかったら描けなかったでしょう」といわれたことがあるんです。特別なシーンでもないんですけど、服脱いでいただけで色っぽいと言われて。

──竹宮さんご自身が美少年好きなのですか。

竹宮 それが、違うんです。私の求める美というのは、何かに真剣になっている瞬間の、例えばサッカーをやっている少年のほんの一瞬とかで、シャッターを向けて、その美を捉えるまでにまる一日かかっちゃうんじゃないかというような感じです。

──『風と木の詩』では、心理のことや体の線のことを含めて、同性愛者の方に取材されたんですか。

竹宮 それは全然ないです。もちろん本を読んだりはしましたけれど、それも稲垣さんの精神論くらいです。特に生々しい部分が必要か といえば、自分はそういうところを描きたいわけじゃなかったので、ただ自分の考え、信じる方向だけを表わそうとしました。その中で想像できるかぎりの、いろんなカタチを入れていきたかった。

──なぜああいう話が女の子たちにウケたと思いますか。

竹宮 女の子にとってはひとつの垣根を持って見られたからじゃないでしょうか。いわゆるセックスシーンというのを描いてはいけない時代のことですから、男の子同士ということであれば「違う世界だ」みたいな安心感をもって見ることができたというか、自分とは違う世界のことなので精神論としてだけ捉えていたんじゃないでしょうか。
やっぱり男女の恋愛となると生々しいというか、子どもの問題とか出てくるんですね。現実的な問題が。それに純粋な愛情の問題というのは私たちまだ解決していないのに、そこにいっちゃっていいんだろうか、という感じだったと思うんですね。それを解決するために、作品を読んでくれたんじゃないかと思っているんですけど。そこで一応理解してから次に行こうかと。



マンガと「リアル」

──少し前に描かれた『紅にほふ』は、これまでとまた違うように思いました。時代設定も違うし、しかもあの作品は小説で取り上げられてもおかしくない題材が用いられているような気がします。

竹宮『紅にほふ』は母方の実際にあった話をもとにしまして、名前なんかは違いますけど設定はそのままで描いています。母が自分の歴史を文章にしたいとか言い出して、メモとかしてたんですけどなかなか書かないんですよ。だから私が描いたの(笑)。

──すごいお母さんですね(笑)。物語のある人物。あの時代全体がそうだったのかもしれませんが。

竹宮 そうですね。母はわりと平々凡々で、引き上げだったということだけが母にとってのドラマだったんです。でも叔母はほんとうに芸妓でしたからいろんな浮き沈みがあって、ドラマになるから描かせてねって言って描かせてもらいました。聞き書きなので、もちろん足りない部分を補足してドラマにしたって感じです。ただそういう話を描くのは好きです。人間の話。ほんとうに人間の話なんだなっていう話を描くのは。

──竹宮さんの作品には、現代日本が舞台というものは少ないですね。

竹宮 そうですね。絵柄のせいもあるのかもしれません。やはり現代日本の話を描くとなるとある程度リアルな絵を持っていないといけないですから。

──マンガの絵のスタイル、小説で言えば文体みたいなものですね。マンガも文学もそうですけど、デフォルメされた表現方法というのがあるわけですから、リアルというのが必ずしもイコール写実的ということではないと思いますが。

竹宮 いろいろ考えてはみるんですけど、自分の中でそれがあまりいい形にならないので描かない、というのがいちばんの理由ですね。

──テーマとして、「今」というのが見つけにくいということもあるんでしょうか。

竹宮 相当怖い話になっちゃうんじゃないかしら。だいたい私は早すぎるんです。何事も三年くらい早いってよく言われるので、それに手をつけるんだったらいわゆる連載という舞台からは退いてしまってからしたい。過激なものはやはり今でも描きたくなるんですけど、するんだったら連載からはずれて読み切りでやってみたい。やっぱり一度売れてしまうと責任を負わされてしまうので、連載を抱えていると大胆なことはできなくなります(笑)。

──若い人の中ではタブーはなくなったし、かなり過激なことをやっても売れるんじゃないですか。

竹宮 今は本当にとんでもなく過激なものが売 ているらしいですね。そういうのを読んでみたりもするんですけど、あまりにも凄惨な感じの話が多いんですよね。ピリピリするような感じはあるんですけど、何かが足りないと思うのは、その世界に住んでいてもいいと思える部分が全然描かれていないから。頭の中にいつまでも残ってくれない。絵も上手だし、そういう凄惨なシーンもきっちり描いてあるんですけど、あまりにもリアルだからかえってリアルなことにならない。いいマンガって、読むとあとまで残るし、そのシーンをいつまでも頭の中で追い続けるみたいなことがあるんですけれども、過激なだけのものというのは、ショッキングではあるけど何も頭の中に残らない。それがちょっと寂しいなっていう感じがします。センセーションを巻き起こすため、あるいは売れるためだけに描いているんじゃないか。そうじゃないものを描きたいんですけど、いま答えを出すのってすごく難しい。わたしが答えを持たずに描くことができないというのも理由の一つですね。

──竹宮さんよりも下の世代では、たとえば高野文子さんは、絵の感じも物語の組立も、竹宮さんや萩尾さんとは違いましたが、ああいうマンガはどう思われましたか。

竹宮 全然違うものとして、マンガの中の一つの新しいジャンルだなとは思います。

──それこそ短編小説的な感じが非常に強くて、文学を書いている人たちがショックを受けた。ああいうふうに現代の風景を切り取れるころが新鮮だった。絵のスタイルも、高野文子以降白っぽい絵が多くなってきたと思うんです。竹宮さんたちはもっと書き込むタイプですよね。

竹宮 このごろの人は、あまりアシスタントの数を使わずに、一人でやっている人が多いからかなとも思います。トーンを貼ったり削ったりというのは細かい作業なので人手がかかるんです。人手をかけて描くマンガとそうじゃないマンガというのは、世界の完成度が全然違う。人手をかけた方が完成度が高いという意味ではありません。むしろ逆かな。自分一人で手とコーヒーカップを描くと両方とも同質感になっちゃうということがあるんですけれど、別の人が描くと差がでるんですね。だからわざと私はアシスタントを入れています。ひとりでやると、全部がその人の味になるわけです。白いこと自体がいやとは全然思わないですね。手抜きな画面で嫌だという人もいますけど、それで成り立っていれば、むしろ絵を描かずに伝えられるなら、それでいい。

──そういう白っぽい絵が受け入れられたのは、時代的にうすい空気みたいなものが好まれるということでしょうか。

竹宮 そうですね。読んでいて楽なのかもしれないですね。

──小説家になりたいと思われたことはないのですか。

竹宮 高校の時、クラスに何を書いてもいいノートが吊してあった。それに童話を書いていたんです。ずっと気の向くままに続けていてエンドマークまで書いちゃう。クラスの先生が文学系の人だったので、「マンガもいいけど、童話作家にでもなったら」っていわれたことはありました。でも、自分でなりたいと思ったことはなかったですね。先生にそう言われても、マンガの方が自分にとっては親しかった。書き表すのがめんどうくさいんですよね、文章だと。頭の中に描いている絵を全部言葉に直すにはすごく時間がかかる。そのまま絵にしちゃった方が早いから。

──たしかに絵の方が早くストレートに伝わるかもしれないですが、逆に想像力を限定してしまうところもありますよね。言葉だったら、たとえば「美人」と書いておけばそれぞれの人が美人を想像するわけですが、マンガだとその辺のごまかしは許されない。

竹宮 確かに、限定しちゃうと思いますね。自分の絵を、自分自身でも発見していた時代には、そういうものを読者にも伝えていたと思うんですけど、いまはある意味で慣れてしまって、パターン化している部分があるし、それでは足りないっていう気がすることがあります。自分が描きたいものが難しくなっているせいもあるけれど、そう思います。

──今後は、どういうテーマで描いていくつもりですか。

竹宮 まず何よりも、責任から解放されたい(笑)。いま長い連載があるんですけど、それから解放されたら、連載以外の活動をしたいと思っています。

──竹宮さんだったらいくらでも好きにできるのでは。

竹宮 そんなことないんです。原稿料が高いので(笑)、責任をとれないようなものは描けない。だから、絵を変えてみるということも、読者がせっかくついているのに、振り捨てちゃうみたいなことになると、なかなか責任取れないので。本当は、結構やるほうなんですけど(笑)。

──でも、読者を裏切っていかないといけないこともあるでしょう。

竹宮 だと思う。でもそれって、生半可にやるとだめなもの。とことんやらないと成功しないから。

──『風と木の詩』のショックが大きかったのも、そういう裏切りがあったからでもあった。それは読者に対してだけでなく、少女マンガ全体、マンガ全体がステレオタイプ化していたことに対してもそうだったと思う。時代に対しても単純な善悪とか道徳とかを越えたところに、何かものを見せようということがあった。そういう意図がないと、マンガに限らずあらゆる「表現」はおもしろくないですね。

竹宮 そうですね。 わたしは今は、どちらかといえば周りに合わせてる状態なので、そろそろ勝手なことをしたいなあという気分です。

──僕個人としては、今を舞台にしたものを読みたいです。

竹宮 それにはやっぱり勉強しなくちゃという思いが強いんですよ。自分が自分の仕事をしっかり守っていくということは世間から遠くなるということでもあるので。勉強をきちんとしてからじゃないとなかなか手は染められないかなって。

──完璧主義者なんですね。

竹宮 そんなことはないけど、知らずに描いたら恥ずかしい。名前も変えられるんだったらいいですけど(笑)。もう少しわかってから描きたい。やはり日本を舞台にするのであれば、もっとちゃんとやらなくてはいけないと思うんです。

(インタビュアー:鈴木隆/文責:編集部)



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