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【竹宮惠子「画業50周年記念展トークイベント」検証】

検証
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トークイベントの内容はこちら→【画業50周年記念展トークイベント】(竹宮惠子69歳)


トークイベント「マンガと向き合う50年」
日時:2019年03月09日
会場:川崎市民ミュージアム企画展示室1
司会進行:マンガ研究者 吉村麗



その1

──以前、こちらで開催された『「描く!」マンガ展』に出品されていた中学生時代の作品集には、既にストーリーがちゃんと成り立った物語が描かれていたことに、とても驚きました。実際にプロを目指すきっかけは何かありましたか?
竹宮:中学生の頃、はじめて描いた物語を親友に見せたのですが、物語の内容をちゃんと理解してもらえたときに「もしかすると、プロのマンガ家になれるかもしれない」って思うようになりました。

ポイント
吉村麗:『「描く!」マンガ展』に出品されていた中学生時代の作品集には、既にストーリーがちゃんと成り立った物語が描かれていた

竹宮惠子は
1980年中学を卒業するとき、親に見せてから燃やしてしまった」「少女マンガ家になれる本」
1988年プロになろうと決めたときに、それを焼いちゃいました」「河合隼雄対談集 あなたが子どもだったころ」
2016年ただただもう恥ずかしくて、すべて燃やしてしまいました」「京都精華大学アセンブリーアワー講演会」
と語っている
参照【竹宮:中学時代に描いた2400枚と興味を持った時期

竹宮惠子が「中学生のときに描いたものは焼いた」と語っているが、吉村麗は「中学生時代の作品集」が「『「描く!」マンガ展』に出品されていた」としている
吉村麗が出品されていたと語る「中学生時代の作品集」は、竹宮惠子が何度も何度も語る「中学生のときに描いたものは焼いた」発言と矛盾しないか?
 ↓
読売新聞 編集委員室Twitterによると中学時代の作品は残っている模様

資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...


その2

──マンガの描き方については、石ノ森章太郎さんの『少年のためのマンガ家入門』から学ばれたと伺っていますが
竹宮:最初に描いた作品は、もっとそれ以前の手塚治虫先生が監修されている『マンガの描き方』というという本から学んで描きました。石ノ森先生の本はもっと高度で哲学的な内容が書かれたもので、こんなにもたくさん学ぶべきことがあるというのが嬉しくて、もっと深く描いてみようと思うきっかけになりました。

ポイント
竹宮惠子は一貫してマンガは石ノ森章太郎『少年のためのマンガ家入門』を自身のバイブルとして挙げていたが、このトークショーにおいて同著書を「高度で哲学的な内容」と位置づけ、自分が学んだ本として手塚治虫監修『マンガの描き方』を挙げている
なぜ?

ちなみに手塚治虫『マンガの描き方』の発行は1977年であるが、1977年といえば竹宮恵子は「地球へ…」を連載している

出版:光文社カッパホームズ
発行:1977年

つまり竹宮惠子は2019年のトークイベントにおいて「自分が最初に描いた作品は1977年に発行された手塚治虫の『マンガの描き方』から学んだ」と言っており、1977年は自身が「地球へ…」を連載している年である、と読み取れる
別の読み方があれば本スレにてご指摘ください

手塚治虫には1950年発行『漫画大学』という本もあるので、竹宮が『漫画大学』と『マンガの描き方』を混同している可能性も否定できない


発行所:東光堂
発行:1950年08月20日
資料提供
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下記記事に昭和31年(1956年)発行の手塚治虫「漫画のかきかた」が紹介されているため、この本を指している可能性もある
上野顕太郎の「マンガの描き方本」の歴史
https://nikkan-spa.jp/689620
資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164452...




竹宮の、石森先生と石森著「マンガ家入門」についての発言(一部)

1976年月刊mimi11月号271ページ「対談:里中満智子・竹宮恵子」

竹宮:いんしょうがすごく強くって、わすれられなくなっちゃう。けっきょくだれの影響を受けましたかって聞かれると、石森先生っていってしまう

1978年「テレビランド増刊イラストアルバム5 竹宮恵子の世界」37ページ

竹宮恵子が本格的漫画を描くようになったのは、石森章太郎の”マンガ家入門”を読んでからである。
竹宮石森先生の漫画への情熱が伝わってくるこの本が、とても気に入りました

1982年「ぱふ1982年8-9号特集竹宮恵子part2」21ページ

──石森先生の「まんが家入門」によってプロになる気持ちになったっていうことと『COM』との出会いではどっちが先ですか?
竹宮「まんが家入門」の方が先。あの時はすでにコマを割って描いていたから、そういう本がありますと宣伝に載っていたのですごく興味があって、わざわざ取り寄せて読んだのね。

2010年「まんがナビ対談:荒俣宏・竹宮惠子」
まんがナビ対談:荒俣宏・竹宮惠子
荒俣●あの、まんがの描き方に関する情報っていうのは、やっぱり本から得ておられたんですか?
竹宮●そうです。もう『まんが家入門』。あの石ノ森先生の本ですね。あれだけでやってきたというか。

2014年「竹と樹のマンガ文化論」43ページ

内田:竹宮先生も、最初は先輩マンガ家のコピーから始められたのですか?
竹宮:もちろんそうです。フルコピーまでいかなくても私は石ノ森先生のファンでしたから、先生の『マンガ家入門』をバイブルにして、来る日も来る日もマンガの練習をしていました。

2014年「Wedge Infinity」インタビュー
竹宮惠子:漫画との出会いは「冒険ダン吉」
吉永みち子そんな竹宮の背中を強く押したのが故・石ノ森章太郎の『マンガ家入門』という本だった。
竹宮衝撃でした。漫画は何でもできる。世の中を変えることさえもできるという熱烈なアジテーションで、それを受け取ってしまった以上、漫画家を志すしかないと思って、石ノ森先生に手紙を書いたんです。

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