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【萩尾望都:ガラス玉あとがき】1976年02月29日

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https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163059...

出版社:朝日ソノラマ
発売日:1976年02月29日




岡田才人のこと

もう岡田さんの作品のことで野暮なことはいいたくない。そんなことは、読者が個々に感じ入ればよいことだから、ここでは私が会った岡田さん本人のエピソオドを、拾ってみようと思う。

私が高三の頃、COM誌上で出会った岡田さんの作品は、児童漫画に見馴れていた私の目には奇妙きてれつに見えて、小難しい哲学的なテーマを漫画で読むということ自体、新しい体験だった。

当時新宿にコボタンという茶店があって(【伝説の喫茶店・コボタン物語】)、何だか金のないマニアたちが三三五五よく集まっていた。九州から上京した私と、北海道出身の岡田さんとの最初の出会いがこの場所だった。
「まあ、こんにちは、いつも作品拝見してます」との挨拶から話を始めた。「ねえ、どうして岡田さんは一作ごとに絵柄を変えるんですか」という私の問いに、「一作描いたら、その絵柄にあきてしまうからよ」とやはり私にとっては奇妙きてれつな、しかし明快な解答が返ってきた。実際には岡田さんの全作品に関して、岡田調ともいう絵柄があり、それに変化はない。私はただその時、目の形のことを尋ねていたのだが。「サンルームのひるさがりですね」と続けて私は尋ねた。「カノンちゃんのハートがくだけるでしょ。それを拾って、アリアさんのくれたオルゴールに入れるでしょ。私、わかんなくて。どういう意味かしら」。岡田さんは答えた。「べつに、意味ないわ」。

私も漫画を描いているからいえるが、作品に意味のないコマなんてないのである。岡田さんには、作品を読んだ読者が汲みとれなかったものの分まで、説明する気がなかったのだろう。「そんなこと、それぞれ読んだ人が解釈すればいいんじゃないですか」としちめんどうくさそうに、マニアの詰問を岡田さんは受け流していた。

それでも岡田さんの作品は、特異な絵とテーマと、あまりにも読者をつっぱなした表現法でもって読者をキリキリ舞いさせるのだが、それでも追っかけずにはいられない。これまでも、これからも、こういう人は漫画界に二人とは出ない気がする。

私がふたたび会った頃の岡田さんは、カフカの「城」を読んでいた。「おもしろい?それ」と聞くと、「まあ、ええ、そうね」といった曖昧な答えだったが、私も一冊カフカを買って読んでみた。 毎日黙々と読んていったが、何とたいくつな話だとあきれた。主人公はお城に行こうとする。ところが、ふもとの村で足止めをくう。何とかお城に行こうとする。でも、何かいろいろと都合が悪くて、結局村をウロウロしている。そして、いきなり話が終わる。「なんだ、これは」。カフカの「城」は未完の作品なのだった。死後、自分の原稿はみな焼くようにといったカフカの遺言を友人は守らず、作品のすばらしさに打たれて世に出したのが、カフカの「城」をはじめ一連の作品だという。私ならためらわずに焼いただろうと思うと、自分の感覚が純文学や芸術からはるかに遠いのだと思い知らされる。

当時「漫画は芸術か否か」という論義が漫画マニアの間でよく聞かれ、「岡田さんのじゃない?」などと、友人どもと話していた。だが、未だ自分が何を基準に芸術と評価するのかわからないありさまだから、岡田さんの作品が芸術か否かいえようはずは、ない。彼女の作品を私が好きなことにかわりはないのだが。

その頃はG・Sはなやかなりし時代で、岡田さんは「マイ・ガール」などを歌っていた。 オックスの愛くんのファンだった。それで、愛くんの頭がおかっぱだったことから、「ピグマリオン」の主人公をさして、「この男の子愛くんがモデル?」と聞いた。「ううん」 と岡田さんはいった。「それ、私よ」。岡田さんも、直毛のおかっぱ頭だった。 私は外観について尋ねたのに、岡田さんは内面を答えた。そして、作品の登場人物というのは、それぞれが作家の分身である。でも、こうも直接的に、「ううん、それ、私よ」と聞くとは思っていなかったので、私はふたたび「ピグマリオン」を読みながら考えこんでしまった。

これは彼女なのか。 そうか、 これは彼女なのか・・ 岡田さんが墓地へゆく道」を描いた頃、私は短編のネームで頭を痛めていた。「十六ページでまとめろといわれたのに、十二ページ以上にならないのよ」とぐちると、「四ページぐらい引きのばしなさいよ」。「でも、どうやって」。「見開きで、一コマとればいいのよ」。この解答を聞いて、頭がくらくらした。「墓地へゆく道」は、汽車にひかれる夢を見ている少女が目覚めた時、大きな見開きの一コマになっている。その迫力たるや……じょうだんじゃない。そんなことは彼女だからできるのだ。なみの人間が、見開きの一コマを一つのテーマで見せられるほど技量をもってるかよ。私は彼女の作品の奇妙さが芸術に通ずるか否かさっぱりわからないが、彼女が才人か天才かだということは、つくづくわかる。

上がゲイバーだという小料理屋で彼女と魚をつついたのが、天才と会った最後だ。彼女は筆を断ち北海道へ帰った。私はアル中のランボーのことなぞを考えながら、ただただ、ため息ばかりついて、片想いの恋人を失ったような気分でいる。北海道は少なくともひとりの天才を、雪の中にかかえているのだ。

(はぎおもと漫画家)

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