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【米沢嘉博:恋から始まる少女マンガの大冒険】
「米沢」表記は原文ママ

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/166682...



別冊太陽〔少女マンガの世界2〕昭和38年-64年
出版社:平凡社
発行日:1991年10月17日




「別冊太陽〔少女マンガの世界2〕」134-137ページ
恋から始まる少女マンガの大冒険
少女マンガの表現にふれて
米沢嘉博
(図版に続いてテキスト抽出あり)







恋から始まる少女マンガの大冒険
少女マンガの表現にふれて
米沢嘉博


戦後からの飛翔

東京オリンピックによって日本は大きく変わっていった。少女マンガも時代の変化を予感してか、オリンピックを前にした昭和三八年、週刊誌時代に突入していくことになる。そこでは、少女の夢として「アメリカの少女」が選びとられていた。当時の日本は、国際化をひとつの命題にしていたし、アメリカのライフスタイルはそのまま夢の世界のそれでもあったのだ。だが、週間単位で送り届けられてくるマンガは、実際はテレビドラマあたりをモデルに、毎回の盛り上りと次回への引き、波乱万丈のストーリー展開で読者を引っ張っていこうとしていた。そこでは、おなじみの少女の不仕合せなドラマが幅をきかせていたのである。その中で、細野みち子、細川知栄子、北島洋子といった新進作家たちはオシャレなドラマを、解りやすい簡潔なスタイルで語っていくことになる。ファッションデザイナーといった職業も取り上げられ、外国が描かれることも少なくなかった。それが、オシャレの時代に対応しようとすることだったのである。

こうした少女ドラマの流れの中から生まれ、ブームを呼んでいったのが、楳図かずおを中心とする怪奇マンガであり、さらに少年週刊誌の梶原一騎の人気を受けて始まった『サインはV』『アタックNo.1』等のスポ根マンガだった。当時の少女ドラマは、月刊誌時代の母物作品、少年マンガの影響の下にあったといえるだろう。だがそれはまた、少女の成長ドラマにもなり得る可能性を持っていた。スポーツの練習、ライバルとの戦いによって、少女は嫌でも明日に向かって前進していく。目指すは天上に輝く星だ。『巨人の星』の路線はまちがいなく週刊誌の連載ドラマのひとつのパターンだった。

やがて少女たちは、バレエや芸術、職業(美容師、DJ、デザイナー等々)といった分野でも戦い、明日に向かって生きていくようになる。もちろん、青春期の悩み、女性の生理的な部分、恋や愛といったものもそれに加味され、ドラマそのものの幅を広げていったのだが、週刊誌初期に定着したストーリー作法にのっとったものであることは変わらなかった。しかし、四七年 「少女フレンド」が月二回刊となり、六三年には最後まで頑張っていた週刊誌「マーガレット」も変化し、少女週刊誌というメディアは消滅してしまうことになる。それによって、連続ドラマ、週刊連載を生かした少女ドラマの流れはあらかた終りを告げることになる。にしても、二五年間という週刊誌の時代の中で、読者を感動させ、共感を呼ぶ主人公を作りあげてきた長編少女ドラマは、多くの成果を残したことは言うまでもない。もしかしたら、今こそ、週刊誌というメディアは、少女マンガに必要なものではないかとも思えるのだ。


恋とオシャレへのあこがれ

オシャレな時代が生み出したジャンルのひとつが、アメリカ映画を移し替えたロマンチックコメディー、スペクタクルロマンといった洋画の世界だった。水野英子によって開始されたロマコメは、オードリー・ヘップバーンの映画やMGMロマコメの華やかでロマンチックで、夢見るようなエンターテインメントの世界を少女の夢として描いていく。パーティー、ドレス、西欧の風俗や街並といった背景や小道具そのものがオシャレな異世界の輝きを放っていたのだし、少女と青年のロマンスは、ラストにウェディングベルを鳴らす、女の子の幸せなる夢物語だった。

白馬に乗ったプリンスチャーミングが、いつかお城に連れて行ってくれるという「シンデレラ神話」を骨子にしたロマコメは、少女たちに明確な「幸せ」の図式を提示したのである。小学生の少女──読者も主人公もそうであった月刊誌時代、幸せは、家庭、母としてしか描くことはできなかったのだが、読者の成長、アメリカ的なものの輸入の中で、少女は「恋」の幸せを手に入れることになる。もっともロマコメは、愛、恋の喜びよりもそうした少女(女性)の幸せを手に入れるプロセスにおける、すれ違い、ドタバタ、混乱、といったものにこそ楽しみを見出していた。明るく元気でオテンバでそそっかしい、だけどチャーミングな少女はまさにロマコメの主人公だったが、それは『あんみつ姫」の昔から、ギャグや生活ユーモアマンガの中で描かれてきたキャラクター像でもあったのだ。

シリアスとギャグ、その中間にある生活ユーモアとそれまで分かれていた少女マンガは、恋、ロマンスという主要なるテーマを明るく語るコメディーへと道を見つけ出したのである。まだ、リアルに「恋」や「愛」を語るほどには読者もジャンルも成熟していなかった。とにかく、ロマコメは、オシャレな外国趣味というそれだけで読者を掴まえていたし、虚構に開き直った徹底したエンターテインメントぶりは女の子たちを笑わせ、ときめかせた。またその中に飛鳥幸子のように、ミステリー、SF、サスペンスといったものを持ち込む作家もおり、丘けい子のスパイアクション物等も含めて、物語の面白さを追求していける広がりも持っていたのである。

このロマコメをよりパターン化し、しかもより身近にティーンの青春として描くようになったのがラブコメである。ロマコメは恋がテーマではなく、ロマンチックを問題としていた。そして、ラストの大団円のウェディングベルは、決定された事柄であり、恋や愛は紋切り型の幸せとして描かれる。ラブコメは「ア・ボーイ・ミート・ア・ガール」、つまり、少年と少女が出会い、いろいろあった末にステディになるというパターンであり、互いの恋を確認するまでが描かれる。そして重要なことは、恋のときめき、喜びがひとつの共有される夢として語られるようになったことだ。また、大人の恋ではなく、少女の恋、ティーン(アメリカの)の青春が描かれることで、より等身大の少女へ近づく結果にもなった。

西谷祥子の『マリイ・ルゥ』あたりから始まったそれは、アメリカンポップス的な世界を描き、本村三四子、大和和紀、里中満智子等の若い作家たちによって描かれていき、忠津陽子の明るく乾いたチャーミングなコメディー世界を生んでいく。もっとも大きな意味は、このラブコメのパターンが、新人を登場しやすくしたことだ。定型を守れば、後は個々の描き手のセンスや趣味が見せどころである。しかも、短編という形式にそれは実にピタリとはまっていたのである。


等身大の少女を求めて

恋や愛はまだアメリカの少女のものだった。日本の少女は、大きな声で「愛」と言えないつつしみ深さを持っていた。細川知栄子の作品も声高にそれを言うことはなく、二人の結びつきを阻てようとする障害こそがドラマを作っていた。西谷祥子の『レモンとサクランボ』は、日本の学園を舞台に、思春期の少女を等身大に描こうとする試みとして、読者に圧倒的な支持を受ける。不安定で多感な少女の時、友情、恋、受験、さまざまな現実の少女たちを取り巻く問題がそこでは描かれていった。日本の学園(高校)が、そして等身大の少女がようやっと少女マンガで描かれるようになったのだ。

日本の学園、日本の少女、そして恋。少女マンガが探し求め、見つけた水脈学園ラブコメの始まりは、四三年頃のことだった。──雑誌には、新人賞というシステムを通して次々と戦後世代の若い描き手たちがデビューし始めていた。里中満智子を皮切りに、青池保子、美内すずえ、神奈幸子、一条ゆかり、等々、マンガで育ち、月刊少女マンガ誌を読んできた、昨日まで少女だった若い新人が次々と登場していった。そして多くは当初、学園ラブコメを手がけていったのである。陽気で元気でおかしな恋のハプニング、日本の学園で少女たちは青春を楽しんでいた。

だが、西谷祥子の示した現実の少女たちそのものをドラマで描いていこうとする方法は、一方で少女ドラマと結びつき、よりリアルな形での青春マンガを生み出そうともしていた。一九六〇年代末という、若者文化の昂まり、メッセージや政治、カウンターカルチャー、精神文化、変革といったものがトレンドであった時代の中、圧倒的な数の団塊の世代の表現者たちは、少女マンガにおいても、先鋭的に可能性を模策しようとしていったのである。

なかでも、「りぼんコミック」に寄った描き手たちは少女の時を、あるいは女、生といったものを生々しくリアルに描き出すドラマを語っていこうとした。一条ゆかり、もりたじゅん、山岸凉子といった作家の残した作品は、それまでの子ども、女の子のための娯楽としての少女マンガを大きく逸脱し、女性の女性による自己表現を求めていた。矢代まさこ、樹村みのり、岡田史子といった作家たちの短編も従来の枠を大きくはずれ、人間にとって重要なテーマを深く掘り下げていこうとしていたのだ。恋はときめきゃ楽しさだけではない、愛は傷つくものだし、時には奪うものだと物語る里中満智子のシリアス物も、後のレディスコミックの萌芽を思わせた。

少女マンガは読者、そして描き手たちの成長によってドラスティックに変化していった。制約の多過ぎたジャンルであったが故に、解禁された直後の爆発的な成長は目をみはるものがあったといえよう。『花物語』(吉屋信子)、母物メロドラマ、ロマコメ、ラブコメ、常に絶対と信じられたパターンの中で主流を形成してきた少女マンガは、意識的な作家の増加、読者の成長もあって、一九七〇年を基点にさまざまなベクトルに向けて広がり続けようとしていった。


ロマンを夢見る者

水野英子が洋画の世界に求めたもうひとつの方向、壮大な物語、ロマンは、遠く『リボンの騎士』から流れてきたファンタジーロマネスクの水脈だった。史劇、スペクタクルロマン、王女物……水野英子の『白いトロイカ』は歴史を背景とした運命のドラマだったが、物語指向の作家たちは、これまたさまざまな物語を扱っていった。伝説、神話、SF、ファンタジー、ミステリー、ホラー……そこには西洋的な物語世界が広がっていた。幻想的なムード、壮大な背景、マニアックな夢想、めくるめく 風景、不思議な心地良さ……学園ラブコメやリアルなドラマでは描き出すことのできない、異世界そのものの魅力、夢の創り出す虚構のロマンは、描き手たちをあこがれさせた。

かつて月刊誌時代に絵の美しさ、華麗さ、ムード、といったものを求めて半ば様式化されていったスタイルは、ドラマを効率よく語る、簡潔でかわいく美しく華やかなスタイルに週刊誌時代に入ると変化していった。絵そのものが誘い込む夢、ディテールの美しさといったものは、少しずつ忘れ去られようとしていた。──だが、少女マンガの魅力のひとつはまちがいなく「絵の美しさ」だったはずだ。リアルである必要もなく、夢見させ、ときめかせ、ボーッと見入らせてくれるような絵の魅力は、いつだって女の子たちを捉えてきたのではなかったのか。

こうした絵の見直しは月刊誌というメディアの中で少しずつ進行していった。一条ゆかりや山岸凉子、あすなひろしといった作家たちだ。また物語ロマンも 「別冊マーガレット」で美内すずえという才能が登場するや、冒険物やホラーも含めて見直されていくことになる。いち早く歴史ロマンにコスチューム・プレイの華やかさ、悲恋を演出した『ベルサイユのばら』で、池田理代子は、少女マンガ本来の魅力を打ち出していた。

そして萩尾望都の登場となる。双子、ラブコメ、母物、ホラー、ミステリー……それらは萩尾望都の緊密に構成されたストイックな作品世界で、新たなロマンとして甦っていく。さらにはSF、ファンタジー、人間ドラマ。少年という新しいテーマで、ロマコメを、ロマンを語る竹宮恵子、少女マンガの世界やムードをスタイルそのものにまで純化させた大島弓子。誠実にドラマやロマンを語っていこうとするささやななえ、少年と少女のロマンを描く木原としえ……「別冊少女コミック」を主な舞台にしていた作家たちの創り出す世界は、少女をもうひとつの世界に連れていってくれる圧倒的な空気の感覚、ロマンの香りを漂わせていた。彼女たちを中心に、24年組という言葉が囁かれるようになっていき、少女マンガは次のステップを踏み出していったのである。

そうして、SF、ファンタジー、少年、ゴシックホラー、デカダンス、ロック、演劇、といったものが、新しい少女趣味として少女マンガに定着していくことになる。それは、少女マンガが、女の子たちのライフスタイルになる可能性を内包していたし、少女のあらゆる部分をカバーできる表現として広がっていこうとする意味を垣間見せていた。実際『ベルばら』、24年組によって、作品的なブームが巻き起こることになり、五〇年頃より少女マンガは男性や大人(インテリ)までも引きずり込んだ大きな文化の潮流となっていったのだ。


夢の変質と過剰

こうした少女マンガの隆盛は、さらにそれに続く新人たちが次々とデビューし、メディアが増加していくという状況の中で、より大きなものとなっていった。「LaLa」「プチフラワー」といったマニア向けとも見える雑誌の創刊、倉多江美、三原順、吉田秋生、成田美名子といった新人たちの登場。さらに少女マンガは進化し、広がっていこうとしていた。それは女性による表現として少女マンガが、何ごとかを成そうとしているようにも見えた。

その一方では、女の子のかわゆい恋の夢想をファッショナブルに描く 「乙女チックラブコメ」、小学生あたりを中心に人気を呼んだ『キャンディ・キャンディ』等、従来の少女マンガの持っていた娯楽性、夢を描く作品や作家も支持を受け、成長した少女=女性のためのレディスコミックという新しいジャンルも生まれていった。『リボンの騎士』から月刊誌時代を経て、連綿と流れてきた少女マンガは、少女マンガによって育てられた元少女たちの手による少女に向けた表現として、広がりと深みとバラエティーを見せる大いなる大衆文化として、昭和五〇年代には定着を果たしたといえるだろう。

アール・ヌーボー、叙情画、少年マンガ、劇画、デザイン、絵画、アニメ、イラスト……さまざまなヴィジュアル表現が持ち込まれ、ロマン派、日常派を問わず、少女にまつわるテーマ、モチーフが探られ、さらには少年という存在までが深く追求されていく。SFミステリー、ホラー、現代小説、映画、これまたさまざまな語り物は、少女マンガに再生され、詩、ロック、演劇・舞踏といったカルチャーも取り入れられていく。──それはマンガ本来の持つ何でも取り入れる自在さでもあった。マンガは、語る方法であり、語りたいという欲求の表出なのだ。女性たちは、時におしゃべりするように、自由に語り出していく。タピストリーを織るように、作世界を紡ぎ出していく。

笑わせ、泣かせ、感動させ、勇気づけ、うなずかせ、不思議な世界へと誘い、少女たちを一時、異世界に遊ばせる。少女たちは時には熱狂し、作家をアイドルにし、文学のように語り、自らの生きるテキストにする。 少女マンガは、描き手にとって何でも出来る表現であり、読者にとってさまざまなものを与えてくれる魔法の箱だったのである。

しかし、平成の今、そうした、この上もない蜜月の時代は、終ろうとしているのかもしれない。少女たちは、より具体的で矮小な夢を物やマニュアルに求め、自分が主人公である物語を作ることへ、のめり込んでいこうとする。もっとわかりやすく恋やロマンスの物語を展開するジュニア小説は、文字で描かれたマンガだ。TVドラマや映画、小説が、少女マンガでしか味わえなかった世界を語り出し、あこがれることしかできなかった外国、ファッション、アクセサリー、美少年、恋は、手を伸ばしさえすれば、手に入る。少女マンガの果たしていた役割の幾つかは、より力のあるものに取って代わられていこうとしている。

少女マンガは変わらず、少女の夢を描いてきた。幸せも恋もロマンも少年も、時代が見せてきた夢なのだ。少女マンガの歴史とは、少女の夢の変遷でもある。子どもたち、あるいは女性の夢の変質が、少女マンガを進化させ、同時に少女マンガが、少女を変えてきた。描き手と読者、望む者と求められる者の間に横たわる少女マンガは、二つの夢が重なり合い、形を取って地上に降りてきた姿なのだ。今、それがズレ始めていようと、やがて、また重なり合い、時代を呼吸し始める時はやってくる。少女マンガは、少女たちの夢見る心、ときめきそのものなのだからである。

それは、少女たちがいる限り変わることはあるまい。



別冊太陽〔少女マンガの世界 2〕】1991年10月01日
 【別冊太陽〔少女マンガの世界2〕もくじ】
 【米沢嘉博:少女マンガの現在・過去・未来】
 【西谷祥子:時代の中央線を歩け】
 【ささやななえ:三つの衝撃】
 【萩尾望都 ロマンティックな変革者】
 【竹宮恵子 意志と関係論】
 【中島梓:未曾有の時代】
 【進化するSF少女マンガ】
 【米沢嘉博:恋から始まる少女マンガの大冒険】

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