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【漫画年表】年表作成協力・迷宮’78
テレビランド増刊イラストアルバム6 萩尾望都の世界


テレビランド増刊イラストアルバム6 萩尾望都の世界
出版社:徳間書店
発行日:1978年07月30日


資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163456...



スペース・未来もの


●異世界の感覚

SF漫画は少女漫画の流れのなかでは極少数派だった。SFという題材が少女漫画向きではないと思われていたこともあり、石森章太郎の短編を除くと作品数は極端に少なかった。小道具としてSF的なものを使うこともあったが、メロドラマならメロドラマとしての、コメディならコメディとしてのおもしろさのほうを重視していたようだ。SFという 設定は少年漫画のものだと見られていたのだ。

昭和10年代以降になると、SFを描く女流作家もあらわれる。飛鳥幸子などがそうだ。続いて、竹宮恵子、山田実根子、萩尾望都などの作家たちも、SFコメディを発表し、少女漫画でもSFは魅力を持っているということを示し始める。

そういったなかで登場した「あそび玉」「六月の声」は、従来の少女漫画のSFとは違っていた。まず、主人公が少年であること。少年漫画のSFにもなかった、海外SFの香りを漂よわせていること。その点が、よりSFらしさを感じさせたようだ。

異次元もの、未来世界もの、宇宙ものーーといった異世界の感覚。宇宙へ向かって果てしなく広がっていくあこがれであり、それを支える想像力。アシモフ、クラーク、ハインライン、ブラッドベリなどのアメリカSFの持つ「感覚」がそこには息づいていた。

この成功により、SFの持つムードと可能性は少女漫画のなかにも受けいれられるようになった。SFで育った新人作家たちの出現もあって、昭和49年頃から少女漫画にもSF作品は増えていく。

SF作家からも絶訴された萩尾望都の「11人いる!」。竹宮恵子の「シルベスターの星から」、山田ミネコの「ハルマゲドンシリーズ」といった作品は、少女漫画のSFの新しい展開だといわれた。

「メルヘン」「ブラネタリウムより」などのたらさわみち、「異次元からの訪問者」「ラザ市にて」など一貫してSFを描き続ける奥友志津子。佐藤史生、牧村ジュン、絵田百合子などもSFに意欲を燃している。おりからのSFブームのなかで、少女漫画のSFも定着したようだ。そして、現在の期待は萩尾望都 の「スター・レッド」に集まっているといっても過言ではない。



エスパーミュータント


●超能力、魔女、ミュータント

昭和紹年頃、少女漫画では、いわゆる魔女ものが流行した。「法使いサリー」「奥様は魔女」「魔女はホットなお年頃」など、TVとの関係もあり、多くの作品が描かれた。

少年漫画のスーパーヒーローにあたるものが、少女漫画の魔女であるともいえるだろう。「メリーボビンズ」のころから、魔法で思いがかなうことは、ひとつの夢であった。

その魔女の解釈として、エスパーやミュー タントという概念が持ち込まれるのはそれほど昔ではない。ルーツとしては、少女阪「ミュータントサブ」「おかしなおかしなおかしなあの子」などがある。細川知栄子の「星のナギサ」 も、少女漫画の超能力もののはしりだろう。

だが、超能力はまだ「あこがれ=夢」として、扱われていた。”魔法はいいな、楽しいな”という具合にだ。それが、エスパー、ミュータント=異端となり、超能力故に迫害されるようなパターンがはっきりとあらわれてくるのは、萩尾望都の「精霊狩り」「あそび玉」からのようだ。SF小説のほうでは「迫害される新人類(ミュータント)」というのは通常概念であったし、石森章太郎などもその視点を漫画にもちこんでいた。そして、そういった地についた広い視点を少女漫画のSFで展開したのは萩尾望都だった。異端の持つ純化された美は、孤独と悲しみをひめ、少女漫画のエスパーに深味をくわえていった。

そこから、新しいスーパーヒロインたちも生まれてくる。「超少女明日香」「狼少女ラン」「エスパー狩り」といったシリーズ物などにエスパーはよく登場するようになった。エスパーやミュータントたちは少女漫画のなかにスッポリと納まったのである。それとともに、「11人いる!」「地球へ」といった長編SFのなかでも重要なファクターとして、活躍するにいたっているのである。



ファンタジー


●ファンタジーの流れ

少女漫画を確立したといわれる「リボンの騎士」以来、ファンタジーは少女漫画のなかに大きな位置を占めてきた。王子さま、王女さま、魔女、天使、妖精といったファンタジー世界の住人たちは、少女漫画にもよく登場した。メルヘン、神話、民話、伝説ーーそのすべてをファンタジーとして、少女漫画は、夢を、楽しさを語った。

「星のたてごと」のような大ロマン、「ひみつのアッコちゃん」などの、生活のなかにファンタジーを持ちこんだコメディもの、メルヘンランドの陽気な楽しさを語ったものなどさまざまのパターンがあらわれた。また、民話やおとぎ話も、楽しく、美しく、やすらげる世界として少女漫画の持つ夢の重要なモチーフだった。

そんななかへ、萩尾望都のファンタジーがあらわれる。西洋的ファンタジーのムードはより濃くなる。そして、彼女は妖精たちの世界の美しさ、楽しさ以上に、妖精たちと自由に遊べる女の子の心の美しさを描いた。萩尾望都はファンタシーの心を運んできたのだ。そしてまた、妖精たちを見ることのできなくなった人の悲しさをも描いた。おとぎ話は決して小さな子のためだけのものでないと、少女漫画のファンタジーは語りはじめたのだ。

民話ものの松本るい、魅力ある絵を持つ阿保美代、ファンタジーを得意とした里見満、黒魔術をこのんで取りあげる山田ミネコといった作家たち。そして、萩尾望都は、ファンタジーによって少女漫画の可能性と幅を広げていった。

最近では、「ジョジョシリーズ」の倉多江美、ハイセンスファンタジーの坂田靖子、中山星香のように、遊びの楽しさにあふれたもの、山岸凉子の「妖精王」山本鈴美香の「H2O前代未聞」といった、しなやかな心をもつ奔放な作品が生まれている。

そして、現在、若者の世代でハイファンタジーとよばれるトールキン、マザーグースなどのファンタジー文学が話題をよんでいる。

萩尾望都の巡んできたファンタジーの心が多様な枝をひろげはじめたのかもしれない。



吸血鬼


●吸血鬼―闇から光の中へ

吸血鬼といえばドラキュラ派とカーミラ派に大きくわけられるだろう。昭和30年代はドラキュラ伯のみが有名で、彼の持つ忌わしさは少女漫画の題材としては不適当だった。氾濫した”こわいマンガ”のなかにも、ほとんど吸血鬼は見あたらなかったといってよい。

では少女漫画の吸血鬼ものの古典はなにかといえば「きりとばらとほしと」になるだろう。それは、ロジェ・バディムの「血とバラ」 で有名になったカーミラ=バラを枯らす女吸血鬼の少女漫画への登場でもあった。幽幻なムードを添わせる退廃美・永遠なる美しさをひめた女吸血鬼は、霧とバラと星と血というイメージと結びついて、少女漫画的題材となることになった。

その後、女流たちによって「ビアの肖像」「吸血鬼」「いとしのアンジェル」「深いむらさき色の...」といった作品が描かれる。そこにあらわれる吸血鬼は、夜の闇や霧のかなた、あるいは古い洋館にひそむ「恐怖の影」であり、怪奇漫画のムードを濃く持っていたようだ。

そこに「ポーシリーズ」が登場してくる。 少女漫画を、ラブコメ全盛の時代から新感覚派の時代へ誘うきっかけとなったといわれる 「ポー」は、吸血鬼のイメージをバンパネラとして、少女漫画のなかに変質させ定着させた。

吸血という行為は透明なムードのエナジー吸収へ。止められた時は美しさとあこがれへと昇華され、闇の中から光の中へ、人々の中へと吸血鬼を引きずりだした。バラの村、霧時代の香り、といったものは耽美的ムードを持ち、読者を魅了した。吸血鬼は、バンバネラと名をかえることで、少女漫画のロマネスク世界に場所を手にいれたのである。

そして、ポーの登場以降、少女漫画への美少年吸血鬼の登場は増加する。木原敏江の 「銀河荘なの」では、ポーが特別出演で登場したりさえするのである。こうしてみると、萩尾盟都はロマンの香りという新鮮な血で、 バンパイアを延らせたといえるのかもしれない。

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