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【“ぐら・こん”から巣立った作家たち:竹宮恵子】ぱふ1979年05月号


ぱふ1979年05月号
発行日:1979年04月10日
出版社:清彗社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/165219...




「ぱふ1979年05月号」26-??ページ
“ぐら・こん”から巣立った作家たち
(画像に続いてテキスト抽出あり)
竹宮恵子
COMに出逢ってやはり良かった





竹宮恵子
COMに出逢ってやはり良かった

──まずはじめに、ぐら・こんに投稿なさった動機とかきっかけみたいなものからお聞きしたいんですが。

竹宮 とにかく、わたしにとってCOMっていうのはぐら・こんそのものだったんですよね。ぐら・こんそのものイコールCOMというか、そのくらいぐら・こんに重さをおいていて。

──創刊号から読んでらっしゃいましたか?

竹宮 ええ、それはもう。で、わたしの描きたいのは少女まんがというより、どちらかというと児童まんがの方だったんですね。だから、COMだけじゃなくて一般の少女まんが誌にも投稿しましたけど、やっぱりそういうのはあまりウケがよくなくて、そちらは佳作どまりというかんじだったんですね。やっぱりわたしにとってぐら・こんは一番だったというかんじで、新人の人たちのはカット一枚にしても注意してみましたし。

──COMは、最後まで読んでらっしゃいましたか?

竹宮 いえ、読んでたのははじめの2年くらいでした。その後っていうのはなんかあまりにもマイナーな方向に行き始めたし、劇画もでてきたし、あ、これはわたしの方向と違うなと思って読むのもあきらめてしまったんですけど。

──竹宮さんにとってぐら・こんて一言でいうと何でしょうか。

竹宮 んー、その前に同人誌時代というのがあるんですけれど、そこでやってるだけじゃがまんできなくなってしまったんですね。ぐら・こんはちゃんとした評価もつくし、点数もつくしということで、それで自分の能力を早く知りたかったというか。やっぱり地方にいたから、手ごたえみたいなのがどうしてもほしくなっちゃうんですよね。それで、皆どんどん投稿を始めて。

──で竹宮さんも投稿なさった、ということですが、あれから一応10年後の今第一線で活躍していらっしゃる竹宮さんにとって、ぐら・こん時代というのはどんな意味をもっているんでしょうか。

竹宮 やっぱり、いい勉強にはなりましたね。ものすごくタイプの違ういろんな新人がいましたから、あ、こういう描き方もあるのかってね。ただの小さなカットを見るだけでも描くものにはある程度想像がつくし。その意味でとても刺激になったし、価値あるものだったですね。

──COMに出会っていたのといなかったのとでは、やっぱり違うと思いますか?

竹宮 そうですねー、ぐら・こんに出会わなかったら、いわゆる少女まんがを描くようになってたでしょうね。少女まんが誌に受けいれられるものを描く自信はありましたし。
COMに関しては、なんていうのかな、最近COM時代を懐かしむという風潮が強いですね。強いですけど、それは危険もあるわけですよね。わたしが途中で読むのをやめちゃったのは、COMがあまりにもマイナーな方へ行ってマニア化してしまって、まんがの本来を忘れちゃったかんじがして。やっぱり、娯楽性がなければだめだと思うし。それだけは、これからそういう類の本が創刊されたとしても、たどって ほしくない道ですね。
(電話にてインタヴュー)