【萩尾望都】大泉スレ【竹宮惠子】 資料まとめサイト - 【〈竹宮・増山〉年表】
【〈竹宮・増山〉年表】

参考資料
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/162528...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163832...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163914...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163914...
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164288...

は根拠を示す
 大泉本(一度きりの大泉の話)

1967-1970年
増山:萩尾と文通(増山:高校生-浪人生)大泉本17ページ

1970年
萩尾:増山と竹宮を引き合わせる(時期不明)大泉本25ページ
増山:竹宮に『ヴィレンツ物語』の内容を一晩かけて話す(時期不明)大泉本31ページ
竹宮:『ヴィレンツ物語』のキャラクターを描き増山に見せる(時期不明)大泉本31ページ
竹宮:増山に『風と木の詩』の内容を一晩かけて話す(10-11月頃?)大泉本32ページ
11月25日 三島由紀夫割腹自殺 大泉本42ページ
増山:萩尾に三島作品を勧める 大泉本42ページ
増山:萩尾と竹宮の絵と作品に対し、注意・指導・質問をし、感想を伝える 大泉本58ページ
萩尾「竹宮先生の方は魂の双子のように増山さんの意向を汲んで、美しい少年の作品を描いていました。竹宮さんはいつも、増山さんの厳しい指導にも素直に応えていました。」「描き上がると、増山さんは泣かんばかりに絶賛していました。」大泉本59ページ
萩尾「竹宮先生は新たな世界に導かれ、増山さんは世界を指し示した。二人は心も素養も趣味も通じ合い、満足で嬉しいことだろう」大泉本61ページ

1970-1971年
増山:自宅2階ベッドルームの窓を割る「母と喧嘩し、イラッとして窓を叩き割った」大泉本56ページ

1971年02月
増山・竹宮・萩尾の3人、吉祥寺で映画『悲しみの天使(寄宿舎)』を観る  大泉本65ページ

1972年11月
増山:下井草OS在住(居候・雑用係)大泉本他

1974年
竹宮:「風と木の詩」掲載のため、アンケート上位を目指し「ファラオの墓」連載→社費で脚本家にアドバイスを貰うブレーン手法を利用
ファンクラブ発足
竹宮:変奏曲シリーズを断続的に発表

1975年
竹宮:トラプロ起業

1975~1979年
増山:トラプロ就職(マネージャー)ペーパームーンコミックス版「変奏曲」あとがき
参照【原作者名の公表:竹宮惠子・増山のりえ

1976年
竹宮:「風と木の詩」連載開始 

1977年
竹宮:「地球へ…」連載開始
竹宮:変奏曲シリーズ「皇帝円舞曲」発表

1978年
竹宮:COMIC JUN創刊号で変奏曲外伝掲載
(以降、82年まで掲載誌を変えながら毎年読み切りを発表 85年、90年にも発表)

1979年
増山:トラプロから独立、以降ブレーンとして関わる
竹宮:東京都練馬区下石神井に新居完成(29歳)とんぼの本「カレイドスコープ」164ページ

1980年
増山:「マンガ家になれる本(二見書房1980年02月)」座談会に登場 
「地球へ」連載終了 アニメ映画化、アニメ化に合わせた総集編の奥付に小さく「制作協力/増山法恵」の記載あり
参照【増山法恵:「地球へ…」とのかかわり
増山:不調により暫くトラプロを休む→竹宮妹がマネージャー引き継ぎトラプロ参加、増山ブレーン呼び開始
竹宮:03月 第25回小学館漫画賞受賞
竹宮:11月「アンドロメダ・ストーリーズ」連載開始
竹宮:この年からペンネームを戸籍と同じ「惠子」に改めるとんぼの本「カレイドスコープ」164-165ページ
※ただし、掲載誌において「惠子」が使われた時期は、現在確認できる範囲で1983年以降のため、竹宮が改めた(と「カレイドスコープ」に記述している)時期と出版社に認知・周知された時期にはズレが見られる
参照【竹宮:「恵子」から「惠子」へ

1982-1987年
『イズァローン伝説』について
竹宮:ファンタジーって読むのも嫌いなんです。(中略)そもそもファンタジーをやれと言ったのは増山で、それに乗ったのが間違いでした(笑)。とんぼの本「カレイドスコープ」129ページ

1983年
竹宮:東京都杉並区下井草にアトリエ完成(33歳)とんぼの本「カレイドスコープ」165ページ

1984年06月
竹宮:「風木」連載終了
竹宮:「続マンションネコ」で藤子不二雄を例に出し増山との共作をアピール
参照【竹宮恵子:あとがき代わりの近況報告
「早く言ってしまえば、藤子不二雄先生方(この先生方が、2人で1つの名を使って作品を発表していることは周知のことですよね)のような意味あいのものなのです。」

1985年
『MIRAGE』について
竹宮:増山の気分的発想を形にした作品です。(中略)彼女はファンタジックで気分的な言葉を口にして、私がそれを汲み取って絵にする、ということをよくやりました。増山と私が合体しないと、こんな発想は出てこなかったと思います。とんぼの本「カレイドスコープ」131ページ
註:『MIRAGE1:ぶーけ1984年05月号』は竹宮恵子名義『MIRAGE2:ぶーけ1985年10月号』は竹宮惠子名義
資料提供 https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163914...

1985年
増山:竹宮とのブレーン解消 日本推理作家協会の増山プロフィール「二十歳から十五年間、少女漫画家・竹宮恵子のプロダクション“トランキライザー・プロダクツ”のプロデュース・ディレクターを勤めたのち独立」
参照【増山法恵プロフィール

1988年
ペーパームーンコミックス版「変奏曲」4度目の刊行、表紙「原作/増山のりえ」表記、あとがきにおいて増山が原作者だった経緯を明かす
参照【原作者名の公表:竹宮惠子・増山のりえ

1989年
竹宮:神奈川県鎌倉市に自宅・アトリエ完成(39歳)とんぼの本「カレイドスコープ」168ページ
増山:「ヴィクトリアン・シール・ブック・美しいアンティーク絵の楽しみ」上梓(新書館、1989年08月01日)

1992年
増山:「神の子羊1(のりす・はーぜ )」上梓(光風社出版、1992年02)

1993年
増山:「神の子羊2(のりす・はーぜ )」上梓(光風社出版、1993年03)
増山:「少女風雅―蕗谷虹児イラスト集」上梓(徳間書店、1993年12月01日)

1994年
増山:「神の子羊3(のりす・はーぜ )」上梓(光風社出版、1994年04)
増山:「永遠の少年―英国パブリックスクール・ミステリー(のりす・はーぜ )」上梓(角川書店、1994年07月29日)

2000年04月
竹宮:京都精華大学教授に就任

2002年11月
増山:急性重症すい臓炎で即入院 増山法恵ウェブサイト「変奏曲」より

2006年04月
竹宮:京都精華大学マンガ学部設立

2008年
増山:長期介護ののち両親を看取り、自身は体調を崩す

2008年04月
竹宮:マンガ学部学部長に就任

2008年10月20日
竹宮・増山:​渋谷にてトークショー開催
参照【竹宮惠子・増山法恵トークショー

2010年04月
佐藤史生逝去

2012年
増山:佐藤史生「死せる王女のための孔雀舞」に寄稿
参照【”ドサト”と大泉サロンの思い出

2013年
竹宮:福岡県朝倉市に移住(63歳)とんぼの本「カレイドスコープ」171ページ

2014年04月
竹宮:京都精華大学学長に就任

2014年11月
竹宮:秋の紫綬褒章を受章

2014年12月06日
竹宮:「竹と樹のマンガ文化論」上梓

2016年01月27日
竹宮:「少年の名はジルベール」上梓

2019年11月11日
竹宮:「少年の名はジルベール」小学館文庫発行

2020年05-06月
竹宮:読売新聞「時代の証言者 マンガで革命を」連載

2020年03月
竹宮:京都精華大学定年退職

2020年04月
竹宮:京都精華大学名誉教授

2021年03月23日
竹宮:「扉はひらくいくたびも」上梓

2021年04月22日
萩尾:「一度きりの大泉の話」上梓

2021年07月01日
増山:訪問したヘルパーさんからの報せで、在宅医療チームの医師により死亡と診断された(06月30日の夕方まで看護師と談笑しているため、それから07月01日ヘルパー訪問の間に逝去)

2021年10月03日
竹宮:ブログにて増山逝去を公表する(逝去から3ヶ月経過しての公表)、元・竹宮公認FC会長である村田順子はそのブログで「先生からは死因がはっきりするまでは口外しないでねと言われていて」と記述し、竹宮の公表を得て10月6日に自身のブログにて増山の死を悼んでいる
参照【訃報