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【かつてはみんな少女マンガを描いていた!!】だっくす1978年12月号


だっくす1978年12月号
発行日:1978年12月01日
発行所:清彗社
資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/165398...




「だっくす1978年12月号」22-25ページ
かつてはみんな(現在は少年マンガの巨匠たち)少女マンガを描いていた!!
(画像に続いてテキスト抽出あり)







かつてはみんな(現在は少年マンガの巨匠たち)少女マンガを描いていた!!


最近、少女マンガブームもようやく下火になってきたが、多くの女流マンガ家による作品が注目を浴びたようだ。この少女マンガなるものがいつ頃のどういう作品から始まったかを明言するのはやさしいことではないが、少なくとも昭和30年代に現在巨匠と呼ばれる男性マンガ家達によって発表された作品群がこのジャンルを確立し、のちの少女マンガ家に大きな影響を与 えたことは確かだ。


少女達がドラマチックなストーリーに胸をときめかせる世界としての少女マンガは手塚治虫のリボンの騎士(28年)に始まると考えて差し支えあるまい。のちにあらわれる女性マンガ家たちに多大な影響を与えた点で、この作品のもつ意味は大きい。その顕著な例に水野英子がいる。彼女の初期の作品である銀の花びら(31年〜34年)星のたてごと (35年1月〜)などはその絵・ストーリー展開ともに手塚治虫の影響が濃い。彼のその他の作品としては少女版火の鳥(31年〜32年)やあらしの妖精(30年〜32年) などがあるが、これらを集めた豪華本が文民社から手塚治虫作品集団5(八千円)として出ている。

ギャグマンガで知られる赤塚不二夫もかつては相当量の少女マンガを描いている。彼の少女マンガというと誰でも、主人公が鏡に向かってなりたいものの名を逆から言えば姿が変わるあのひみつのアッコちゃん(37年〜40年)を連想するが、彼はそれ以前にも数多くの短編や、まつげちゃん(33年〜37年、36年)ハッピイちゃんなどの連載物を発表している。

30年代前半という時代は男性マンガ家の手になる少女マンガの量が極めて多いのだが、松本零士(松本あきら)の銀の谷のマリア(33年) ゆうれいのバイオリン(33年)きりのローレライ(33年)、石森章太郎のキキちゃん(33年、35年)三つの珠(33年)などもこの時期に含まれる。この二人の作品にはやはり古くからSF的な色合が見られるようだ。

石森章太郎は30年代後半になっても龍神沼 (36年)ミュータントサブ(36年)江美子ストーリー(37年)きりとばらとほしと(37年)など名作を多く描き、40年のおかしなおかしなおかしなあの子、46年のさるとびエッちゃんなどの、猿飛エツ子が活躍する一連のさわやかなギャグマンガでも読者の人気をよんだ。

さわやかといえば叙情性あふれる作品で知られる永島慎二やつのだじろう、それに連載物の多いちばてつやも忘れてはならない。
永島慎二の少女マンガとしては31年の愛犬タロ、32年のサトコは町の子、36年の少女マリなどがあるが、彼の作品に一貫して流れる“やさしさ”は少女マンガにおいても変わらない。
つのだじろうとくればやはりルミちゃん教室(33年)だろうか。彼はこの作品以後生活感のただよう短編を発表しつづけ、36年のばら色の海で児童まんが賞を受賞している。

一方、ちばてつやの場合も1・2・3と4・5・ロク(37年)で第3回講談社児童まんが賞をうけている。これはバイタリティーあふれる兄妹たちを中心にしたホームマンガである。
彼の典型的な少女マンガとなると33年から34年にかけてかかれたママのバイオリン(33年〜34年)をあげたい。これはいわゆる「母子もの」で、薄幸な少女という設定を巧みに生かしている。彼はこのほかユカをよぶ海(34年〜35年)ユキの太陽(38年)島っ子(39年〜40年)アリンコの歌(40年〜41年)みそっかす(単行本名あかねちゃん)(41年〜42年)テレビ天使 (43年)など主に少女フレンドにおいて少女の成長をおっていく長編を多く発表している。

それから横山光輝が33年から37年にかけて一人の少女を中心にその家族にまきおこる事件を描いたおてんば天使という名作を出している。後の魔法使いサリーやコメットさん(42年)などのSF的作品も好評を得た。

最後にまことちゃんで活躍中の楳図かずおと、ビッグコミックの哀しい人々シリーズやチャンピオンの青い空を白い雲がかけていったで独特の境地をひらいたあすなひろしにふれておきたい。
楳図かずおは少女マンガ家としては花びらの幻想のようなファンタジー的作品からはいっていったが、30年代後半になるとまだらの少女、ヘビ少女などを少女フレンドに連載し、怪奇マンガ家としての勢いは半魚人等で少年ものにまでおよんだ。
あすなひろしは42年から43年にかけて木枯、雪の童話、わたしの心はバイオリンなどの16ペ ージの好短編を多く描いているほか、48年以降にも8ページほどの作品を多数発表している。

その昔、みんな少女マンガを描いていた。今僕らはそれらの作品のごく一部を、小さく縮少された文庫本でしかみることができないが、その時はほう芽しかけた小さなものが今陽に向って大きく花開いているのを見ることができるのだ。