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【ケーコタンはベムですね:増山のりえ】
ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」

ぱふ1982年8-9号「特集竹宮恵子part2」
発行日:1982年08月01日
出版社:雑草社


資料提供
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/163149...

ケーコタンはベムですね。
増山のりえ
(画像7枚に続いてテキスト抽出あり)










ケーコタンはベムですね。
増山のりえ

ーー竹宮さんとの初めての出会いというのは、いつ頃になりますか?

増山 12年位前になるんでしょうか。最初、私が萩尾さんと文通してたんですよね。彼女がデビューする前からの仲良しさんでした。そして、ケーコタンが仕事をしている時にアシスタントが必要になって、モーさまを指定したのね。あの二人が知り合った関係で、そこでようやく私と三角形が結びついて。で、二人が上京する時に、家を探してほしいと私が頼まれたの。それで、私の実家の斜め向かいの二軒続きの長屋みたいなのがたまたま空いていたので、もうとにかくそばにおきたくて「ここ」と言ってしまったの。そこでモーさまとケーコタンの共同生活が始まり、まる2年続いて、それをいわゆる「大泉サロン」と呼んでて、あらゆる人が出入りした訳ですよ。私も殆ど彼女達と一緒でしたね。むしろ基本的に三人で暮らしているようなもので、 そんな感じでしたね。

ーー最初に竹宮さんとお会いになったのは?

増山 彼女が私の家に遊びに来たのかな。すごく夜遅く来てね、私とモーさまが駅まで迎えに行ったんです。痴漢よけの武器を抱えながら...。

ーー第一印象というのは?

増山 最初がいけなかったのよね。夜中に「大泉学園まで着いた」て言ってね。私、何て人だろうと思って。えー、この夜中に迎えに行くの。図々しいんだな、と思いましたよ(笑)。よく伊東愛子さんが「無愛想な人ね」と言ってましたけれど。もう昔は本当に無愛想でね、誤解を招きやすい人でした。今は割としゃべるようにな りましたけど。だから、あんまりいい印象を持ってないんです。最初も、真中も、今も(笑)。

ーー大泉サロン時代後は?

増山 大泉サロンを解体して、ケーコタンとモーさまが下井草の、歩いて5分か10分位のアパ ートに住みついたの。その時に、私はもう実家にいるのが嫌で、彼女(ケーコタン)の所に居候として転がりこんだのね。当時、ケーコタンは駆け出しとはいえバンバン仕事とってて、最初から稼ぎ頭でしたから。だから居候の二人や二人いても、経済的に大丈夫と。割と、そういう風な心の広いところがあるんです。誰がゴロゴロしていても構わないっていうような。私は私で、居候だけでは申し訳ないので、まる2年位、本当におさんどんやりましたね。それこそ、税務署の申請から台所まで全部やりました。だからケーコタンは仕事をしてるだけ、それ以外のことは全部私が引き受けようってことで。
初めは、ちゃんと共同でお金を納めようと思 ったんです。これでも私は(笑)。アルバイトに出たらよくバイト先で倒れましてね。もうやめたんです。居候に徹しました(笑)。で、3年目か4年目あたりから、彼女が会社組織をとった時から、アシスタントさん、メシスタントさんがいて、私がマネージャーでという風にして、だんだんプロダクションのシステムが明確になってきたんです。

ーーその頃からマネージャーとしての仕事をなさっていたわけですか?

増山 そうですね。で、マネージャーみたいなことやりだしても、結局ケーコタンの仕事が増えれば増えるほど、私の仕事も増えていって、 一昨年位かな、9月あたりに私がヒステリーの逆噴射を起こして、「やだ!少し仕事を休みたい!」と叫んで(笑)、マネージャーの仕事をケーコタンの妹の大内田にそっくり渡して、それこそ隠居します、てね。この家(自宅)にこもりだしたの。来年から新しい仕事場が建ったらちゃんとまた元に戻るつもりでいます。

ーーマネージャーの仕事というのは、具体的にどういうことをなさるんですか?

増山 マネージャーって名前が適しているんだかどうだか。一番肝心なことは、編集さんのやりとりね。で、マネージャーの仕事というのは、とにかく謝ること。(原稿を)遅らせるでしょ、頭を下げることと嘘をつくことね(笑)。「あ、もうすぐ出来ます」「あ、もう出来てます」とかね。あのへんで逆噴射を起こしちゃったんじゃないかと思うんだけど(笑)。
うちのシステムは、まんがの依頼であれ、インタビューの依頼であれ、全部マネージャーが受けて、メモして、こいうう仕事の依頼がありましたけど、先生どうですか、と。彼女がやりたいと言ったら○、そんなの嫌よと言ったら×の報告をする訳。そういう外の接触というのは、原稿の受け渡しから全部やって、本人がとにかく余計な気を散らさず、常に机に座って何も心配せずに仕事が出来るようにもっていくのが、マネージャーの仕事ですね。
基本的には、そういう対外折衝ですけれど、うちは全く私を含めて、マネージャーに決定権はないんです。トランキライザー・プロダクトの社長は竹宮なんです。彼女が取締役社長をやって、どんな仕事でも全部彼女が決定をやります。

あなたのブレーンですね

ーー苦労したとか、この仕事をしていて楽しかったというのは?

増山 楽しくないですょよ(笑)。心配しかしないものね。結局一番損な役目なのね。だってガンガン編集がたたくのも、本人には言わないでこっちにくる訳じゃない。怒鳴られたって、こっちが描いてるわけじゃないから、いつですって言えないでしょ。折角依頼して頂いたのに、それを断らなきゃならないのが、私にとって嫌な仕事なのね。向こうサイドの方がとてもがっかりなさるでしょう。それが一番しんどいんじゃないかな。
ただある意味で、ひとつのプロダクションという形をとった限りは、そういう人って絶対必要なのね。例えば、チーフアシさんが両方やってたら、よほど性根のすわった人じゃない限り頭にきちゃうでしょうしね。
良かった事といえば、ケーコタンが私の好きな人と対談なんかすると、その人と会えるでしょ(笑)。といって、私がその人と親しく口をきける訳じゃないんだけど。でも「あ、見ちゃった」ていう(笑)。

ーー現在のような形になることを予期していましたか?

増山 いや、予期しませんでした。こんなに続くなんて。もう今となったら腐れ縁ですけどね。やっぱり、まんがの世界自体がヤクザな世界でしょ。だから、まんが家同士でよく、我々は姿婆には戻れないっていうセリフが出てくるんだけども、私もちょっとまともな世界に戻る自信がないのね。仕方ない、という感じでね(笑)。

ーーそれは大泉サロン時代から?

増山 私は高校生の時から突然、まんがのマニアになって、高校三年間はもうカリカリのマニアでね。手塚先生やら何やらをサイン帳を持って追い回してたの。それからケーコタンやモーさまと知り合って、もうどっぷり漬かって。私は20歳前後まではプロになる気で、描いてたのね。でも、回り中うまかったでしょ。とにかく錚たるメンバーに囲まれてて、右を向いても左を向いても天才なのね。そうしたら、自分の才能のないのがわかるのよね(笑)。あれはつらかった。ああ、天才とはこういうものかって、本当に思ったものね。九割の努力と一割の天分って言うけれど、その一割が絶対絶命追っつかない一割であって、もう本当に嫌になっちゃうのね(笑)。居候の当時もまだ、色々カット的なものやってたけれども、一、二年位したら完全に筆を折ってしまったというか、もう描く気はなくなりましたね。と同時に彼女の雑用がボンボン増えていった訳ですよ。それどころじゃないっていう位に。

ーー竹宮さんと作品について議論する時というのは、どういう感じで?

増山 割と突っこんだ感じでディスカッションするんですね。竹宮が人に私をどう紹介していいのか困る時があるんです。それが、いつかパーティの時に永井豪さんが「あ、あなたのブレーンですね」って一言おっしゃったのね。あ、こういう言い方もあるのかと思いました。後で知ったんだけど、少年漫画家の方って、特に永井さんなんかもそうだけれども、そういうブレーンを三、四人もってらっしゃるのね。ひとつの作品に関してアイデア出したり、ディスカッションしたりとか。だから、そういう意味で、ブレーンと言った方が近いかな、と思います。無論、彼女が殆どやってますけども、詰まっちゃった時とか、連載がうまく気分がのらないんだけどもどういう風にもっていこうか、随分突っこんだ所まで話します。どうしてそれが出来るかっていうと、彼女と私というのは、好みから何から180度違うのね。彼女は、自分の世界だけを描いていきたい人ではなくて、描いたものが他の世界の人から見たらどうなんだろうってことを、とても考える人ですから、そういう意味で一つの鏡っていうかね。読者代表みたいにして、例えば「こういう風にネーム作ったんだけど、どうだろうか」と私に読ませたりね。「あ、ちょっと面白くない」とか「何が言いたいの、これ」とかね(笑)。かなりシビアにやりとりしますよ。

ーー竹宮さんと仕事のことや何かで、喧嘩などはなさいますか?

増山 なさいますかどころじゃない位、しますよ。だってそれ位好みが違うから。具体的に言うと私はマニアなので、すごくマイナーな作品が好きなの。「ファラオの墓」みたいな連載が始まっちゃうと、私はとってもああいうエンターティメントが嫌いなので、日々不愉快なのね。日々つっかかるのね。それと、カット一枚でも随分ケンカしますしね。下絵を見ると、私は私の色合いが頭に出来ちゃうのね。きっとこういう風に出来上がるんだろうなと。で、彼女が塗ったのを見て全然違ったりすると、私って逆上するタチなのね(笑)。そこで、ディスカッションも同じようなものですね。やはりこれだけ好みが違うと、とことん話し合いますしね、接点を見つけようと。竹宮自身が私にそれを求めてるんだと思うんですよね。全く反対の世界の人がどう見るかってことを。だから本当にとっくみあいのケンカをします。全部仕事のことですけどね。

ーーそれで一応の決着つくわけですか?

増山 決着がつかないと作品は生まれないから(笑)。どちらがが納得するほかないですね。あちらの主張が通ることもあるし、妥協点を見つけることもあります。私がどれ程逆上しても、彼女が一歩も譲らない時だってあるし、私の意見を取り入れてくれる時だってあるし。
それがいいか悪いかっていうのは、正直わからないんですけど、そういう過激なやり方で作ってます(笑)。結局、「ファラオ」だって、私は終始反対し続けたのに、何年かたって見ると「あー、何でこんなに面白いのか」と(笑)。そういう時は彼女が一歩も譲らない訳ですよ。「私はこれを描くんだ」と。だから何年かたたないとわからないんですね、いい結果が出たのか、悪い結果が出たのかっていうことは。

ーースランプの時の竹宮さんは?

増山 地獄のようだったという記憶しかないんだけど。彼女は人間的に強いんです。とってもタフで。私はメチャクチャ弱いんです。だから彼女が落ちこんでた時は、私の方はもっと落ちこんでたんじゃないかしら。私がとても辛かった。彼女はどんなに辛くても、原稿に向かえば忘れちゃうというか、何とか自分を起こしていけるという部分があったけれど、私は随分辛くて寝こんだという記憶があります。神経的に参っちゃって。
どの作家でもぶつかると思うんだけども、何を描いていいかわからないとか、今描いている自分の絵がとにかく描いても描いても気に入らないとかね。あと、こういう流行が始まっちゃったんだけれども、その流行とは全然自分が容れないという。彼女の場合、後者だったと思 うのね。
モーさまとか大島さんのフワーっていう夢のようなイラスト的な、細い線で女性的に表現するっていう流行が始まった時に、彼女は根っから少年まんが育ちだから、できれば荒々しいタッチでバンバン動く絵が好きだったの。今考えてみると、断固として自分の色合いを彼女が消さなくて良かったと思うのね。「いずれ波がこちらに向いてくるのを待つしかない」と当時、彼女は言ったんですね。自分の良さを認めてくれる時代を待つしかないと。だから「ファラオ」では彼女のいい所がとてもよく出てて、そのいい所をファンが喜んでくれたというね。そのあたりから、彼女の言う「波」が自分に向かってきたという。それまで彼女はその流行に直さなかったですね。
あの人はすごく器用な人だから、流行に合わせようと思ったら、絶対とことん合わせる事が出来るんですよね。でも、当座その流行に合わせた方々って、今となっては自分のスタイルを失っているのね。もう元の自分に戻せなくなっちゃうのね。とても苦しかったけれども、色んな勉強になりました。

ーーそういう時の、増山さんの竹宮さんへの接し方というのは?

増山 本来だったら、励まして慰めて「頑張ろうね」って言うのが立場でしょ。逆でしたね。 私の方がめげてました。完全に足引っぱってました。むこうが一生懸命私を励ましてました。彼女が頑張ってくれなかったら、私自身も乗り越えれなかったというか、まだまんがの世界にいるという状況じゃなかったと思いますよ。彼女が断固として描くことをやめなかったでしょう。模索しながら...。

共に少年が好き

ーーどの作品が一番お気に入りですか?

増山 「変奏曲」が一番好きです。私はSF全然わかんないんです。だから彼女のSF作品ってよくわからないんです。FTなら好きなんで
すけど。

ーーどういった所で「変奏曲」が?

増山 私と彼女が仲良くなった原因というのが、共に少年が好きという、それが分かってから急激にお友達になったんです。ウォルフとかエドナンは、私にとって最高の理想の少年です。両方とも。だから好きです(笑)。

ーー竹宮さんらしさが最も出ている作品という のは何でしょう?

増山 タグ・パリジャンじゃないかなぁ。「空がすき!1」の方ね。あれを見ていると本当にあの頃の彼女そのままね。今、タグを描けっていう投書があるけど無理よ。タグは当時の彼女ですね。その他って言うと、セルジュが彼女に似てます。あの無神経な所、そっくり。こうと 決めたら絶対やるってい頑固さ、そっくり。回り中の者がイライラする (笑)。ただ違う部分もあるのね。やはりこの年になってくると、彼女は女性的になってきたというか、むしろ「夏への扉」のサラみたいな大人の女の感性っていうのが当然ながら出て来ているけれども、28歳の頃って、本当に少年みたいでしたからね。だから、セルジュが100%彼女だって気がしませんし、タグも今の彼女ではないですけどね。今の彼女というと、「地球へ...」のジョミーとかああいう存在に近いんですね。未だに少年っぽい所が抜けない。

ーーその少年っぽさが感じられる行動というと。

増山 若い時の方が多かった。好奇心の持ち方から、夢の持ち方、ものの価値判断のし方とか、昔からあまり女性的な興味のもち方をしなかったというか。ファッションはいい感覚もっているけれども、洋服より家具を揃えたいとか、家を建てたいとかね。あんまり女の子の発想する方にはいかないのよね(笑)。あの頃から建てる建てないは別として、熱心に設計図引いてましたよ。「趣味は?」と訊かれると、「設計図引くのが趣味です」と言ってた位。だから家具売場に行ったり、マイコン見るのも好きですね。

ーーこれまでで、印象的な竹宮さんらしい発言というと、

増山 大泉サロン時代、作家として細く長く生きた方がいいのか、太く短く生きる方がいいのかという問題が出た時に、「私は太く長く生きる」と言った彼女の発言は印象的でしたね(笑)。あと、「一番より二番の方がいい。いつまでも一番を追いかける為に自分を向上させていけるから」と言う。とにかく会った当初から彼女は、「私は20年でも30年でもとにかく、一生まんがを描いていくんだから」っていう発言があって、当座そういう発言する人っていなかったんですよね。だって新人時代というのは自分自身海のものとも、山のものともつかないってこともあるし、大体あの時っていうのは少女漫画家は短命で当たり前だったでしょ。そういう時に「自分のやっていることは全部、その長期計画に基づいて行動する」って言ったんです。彼女は。20歳そこそこで。ああいう発言は聞いていて本当に気分が悪いですよ。若い人が聞くとカチンと きますよね(笑)。「太く長く」なんて、何て図々しいんだろうとしょっちゅう思ってましたよ。
でも彼女にしてみれば、素朴な素直な意見だったのね。さぼってもいないし、つっぱってもいないし本当にそう思っていて、確かに着々とその通りやってますよね。
彼女は、無論作家としていい作品を描くってことは大事だけれども、大事なことは描き続けることだということが、ものすごく根定にあるような気がします。とにかく続けることの難しい、厳しい世界ですからね。

ーー10数年来竹宮さんとつきあってきて、竹宮さんの変わった点と変わらない点というのは?

増山 変わらない所は本質です。人間としての本質は本当に変わってないです。ただ、表面は随分変わりましたね。まず、人としゃべれるようになりましたものね(笑)。本当にそういうのはダメな人だったのね。20歳の頃なんか、ラジオのD・Jに呼ばれて行って、「はあ」とか「ええ」しか言わないのね(笑)。今ではちゃんとしゃべれるようになったし、挨拶できるようになったし、対外的に大人になったというんでしょうか。

平衡感覚が出来ている人

ーー竹宮さんの中の理解しにくい部分というのは?

増山 殆ど理解しにくいですね。わかんない、変な人(笑)。わかればこんなにケンカばかりしてないと思うんですね。どちらかというと、とてもシビアではっきりしてるでしょ。ああいう所ってわからない、私。私とラブちゃんなんかが嫌な事があると、お互いに電話で愚痴言うのね。愚痴言って慰めてもっと何がどうなる訳でもないけど、相手が嘘でもいいから「そうね、そうね、気の毒だったわね」と言ってほしいのよね。でも言ってくれないのね。竹宮という人は(笑)。「どうして?」て言うのよね。そういう日本的でないむしろアメリカ、西欧風の個人主義が生まれついて身についている人だなっていう見方を昔ししましたけど。とにかく大泉サロン時代から彼女はひとり、フワッと違う存在だったから。彼女だけは、ものの見方とか価値観とか、違ってましたね。わからないからうまく言えないんですけど...本当に不思議です。他の人も不思議だって言うのね。だからやっぱりあの人が変なんだと思う(笑)。

ーー逆に共感する部分というのは?

増山 ないです。全然違うと、そればっかり見えるので。それだけに私が感情派だから、感情に走ってしまったら最後、良し悪しの分別がつかなくなる人間なので、そういう時彼女は非常に冷静に正しい点を指摘してくれますね。昔から乱れないんで、すごく平衡感覚が出来てる人で、いまだにアシさんが言うんだけれども、「うちの先生は絶対にヒステリーを起こさない」そう、彼女は絶対に自制心を失いませんね。彼女がカッとして怒ることは何度か見ました。それはね、不正に対して怒るの。例えば、使っちゃいけない言葉ってあるでしょ、あれには彼女反対なのね。差別用語を失わせていくことが、即ち差別だということで。だから作品の中でそういうことで編集さんと衝突すると、本当に怒りますね。そういう不当なことについては怒るけど、感情的にはなりません。悔しいことがあってもとり乱さないし、それがあったからこそスランプ期を乗り越えられたんでしょうけれど、すごく気持ちが長いのね、まさに長くて大きいの。今ダメなら時期を待つとかね。その瞬間に悲しみうろたえないでいられる人なの。悲しみうろたえる分は私がやってるみたい(笑)。それは最初からそうでしたし、今でもそうです。その辺がベムと言われる所為じゃないかなと思うんだけれども。

ーー竹宮さんはこれからどういう方向に進んでいくと思いますか?

増山 わかんない(笑)。今ほど混沌としている時代はないんじゃない。それを24年組という形で総称したってそうだけど。少女まんが自体が方向性を失っているし...。ケースタン自身とにかく今は静かに描き続けて、何かアクティブなことが起きるのを待つしかないという位、少女まんがは沈帯してますね。とても残念なことなんだけど、今のメジャーの少女誌で人気を獲得させる為には、後退させなきゃならないっていうか、10年前の少女まんがを描いていると、割とうけるっていう所があるんですよ。だから、冒険的な、非常に前向きなものっていうのはうけない。ケーコタンが今、「イズアローン伝説」を描いてるでしょ。あれを怖いってファンが言うんですって。そんな怖い話じゃないでしょ、でも既に怖いって。だから本当に優しい、かわいいそういうものがうけるんですって。今、アクティブな姿勢をとると損しかないのね。難し時代になったという気がしますね。息を潜めて、成り行きを窺ってるというのが正直な所ですね。竹宮自身に今とても描きたいものがあるのなら、うけようとうけまいと構わないんです けれども。この1年間の中で「空がすき!」 が、最初の小ヒットとして、その後「変奏曲」「風と木の詩 」「地球へ...」と三つパンパンパーンと続いたでしょう。もう全力投球!という状態が。だから私は当然のことながら作家的に休むべきだと思うんです。彼女が持っている力量で、楽々と描いていてほしい、又どうしても描きたいというのが出るまで。第一、20歳の時の宿題「風と木の詩」が終わらないとね。

生涯で一回の衝撃

ーー「風と木の詩」ですが10年前、電話で8時間位そのストーリーをお聞きになった時、どのような感想をおもちになりましたか?

増山 いや、感想というものじゃないですね。あれは私の生涯で一回しか起こらないだろうって位の衝撃をうけましたよ。だって一晩のうちにあれが彼女の中にバッと生まれた訳でしょ。まさに襲われたっていう感じで出てきたんじゃないかな。その時色んな場面を彼女は描いたんです。自分でもどうしてこの絵を描くのかわからないって言ってた位、何かにつき動かされるように色んな場面を描いて、後ろから押されるような感じでしゃべったんですね。私もやはりそれにものすごいショックを受けて、翌朝飛んでったんですね。そしてそのカットを見せてもらって、やっぱりこれはすごい!と思いましたよ。ああいう作品のああいう誕生の仕方というのは、作家の中でも仰々ないでしょう。モーさまにとって「ポーの一族」がそうじゃないのかな。それにたまたま立ち会ったという所がショックが合ったし。7年後に世に出た時にすごい感動、反響ありましたけど、私にとっては7前のショックだったのね(笑)。だから出た時は冷静でしたね。彼女も世に出す出さないは別としてどんどん描いてたし、それを持って色んな出版社を回ったんですよね。で、全部けられたんですよね(笑)。「こんなの出せるか、少女まんがで」と。

ーーその時、全ストーリーを聞かされたんですか?

増山 知ってますよ、最後まで (笑)。連載は多分、あと2年位で、つまり全体の話の半分位で終わると思いますが、私は正直言って最後まで知ってますよ。で、すごくおかしいことがあるんだけれど、彼女が忘れてる部分があるの。ネームにして見せてもらって、「あれ?私に話してくれたあのエピソードは、ここに入るんじゃなかったの?」と言うと、「あ、そんなの忘れてた」って、慌てて入れたりね(笑)。

ーー半分までは連載で、後半は?

増山 残りというのは、淡々と連載するより本人は描き下したいらしくて、例えば100ページ200ページまとめて出すとか、いっそ描き下し単行本にしちゃうとか、そういう形で後半は一気に終わりたいらしいの。彼女にしてみれば、あの作品を世に出して、ある意味でやることはやったというところがあって、それまでの闘いがあまりにも長かったから、出しただけで本当に嬉しかったんじゃないかな。

ーー竹宮さんは、ファンに対してどういう考えをおもちでしょうか。

増山 これには完全に変化がありますね。20から25歳位では、ファンとあまり年齢差がないのね。15、6歳から大学生あたりだったから、彼女の場合は一諸に楽しむってことが多かったですね。彼女は積極的にファンの、特にミーハーの子達をかわいがってましたね。ミーハーって悪い言葉じゃないと思ってるの。ある意味一番率直、 一番情が深いのね。マニアの方が、調子が悪いとクルッとソッポを向いちゃうの。で、調子が良くなると又クルッと元通りになるのね。その点ミーハーの子というのは、作家の調子が悪くなっても、キャーキャー言うことはなくなるけど、実に淡々と手紙をくれるのね。どれほどあれが本人にとって力になってるかと思いますね。それが年齢的に離れてきちゃうと、もう今は出来ないって本人は言ってます。そういうのってあるんじゃないかな。それはもう年を重ねていく上で仕方ないでしょうね(笑)。

10年サイクル

ーー作家・竹宮恵子と人間・竹宮恵子の二方面について。

増山 私はまんが家としては、モーさまとか大島さんの方が好きなの。ケーコタンのタイプは好きじゃないっていうか、全然違うだけに興味があるのね。また、どうしてここまで一緒になって仕事してきたかっていうと、人間竹宮恵子が尊敬できるからなの。本当にスケールの大きい人だと思う。大きすぎて把みきれない位。まさに10年後、20年後の彼女を見ていきたい。狭い目で作家的に追ってみると、調子が良かったり悪かったりってことはあるけれど、彼女自身は根っからまんがを愛しているし、創作することに対する真直さというのは最初から10年たった今でも全然くずれていない。一本の線を引くという喜びを片時も忘れていない人でしょ。なおかつ描くだけではなく、現実的な事とか先行きの事とかを創作と同時に見れるという人は珍しいと思うのね。私の知らないことがあまりにも多すぎるから一緒にやってこれたんじゃないかな。
作家竹宮恵子は、まだ、じゃないかと思います。彼女の本当のすごさって、まだ出てないって気がします。まだ部分部分しかカードを広げ てないっていうか...。全部広がったらすごいんじゃないかなあって気がします。ある意味でモーさまや大島さんというのは最初っからカー ドを全部広げてるでしょ。こういうタイプの作家だとわかるじゃない。そこでフワッとストレートに評価できるのね。あとひとつね、彼らは,絶対嫌われない絵を描くのね。男の人からも女の人からも好まれる絵柄っていうのか、テーマ性っていうのかな。日本人が誰もが好きな情緒性や柔かさや優しさを持ってるんだけれども、ケーコタンのはそれがなくて乾いてるのね。それだけに、そういうのは嫌いだっていう敵も多いのね。だからそのへんが誤解を招くというか、すごく気の毒に感じている。結局、竹宮恵子を評価するには、やっぱり彼女自身が自分のカードを全部開いて見せて、これが私なんですとなった時初めて評価できるんであって、今みたいに部分部分だとファンが「地球」のファンと「風と木」のファンに分かれちゃったりするわけなのね。あと、あのアクの強い絵柄が最初っから嫌われるということもあるのね。あれはすごく損してる。損しているということを自分でわかってるのに変えないというしたたかさも、好きなの。

増山 私は、今年一年は作家竹宮恵子の最初の足踏み期間で来年あたりから助走が始まって......という形で何年かかけてまた全力疾走を始めるん だと思ってます。というのは、手塚先生とか石森先生とかああいう先輩方見ているとみんなそうだから。必ずピークがあって、沈黙期間があって、また全力疾走始めるという。つまり、本当に描く事そのものが好きだったら、全力疾走せずにおれない筈なのね。そこで落ち着いちゃうとか、そこで満足しちゃうとか、絶対にあり得ない筈だから。
彼女見てても、今はっきりいって余裕を感じますので。仕事自体は増やしてるんだけど、プロダクションが赤字になりそうだから(笑)。量的には非常に今頑張ってますけれども、質的にはすごく中程度をいってるな、と。だからファンにはそれが手を抜いてるように見えるらしいんですけれど、現段階においての彼女は一応全力でやってるんですね、一作一作。とにかく、竹宮恵子という人は10年サイクルでものを考えるんですので、まあ気長に見てやってくださいというのが私の意見です(笑)。

ーーこれからの竹宮さんに望むことというと?

増山 やはり、また全力疾走してほしいですね。今は本当に休んで構わない、むしろ休んでほしい。そしていろんなものを吸収してほしいし、それが3年後か6年後かにまた「風と木」や「地球」や「変奏曲」級の、あるいはそれ以上の作品を生みだしてくれると思います。作家はやっぱり全力疾走している時が一番幸せそう、傍で見ていてもね。どんなに疲れていても、どんなにきつくても、あんな幸福な顔はないという顔をします。だから作家的に幸せになってほしい。その日が早く来るといいなあと思ってます。
それから、あと倍位時間があったら、もっとまんが以外の事いろいろやらせてあげたいなあと思いますけど、もう100%仕事だけで他に何もできないのが、あれだけ広い好奇心をもってる人に気の毒だなあという気がとてもしますね。でも無理でしょうね、これからも100%仕事でっていくでしょうね。でも、がんばってくれると思いますよ。だから、ここ数年はじっと見ていたいなあ、と思います。

参照【わたしのデビュー時代:竹宮恵子・増山法恵】1984年11月