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【岡田史子について:青島広志】

まんだらけZENBU No.4
出版社:まんだらけ出版部
発売日:1999年09月01日

資料提供:https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/164958...


「まんだらけ ZENBU No.4」288ページ
(図版に続いてテキスト抽出あり)

むしろ、弟として
青島広志



人間には、誰しも一度は輝く時期があるという。彼女の場合、それは十代の後半から二十代の前半にかけて、ほぼ六年間のことだった。

●出会いまで
私の古い住所録に、高田冨美子・野口冨美子・中村冨美子という三つの別姓を持つ岡田史子がいる。二度目の離婚時に、正式な名前が冨美子だと知るまでは、自ら「冨美子」と書いていたのであった。
月刊誌「COM」誌上での彼女の活動は、良く知られているが、私もまた、創刊間もな い同誌でその作品を知り、傾倒し、ファンとして近づいたのだった。68年に第一回の新人賞を獲得したとき、私は読者欄に祝詞を寄せているが、本人と直接会えたのは、その暮のことだ。新書判の「アイ」創刊号の出版元である東考社にファンレターを出し、突然、本人からカット入りの返信が来たのである。縦長の封筒に合わせて切った画用紙に、少女の顔が描いてあり「一度遊びにいらっしゃい」 と記してあった。住所は文京区後楽の堀洋紙店気付となっていて、奇しくもわが中学校の目と鼻の先である。そうして私は、中学卒業までの約一年を、彼女の仕事ぶりを見ながら過ごしたのだった。

●漫画家としてのピーク
岡田史子の短い活動期間の中で、69年という年は最も充実した時期で、銅版画と見まごうばかりの「ピグマリオン」や、割箸を用いた「死んでしまった手首」それに帝政ロシア期の旧家を舞台にした「ワーレンカ」(発表前の題は「お人形さん」)などが描かれている。新宿御苑前にあった喫茶「コボタン」で、22枚のパネルに描かれたイラスト展が開かれたのも、この年だった。パネルは大・中・小と 三種類あり、小型で五百円の値段が付けられ、 私はそれぞれ一枚ずつを求めた。ちょうど同 時期に、ファンが昂じて「奇人クラブ」同人になった藤田耕司、若本高も数枚を所蔵しているはずである。奇人クラブは一時、岡田史子ファンクラブと化しており、集会所であった池袋の「漠」で、初代会長の村岡栄一から皮肉を言われたことがある。
そして彼女の周囲にたむろしていた男性たちの名は(雄猫も含め)、少し後の「トッコさみしい心」の、ハートを貯蔵するびんのラベルに記されているが、私は男性と見なされていなかったらしく出て来ない。

●五歳違いの姉上
私が、始めて女性を意識したのも岡田史子によって、であった。まず、人目をはばからずに煙草を吸う。外国語(最終コマにR.I.Pなどと書いたりする)や詩歌に関する該博な知識、ヒッピーに通じる執着心の無さに始まって、「週刊話題」巻頭のヌード写真、六回を記録するうち五回目の引越先である中村橋のアパートを訪ねたとき、突然、未知の男性が下着姿で現れたりもした。因にこの青年は「池袋で拾って来た」そうで、次にはもう姿が見えなかった。堀洋紙店を辞め、数ヶ月故郷の静内に戻って再上京をした彼女は、奇人クラブの会長となっており、私と組んで同人の作品批評をしていたのである。四畳半で、飲 むものと言えば水しか出なかったが、私はすでに高校生になっており、「月謝の安い学校に行ったほうが、親に威張れる」などという手 紙を貰ったこともある。

●冬眠期…でも実は
その後の、彼女の結婚にまつわる動向については殆ど興味がない。ただ、筆を折った形となって帰郷してからの岡田史子への評価が急上昇し、何人かの編集者たちがその途方を血眼になって探しているときも、私と彼女との間には音信があり、わずかながらも作品を見たことさえあった。「少女コミック」誌に始まる第二の活動期を挟んで(この時期には自らの高校時代の家出を題材にした「百合ちゃんの大冒険」や、「COM」時代の「ポーヴレト」のリメイクとも思える「エリム」などの佳作が描かれている)ほぼ現在に至る休止期間も、私は二冊の楽譜の装丁を彼女に頼んでいる。「プチフラワー」表紙イラストと並んで、これだけが今のところ岡田史子の第三期の作品である。現在も、彼女の内面には創作への強い欲求が漲っているのだが、少なくとも漫画に関しては、過去の作品への評価と、現在の需要とのギャップが埋められなくなってしまったようだ。岡田史子の足跡は、あの一期だけでも充分すぎるほどだったと、彼女を識る誰もがそう思っている。その作品は、何回も繰り返し、永久に読み継がれて行くことだろう。
私の手元に、かつて水野英子に送り、良い評価を得られなかったという「みず色の人形」の原稿がある。北海道へ戻るとき、形見のように譲り受けた、知る限り最初期の作品だが、水野英子がそうであったように岡田史子もまた、手塚治虫の影響下から始まったことがわかって、嬉しくなるのである。

青島広志(あおしま・ひろし)
一九五五年生まれ
作曲家
東京芸術大学大学院を主席で修了し、修了作品のオペラ「黄金の国(遠藤周作原作)が芸大図書館に購入され、過去二回、東京都芸術祭主催上演となる。 作品はオペラ「火の鳥 ヤマト編」(手塚治虫)などのほか、多岐のジャンルにわたる。
近年では、少女漫画を音楽家の立場から紹介しており、この方面では「トゥオネラの白鳥」(水野英子) 「たそがれは逢魔の時間」(大島弓子)「ミミーみっつ」 (矢代まさこ)などの作品を残す。
現在、東京芸術大学のほか三校の講師、NHKのレギュラーをつとめる。


「まんだらけZENBU No.4」278-291ページ
岡田史子:インタビュー第一部】テキスト抽出あり
岡田史子:インタビュー第二部】テキスト抽出あり
岡田史子について:青島広志】テキスト抽出あり
岡田史子作品リスト:青島広志
岡田史子について:山口芳則】テキスト抽出あり